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師走に聴く、『大地の歌』

2009年12月08日 23時14分24秒 | マーラー
12月になりまして仕事も区切りがつくことになり、そろそろ年度末のことを考える時期となりました。私の業界では、4月に起こった重大問題によって、この年度末はたいそう厳しいものになりそうです。それに新型インフルエンザの猛威が加わって、空前の大忙しの年度末になること必定であります。おちおちブログなんぞ書いておる時間があるだろうかと、今から心配しております。そうは言っても、仕事ばかりでも…、ですので、その反動でCDをバカ買いしたりするかもしれません(笑)。まあ、なんだかなあ~、であります。

それで、今回は、マーラーの交響曲『大地の歌』であります。マーラーの交響曲の中でも、異色の作品でしょうが、私的には一番好きな曲です。このブログでも何回か取り上げました。そして、この曲の代表的な名演といえば、ブルーノ・ワルターとオットー・クレンペラーのものであることは、誰しも異論はないでしょうかねえ。今回は、オットー・クレンペラー指揮NPO(PO)。クリスタ・ルードヴィヒ(MS)とフリッツ・ヴンダーリッヒ(T)であります。1964、66年の録音。

以前に、この曲をよく聴いていた頃、この演奏はそれほど好きではなかったし、そんなにも聴きませんでした。一度聴いたら忘れられないような強烈な個性を感じるような演奏ではなかったんですね。個性的なものでもなかった。例えば、ワルターの演奏は、甘美でロマン的で、それなりの個性を放っています。これに対して、クレンペラーの演奏は、一度聴いてもこれは普通の演奏で、取り立てて特徴的でもないな、歌手も普通に歌っている、そんな印象だったんです。しかししかし、そんな甘いものではなかったんですね。繰り返し聴いているに、その強烈な個性を受け止めることになるんです。まず、私は一番に思うのは、クレンペラーの写実性に富んだ演奏であります。第1楽章では、「生も暗く、死も暗い」、月夜の墓地で猿の叫び。第2楽章では、冒頭のオーボエの悲痛な響きに、そしてフルートの音色に秋の日の夕暮れが。第3楽章では、池の水面に映るさまざまなもの。第4楽章では、花を摘む乙女を取り巻く有様が。第5楽章では、春にさえずる小鳥の様子。そして、第6楽章で、大地に夕闇が迫り来る寂しさ一杯の景色。そんな風な情景が、素直な表現ではなく、マーラーのニヒルで逆説的な手法で、痛いほど心に突き刺さってくるのです。もの悲しさの極みの木管とうら寂しさの頂点のような弦楽器、クレンペラーは、マーラーの書いた音楽を、まったくの正攻法で、これ以上あろうかと思えるほど忠実に再現していますね。目の前にこれらの情景が現出してくるような錯覚にとらわれると言ったら大げさでしょうか。

このクレンペラーの演奏をうまくサポートしているのが、ルードヴィッヒとヴンダーリッヒです。ルードヴィッヒは、他の指揮者のもとでの歌唱を聴くことができますが、これがピカイチでしょう。決して無理で過剰な表現はせず、ごく普通に歌う。これがここではいいです。ヴンダーリッヒも早逝が惜しまれる歌唱です。ルードヴィッヒと同様に、美声で歌うことには、力んだり意識的な演出は皆無です。いわば、クレンペラーの指揮もあわせて、自然体の演奏。そこから、マーラーの心情の発露が写実的に表現される結果となっているのでしょうか。写実的な演奏から、これほどまでのこころのひだを描くことになったとは、驚きの余り沈黙せざるを得ませんねえ。

繰り返し聴けば、聴くほど、色んなことが見えてくる、そんな演奏であります。
(EMI TOCE-7022 NWE ANGEL BEST 100 1991年)

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