1934年、静岡県に生まれたきみ江さんは、小学
校入学前にハンセン病の兆候のような斑点が首の
後ろにあらわれる。しかし、病気に気づかぬまま
成長する。10歳頃から手足にしびれを感じ鉛筆
などがしっかりもてなくなる。
20歳を過ぎて、家族の勧めもあり、ハンセン病の
診断を受ける。そして東京にある、多磨全生園に
入園。二度と家に戻らないと心に決めていた。
子どもの頃のきみ江さんは、神経痛や、リウマチ
などの診断を受けていたが、学校では不自由ゆえ
のいじめを受けていた。家族も、うすうすハンセ
ン病の疑いを持っていたが、村八分のおそれや、
本人への受けるであろう差別やショックを
考えるとそれを口にすることはできなかった。
世界的には、ハンセン病患者の終生隔離を
勧めないという見解が出でいたにもかかわらず、
日本は、この動きを何年も無視していた。
校入学前にハンセン病の兆候のような斑点が首の
後ろにあらわれる。しかし、病気に気づかぬまま
成長する。10歳頃から手足にしびれを感じ鉛筆
などがしっかりもてなくなる。
20歳を過ぎて、家族の勧めもあり、ハンセン病の
診断を受ける。そして東京にある、多磨全生園に
入園。二度と家に戻らないと心に決めていた。
子どもの頃のきみ江さんは、神経痛や、リウマチ
などの診断を受けていたが、学校では不自由ゆえ
のいじめを受けていた。家族も、うすうすハンセ
ン病の疑いを持っていたが、村八分のおそれや、
本人への受けるであろう差別やショックを
考えるとそれを口にすることはできなかった。
世界的には、ハンセン病患者の終生隔離を
勧めないという見解が出でいたにもかかわらず、
日本は、この動きを何年も無視していた。