モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

モノスヤ米粉にはまってみる。

2008-02-10 20:42:18 | いろんな話。
上新粉22kg。
送料・消費税込み。6,180円。

厳選された青森県産米を製粉した上新粉(米粉)。

柏餅・団子・おやき・パン・クッキー・天ぷらなどを作ります。


米を製粉した『米粉』。
年々落ち込む米の消費拡大に一役買うのでは?と注目されている粉。

私が気になり始めたのは地元紙に掲載された、
「米粉を使った料理教室」の記事。


折りしも小麦粉価格30%UPのニュースを後から読み、
これは米粉に注目するよい機会タイミングなのではないかと。

そう直感したんです。


急速に注目されている米粉は学校給食にも登場。
米粉パンは「地産地消」の代表選手。


ちょうど、お昼ご飯用のお餅も底をつき。
しかし値上がりが避けられない市販のパンを買う気にもならず、
なにかそれに替わるものはないかなと。

探していたタイミングに引っ掛かったのが米粉の活用法。


業務用なら、まだまだ小麦粉(薄力粉/強力粉)の価格のほうが安価なものの。

日本人なら米を食え!の精神にのっとり、
ここは自ら先陣切って米粉活用に乗り出さないと。

なんて思っている次第です。


どうやら方向は小麦粉に替わるモノというよりは、
「米粉」そのものを全くの別物としてPRしていこうという向きらしく。

100%米粉パンは独特のもちもち感と米風味(独特の甘味)が特徴。

そして小麦のパンより低カロリーでヘルシー。

また小麦アレルギーに悩む方も安心して食べられるパン、
お菓子が作れること。


もちろん小麦粉には小麦にしか出せない魅力があり、
それを否定するものではありません。

ですが米の国、日本の特産品。
安定した自給率をほこる米を、もっと食べたい。

そんな思いから、
このたび思い切って購入に踏み切った次第です。


先に書いたものから、
「うどん」「トック(韓国の餅)」「ポンデ」「あさづけ」などを製作してみたいなと思っています。

使い慣れたらHB使用のパンも考えてみてもよい、と思ったり。


実は、この数日前。

我が家では『でんぷん粉』を20kg購入しています。

 北海道更別村 神野でんぷん工場(株)

あえて市販の片栗粉ではなく、『でんぷん粉(片栗粉の一種)』にこだわって。

作るは、「じゃがいもだんご」(さつまいも・かぼちゃでも可)。


もう既に週に3度ほど作りました。

作って食べさせて。作って、おすそわけして。

ジャガイモ本来の甘味を感じてもらったりしてます。


食の伝道師?かな?

最近、自分の使命の一つはコレかもなんて思ってみたり。


食育ですかね。

今流行の、ありきたりの言葉でくくりたくないのだけど。


素材の味を活かした美味なものを食べたり食べさせたり、
それが私にとっての最大の幸せ。

それで踊ってられたら申し分なし!

ももかん。

2008-02-10 09:18:10 | いろんな話。
私は生粋の(?)一人っ子。
でも高2の夏に今の家に引っ越すまでは自室なんてモノは、あてがわれず。

初めて与えられた自室にも慣れず、
その3年半後には家を出ていました。

昔でいうなら、いわゆる集団就職。 ← やや違う

秋田から3人が担当者の運転する車に乗せられ宮城県は苦竹市へ。

このとき、ふっとドナドナの唄を思い出した私です。

既に子牛じゃなかったけど。
自分で選んだ進路だったけど。

売られていくよーな心もちがしたものです。


到着した新隊員教育隊の隊舎、
荷物を担いで部屋に導かれるとそこは。

ドアを開けた左右に二段ベットが3つずつ。
要するに12人が寝られるスペースが確保されていました。

実際は11人部屋だったけど。


私は左側の真ん中、上段のベットを与えられました。
そこから手が伸ばせる範囲に作り付けられていた荷物置き場と、
そのベットだけが個人のスペース。

10畳近い自室は広々として落ち着かなかったけど、
その極端に狭いテリトリーにもビックリして。

それ以上に同じ部屋に見知らぬ人間が10人もいる生活。

班員は東北6県から集まった高卒女子。
班の中で私だけが短大出の2歳上。

最初から、その2歳差が大きくてなかなか埋められないと感じたなー。


新隊員の前期教育、
最初は髪を規定の長さまで刈り込むことから始まって。

入隊前に髪は切ってくるように、とのお達しがあったけれど。
必ず、それから外れている人はいるもので。

新隊員女子百数十人のうち、かなりの数がその場で髪を切られました。

私は思い切っただけのショートカットにして入ったので、
モデルに任命されたくらいよ(笑)


一週間後が入隊式。

多分、年齢が皆より上だったせいか式で宣誓だったか挨拶かの代表に選ばれたり。

そこが最大の華やかさで、
あとの教育は地獄を見ることが多かったです。

入隊式を見に他県まで足を運んでくれた母R子、
居室を目の当たりにして絶句してました。

幾ら強く逞しく育てた、といっても所詮は一人っ子。

こんな環境で、やってけるのかしらと不安に駆られたそう。

心配かけて大変にすみません。


懸念されたとおり教育だけでなく生活も厳しくて。

班員たちから総スカン食らって孤立したこともあれば、
また班長(助教)と意見が食い違って険悪なムードになったことも。

未だに「翌檜(あすなろ)」という、
その時の班長との交換日記が残っていて。

それらを思い出すと止まらない涙です。


それでも紆余曲折を経て班が一つにまとまりかけたころ。

9時(だったと思う)の就寝ラッパを聞いてから、
まっ暗な部屋に懐中電灯の明かりで。

皆でコッソリ食べた『グレープフルーツ』や、
『桃の缶詰』の美味だったこと。

缶詰を見るたびに、よみがえる懐かしさ。


それまで桃缶なんて、さほどご馳走じゃなかったけど。

あの時ほど、それが美味しいと思ったことはありません。


自衛隊時代を振り返ると、まず最初に浮かぶのがその時のこと・・・・・・。


この前、戦闘服姿の自分の写真が出てきました。

置かれた環境は全く異なるし、
それに見た目も随分違った私だけど。

その本質あの頃とまるで変わってない。

結構、泣きながらも面白おかしく過ごしていたんだなと。写真から。

きっと、こうやって老いても変わらないのが自分って。
そんな気がします。