どこかのだれかの日記

主に岡山と兵庫の鉱山や廃墟、遺構、坑道探索と雑記。

吉永地区の鉱山について その3

2021-08-17 20:45:06 | 鉱物採集 岡山
倉吉・脇谷・脇谷2・銅山1・銅山2・硫化鉱山・和意谷
郡倉・鉱盛・樫
・和気・三国・鉛鉱山
角倉・門出・南谷

残りの鉱山を上から順に追っていきます。

和気は樫と同じ脈を追った鉱山で、採掘量も多い。
多量のズリが現在でもそのままで保存されている。
坑口は4個あったが現在は2個のみ現存している。
既に存在していないが、付近では現在も法面の工事を行っており、この法面の中にも坑口があった。
和気のズリ前の広場以外にも水平と竪堀した坑口が別の場所にある。
ズリがチャートにソックリでとても面白かった。
露天掘りした箇所もあり付近には同じ脈が複数あった。
また狸掘りに近い坑口も多数あり樫鉱山のキッカケになった鉱山と言うに相応しい。

三国は和気の近くにあるが、ズリは非常に貧弱な孔雀石や黄鉄鉱があるのみ。
樋は水平で内部で上部から貫通している。
水平の前には土留めがされており、パッと見は鉱山があるようには見えない。
水平は以前現存していたが、現在埋没してしまった。
上部から内部を覗くことができるが、奥行きはほとんどない。
近くには真砂土を採集していた場所があるが、石英脈や鉱石は見受けられない。

鉛鉱山は偶然に見つけた鉱山で、地元のおば様が教えてくれた。
私が現地に行った際、和意谷同様閉山後全くの手つかずで私が数十年ぶりの来訪者となったようだ。
ズリは量も豊富で品位が良く、鉛や砒素を含む物が多い。
坑口は8割埋没しているが、内部を覗くことは可能である。
正直これほどイイ状態で放置されている鉱山も珍しい。
鉛が非常に多い為、Agの入手もそこそこに可能だったのではないか。

角倉は和意谷と同じく金山である。
何度も来訪しているが、正直金が採集できたとは到底思えない。
複数の谷に石英脈が走っており脈幅は大小様々である。
一見すると金山の雰囲気はあるが、鉱物はほとんど見受けられない。
石英が非常に多く、珪石鉱山と言った方がしっくりくる。
石垣などを組んでおり気合を入れて採掘したようだが、結果はついてこなかったと思われる。
坑口は埋没含め3個発見しており、一つは現在も開坑しているが、15mほどで採掘を止めている。
晶洞ができやすいのか米粒くらいの水晶なら採集できそうな雰囲気はある。

門出は和意谷ダム近辺にある。
銅山として採掘していたようだが、地元の方曰くあまり芳しくなかったようだ。
採掘跡は大きいが、低品位だったと思われる。
南側は山の中腹まで採掘跡があり大きい。
北側は道べりから20m上部まで道が敷かれており道の行き止まりは露天掘りのような採掘跡がある。
道のすぐ横にも坑口や採掘跡があるが、内部はゴミ捨て場になっていた。
選考場のような場所もあり品位こそ少なかったが、利便性がよかったため採掘していたようだ。
また近くには南谷があり、同じ脈の可能性もある。

南谷鉱山は門出の近くにある。
沢の付近から南の斜面を中腹まで登ると坑口の跡がある。
水平掘りしていたようなのでそこそこの品位だったのだろうか。
近くには広場があり、石垣が組まれている。
閉山より幾度となく川が荒れた為、ズリが1~1.5m程下の地層の中に埋まっており非常に興味深い。
基本的には硫化に近いズリのようだが、鉄分で鉱染されており判断し辛い。
また沢の付近からしかズリが確認できないため採集も容易ではない。

以上が吉永地区の鉱山である。
これ以外にも試掘としての採掘跡は多数存在しているが、現実的に鉱山として機能していた物は、
吉永地区の鉱山について その1~3の中にあるものだけだったと思われる。
これだけの数の鉱山が近くに集まっているのも珍しく、長い間楽しむことができた。
今後も調査は続けていきたいと思います。

吉永地区の鉱山について その2

2021-08-16 20:28:52 | 鉱物採集 岡山
樫については前回の内容となりますので、他鉱山について記述します。

倉吉・脇谷・脇谷2・銅山1・銅山2・硫化鉱山・和意谷
郡倉・鉱盛・樫・和気・三国・鉛鉱山
角倉・門出・南谷

上から順に追っていきます。

倉吉は銀山で、大正7年頃に採掘していたが、極めて小規模であった。
付近は石英斑岩があったが非常に小さな物だったと思われる。
一部に石英脈はあるものの他に目立つものはなかった。
山の一部には1~2㎝の石英脈が多数走っているのも確認できた。

脇谷は樋が見えるのでご存じの方も多いと思われる。
付近には多数の銅を含む脈があったようだが、非常に貧弱である。
坑道の中の竪坑部分は外部と繋がっていて一部貫通している場所がある。
ズリもあるが非常に貧弱で見栄えはしない。

脇谷2は硫化を含む物が多いが、露頭から脈を追い谷を作るほど採掘している。
樫の中でも2番3番に入る程大きな鉱山である。
他に3個程坑道掘りして中には竪坑もあるが、主力は露頭である。
30㎝程度の石英脈が数多走っており、石英の塊が散らかっている。
石英脈中に晶洞はほとんど存在しないため、水晶などは採集負荷である。

銅山1は昭和初めに残務処理していた鉱山で非常に貧弱である。
特に見るものもない。

銅山2についても昭和初めには残務処理していたような鉱山である。
銅山1と銅山2は同じ脈を追ったものと考えられるが詳細は不明である。
採掘時期は大正以前で明治まで遡る可能性が高い。

硫化鉱山は極々小規模で、道べりに存在していて坑道については埋没している。
近くに試掘の跡も存在している。
柵原鉱山のような硫化にソックリである。
ズリは広げられているが、見栄えのする物は無い。
個人的には品位はイイと感じられるが、なぜ採掘をやめてしまったのか疑問である。

和意谷は金山で規模は小規模である。
私のブログでも何度も記事にしているが、この近辺では日笠・伊里中に次ぐ金山である。
ズリはそれほどないのがネックであるが、坑道掘りと竪堀、露頭掘りを行って採掘していた。
付近には試掘坑や試掘跡がいくつか残っている。
坑道20mほどで、坑道に入ってすぐ竪坑で下に掘り進んでいる。
これが主力の脈であったと考えられる。
樫・和意谷どちらとも山が低すぎるが故に埋蔵量については考えるまでもなかったと思われる。

郡倉と鉱盛は書物によって名前が変わっている。
私のブログでは鉱盛を銅山・郡倉は貧弱な鉱山として考える。

鉱盛はそれなりに採掘された鉱山で、樫・和気・脇谷2・に次ぐ量の鉱山と考えられる。
山中に大きな採掘跡跡があり脈の大きさも問題なかったと思われる。
他にも複数の脈を追いかけていたようで坑道が2~3個存在する。
ズリの量も多く、メインは黄銅鉱で品位はボチボチ良かったと思われる。
平地の場所があり、飯場・小屋・職場があったことも伺えた。

郡倉については書物にはほぼ存在しておらず、ここであろうという場所のみ見つける事ができた。
採掘していたかのような痕跡のみが存在しており、ズリなどは見つけられなかった。
道中遺構のようなものがポツポツとあるので概ね間違いではないかと思う。


吉永地区の鉱山について 主に樫鉱山

2021-08-13 19:11:59 | 鉱物採集 岡山
鉱物採集を初めて10年近く経ちました。
最初の方頃に調べたのは現在の和気・吉永地区で、個人的にいろいろと思い出があります。
現在も進行形ですが、今回今まで調べたことを幾つかに分けて書き記したいと思います。
明治~昭和初期までの間に吉永地区では相当数の試掘が成されたとされていますが、
この度吉永実際に掘ったとされている鉱山をほぼ見つけた形となりました(試掘・和気地区を除く)

吉永町史・和気史に記載されている事柄は除外としますが、内容の一部記載します。

鉱山は下記のようになりますが、基本的な対象はCuとなる。
一部名称不明です。

倉吉・脇谷・脇谷2・銅山1・銅山2・硫化鉱山・和意谷
郡倉・鉱盛・樫・和気・三国・鉛鉱山
角倉・門出・南谷
となります。

銅山1.2は名前は確認できなかった(お爺さん曰く名前なんてないんじゃ)
鉛鉱山についても名前は確認できなかった(お婆さん曰く通り道にあったから通り道って名前)
門出は地元の方々の情報をもとに何度も調査しましたが、
門出金山というのものは存在していないとの事でした(お爺さん複数名から金山は角倉と和意谷だけだという情報)

和気地区やろう石鉱山は全て除外しており、あくまでも吉永地区での鉱山の内容となります。

この中で最も大きい鉱山は樫です。
今回は樫を主に書きます。

樫と和気は同じ鉱脈を南北から採掘しており、樫は下部100~120m近くまで採掘していた。
5レベルあった(1レベル20m程)
閉山後もとんでもない大きさのタイコを用いたウィンチが設置されたままだった。

火力発電所のお風呂はみんなの拠り所で地元住民はみんなお世話になっていた。
当時24時間営業で発電していたので、夜勤は交代制だった。

昭和10年頃吉永付近でもタバコの葉を育てておりそれで生活していたが、後にタバコの葉では食べれなくなった。
地形的に田畑を作るのが難しく結果的に皆通いで三石・牛窓や瀬戸まで働きにでていた。
昭和始めでは未だ銅山1・2の残務処理をしていた。

昭和始め=樫閉山前には樫坑内の水処理をするために対策が練られていた。
樫坑内レベル5から脇谷の南側にある池まで約200m程水抜き坑を掘るということが検討されていた(和意谷池ではない)
樫の標高が凡そ260m程で、脇谷南にある池の付近は標高150m程。
これから換算するに史に記載通り100m近くを竪坑で採掘しウィンチで巻き上げていたと考えられる。
雨が降ると坑内の水ポンプの処理が追い付いていなかった。
雨が降ると砒素が大量に川に流れて大変なことになっていて辛かった。
雨が降ると田に繋がる堰を閉める作業が必要だった。

この事から察するに5レベルは南北に相当な広さで採掘していた。

樫経営時、和気は既に採掘していなかったが、樫のズリを搬出用に坑道を使っていた?
樫のウィンチは鉱石の搬出用で、ズリは和気に持ってった?
樫と和気は坑道で繋がっていて鉱石をウィンチで揚げて精錬していた?
奥には2~3個大きな窯がありそこで精錬し、山の南側の谷にカラミを捨て続けた結果、公害が発生する原因となった。
閉山後も窯の付近にはそこら中に砒素やらヤバイ薬やらが残されたままでとても危ない場所となっていた。
山中には樫・和気と同じ少量の脈がたくさんあり、穴ぼこだらけだった。

昭和15年頃の樫は既に閉山していたが、中が気になり地元住人が複数人で試しに入った。
1レベルでは脈幅10㎝程で、3レベルでは鉱脈の幅が40~60㎝程あり、黄銅鉱の色で品位の良さに驚いた。
4,5レベルについても降りていくことが出来たとの話で、下部はもっと脈幅が大きかったという話だった。
坑道についても長く大人数名でも迷子になるとの話だった。
坑道を降りるまでは狸掘りのような穴を降りていく形だったが、坑道は強固で大きく採掘されいた。

その後昭和40~50年代までに一度樫を調査した、鉱山のズリを再度調査して採掘の検討をなされたと聞いた。
1坑~3坑があり、1坑を調査した。
結果的に表層を調べたに過ぎず、良鉱は全て下部にあるので難しいという判断だった。
そもそも今更鉱山なんて・・という気持ちはあったが、一応調査には立ち会った。

その後下のから砒素を流すな、いい加減樫鉱山を何とかしろという話が出て色々と話し合いをして、役所がようやく公害対策をしたという。
昭和初め~公害対策をするまで沢や川には一切生物は存在していなかったという。
現在は小魚も泳いでいる状態。

以上が聞き込み調査した結果。
昭和初期樫では当時60人程度の子供が居たそうな。
樫閉山前は相当に賑わっていた。

この辺りは日笠も同じである。



宇治鉱山 AuAg その2

2021-08-12 21:34:06 | 鉱物採集 岡山
先日の続きで宇治鉱山坑道探しです。
メインのズリは発見したので、もう一つあるという坑道を探します。


山中をぞもぞ歩き回ると見つからず。
諦めて下山している最中に発見。
こっちはかなり大きい。


イキナリですが、行き止まりです。
道中の写真は特に見栄えしませんでしたので・・

こちら先日の坑道より遥かに延長が長く推定150m近くあり、相当山の内部まで進んでいたと思われます。
しかし鉱物は一切見当たりませんでした。
若しくは非常に脈が細かったのではないだろうか?
地質的には花崗岩帯であるが、石英斑岩や石英はほぼ見受けられなかった。


道中鉄板、木の枝、襖、丸太など多数のゴミが落ちてこそいたが、鉱物は・・

しかし坑道の突き当りに坑道からのダイニングメッセージが!

貯 西 金とか色々書いてありますが謎です。


鉄板の近くにもう一つありました。
N 金山 なんたらかんたら。

どちらにしてもこちらは鉱物はありませんでした。
雰囲気はめちゃくちゃイイのですが。

また冬に再訪です。

宇治鉱山 AuAg

2021-08-11 21:33:55 | 鉱物採集 岡山
先日時間が出来たので探索行きました。
資料がほとんどないので、歩き回る感じで早めに探索開始。


坑口は沢付近にあり、すぐに見つかりました。
近くには書物の通り流紋岩でその一部に石英斑岩と石英脈でした。
入口付近の足元の岩盤はほぼ石英斑岩でした。


中に入るとそこそこの広さで、長く続いています。
たぶん突き当りまで100m以上ありました。
この程度の鉱山でこの掘り具合なら相当に品位よかったのだと思われます。
といってもAu3.0g/Ag150g/ tとの事でしたが。


右側の壁が真っ直ぐ切られていて見事。


突き当りです。
この辺りで地質が変わっており、脈が尽きたものと思われます。
ここから引き返しつつ石英脈確認していきます。


しかしすごいなこの壁。
綺麗に採掘しています。


坑内の天板に所々石英脈の皮のような物が残っていますが採掘済みといっても問題ありません。
輝安鉱などはほとんど見受けられませんでした。

さてさて坑道を調べたので、ここからが本番です。
山中歩き回ってズリを発見します。
坑道を100m程採掘した場合の鉱石の量は相当なものだ。
これを知るために坑道に入ったような物。

特に金銀鉱山の場合はズリはどこかに保管してあるパターンが多い。


ちょこちょこ歩き回ってズリ発見。
ズリNo1 大きさ大


ズリNo2 大きさ中


ズリNo3 大きさ小

ズリ大中小どれも石英を含んでいるがほとんど輝安鉱を随伴しておらず、期待できない。
ズリが山に帰っておりかなり採集もしにくい。
今回は調査のみ済ませズリを後にした。