三島由紀夫の世界だけど、日本を外から眺める、という捉え方をするとアレコレと感じることがある、というのが個人的な感想なの。
日本の独特さを芸術の知恵から理解する、ということをすると、自分たちの潜在の意識が何気に見えてくるように思えて・・・。
そう言えば、太宰治を嫌っていた三島由紀夫の本質って何だろう、そんなことが急に知りたくなった、という具合。二人とも潜在は近い、という捉え方もできるように思えるの。
論理と帰納だけではわからない、そんなことをどう考えたら良いのか・・・・。芥川龍之介も三島由紀夫も論理的な頭脳は長けていたのだけど、どうしても古典の芸術からの知恵が勝っていたように思えて・・・。
その一方で、潜在の知恵がグローバルで読み解くと奇妙、ということにもなるでしょうよ。有終の美の潜在ってやはり得体が知れないということになって、自らが追い詰められたら論理で道を探る、ということになるかと。
考察は続くけど・・・。