寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

食糧の秋・・

2021年09月13日 06時41分51秒 | 笑い

 おはようございます^^

九月に入って 虫の音(ね)が 耳につくようになりました。

季節とは 正直なものでこの前までは 猛烈な暑さでした。そのあとは例年になく 雨が毎日が続き

八月の気候とは思えないくらいで このままだと どんな秋になるんだろうと 心配をしていましたら、

なんと 季節通りの穏やかな秋の日が続いています。それでも時々雨が降りますが、秋とは 雨の季節と言われるほど

雨の馴染みの月のようでもあります。

 ところで秋については先週に紹介をしましたが食欲の秋とも言います‥というかほとんどの人が食べる事と結びつける

ようで何かで読んだ記憶を手繰(たぐり)り寄せると 秋に食欲が旺盛になるのは 人間の本能らしくて、秋は食べ物が

実る頃でもあります。これに合わせたのかどうか この秋の後には 寒さ厳しく食糧の確保が乏しくなるために

弱い人類は永い冬を越せずに餓死していました。このように飢えずに生きられるようになったのは 今からほんの数十年前です。

 私の家は農家でした(今は田んぼを他の人に委託しています)女房はサラリーマンの家庭の子で、嫁いできた年の秋に

 新米がいつ食べられるのかと とても楽しみにしていました。ところが収穫時期の九月を過ぎて、何回か新米を食べましたが、

すぐに古米に戻ってほぼ半年間は古米を食べ続けて新米を食べられるようになったのは翌年の三月ごろでした。

 新米というのはその年までの呼び名で年を越すと古米と言うらしいのですが、当時の農家では自家用の食糧米を半年分

残すのが常識でした。ですから新米が獲れてその年を越した翌年に食べるコメは古々米になっていました。

 女房は、農家に嫁いで毎日新米を食べられるのが 農家の嫁になった特権だね、とごはんが大好きなので

大きな期待をしていたようですが、年を越しても一向に食卓に上らない古々米を横にらみしながら 一体いつになったら

新米を食べられるの とふくれてしまいました…

 私は農家の育ちでしたから 新米もなにもご飯は当たり前のものでしたが、非農家に育った女房なんかは

ご飯‥お米は買うものという感覚ですよねぇ。 スーパーで見るとお米って様々な種類があって値段も様々。

その家庭その家庭の家計と嗜好とを加味しながらどれにしようかと買っていたのですね。

 そんなことも知らずに私はお米は、いつでも小屋にあるもの  という感覚だったのですね。

 ただしご飯を食べ残したりしたら叱られましたし一粒のごはんを落としても苦労して獲ったごはんやから‥と拾って

食べさせられました。

 大切にするようにといわれてはいましたが、ごはんはどれだけ食べても構わないとも言われ、もっともっとご飯を

食べなアカンとご飯を奨励されていたのが、どうしてたった一粒を拾ってまで食べさせるのか…

子供心におかしいなぁと思っていました。

 ところで 話しの中で自家用米を半年は確保していた と話しました。それは なにもケチケチしていた訳では

なくて、万が一お米が不作だった時、次の年の収穫までの備蓄だったのですね。

 え、お米が獲れないなんてそんなことあるの? 今なら思うでしょう‥実際、自然災害や冷害などの影響で

農作物の収穫が全滅になり(飢饉)食糧の援助を国連に申し込んでいる国は今でもたくさんあります。

 日本は幸いにも良質の肥料などを施(ほどこ)せるようになったし水害の影響を受けないような水路や灌漑用水も

備え、お米はその地方の気候に見合った品種改良に努めたりしてどれだけ凶作になっても収穫が95%を下回る

(これって凄いことですよ)ことがないようになりました。

 このようにお米が安定して収穫ができるようになると 皮肉なもので 高度経済成長に乗った日本は海外から

いろんな珍しいもの、美味しいものを自由に輸入できるようになりました。

 そうなると主食がご飯だった国民の食感が微妙に変わって 米の代わりに パン、スパゲッティ、ラーメン、ナンなど

を食べる文化が育ってきて ごはんもいいけど パンも美味しいよ…

 忘れもしない私が中学校の時でした。学校給食は既に拡がっていてそれはそれなりに好評だったのですが、当時お弁当を

持参しておかずだけは給食だったのですね。それを お弁当(ごはん)を廃止にしてパン食にするというお達しが出たのです。

当時私が住む地域は、農家(兼業を含む)が七割‥くらいだったでしょうか‥ウチにタダのご飯があるのに、わざわざお金を

払ってパン食にするとは 地域の特産を台無しにするのか、実に怪しからんと農協と結託して猛烈な抗議がありました。

 それで スッタモンダした揚句 妥協案として隔週ごとにご飯、パンとなりましたが、時流は、いろんな食べ物が氾濫

し始めていました、それが1970年代かな‥

 終戦後日本は極度の飢え貧困の時代を経験しました。その前の昭和の始めに気候不順から大凶作、食糧難で身売りが出たほどの

大変な時代や戦争の争乱を乗り越えて、いまの発展があるのです。

 もう農家さんも、備蓄米をそんなに用意しなくてよくなり代わりに保冷庫という便利なものが出来ていつでも新米と遜色の

ないごはんが食べられるようになりました。

たった数十年でそれまで二千年のお米の常識を塗り替えてしまったから現代の進歩ってすごいなぁと思いますね。

 

 

 

 

コメント (3)
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