世の中通信機器は日進月歩、だが歳をとった私は途中でドロップアウト、Eメールで充分、スマートフォンのアプリには魅力的なものも
無いことは無いが、そろそろと思いつつも既に6年以上経過した数世代前のガラ携を使っている
数か月前に娘のドイツ夏季留学が決まり、さて連絡手段をどうするかと考えていたが結局娘のスマホに合わせて
自宅PCにSkypeを導入することで出発一週間前になってやっと重い腰を上げた次第
しかし便利になったものだ
入社した頃はTelexの時代、最初の1-2年は電算室というのがあってテレタイプ用紙に手書きの英文原稿をその部屋の
オペレーターに渡すとテレタイプ(TTY)で紙テープにさん孔装置で穴をあけ、それをTelexで送信するという具合
原稿が溜まると時間が掛り、私は悪筆だったので英文が読めないとしょっちゅうオペレーターから電話で問い合わせが来ていた。
その後Telex/テレタイプは電算室から海外営業部の部屋に移され、自分でさん孔して送信するようになると、相変わらずラフ原稿は
手書きしたが、後はTelexの前で適当にアレンジして送信していた。ただミスタイプをするとテープの修正が面倒で、例えば
アルファベット5文字の単語をスペルミスするとテープを5文字分戻して全穴を打ち抜いてdeleteし、改めて打ち直すのだが
そのうち何目戻したかわからなくなり、ぐちゃぐちゃになりふと気付くと送信の順番を待つ他の海外部員の冷たい視線が・・・
夜中近くまでTelexをしていると時差の関係で相手が出社してきてしまい、その場でコレポンが始まってしまう場合があり
そうなると1台しかないTelexを占有してしまうことになりこれまた顰蹙をかってしまう
その頃は通信費も掛るということで送信時間短縮の為に単語の省略をしていた、たとえばPLS CFM BY RTN(Please confirm by return)とか
TKS&RGDS(Thanks and regards)あるいはBTY(by the way)とかFYI(for your information)みたいな感じだったがそれでも技術文書や
クレームレターだと長くなりテープが数メートル以上にも及び、それを踏みつけたりコーヒーをこぼしたりしてテープを切ってしまうと(孔の開いたテープは弱い)
これまた一から打ち直しだったりして・・・
いまでもEメールでそんな書き方をする人がたまにいるが、個人的には基本フルスペルで書くべきだと思っている
勿論同時並行的にタイプライターも使っていたが、レターヘッドにカーボン紙を挟んでコピーをつくるのは正直大嫌いだった。
私はタイピングスピードは速いのだが、ミスタイプが多かったので打ち直すとなるとカーボンコピーまで全部消さなくては
ならないのが面倒だったのだ。今でも使われている”cc(写し)”がCarbon Copyの略だと知る人も少なくなったかもしれない
入社した頃、確かレミントンの手動タイプライターもあったが流石にそれは使わず、スミスコロナとIBMの電動タイプライターを使っていた
両方とも銀座の黒沢商店へ上司と一緒に買いに行った記憶がある。
IBMのボールタイプライターは高価だったと記憶しているがエラー修正が簡単だったのと何より高速でタイピングしても活字のアームが
引っかからないのが良かった。
その後Telexの代わりにFaxが導入され最初はG1でスピードが遅かったがやがてG3になり、相変わらずタイプライターで打った
原稿を送受信していたがそれでもTelex時代よりはかなり効率よくコレポンが出来るようになっていた
そして、ワープロ時代になり、画面で原稿が作れるようになった時はとても嬉しかった。ただワープロはメモリー容量の関係から一度に打ち込める
文字数が少なく、特に英文の契約書等で数十ページになると分割してFDに納めなくてならず前の部分を修正すると後ろの部分の
単語や文章、或いは段落も変更する時にいちいちその部分を呼び出さなくてならないのが面倒だった。
ワープロ時代は長く無く、やがてPCが導入されワードで文章が作れるようになると英文契約などは格段に楽になったがワード自体は
いまだに余り使い勝手が良くないとは思っている。そしてEメールの導入で仕事のスピードは数段アップしたが、今度はコレポンの
頻度が上がり多い時は一日数百件ものEメール交信をしていた
海外出張も最初の頃は相手方の人数分までコピーを用意していた商談資料やカタログ類を最優先でパッキングし、残ったスペース
にPersonal effectsを詰め込み航空会社のカウンターではしょっちゅうオーバーウエイトチャーッジの交渉をしていたものだったが
PCを連れ出す様になるとそれまでのOHPフィルムも不要になり、パワーポイントでのプレゼンがメインとなり荷物もかなり減った
先進国への出張は楽になったとは言え、それ以外の地域への出張ではまだ相手の事務所の事務機器が使えない様なケースもあり
一時はPCとキャノンの小型プリンターと用紙までをセットで持っていきその場で議事録や契約書を作り(これは作った側が絶対有利)
プリントアウトしてその場でサインを取り交わすなどしていたものだった。
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北海道からお帰りなさい、天候には恵まれましたか
myibaちゃんとかVienaさんは戦後二桁ですからね~
うっ、そこのギャップ、一寸悲しい
EdさんはオジンさんとかともSkypeやられてましたよね
娘とは安否確認だけできればと言うことで…
懐かしい思いです(笑)
AYAさんは経験ありなんですね。
そしてmyibaさんは「・・・何のことやら・・・」
と、時の流れは早いから。
Skype、海外の友人との通信には一番便利で安価ですね。
国内の通信では、最初だけで、すぐ飽きてしまいました^^!
父は青息吐息、鎖骨の次は脛も折れそうで
ございますぅ~
お嬢さん、ドイツへ行かれてるんですね!
パパさん力ありますね~!
お嬢さんの土産話を楽しみにしています。
話かなぁ~
それだとソ連(古いですね)の鉄道運行がいい加減でしたからね
特に冬場は当てにならない
私は売る方でしたが、やはり納期遅延でby Sea からby Airに変更とか、Sea&AirとかPartial Shipmentで調整とかやってましたねぇ~
そう言えばOLって言葉聞かなくなりましたね、それにしても
あの頃はOLさんもプロ意識があって業務に精通していて
男性社員の尻を叩いていたけど最近は・・・・
台帳に手書きで、月末に締めて在庫確認してました。
在庫切れになるとヨーロッパからは、シベリア経由で輸送明細が?。。。。?
やむなくAIRで取り寄せてたけど、AIR代上乗せ請求になって((((;゜Д゜)))))))
と、忘れてたOL時代(今はこんな呼び方しないね)思い出しました*・゜゜・*:.。..。.:*・'(*゜▽゜*)'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
インボイスとかパッキングリストの紙は厚いからカーボン入れると中々下まで通らなくってね、6枚目は字が薄くて読めない(苦笑)
力任せに打つとアーム(だったっけ?)の戻りが遅くて次のアームとクロスして引っ掛かったり
在庫リストも手書きでしたねぇ~、工場がちっとも生産計画通りに物を上げてこないので、半分は工場と納期交渉ばかりやっていて、ほとほと嫌気がさして・・・
そういう面ではプラント営業で設備や部材の販売をしていた方が楽でした
今はPCになり、楽になりましたね
6枚綴のインボイス発行を、手動タイプライターでしていた時は腱鞘炎になるほど思いっきり強く打ってた。
後に、電動タイプライターに代わり何と楽だったことか(^∇^)
テレックスは、本社への在庫報告が遅れて1日中打ち続けてた。
その頃は、何百の薬品在庫は手書きの台帳に記入。
今は、全てをパソコンで処理出来る時代になって時の流れを感じてますε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘