おはようございます^^
すっかり 秋の日和になりました。
秋と言いますといろいろありますが童謡かな‥秋に因(ちな)んだ童謡は幾つもあります、中で私がよく
口遊(ずさ)むのが ♪~ 小さい秋 小さい秋 ちいさい秋 みぃつけたぁ~ というあの童謡界の永遠不滅の
超ロングヒットがこの唄です。 ん…ん ちょっと気になったのは これって 題名は何というのだろう…
という疑問符 ^^ さっそく調べてみました。作詞が あのサトウイチロウ氏 さすがにすごいものですねぇ。
童謡の唄を書かせたら先ずはこのセンセイでしょう。
それで この唄は 小さい秋見つけた という当然といえば当然、当たり前と言えば当たりの題名でした。
さて、話題を変えます。 風流さで秋と言えば秋の七草!
春の七草と併(あわ)せ 二十四節気などと共に最近よく紹介をされるようになりました。
わたしも このブログの中で二十四節気はよく使わせてもらっています。ですが全部を言ってみたら…
と訊かれると、ほとんど出てきません。(苦笑) それはなぜかわかりませんが、恐らくは幼少期に身近にあった
言葉ではなかったからではないかと思っています。
三つ子の魂百まで という故事がありますが頭の脳の柔らかい内に覚えると一生モノの知識として
自然に身に付いてしまうのですが これが二十歳くらいまで上がると もう若い頃ほどの記憶力は
ありません。それが中年まで来るともう記憶力は無いに等しいのです。
ですから若い皆さん 今の内ですぞ~ 生物生理学の先生が仰るには、憶えすぎて脳からあふれる なんてことは
絶対ありません、とだから精いっぱい勉強をしなさい。
私から言わせると勉強を一生懸命することは一種の才能だと思っています。これは 勉強ができる、という事の
証明と言いますかなぜなんだ、と探求すればそんな答えが出てきました。これも生物生理学の先生のお話ですが
人の脳の大きさはほとんど同じで どうして勉強ができる できない 賢い あほの 差になるのか…
研究されたのですが、答えは 先ほどの 才能ではないか という事でした。
勉強ができるは才能で、絵をうまく描けるのも才能、小説を書けるのも才能、きれいな写真を撮るのも才能
速く泳ぐなどや身体能力の優れたのも才能。今言ったことは誰でも出来るのですが人より優れた結果が出せるのが
才能というらしいのです。
私は幼少の頃、勉強は才能が欠乏していました、ですが給食は残さず全部食べて褒められたことがありました、
今更ながらそれって才能なんだなぁと自慢はなりませんが一応自負をしているのです(笑)