YS-11が昨日2015年5月27日、羽田空港から高松空港に
フライトした記念に以前掲載した記事を再度。
2011年頃に一度掲載さいていますが、2020年に
東京オリンピックが決まった事を記念して、
1964年東京オリンピックで
聖火を運んだ全日空YS-11
尾翼にはレオナルド・ダビンチのスケッチでヘリコプターと
思われる物が描かれています。
航空オタクで無くても最初の純国産飛行機YS-11
事は知っている人が多いです。
このブリキ玩具は、東京オリンピックで聖火を運んだ
全日本空輸のモヒカンルックの飛行機です。
YS-11の古いダイキャストのモデルも結構高値で取引されています。
今回掲載の品は、ほぼデッドストックで綺麗です。
制作会社は、野村トーイでした。
ブリキ製の機体は全長40センチと割りと大きく、
プロペラと一部がプラスティック製です。
勿論フリクション走行もします。
聖火を無事に空輸した後、このYS11は
オリンピア号と命名され全国各地を飛び回りました。
「Wikipedia」より
1964年(昭和39年)8月に運輸省(現国土交通省)の型式証明を取得し、国内線向けの出荷と納入を開始した。
初飛行から型式証明取得まで、1号機の試験飛行は540時間、2号機は460時間であった。
9月9日には全日空にリースされた2号機(JA8612)が東京オリンピックの聖火を日本全国へ空輸し、
日本国民に航空復活をアピールした。この聖火輸送に因んでその後、
全日空が導入したYS-11には機首に「オリンピア」の愛称がマーキングされたが、
機体や全日空の時刻表には「YS-11」の型式名や機種名は記されていない。
表面上は聖火輸送の実績に由来した名称と説明されていたが、
当時の日航製の開発が遅れていたことや、日航製の経営資金の枯渇から経営不安説も流れ、
倒産した場合、倒産した会社の飛行機の名称をそのまま使う事態を避ける思惑が全日空にあったと言われている。
株式会社 aero lab international
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