おはようございます^^
日本で最高最大の選挙が終わって 気になるところを確認して他の悲喜こもごもの様子もみて
さぁ寝ましょ‥‥と寝付いたころに 明日(今朝の事ですが)から十一月やったかな?と気が付いて
起きてみたらやっぱり十一月でした・・
この月は一年の中で あまり目立たない六月や二月同様にひっそりと来ていつの間にか過ぎてしまって
次の賑やかな行事がある月にもみ消されてしまうのが運命のようですね。
ですが今年は少し違ったことがあります。…というのは十月は五輪の余波で休日が無くなってしまい
今年の月の中で唯一休日の無かった月となりました。
そして今月十一月を見て下さい。 月初から三日目に 休日があります。
たわむれに母を背負いてそのあまり 軽ろきに泣きて三歩あゆまず 石川啄木 の一握の砂にありますように
三日目を三歩と置き換えてみますと 実に験(げん)がよろしい。 そして次なる休日は23日勤労感謝の日
これも21日の日曜から数えて日、月、火と三日目ドンピシャ やっぱり験がよろしい^^
どうして3が縁起がいいの?と仰る方は 昔パチンコをなさったご経験がなかったようですなぁ。
あれは‥‥ そう40年くらい前の思い出ですが あの頃は高度経済成長期の真っ只中でした。
世の中は好景気で貰ったお金(給料ですが)どう使おうか と猫も杓子もカッポレカッポレと大騒ぎでした。
そんな話しをしていますと切りがありませんので このパチンコに限ったお話をしましょう。
当時パチンコは お客のわずかなお小遣いを使って勝ったり負けたりするお遊びでしたが
世の中あぶく銭で浮かれていましたから(あぶくをバブルと言い換えたのがばぶるの呼び名らしいのです)
少々のお遊びでは飽き足らず 勝っても負けでも大枚をはたくような
お遊びに変わってしまったのです。それまでのパチンコは専門的な技術を駆使したパチンコプロ 通称 パチプロ
というパチンコで飯を喰っていた技術集団がありました。
パチンコ台はクギと呼ばれるポイントを店側が微妙に調整をして 玉が入る入らないの操作をしていました。
それは一見 どれも同じに見えるのですが、パチプロにかかるとどれが出る台か一目瞭然、パチプロばかりが
勝っていると 一般客が来なくなって店は一発ダウン。ところがパチプロは自分たちが生きるための術(すべ)を
心得ていました。毎日の稼ぎをそこそこにして一般客にも勝ちを譲ったりしていました。
そうすることで店側も営業が成り立つし一般客も遊べるしパチプロも生計がなったわけですね。
それが そのバブルの頃でしたか、手動式だったパチンコ台が自動式に変わり遂にコンピューターが導入されました。
これは従来のクギの調整で出玉を増減していたのを玉の動きをコンピューターでコントロールするのです。
ですから同じ台でも 出る時間帯と出ない時間帯があるようで、クギの向きなんか何も関係が無くなり
パチプロが絶滅しました。
パチンコは従来の穴に玉が入ると ジャラジャラと球が出てきました。それを繰り返して楽しむ訳ですが
勝っても負けても時間のかかるのがパチンコでした。ですから休日に暇していた亭主がのそりとパチンコ屋
でとぐろを巻いていたのは時間つぶしだったのですね。
ところがバブルの好景気に乗っかったパチンコ業界はコンピューターを使って出玉をコントロールし始めると
それまでの時間稼ぎの娯楽から一発勝負の賭博性の強い遊びに変わってゆきました。
それが 例のフィーバーでした。これは球が穴に入ると パチンコ台の真ん中にある三個の数字が
くるくると回りやがてひとつずつ止まります。数字は1~9まであって 333、777と揃うと
パチンコ台の穴が全開になって打つ玉打つ玉全部穴に吸い込まれて あっという間に大勝利。
サタデーナイトフィーバーという映画が流行りました。そこから取ったのでしょうか フィーバーは
大流行しました。7、7、6‥ひとつでも合わないとだめで もうちょっとやのに~と力が入り過ぎて
卒倒した人が出たくらいの人気で 3 という数字を見るとやった!という高揚感が懐かしく
当時の狂乱的な時代を思い出してしまいます。