1934年、静岡県に生まれたきみ江さんは、小学
校入学前にハンセン病の兆候のような斑点が首の
後ろにあらわれる。しかし、病気に気づかぬまま
成長する。10歳頃から手足にしびれを感じ鉛筆
などがしっかりもてなくなる。
20歳を過ぎて、家族の勧めもあり、ハンセン病の
診断を受ける。そして東京にある、多磨全生園に
入園。二度と家に戻らないと心に決めていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/fc/8529ffb95e1e5fd95f7d471ff8d5e67c.jpg)
子どもの頃のきみ江さんは、神経痛や、リウマチ
などの診断を受けていたが、学校では不自由ゆえ
のいじめを受けていた。家族も、うすうすハンセ
ン病の疑いを持っていたが、村八分のおそれや、
本人への受けるであろう差別やショックを
考えるとそれを口にすることはできなかった。
世界的には、ハンセン病患者の終生隔離を
勧めないという見解が出でいたにもかかわらず、
日本は、この動きを何年も無視していた。
校入学前にハンセン病の兆候のような斑点が首の
後ろにあらわれる。しかし、病気に気づかぬまま
成長する。10歳頃から手足にしびれを感じ鉛筆
などがしっかりもてなくなる。
20歳を過ぎて、家族の勧めもあり、ハンセン病の
診断を受ける。そして東京にある、多磨全生園に
入園。二度と家に戻らないと心に決めていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/fc/8529ffb95e1e5fd95f7d471ff8d5e67c.jpg)
子どもの頃のきみ江さんは、神経痛や、リウマチ
などの診断を受けていたが、学校では不自由ゆえ
のいじめを受けていた。家族も、うすうすハンセ
ン病の疑いを持っていたが、村八分のおそれや、
本人への受けるであろう差別やショックを
考えるとそれを口にすることはできなかった。
世界的には、ハンセン病患者の終生隔離を
勧めないという見解が出でいたにもかかわらず、
日本は、この動きを何年も無視していた。