
私は、それほど熱心なバッハの聴き手ではないと思います。しかし、器楽曲では、平均律グラヴィーア曲集、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータと無伴奏チェロ組曲については、その深遠な世界では刮目せざるを得ないし、聴く度に新たな感動を覚えるし、大袈裟に言えば人類の不朽の遺産やなあ、と思うのでありました。どれもひとつの楽器で、ここまでの世界を表現するとは、すごいことです。今回は、この中から無伴奏チェロ組曲であります。
この曲との最初の出会いは、従兄がオープンリールで聴いていたカザルスの演奏です。雑音はそれほど意識せず、チェロの低い独特の渋い音が体に染み込んでくるようでした。こんな曲もあるんだと思ったのでした。そして、就職して職場の先輩が買ったCDをカセットテープに録音して、繰り返し聴きました。フルニエのフィリップスへ録音したものです。しかし、これは主に昼寝のときのBGMとして愛用したのでした(笑)。これらのバッハの曲は、こんな場合にとても重宝するんですねえ。すんません。その後、同じく職場の同僚で音楽好きが、この曲を評して「自分はチェロという楽器の表現力に限界を感じている」とのたまわったことがありました。この言葉はけっこう私にとっては大きくのしかかっていました。そして、自分で買ったCDは、やはりカザルスを最初に買いました。そして、誰しも念願の録音だったロストロポーヴィッチなどと発展していったのでした。これらを聴く中で、チェロの楽器としての魅力も自分なりに感じるのでありました。
そんな中で、この無伴奏チェロ組曲を最近一番多く聴く演奏としては、ピエール・フルニエが1960年11月にハノーファーのベートーヴェンザールで録音されたものです。最近のピリオド楽器で多くの録音がなされたり、ヨーヨーマやマイスキーなどに対すると、一世代以上も前の録音といえるかも知れません。この録音はフルニエ54才のときのもので、「チェロの貴公子」全盛期のころのものと言っていいでしょう。このフルニエの演奏、一番よく聴くのは、まず第一に、チェロの音が非常に安定していることです。長いフレーズでも決して音が不安定にならず、確固たる音程のチェロをいつも聴かせてくれるのですね。気迫とか厳しさではカザルスにはかなわないですが、なにせカザルスの演奏は録音がかなり不鮮明です。これに対して鮮明な音で聴けるフルニエのチェロは、強靱で安定した骨太のものと言えるでしょう。これは洗練されたフルニエの力量ですね。また、音量の大小も実にきれいにコントロールされていますよ。第二に、チェロの音色の美しさであります。高音は非常に輝かしい艶のある音色ですし、低音は安定して体に染み込むような深遠な響きをたたえていますねえ。これは、ピリオド楽器では聴けない現代チェロの最大の長所と思っています。また、弱音も美しいです。第三に、これは、たいそう品のあるバッハなんですね。スマートな語り口と言ってもいいですね。それは聴いて安心感があるし、スタンダードとしては、申し分がないものを確信しています。ややすれば単調になりがちな曲なんですが、聴くごとにいろんなことが見えてくる、そんなことは、曲の持つ力だけではなく、フルニエの技量に負うところが多いと思います。
ただ、ロマン性とか叙情性とかにおいては、例えば世評の低いロストロポーピッチの演奏のほうでは、ハッとするような表情を聴くことができるように、私は思うところもあります。そこが難しいところでもありましょうかねえ。
フルニエの無伴奏は、TDKからの1972年の日本でのライブが出ています。今回が最後の発売ということですので、是非買っておこうと思っています。
(DG Archiv Originals 449 711-2 1996年 輸入盤)
この曲との最初の出会いは、従兄がオープンリールで聴いていたカザルスの演奏です。雑音はそれほど意識せず、チェロの低い独特の渋い音が体に染み込んでくるようでした。こんな曲もあるんだと思ったのでした。そして、就職して職場の先輩が買ったCDをカセットテープに録音して、繰り返し聴きました。フルニエのフィリップスへ録音したものです。しかし、これは主に昼寝のときのBGMとして愛用したのでした(笑)。これらのバッハの曲は、こんな場合にとても重宝するんですねえ。すんません。その後、同じく職場の同僚で音楽好きが、この曲を評して「自分はチェロという楽器の表現力に限界を感じている」とのたまわったことがありました。この言葉はけっこう私にとっては大きくのしかかっていました。そして、自分で買ったCDは、やはりカザルスを最初に買いました。そして、誰しも念願の録音だったロストロポーヴィッチなどと発展していったのでした。これらを聴く中で、チェロの楽器としての魅力も自分なりに感じるのでありました。
そんな中で、この無伴奏チェロ組曲を最近一番多く聴く演奏としては、ピエール・フルニエが1960年11月にハノーファーのベートーヴェンザールで録音されたものです。最近のピリオド楽器で多くの録音がなされたり、ヨーヨーマやマイスキーなどに対すると、一世代以上も前の録音といえるかも知れません。この録音はフルニエ54才のときのもので、「チェロの貴公子」全盛期のころのものと言っていいでしょう。このフルニエの演奏、一番よく聴くのは、まず第一に、チェロの音が非常に安定していることです。長いフレーズでも決して音が不安定にならず、確固たる音程のチェロをいつも聴かせてくれるのですね。気迫とか厳しさではカザルスにはかなわないですが、なにせカザルスの演奏は録音がかなり不鮮明です。これに対して鮮明な音で聴けるフルニエのチェロは、強靱で安定した骨太のものと言えるでしょう。これは洗練されたフルニエの力量ですね。また、音量の大小も実にきれいにコントロールされていますよ。第二に、チェロの音色の美しさであります。高音は非常に輝かしい艶のある音色ですし、低音は安定して体に染み込むような深遠な響きをたたえていますねえ。これは、ピリオド楽器では聴けない現代チェロの最大の長所と思っています。また、弱音も美しいです。第三に、これは、たいそう品のあるバッハなんですね。スマートな語り口と言ってもいいですね。それは聴いて安心感があるし、スタンダードとしては、申し分がないものを確信しています。ややすれば単調になりがちな曲なんですが、聴くごとにいろんなことが見えてくる、そんなことは、曲の持つ力だけではなく、フルニエの技量に負うところが多いと思います。
ただ、ロマン性とか叙情性とかにおいては、例えば世評の低いロストロポーピッチの演奏のほうでは、ハッとするような表情を聴くことができるように、私は思うところもあります。そこが難しいところでもありましょうかねえ。
フルニエの無伴奏は、TDKからの1972年の日本でのライブが出ています。今回が最後の発売ということですので、是非買っておこうと思っています。
(DG Archiv Originals 449 711-2 1996年 輸入盤)
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