mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

旅行記⑪~広州(越秀公園、六榕寺、中山公園)

2011-03-20 12:02:43 | 旅行

今日で広州も最後、夫はフロントで精算をする。 

香港のホテルと、サービス以外はあまり変わらなかったのに、2泊で1140元、随分と差がある。

  フロントで精算する夫

   
ホテルを出ると地下鉄駅までの路上には朝食を売る屋台が並ぶ。 結構客が居るけど朝食をこんなもので済ませるの?

  2
1;お世話になった地下鉄広州東駅の表示を感慨深げに見上げる夫。
2;今回の旅行での移動は殆ど地下鉄を利用、中国地下鉄の券売機に夫はもう手慣れたもの。

 

【越秀公園】
広州市中心部の、総面積約84㎡、自然景観と人工景観が見事に調和した総合的文化公園で、園内には人工湖3つと人工山7つ、丘陵5つがある
美しい景観と文化旧跡の豊富さで有名な越秀公園の主な見どころとしては、海員亭、光復記念亭、南越国宮署遺跡、西漢南越王墓、鎮海楼、明代城壁旧跡、四方砲台遺跡、石碑群、中山記念碑、孫中山執務所記念碑(越秀楼遺跡)、五羊石像などがある。また園内から歴代の羊城八景の中でも名高い“粤台秋月”、“粤秀連峰”、“粤秀松涛”などの美しい景観を望むことができる。

園内の水域面積は5万㎡以上で、北秀、東秀、南秀の三つの人工湖がある。東秀湖、南秀湖は写生に適した優美な湖で、北湖はボートや釣りをするのによい。李白も「緑水曲」の詩で、その美しい風景を讃えている。湖の中に人工の小島があり、湖は互いに橋で結ばれている。嶺南建築の特色豊かな楼閣や高殿、回廊がある。園内には1年中草花が咲き誇り、迎春花や菊などの大規模な展覧会も開かれる。

  公園西門


私達は「放北路」にある、左の門(西門?)から入り、右側の門(東門?)から出ました。

   
広大な敷地には沢山の施設があり、標識もあちこちに立っていましたが、ほぼ迷い子状態で気ままな散策を楽しみました。
早朝にも拘らず、沢山のお年寄りが散歩を楽しんでいます。  

1 2 3 4 5

6 7 8 9 10 
;ベンチに荷物を置いて、一人で体操をしているお婆さん ;奥の方はダンス、手前は武道のよう ;バトミントンの羽のようなのをけって遊ぶ踢毛球 
;乒乓球  5;篮球  6;社交ダンス ;バトミントンのような韓国のスポーツ 8;太極拳? ;扭秧歌?  10;ベンチに座っておしゃべり

中国に来て一番感心するのは、少しでも場所があると色んな体操をしたり、スポーツを楽しんでいる人が居ることです。
ここでは見かけませんでしたが、大きな声で歌を歌ったり、楽器を演奏している人もいます。

 


何と書かれているのか分かりませんが“
竹と林”は分かります。 見事な字なのでパチリ!


ところがこんな所にも不心得者が・・・・・・日本人でないことを祈ります。
以前訪ねた「万里の長城」には、日本語で書かれた落書きもみられました。

a b c  d
a;「龍眼」の木(初めて見ました)  b;木に付いた札には「红花羊蹄甲」と書いてありました。
c;紛れもなく日本と同じ「木瓜の花」、中国原産だそうです  d;名前はついていませんでしたが、赤い可愛い花。

 ① ③   
①;園内にある人工湖の一つ、湖面にはボートも浮かんでいます。  ②③;広州博物館  
②;広州博物館;園内にある5層の建物の1階から4階までを利用した博物館。五層楼とも呼ばれている。鎮海楼は明代の洪武13年(1380年)に、広州城の城楼として建てられたもの。高さは約28メートルあで、南方系の彩色を施してある。かつてここから望むことのできた大海原を鎮めるようにという願いから、鎮海楼の名がつけられた。広東省の先史時代から近代までの歴史的遺産の数々を、年代順に陳列している。中でも、殷・周時代の銅器は大部分が容庚氏旧蔵のもの。また、漢代の墓から発掘された銅鏡、銅器、瓦製明器なども数多く展示されている

    
写真左の城壁脇の下り坂を暫く歩くと、公園東門(中、右)に辿り着きました。

東門までの途中にも逆歩きをしている人や、大きく手を振って体操をしながら歩いている人にたくさん出会いました。
中国人にとって、公園は心身を鍛錬する場なのですね!



ここで、私達は六榕寺を目指しますが、夫は1時間余りの散策で疲れたのか、地理が定かでないのかタクシーを拾います。

 

 【六榕寺】
南朝479年に創建された古刹で、市の中心街に建つ。元々は「浄慧寺」といったが、宋代の詩人、蘇東坡がここをを訪れた際境内にあった6本の榕樹(ガジュマルの木)の美しさを讃えて“六榕”と書き残して以来、六榕寺と呼ばれるようになった
境内中央に立つ広州で最も古い仏塔「花塔は、高さ57.6メートルの八角形をした塔で、九層ある。塔の上からは、寺周辺の街並みが一望できる。

  
入場券を買い、山門を入る。


案内図を拡大すると「花塔」を中心にすぐ上に「大雄宝殿」、左に「六祖殿」、六祖殿の左上に「弘法堂」、左下に「観音殿」がある。

 

   
3体の大仏様が並ぶ大雄宝殿の前は線香の煙が立ち込めている。

 「観音殿」に安置されている観音様 

   
門を入ると正面に見える「花塔」。 右端は別の角度から見た「花塔」

  境内にある6本のガジュマルの木の内の1本

   
有名なお寺なので観光客も多かったが、人気の場所以外は人も少なく荘厳な感じが漂う。
右端はこげ茶色の法衣を纏った僧侶

     
このお寺には沢山の生花が供えられていて驚く。  今まで旅して見学した中国の寺院にはあまり生花は供えられていなかった。
上の写真の中と右は献花用に売られている花。 

   

【中山記念堂】
1931年、辛亥革命の指導者孫文を記念して、広州市民と海外華僑の献金によって建てられたもので、総統府が置かれていた場所(現在の越秀公園の南)に建てられた。 紺色の瑠璃瓦が美しい八角形のホールの高さは58メートル。5000人を収容できる内部には、柱は一本も使用されていない。ホールの前には高さ5メートルの孫文の銅像が立っている。 

    
この公園もかなり広く、歴史が感じられる木々がたくさん植えられている。
ホールでは何かの公演があっていたようだが、時間が合わず入れて貰えなかった。

 

昼食のためのレストランを 探して歩く。 以下の写真は街の周辺の様子。

       やっとレストラン「山東老家」を見つけて入る 

慌てていて料理名を控えるを忘れましたがどれも美味でした。
広州料理は余程の物でない限り日本人の口に合うと思います。

1 2 3 4
1;鍋?具は茸、春雨、骨付き鶏肉など  2;骨付き牛のロースト  3;涼菜 4;粥

 

駆け足でしたがこれで広州の観光は終わりました。
地下鉄で広州空港に向かいます。最後に広州の地下鉄の情報を。 

初めに発券機で切符を買うのですが、古いお札は感知してくれませんので大変でした。
他は四角いカードなのですが、なぜか広州はコイン様の物です。
よく分かりませんが、プリペイドの地下鉄カードを使っていた人もいたような気がしますが、定かではありません。

1 2 3
①コインを投入すると、②の扉が開きます。  
③イギリス仕様の地下鉄電車はシートがステンレスで滑るので、座り慣れるまで要注意です。

 

 

広州の飛行場で疲れていたのでハーゲンダッツのアイスを食べると、2個で149元(1860円強)もしました。

そういえば、今日の昼食は全部で100元でした。  食べた後に計算してびっくりです!!!

搭乗は時間通りでしたが、離陸が予定より遅れ機内で35分も待ちました。

いつものことですが、「簡単な状況説明くらいは欲しい!」といつも思うのです。

 

青島に帰り着いてみると、ご覧の通りの残雪に驚き! 
南の方はもうクーラーが入っていました。  中国はやはり広いです!


旅行記⑩~広州(珠江遊覧)

2011-03-19 16:34:05 | 旅行

明るいうちに遊覧を終えたいと、タクシーを拾って船着き場に急ぐ。

「珠江」香港マカオの間を通って南シナ海に注いでいる。河口は海のように広く、デルタ河口の東の香港から西のマカオまでは高速船で約1時間かかる。 長さは2,200kmで流域面積は409,480平方kmに及び、長江、黄河、淮河などに次ぐ大河。流域面積は長江に次ぐ中国第二の広さを誇る。

 水上バス乗り場「天字码头」

 水上バス運行表
これは純粋な遊覧船ではなく、市民の足になっている水上バスのようだ。
遊覧客は別料金で、二階船室に案内される。 1周一人5元。


ホテルがとても詳しい広州の地図をくれたので、それを見ながら遊覧する。

 

 2 3
船は先ず「天字码头(埠頭)」①より海珠橋②方面へ上る。 ③;右河畔の風景


   
次の停泊地「西堤码头(埠頭)」と付近の風景

    
次の「芳村码头(埠頭)」(最も川上の埠頭)から「天字(埠頭)」へ戻る途中の風景

「広州水警」



「天字码头(埠頭)」より「広州タワー」方面へ下る。

        
「中大码头(埠頭)」から広州タワー方面の風景 

 
広州タワー付近の地図



残念ながら船は広州タワーの間近までは行ってくれない。

奇しくもこの日3月1日に「東京スカイツリー」が「広州タワーを抜いて世界一の高さを記録する。


涼しい川風を受けて、珠江河畔を船上から見ることが出来大満足。
流石広州は北京、上海に次ぐ第3の都市だけあって大きなビルが立ち並ぶ。 船上からでも緑の多さも分かる。
Mさんはこの街のどの辺りに居を構えるのだろう。
買い物をしていないので物価がどの程度なのか分からないが、落着いた楽しい生活が出来るように思う。

夫はもう1度夜に来て「ナイトクルーズ」を体験したかったようだが、私が疲れていて「一人で行って!」と言ったので、諦める。


しかし、帰ってPCで調べると下記のような案内が出ていた。 船内での食事は魅力だったが・・・・・。
華厦大酒店前のフェリーターミナルを20:00頃出発し、西洋建築物が集まる沙面と沙高級住宅地の集まる中洲の二沙島の先端までの往復約1時間半ほどのクルーズ。広州の美しい夜景が楽しめます。船内で食事をすることも可能です

 

下船後、最寄りの地下鉄駅1号線の公園前まで散歩がてら北京路を歩く。
適当なレストランがあれば夕食をして帰ろうと思うが適当な店がなく、地下鉄で広州東駅に戻り駅前で夕食を取るが、不味くて半分以上残す。

今日もよく歩いて17300歩!



旅行記⑨~広州(光孝寺)

2011-03-19 12:24:26 | 旅行

次の観光地 光孝寺へ、 地図ではレストランの近くではあるが方角がわからず,尋ね尋ね歩いて行く。 

【光考寺】
広州の諺に、「未有羊城、先有光孝」(廣州城ができる前に光孝寺はあった)とあるとおり、広州最古にして最大の仏教名刹である。
光孝寺は中国仏教史上重要な地位を占める寺院で、曇摩耶舍がこの寺で講釈を行って以降、多くの高僧が相次いで宣教に訪れた。南北朝時代にはインドの高僧、智薬三蔵が訪れ、祭壇に菩提樹を植えた。またインドの王子達磨和尚は釈迦仏の衣鉢を寄進し、やはりここで講釈を行った。西暦749年、唐の高僧鑑真は日本への5度目の渡航に失敗して海南島に漂着した後広州に辿り着き、一春を過ごした。儀鳳元年(西暦676年)には高僧慧能がこの寺の菩提樹の下で受戒し、南宗を開き禅宗六祖と称された。

   3
1;入口、左側に入場券売り場がある。 2;山門をくぐると、正面に天王殿がある。
3;天王殿の本尊


禅堂  他にも沢山の建物があり、人々が敬虔に祈りを捧げている。

     
寺内に安置されている像;豊かな色彩をほどこされた「四天王像」と「阿吽の仁王像」

  南北朝時代にインドの高僧、智薬三蔵によって植えられた菩提樹


 2 3
1;寺内に棟方志功を想わせる絵が掛かっていました。 何とも言えぬ味わいです。
2;これは近年のもののようです。 何の意味があってここに置かれたのか分かりませんが、クスっと笑いが漏れるほど可愛い!
3;境内には珍しい花がいくつか咲いていました。 何と言う木の花なのでしょう!?


大雄宝殿
  
大雄宝殿は光孝寺の最も主要な建造物である。高い基壇の上に建ち、中に三尊大仏像が奉られている。向かって中央が釈迦牟尼像、左が文殊師利像、右が普賢菩薩像で、三体を総称して“華厳三聖”と呼ぶ。また宝殿のある高台の左右には鐘楼と鼓楼が建ち、ともに屋根の斗拱が幾重にも重なった唐代以降の建築様式を呈している。中国南部の寺院の多くが、この寺院の建築様式に倣って建立されている。

 瘗发塔 
瘗発塔は7階建八角形の塔で、高さは7.8m、各階ごとに八つの神棚が奉られている。唐の儀鳳元年(西暦676年)、六祖慧能はこの寺の菩提樹の下で剃髪して僧となり、当時住職であった印宗により頭髪が埋められたことを記念して、この塔が建てられた。中国最古最大の鉄塔建造物で、保存状態も大変よい。光孝寺における最も有名な伝説は、六祖慧能がこの寺で「風幡問答」を行い、南宗禅の開祖となったことである


東西鉄塔

 西鉄塔(東鉄塔の写真は無し)
東西鉄塔は中国最古の双鉄塔である。五代南漢大宝6年(西暦963年)に西塔が建てられ、その4年後に東塔が建てられた。西塔は南漢の皇帝劉配下の宦官澄枢と、彼の妹弟子氏によって鋳造され、芸術的に高い評価を受けている。抗日戦争中に4階部分が倒壊したため、現存するのは3階までである。東塔は劉の名において建造された四角形の7階建て、高さ7.69mの塔で、石刻の須弥座の上に建つ。塔内900以上の仏壇にはそれぞれに精緻な小仏像が納められている。建立当時は全体が金箔で覆われていたため。“塗金千佛塔”の呼び名がある。


大悲幢 
唐の宝暦2年(西暦826年)の建造。青石製のキノコ型の鐘は高さ2.19m、8つの面それぞれに“大悲咒”の文字が彫られている。寺院に現存する石刻の中では最古であり、文字はかなり風化してしまっている。

 

 

 

いつもながらの駆け足の見学であったが、広州最古の寺と言うだけあって歴史の重みを感じられた。

沢山の建造物や仏像などが安置されており、観るべきものも多い。

こういう所はやはり時間をかけてじっくりと見たいものだといつも思うのです。

 

次は珠江の遊覧船に乗ります。


旅行記⑧~広州(昼食、下町散策)

2011-03-19 10:39:01 | 旅行

お昼になりました。

中国では、『食は広東にあり』と言われるほど有名な広東料理、近くに美味しそうなレストランを探します。

なかなか見つからないので、お茶屋さんに入り尋ねてみることにしました。
 ついでに、プーアール茶を買いました。 これで25元なら、安いでしょう!


店番のお兄さんに教えて貰った店もなかなか見つからず、途中目に入ったレストランに入ることしました。
周りにレストランが少ないからか人気店なのか分かりませんが、3階まで満席のようです。

 2 3
1;広州料理店「妈子靓汤」;メニューを見てもよく分からないので、お店のお勧めを頼む。②鶏の炙り頭付き38元、以下は写真がありません;連州菜23元(青梗菜炒めのようなもの)、粥13元、点心9元、プアール茶10元;合計93元
3;他の客が注文したお茶。 お茶を注文すると
大概このスタイルで持ってくる。 私達のは只ポットに入っていただけで、傍から見ていると何とも優雅に感じられた。(黒いポットに白湯が入っていて、中国茶の作法で自分たちで注いで飲む) 

お味は?大満足でした。  

 

食後は散歩がてら次の観光先の「光孝寺」を探す。

移動は地下鉄なので、なかなか風景を楽しむことが出来ないが、広島時代の友人Mさんが今春ご主人の転勤で広州にやって来るそうなので、街の様子を報告しなければならないと周りを観察しながら歩く。

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1;広州に着いてすぐに感じたが、広州はとても緑が多い。 歩いていてもとても気持ちが和む。
2;大きな木の下のベンチには大勢の人が憩って、おしゃべりを楽しむ姿がある。
3,4;広州でも、夫の名付けた「風呂敷商売」人たちをあちこちで見かける。 

 2 3
1;コンビニ「セブンイレブン」  2;「ファミリーマート」  3;パン屋さん;南ではパンを“西餅”と言うみたいです。

Mさんご安心下さい。 コンビニは沢山見かけましたから心配ないと思います。


  2  3
1;街の感じは、以前行った台湾に似ているように思います。  ここでも自転車よりはバイクが多く、街の至る所にこの様に駐車してあるバイクを見かけました。
2;広州でも水はこの様にして売られているようです。  配達人さんが居ませんでしたので、写真を撮らせていただきました。
3;このおじさん、お仕事が終わって休憩中!?  中国では街中でもよく見られる光景です。 

 

  

北京の「胡同」のような横町をみかけました。  なかなか風情がありますね。

 

次は「光孝寺」へ行きます。

 


旅行記⑦~広州(祖廟、陳家博物館)

2011-03-18 21:22:10 | 旅行

広州市の詳細はこちらからご覧下さい。

【今日の予定】 祖廟(佛山市)→陳家博物館→光孝寺→珠江観光船

広州も地下鉄網が発達しているので、移動は全て地下鉄です。

【祖廟】
広東省佛山市内に所在する。北宋・元豊年間(1078~1085年)の創建といわれ、道教を崇拝した北方玄天大帝を奉るための神廟で、「北帝廟」と名づけられた。「祖廟」という名は、佛山に数ある廟の中で最も歴史が長いという意味から付けられている。
現存するのは前殿、正殿、慶真楼、錦香池、万福台など五箇所で、面積は3000㎡以上に及び、ほとんどが明・清代につくられたものである。
 精級な技巧を第一の特徴とする。瓦葺きの屋根の棟は石湾産の陶塑で飾りたて、壁や塀にはレンガの彫刻がびっしりと施されている。

香港、澳門では入場料は殆ど無料だったが、ここは中国、一人20元の入場料が必要です。

 


境内に入るとすぐに沢山のお年寄りが目に入った。 集まって何をしているかと覗いてみると、何と麻雀をしていたのです。
近所のお年寄りでしょうか? お寺の庭でマーシャンをして過ごすなんて幸せですね!




石湾産の陶塑で飾りたてられた瓦葺きの屋根。 他にも沢山ありましたがどれも素晴らしい物です。

 2 3 4 5
現存されているという前殿、正殿、④慶真楼、⑤錦香池、万福台を写真から探しましたが、はっきりしません。
②には「聖域」、③には「瑞肃门」と書かれてあります。



庭のあちこちの面白い像が置かれていました。
①は小さな狛犬? ⑤は盆栽(日本の物と全く同じです) 
②③④は何だか分かりませんが、じっと見ていると笑えてきました(不謹慎?) 

  2  
1;広場では獅子舞が披露され、終わると縁起物を売って歩いていた。
2;「演武廰」前の広場では、若者たちが演武の練習をしていましたが、時間が合わず見ることができませんでした。

 

【陳家祠】
広州市の西側に位置する重要文化財に指定されている清朝の廟で、一般には陳家祠と呼ばれているが、地図や看板には中国民間工芸館と書かれることもある。
清朝末期に、“陳”姓の氏族が祖先を祭るために創建したものである。前院、後院、西院と中庭を挟んで立ち並ぶ建物は、天井が高く、風通しがよい伝統的な広東式建築で、それぞれ廊下で結ばれている。見所は建築物の屋根、柱、窓、欄干などいたるところに施された中国古典や故事にちなんだ動物、人物などの精巧な彫刻である。現在は「広東民間工芸館」として陶磁器、書画、硯、象
牙や翡翠の彫刻などが展示されている

見所の建築物の屋根、柱、窓、欄干などいたるところに施された中国古典や故事にちなんだ動物、人物などの精巧な彫刻。
首が痛くなる程じっと見上げていました、ため息が出るほど素晴らしい技術です。  見飽きない!


     

 

1;展示されている陶磁器、書画、硯、象牙や翡翠の彫刻などの工芸品も多く、室内の装飾も素晴らしい! 

2;中庭は綺麗に剪定された木々で覆われ、満開の木蓮の花が盛りを迎えている。

 


旅行記⑥~香港(オーシャンパーク)

2011-03-16 22:31:49 | 旅行

ホテルの従業員一押しの「オーシャンパーク」 に行きます。
オーシャンパークをとても分かりやすく説明したサイトがありました。こちらをご覧ください。

 
地下鉄で近くまで行き、専用バスに乗り換える。
バス賃往復一人21元。入園料一人250元也。


バスに乗って結構な距離の所にある。
バスを降りて、入場門へ・・・「えっ? これって普通のテーマパークじゃないの?」 
一押しって言うので、特別なものを期待していた私はがっかりしてしまいました。

 

 2 3 4 5
1;しかし、よく見ると山の上まで行けるゴンドラがありました。
「折角来たのだからゴンドラに乗って景色を楽しんでから帰りましょう!」  

私達は何も知らずに来たのですが、山の上にも別の施設があったのです。 
山の上の「ヘッドランドパーク」にある「オーシャンシアター」ココでの呼び物はアシカとイルカのパワフルなショー。
「アトールリンク」は大きな円形水槽の周りを、螺旋状に下り歩きながら様々な海洋生物が見られる水族館。

2;ゴンドラの長蛇の列に並びます、50分待ちでやっと乗れました。
3;6人乗りのゴンドラに運よく夫と二人だけで乗ることが出来ました。 ゴンドラからは下の様子もよく見てとれます。
4;「このゴンドラ頂上までじゃないみたいだね! 上にも何かあるよ」と、夫。
5;ゴンドラからは、深水湾の眺望を十分に楽しめました。

時間がないのでゆっくり回ることは出来ずに、昼食をとって降りようと思いましたが、レストランはお昼時で満員です。

 諦めてゴンドラで下に降りてきて、大食堂で席を見つけやっと座りましたが、夫が「注文の仕方がとても面倒だ」と、口にしたのは“海老焼売”と“果物”だけ。 でも、この蒸篭に入った焼売はとても美味でした。

 


これで私達は「ゴンドラに乗れてよい景色が堪能だけでもよかったね!」と、帰る筈でした。 
しかし、日頃から感の働く私は、「ちょっと待って! パンダが居るんじゃないの?」  夫は「そんなことないだろう?」
「いや、この雰囲気は絶対に居るから!」 私は近くの係員に「ここにはパンダは居ますか?」と尋ねました。
今から考えると恥ずかしい質問です。  パンダが呼び物の動物園に来て、パンダは居るのかと聞くのですから・・・。
以前パンダが居ると言う不確かな情報で、济南で半日を無駄にした経験があります。

    
山の下「ローランドパーク」には、中国を代表する可愛い動物「パンダ」がいるジャイアント・パンダ園があります。ここには、香港返還10周年を記念にして贈られた、若いイェンイェンリーリー、そしてアンアンジアジアの4頭のパンダが住んでいます。

PCで「オーシャンパーク」を検索すると、ちゃんとパンダが居ることを紹介していますね。



日本でも最近上野にパンダが来て、大騒ぎでしたが、上野では見物するのに長蛇の列で、立ち止まってはいけずゆっくり見られないようです。
ここでは、パンダはやはり人気ですがそんなに多くはなく、ゆっくりと見ることができました。
PCでは4頭居ると言うことですが、私達は2頭しか見ることができませんでした。

2頭のパンダは対照的で、1頭はとても可愛い仕草でずっと笹を食べていました。
もう1頭は写真下の恰好のまま、微動だにしませんでした。
思いがけずパンダと対面でき、とてもラッキーでした!  ずっと願い続けていたので、とても嬉しいです。
私達の旅はいつもこんな風な弥次喜多です。 いつもきちんと調べてから出かけようと思っているのですが・・・。

 
パンダと対面した興奮も冷めやらぬまま、時間が来てしまいました。

気球にも乗って見たかったな! 
陽気なバンドの演奏に送られて、1本35元(450円弱)もするハーゲンダッツのアイスクリームを舐めながらオーシャンパークを後にしたのでした。

 


   2 3
1;「香港に来たら二階建て電車にも乗ってみなくてはならない!」と、ビクトリアパークまで行くことにする。
電車は次々のやって来て、私達の乗った電車には日本のイオンの広告がある。
二階建てだが長さ、幅も小さく二階に上がるのも急な狭い階段を利用しなければならない。
運賃は一律2元で、下りる時に運転席横の料金箱に投入する。 速度はゆっくりのんびりしたものだが利用客は多い。
ビクトリアパークまで約20分の旅。

2;電車から見た香港の街並み

;ビクトリアパークの入り口
広州行の汽車の切符をすでに買ってあったので、時間に」ゆとりが無く中に入るのを諦めて入口で記念写真を撮り、最寄の地下鉄駅から紅磡駅へと移動する。

PCで他の方の書かれた記事を見つけましたので、詳しくはこれをご覧下さい。 

 

 

 いよいよ広州へ向けて旅立ちです。

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1;この汽車は 広州東駅までノンストップ約2時間の汽車の旅で全席指定。
各車両の入り口に車掌さんが立っていて切符を確かめます。

2;汽車が動き出すとすぐに私はウトウト・・・・。 
  ふと目覚めると、夫が「車内販売がきて、鶏の腿を売っているのだけど、どうする?」

3;周りの席の乗客は皆、美味しそうに食べています。 昼食が少なく小腹がすいていたので買って食べることにました。
  写真を撮り忘れましたが、下味を付けた鶏の骨付きの腿肉を蒸したもののようでした。 唐揚げよりはさっぱりしていてとても美味しかったです。
後で分かったのですが、これは広州の名物なのでした。
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16:35定刻に出発;   18:35広州東駅到着

今日の宿泊は予約しておいた広州東駅近くの「ラマダホテル」。
一泊570元だが広くて綺麗な部屋で、香港と物価が極端に違うことを改めて感じる。

フロントの観光案内係りに、明日の市内観光バスツアーの申し込みを依頼するが、電話が繋がらず自由に観光することにし、主な観光地を教えてもらう。

 

広州はどんな街なのだろう!?

 


選択科目~書道

2011-03-16 16:17:18 | 学校

今学期は選択科目の「書道」を取ることにしました。

夫が中国に来て以来続けていて、随分上達しています。  

私は小、中時代に書道をやっていた経験がありますので、夫に負けじと、やる気が起きてきたのです。

1 2 3 4
1;同学のFさんも以前書道をやっていたと、中国書道を始めました。 先生にお手本を書いて頂いています。

2;中国画は前期同学のJさん一人です。  3;今学期は人物絵に取り組むようです。

4;陽気な研究生のロシア人。 奔放な書き方をしていましたがなかなか面白い字です!

  

筆の持ち方を初め、書き方も若干違います。  50年ぶり?にしてはまあまあでしょうか!?

老師にお手本(左)を書いて頂いて、2時間練習をしました。 やはり筆の勢いが違います。


努力した結果が目に見えるのはとても楽しいですね! 

  

 


旅行記⑤~香港市内観光

2011-03-13 18:18:04 | 旅行

今日で香港とお別れです。

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1;今日朝食は少し欲張って、私は(パン、チーズ、スクランブルエッグ&トマト、コロッケ、野菜サラダ、ソーセージ、茸のソテー、果物、ヨーグルト、牛乳、お粥)です。
2;夫はホテル代の精算。 序に香港のお勧めスポットを尋ねてみる。 「オーシャンパーク」が最好!との事です。
3;いかにも中国らしいフラワーアレンジ。 香港フラワー?と思ったら、鮮花でした。

今日の予定~黃大仙祠→天后廟→オーシャンパーク→(二階建て電車)→ビクトリアパーク→広州

ホテル前の旺角東駅から地下鉄を乗り継いで黄大仙で下車。 黃大仙祠は駅を出ると真前にある。


【黃大仙祠】
道教と仏教、そして儒教が習合しており、本尊は黄初平(晋時代の仙人)、観世音菩薩、そして孔子である。  
主に病気平癒祈願の寺院として信仰を集めている。

近年は「占い寺」として日本人にもメジャーになってきているようだ。

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1;山門~如何にも中国らしい極彩色のお寺。
2;山門脇に置かれた灯篭。 掲げている人は誰?
3;「霊官殿」と書かれた祠。 小さいけれど洒落た?作りに惹かれて・・・。
4;境内に十二支の像が建つ。 戌像の前で記念写真。

 
1;赤松黃大仙祠(本堂)
2;参拝者は持ってきた線香に火を付けて掲げて祈った後線香を立てる。
3;線香立ての傍にはお供物が置かれているが、何と茹でた鶏が丸のままで置いてある。
4;本殿前にある占い所。 願いを唱えながら竹筒を振ると、占いの棒が出てくる。

ここは観光コースに入っているようで、日本人の一団を見かける。 
ガイドに促され皆、楽しそうに占いを始める。


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1;「三聖堂」~関帝、観音、呂祖を祀る。
2;「孟香亭」~後ろに噴水があって人々が憩っている。
3;通路の隅に小さな仏像や人物像がたくさん置いてあり、線香まで供えられている。
  どんな意味があるのか分からないが面白いので写真に納めた。 

 庭園  「黄大仙答(簽)品哲理中心」
築様式は庭園をはじめとして中国の典型的な寺院建築を踏襲しており、陰陽五行説に従った池の配置や様々な彫刻で知られる。
また、祠の外周に100を超える占い師や風水グッズを扱う店が軒を連ねる「黄大仙答(簽)品哲理中心」があることでも有名である。

庭園に入るには二元必要と書いてあるが、徴収係は居らず籠が置いてあるだけなのでお金を払わずに入れるが、皆きちんとお金を入れている様子。

お土産屋さんで記念にストラップを買い、次の3に急ぐ。

 

【天后廟】
油麻地の中心にある道教寺院。香港で最も有名な寺院の1つ。内部にある4つの廟の歴史は1世紀ほどで、海を司る道教の女神「天后」や土地の神様「福徳祠」などが奉られている。

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1;門前に掲げられた案内板。 今回も下調べができず、全て夫に負んぶに抱っこの旅だったので何も知らずにきましたが、香港映画にも登場する有名なお寺だとか。
2;入口前は公園になっていて、回りの騒がしさを消してくれる静かな空間。
3;
「天后廟」入口。内部は撮影禁止が多かったので写真がありません。




歴史を感じさせる木々たち。 
何処か同じような感じの場所を思い出しました。台湾を旅行した時に同じ木を沢山見ました。  
枝から垂れている根のようなものが地面に着くと、そこからまた木になって伸びてゆく何とも不思議な木です。

 

次は「オーシャンパーク」です。

 


旅行記④~末日聖徒イエス・キリスト教会香港神殿

2011-03-13 14:10:55 | 旅行

香港神殿の住所は2 cornwall street と調べてきたのですが、全く何処だか分かりません。
19Fの従業員に調べてもらうと、歌和老街2と言う所だとわかりました。。

澳門観光を早めに切り上げ、15:30の船で中港城に着いたのが16:30。
地下鉄を乗り継いで九龙塘へ。 地下鉄駅から歌和老街を探しながら歩きます。

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1;住宅案内板に名前がありました。 「耶蘇基督後期教會」と広東語で書かれてあります。 
2;大きなお宅です。 大体神殿は閑静な住宅街にありますが、この辺も大きなお宅が建ち並んでいます。
3;インターナショナルの保育園と幼稚園

 
夫が急に大きな声で、「あっ、あそこ! モロナイが居る!」  確かに屋根の間からモロナイ像が見えています。
神殿はもう近い! 足は早まりました。 
(教会に関係ない方には分からない話で申し訳ありません。 私たちの教会の神殿の尖頭には十字架ではなく、ラッパを吹く預言者モロナイ像が掲げられています)

      
安息日でしたので、神殿には入れないことは分っていました。
折角香港に来たのですから、場所を確認し、どんな様子なのかを見て帰りたかったのです。 
1996年5月に奉献されのですから15年経っています。
でも、建物はとても綺麗で、周りには沢山の花が植えられていました。


私達がうろうろしていると、偶然長老が二人通りかかり、「今日は儀式は行われていません」と、話しかけてくれました。

「はい、分かっていますが旅行で香港に来たので訪問しました。」

アメリカ人と香港人の宣教師さんです。 少し立ち話をした後、記念写真をお願いしました。

「長老たちに会えるなんてラッキーだったわね!」 心ウキウキ帰途に着きました。



次はちゃんと中国語でセッションが受けられるように準備してきますね!

 


旅行記③~澳門観光

2011-03-13 08:31:46 | 旅行

今日の予定は澳門観光と香港神殿訪問、時間が足りるだろうか?

 5時半起きでみじたくをし、ダイニングで十分な腹ごしらえをする。

 2 3
1;ホテルから地下鉄駅まで急ぐ、早朝の為まだ何も動き出していない。 ②は①と同じ場所の昨夜の様子。
3;地下鉄を降りて、フェリー乗り場(中港城)まで歩く途中にあった、「九龍公園」

 2
1;澳門行フェリー乗り場「中港城」;入口を入るとおじさんが近寄ってきて「こっちこっち」と、手招きをする。
少し不審な感じはしたが、様子が分からない夫はおじさんについて行く様子。
やはり切符売りの客引きだったが、後で値段を比べてみると正規の価格より若干安かった。
2;フェリーの内部。全席指定でシートもゆったりして快適。 一人往復280港元


【澳門フェリーターミナル周辺】
入国審査を終えて外に出ると、毎度の風景であるが観光の客引きが勧誘に来る、夫に計画では歩いて観光して回るつもりだったようだが、取敢えず値段を聞いて見ることにした。
「4時間で800港元、人民元なら700元で良い」と言うのでタクシーで回ることにする。

 

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1;ターミナル直ぐ傍にある漁人桟橋にある、観光用の「唐時代の城」と施設2&3
4;漁人桟橋近くに立つ観音像

【永利酒店ロビーのショー】
運転手さんが11時半からホテルでショーがあります。とても綺麗なので見た方が良い」というので、始まるのを待つ。

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床の球体状の物①と、②の天井が次第に開いて、上からはシャンデリアのようなもの、下からは1本の木が競りあがってくる。 とても綺麗だったが、何を意味しているのか分からなかった。
③は天井のアップ。 干支のようだった。


 車で走っていると面白い形をした建物が沢山目に入る。
殆どがホテルで、カジノなどの賭博場は47か所あるそうだ。

【媽閣廟】
マカオ半島の南端の「媽閣山」のふもとに位置し、マカオ内港の入り口に当たります。
中国式の非常に歴史ある寺院で、創建は1488年と言われおり、マカオで最も古い寺院です。

山を背に、海に面した媽閣廟の敷地は広く、大殿,石殿,弘仁殿,観音殿などの建築によって構成されています。
媽閣廟の由縁は、福建や台湾で信奉されている「媽祖」伝説によるものです。
「媽祖」は福建の漁民の娘で、心優しく、人助けをいとわなかったため、死後仙女になりました。
仙女になった「媽祖」は、難破しそうな漁船の上に現れて幾度も危機を救ったため、漁民の安全を守る神として福建や台湾の沿岸沿いを中心に信奉されていました。
マカオの媽閣廟は、明代に1艘の商船が難破しそうになったとき、神女がマカオ半島の上に現れ、安全に船を導いたという伝説がもとになっています。
難破を免れた船の乗組員たちが、後に神女が立っていた場所に建てた寺院が、現在の媽閣廟という訳です。
なお、ポルトガル人が、はじめてマカオの地に上陸した場所も、この媽閣廟の岸でした。
ポルトガル人が、現地人に地名を聞いたところ、「媽閣」(マーコウ)と返したため、以後ポルトガル人はこの地域全体をマーコウ→「Macau」と称すようになったと言われています。

言わばマカオ発祥の地です。

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1;山門前で  2;珍しい線香  3;線香の煙で煙ている  4;「百年夫妻樹」根は一つの2本の木が絡み合っています。
夫婦仲の良さを象徴しているのでしょう。 周りにはあやかりたいと、願いを書いた札が沢山結ばれていました。

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5;中国では大きな石があると必ず何か字が刻まれていますが、絵が刻まれていたのは初めて見ました。
6;上の方にも何やらありそうです。 えんやこら登って行きます。
7;「弘仁殿」と書かれた祠です。 ここも線香の煙が一杯!  大好きな匂いです!

 

【聖ポール天主堂】 
 
1637年に建てられたキリスト教会で、当時はマカオのキリスト教布教の中心でした。
しかし、計3回の大火に見舞われ、1835年1月に起きた3回目の火災で現在見ることのできるファザードのみを残して焼け落ちてしまいました。
火災に残った石造りのファザードは、精密な彫刻が施されており、300年以上の年月を経た現在でも、鮮明にその姿を楽しむことができます。

 上から門前町?を眺める。 両側に沢山のお土産屋さんがあり、試食を呼びかけている。


【 聖ドミニコ教会】


新馬路からセナド広場を奥に進んで突き当りあるポルトガル風の教会。
1587年に建てられた中国で最も古い教会のひとつです。
バロック式の祭壇には神々しく美しい聖母子像が祀られており、安らかな空気が流れていす。
毎年5月13日には、内部に安置されている聖母像が渡御する祭事が催されます。
パレードは聖ドミニコ教会が起点で、ペンニャ教会が目的地です。

  内部;イエス基督とマリア像
外ではシスターがお土産を売っていました。


【カテドラル(大堂)】
 カテドラル(中国語では「大堂」または「主教座堂」)の歴史は古く、1576年に遡りす。
最初に立てられたカテドラルは木造でしたが、度重なる台風の襲来など風雨にさらされ損傷が激しくなったた1849年に現在の規模に改築されました。1937年に再度改築が施され、現在の壮麗な外観となりました。
教会内部は、鮮やかなステンドグラスで装飾されており、異国情緒満点です。
ガッシリとしていてかつ気品があふれる素敵な教会で、推薦に値します。

  大堂内部;旅行者が敬虔に祈りを奉げる姿がありました。


【聖アントニオ教会】
 聖アントニオ教会は、1558年から建設が始まったマカオで最も古い教会のひとつです。
白鴿巣バスターミナルのすぐ南に位置し、聖ポール天主堂跡からも、花王堂街を北に少し進めば歩いて行くことができます。
花王堂とは、聖アントニオ教会の中国語の別名です。
聖アントニオ教会に祭られている、聖人・聖アントニオは、婚姻の神様として慕われており、かつてはポルトガル人の婚礼が多く挙げられたことから、「花王堂」と呼ばれるようになったと言われています。

   
と言う訳か、結婚写真の撮影が行われていました。

 

【聖ローレンス教会】
聖ローレンス教会(聖老楞佐教堂)は、16世紀中葉に建てられたマカオで最も古い教会のひとつです。
重厚でヨーロピアンな雰囲気を持っており、歴史の風格が感じられます。
何度か改修,建て直しを受けていますが、現在の規模になったのは1846年です。
聖ローレンス教会に祀られている聖ローレンスは、風を読む(風信)聖人で、マカオに出入りするポルトガル航海士に信奉されていたことから、華人たちは聖ローレンス教会を「風信堂」と呼びました。


【ポルトガル治世時議事堂】
 前は「セナド広場」でとても賑やか

【民政総署】
 手前は「セナド広場」
民政総署は以前のマカオ市政庁にあたり、1784年に建てられたものです。現在の規模になったのは、1874年の改修で、以来外観、内装ともにほとんど変化がなく、近世ヨーロッパの古きよき伝統が息づいています。ポルトガル統治時代は、ポルトガルの国章と、大航海時代の探検事業を象徴する地球儀,十字架が飾られていたと言われています。民政総署の2階は図書館になっており、17世紀から蒐集された書籍はポルトガルのアフリカ、東アジア進出を知る貴重な文献となっています。観光客でも入ることができ、ポルトガル語の文献が読めなくてもぜひ訪れてみたい場所です。民政総署の前は、ヨーロッパの雰囲気が色濃く残る広場となっており、セナド広場と呼ばれています。セナド広場の中心には、地球儀があしらわれた噴水がありますが、これは、ポルトガルの探検事業を象徴するものです。

 アイスクリーム屋さん
歩き回ってとても疲れたので、恐る恐る食べてみましたが、とても美味しかったです!

 

「澳門世界遺産群」を見て回ったあとは、車で下町を抜けて 中国大陸が目の前にある珠海市の出入管理所を見学。
ここは徒歩で出入国する中国人の利用が中心であるようだ、中国の珠海市から澳門に働きに来てる中国人が多い。
元に今日の運転手は毎日珠海から通勤してくるそうである。
 対岸が珠海市