何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

地底人説

2023-05-31 07:24:22 | 詩はあいまいな哲学
耳だけの為の音楽など存在しない。
音の落下は意志の精一杯の努力にも拘わらず
物理的な実在性を持つ自然への回帰である。
音楽は私たちの時間を満たしもし、危機が始まった途端に崩壊もする。

聴衆は雑音の中での音楽を認めることで情動を思考へと高め
日常性と他人に合わせる共同労働の回帰を示させ
音の正しさを強化することで、音を消さないよう保たせる。
悲劇と緊張関係にある新しい感情を反省によっても建築的に繰り返す。

音楽は言葉なしで内面の変化や情感を証言することはない。
ある意味記述力ゼロで驚異的な喚起力と記憶力を持つ。

「思い出の地平」に浮かんだ仕事、疲労、怒り、許し等は地に落ちている。
平凡な連なりはどんな対象について、何の目的があってなのか。
自制心と休息へと向かわせたる規制か
愛や野心へは希望からか絶望からか
信頼、信仰への嫉妬か羨望か
内なる声(感情)の上に感覚(接触感覚の手)を据えて。

人間のいるところ必ず宗教がある。
我らに宗教心が与えられているのが事実なら
何を中心に求めるのか。

โปรดฟังอีกครั้ง - COCKTAIL feat.เจ๋ง BIGASS「Official MV」



自由の定義として「やりたい」と「やりたくない」の
実行欲望がある。

欲望のないところには自由も不自由もなく、
完全な自由を与えられても何をするか戸惑うことになる。

順当を当然とみなし瑕疵(かし)が気に障るが故に
自由という贈り物が手に入らない。

欲望の実行が妨げられた時に不自由を感じ、
妨げる障壁を取り除いて初めて自由を得られる。

人生を語る上で拘束される自由とは
意志に関わりなく「持っていかれる時間」で
習慣的、義務的にしていることを「自由時間を振り向けているだけ」
と反論するならば、それを止めてみることや
別のことを始めることも容易なら、自由人と呼ぶに価する。
地底人ではなかった。

カクテルさんやビック明日さんの曲は
「何かやらかしてるはず」という
「疑いの目で鑑賞する」べきで(笑)
ポジティブやネガティブ読みの両方で視てみる事や
視点、焦点、終点がどこか?まだ続きそう?
何がブレているか?等などで
何回見ても発見がある。

30年以上前からタイ贔屓なのですが、
何が正解か一致(ユニゾン)してるのか
謎が謎を呼び、ついには何があっても「タイだからな」で片づけてしまえる。

2021-03-09 02:52:14の再編
2021-07-08 11:40:48の再編
コメント
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