鹿児島市下田町にある「関吉の疎水溝」と呼ばれる所に行ってみた。
調べて見ると・・ この疎水路は,幕末の薩摩藩主
島津斉彬によって進められた,集成館事業の動力
源として利用されたもので,鹿児島城下を流れる
稲荷川の上流から仙巌園まで,延々約8kmに渡っ
て掘られ,この疎水溝を使って集成館まで水を引
き込み,水の力をうまく利用し館内の工場で使わ
れる動力源に変えていたと言われています。
現在でも,一部は農業用水路として利用されているそうです。
2024-12-16