何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

煙の後

2021-04-10 11:34:44 | 詩はあいまいな哲学
天頂はまだ明るいのに
庭を囲む岸は既に影に満ちて
岸の屋根を覆う木々の盛んな茂みの暇に
細かく織り込まれた西空の雲母は
色どり鮮やかな絵巻の果ての長い余白

清顕はどうやって聡子の内部へ到達出来るか思い悩んだ。
そうしている間も心は灼熱して
不思議な高い鼓動とともに
尊い輝きの「自家発電」の文字を見つめた。

目を凝らしていれば少しも形を変えず、
束の間他へ目を移していれば
雄々しい雲の鬣(たてがみ)が寝乱れた髪のように
放心したまま少しも動かない。
清顕の純潔は悲しみに閉ざされた世界も破れ
完全無欠な曙を漲らせ
夕映えに彼は聡子を看取った。
身は熱蝋になって溶かされていた蠟燭が
火を吹き消され、もう何ら身を蝕む惧れがなくなって
彼は孤独が休息だと知り、
無邪気に昔を懐かしむことさえする。

今日を自分たちの若さの
紛れもない幸福の一日に数えることが出来ると思った。
清顕の恋の多忙を看取る人も見て見ぬふりをしながら
季節は人梅(賢者タイム)へ向かっていた。

三島由紀夫「豊饒の海、春の雪」の厳選編集




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