寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

根気が無くて…

2019年09月18日 20時48分16秒 | 笑い

  おはようございます^^

朝晩はすっかり涼しくなりました。昨夜なんか残業もなくて早めに上がって帰ってから 家の近くを歩きました。

 昨日も紹介しましたが七時にはすっかり夜の帳(とばり)が降りています。この前までの熱帯夜は何だったんでしょう・・

毎朝カレンダーで日にちを確認していても、季節の流れはつかめていないようです。一日を流れるまま無意味に過ごしているから

いつの間にか空の色が変わっているのがわからないようでもあります。 これを季節音痴というらしい…とは最近読んだエッセーに書いてありました。

私は若い頃は長編の小説を読んだこともありました。しかし四十を過ぎて仕事のゴタゴタもありましたし、老眼が始まりだしたようで細かい文字を

根気良く読むことが苦手になりました。しかし私なんかただ読むだけでこんな風だから執筆される小説家の方は 大変な作業じゃぁないでしょうか。

歴史小説の大家の司馬遼太郎氏は私が歴史に興味を持ったきっかけの人です。大体の作品は読みましたが、途中から小説を書くのを止めて

エッセー、随筆、旅行記などに移行されましたが、それに気が付かないまま ある時 氏のエッセーから長編小説を書くだけの気力や根気

体力が失せてしまった…なのでこれからは短編やエッセーをちょっとずつ書いていきます・・とあったのを読んで ああそうなんだ…

と思いましたがその時の私はまだ壮年期だった所為か もうひとつ ピンときませんでした。それが最近は司馬遼太郎氏の心境がほんのちょっこと

分かったような気がしました。でも 書く方の労力と読み手では 比較のしようもないほどではありますが、ちょうどおやじと同じ世代だとわかった

時 初めておやじの背中の大きさが分かったような気がしました^^

 

 

 

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京の夕焼け・・

2019年09月18日 07時01分36秒 | 笑い

  おはようございます^^

昼間は暑いですが 夜は涼しくなってきています^夕方六時を回って 薄暗い外がえらく赤くなっているようで はて?と思って見直してみますと

これが なんと 夕焼け だったんですね。京都は大きな街のわりに高いビルが少ない所為(せい)か北西の方角を眺めますと羊雲の向こうに太陽が

沈んでいくのに雲を柿色に染めてそれは 日本の原風景を見ているような神々しさに思わず息をのんでしまいました。

 京都は今から約1200年前に奈良から遷都されました。奈良の都は寺院とのしがらみが強くなり過ぎて正常な政治が出来なくなっていました。

それで その影響を除外するために都を移すことになりました。大化の改新以来律令政治がようやく定着してきて今更都を移す というのに

反対の勢力が大きくて数度かの遷都もうまくいきませんでした。それでも桓武天皇は宰相の和気清麻呂と相談をして今の京都(山城国)に新しい都を設定

しました。当時この地は平地ではありましたが、鴨川やその支流が幾筋にも流れていて湿地帯になっていましたが、河川をまとめることで人の住める

乾地にしました。その土木工事で作り上げられた新しい都の全貌を和気清麻呂は一望できる東山の丘陵に桓武天皇を伴って都の青写真の説明をしました。

当時…今でもですが、風水ですとか方角や縁起や鬼門などをとても気にしていました。そりゃぁ電気の無かった時代ですから夜になれば真っ暗闇、

魑魅魍魎や妖怪が跋扈(ばっこ)していたのを目の錯覚だとか迷信なんて笑ってられません。ちょっとした自然の出来事が人々の不安になりました。

宰相とは今でいうところの総理大臣だったのでしょうか…都の主な位置を示しながら 鬼門の地には北に比叡山、南に男山八幡宮を据えて都の

安全を祈りました。この時にこの東側の防御が手薄なことに気が付いた和気清麻呂は 長らくこの王城の地を守り賜えと祈願して

土偶の将軍を建立したのです。東山隊道の上あたりにその名残りが将軍塚 として残っています。京都の地に大きな災害があると

この将軍塚が ブルブルと震えるそうです。

この話はそれぞれで聞き貯めたものです。

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