「身体にいい」といわれるものは、とりあえずやってみたらいいと思う。
それが自分でも良さげだと思ったら取り入れてみたらいいと思う。
思わなければ、やってみなくてもいい話。
人から、あーだこーだと指図されるのが好きな人はあまりいないし。
押し付けがましいのはゴメンだと、だいたい誰もが思うこと。
それが、どんなに良いことであっても。
効果、効能には個人差があるし。
あなたにとってOKなものが、あたしにとってそうとは限らないし。
逆も、またあるわけで。
だから、あたしは自分が試したり日々していることが良いと思えることでも。
あんまり他者には、いいたくない。
「いいたくない」ッてゆうのは、やや違うか。
こんなこともやってる、あんなこともと教えるのは好きだけど。
勧めるのは、あんまし好きじゃない。
それは「やってみなさい」的な印象を持たれるのが嫌だから。
自分がいいと思うことが誰にとってもいいこととは限らないから。
ただ冷え性で悩んでいると聞けば、なんかいい方法あったかな?と調べたり。
自分が知っていることなら教えてあげたいとも思う。
それを、するかしないかを決めるのは自分じゃない。
選択は他者に委ねられているのだから。
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自分が良さそうと思ったことは試せるだけ試すので、
いいと思うことが増えて大変なときもある。
また見たり聞いたりすることの中に、ヒントがたくさん込められているので。
それを試してみたくて仕方なくなる。
料理も、そうなんだけど。
新聞、雑誌。テレビやネットなどで見つけた料理の情報で。
作ってみたいメニューやレシピに、あふれているので。
いったい一日、何食食べなきゃならないんだろう(笑)
台所に立っていると同居人が美味しそうな話をしてきたり、
あれも食べたいこれが食べたいと訴えるので。
一日中、台所に立ってても間に合わないんじゃないかと思うほど。
その上、美味しそうな食材が手に入ったり目に入ったりすると黙ってられないし。
つくづく食いしん坊な、あたしたち。
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食事ではないけど...
少し前に知った“しょうがシロップ”が作ってみたくて、パタパタめいていたが。
今日の半休で、ようやくできた。
といっても、まったく難しいことはなく。
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皮ごと、よく洗ったしょうが100gをスライスする。
水400gの鍋にスライスしょうがを入れ煮立たせる。
5分ほど煮出す。
しょうがを取り出し漉して汁を鍋に戻す。
そこに砂糖400gを入れ、すこし煮詰める。
ややトロリとしたところで火から下ろす。
荒熱を取って瓶に詰め、できあがり。
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前に載せたレシピとは、やや違うかもしれないけど自分用にアレンジした。
砂糖は、もちろん“きび砂糖”を使ったし。
レシピより50gは少なかったと思う。
それでも充分、甘い(甘ったるくはない。
そして、しょうがの香りただよい爽やかな風味。
これを、お湯で割ると“しょうが湯”。
煮出した後の、しょうがスライスを浮かべて楽しむ。
ショーガラーには、たまらない味。
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瓶に詰めて冷蔵庫へ入れて、ふと思った。
これは炭酸水で割ると、いわゆる一つの「ジンジャーエール(もどき)」ちゃうん?
それは、きっと美味に違いない。
ビール以外の炭酸は、めったに摂取しないあたしでも。
これは絶対、飲んでみたい。
今度の週末にでも。是非。
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(なんか、やや日々の生活が“ダッシュ村”ぽくなりつつある、、あたし。。。w)
今朝とあるところで目にした下世話なニュースのタイトル。
「モナニ股」
“モナニ”と“股”という言葉に淫靡な響きを覚えるのは、あたしだけでしょうか?
どんな股なんだろう?という疑問が湧いてきます。
かすかな不安を覚えながら、でも内心ワクワクしながら(!)内容を読みました。
結果。
「モナニ+股」ではなく、「モナ+二股」だったという。
オチで。
カタカタの“ニ”なのか漢数字の“二”なのか区別がつかない、っちゅう話で。
(よくよく見るとデカさが違うんだね!)
なんだ~股の話じゃなかったのか~。
何を期待してたんだかってことは置いといて。
モナの二股だろうが猿股だろうが、まったく興味ありません(ナニ?
今回ばかりは男性方面?は自粛と言ったとか言わないとかいう話らしいですが、
どだい無理なんじゃ......。
たぶん嗜好品みたいなものなのかと(そうなのか?
酒、煙草。賭け事、買い物。みたいな感じで?
無くてはならないもの、なんじゃないでしょうか。
人の好みは、それぞれなのでいいと思います!(笑。
まあ身体に害を及ぼす恐れもありますとでも書いておこうかなw
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願掛けのために自分の一番好きなものを断つ、という風習がありますが。
あたしも、したことがあります。
子供の頃は“飴っこ”。
癌で長期入院を余儀なくされた祖母の快癒を願ってしたものでした。
当時は何より飴が好きだったの。
祖母が余命半年の宣告後1年半近くも生きた、その間ずっと飴っこ断ちをしていました。
願いは快癒としては叶わなかったけれど、
それでもそうやって何か自分なりにできることとか我慢することとか。
やってるんだという実感も自分を支えていたのだと思う。
病に倒れた人を看ていくって本当に辛く切ないものです。
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その後、大人になって随分経ち最近では自分の主宰の会の成功祈願のために半年の禁酒を。
これは師匠(=母R子)が、かつて自分も同じようにやっていたもので。
我が家では当然の儀式?です。
これを過去2度の会の前にやりました。
今年も10月頭から、その期に突入するんだよな~(第3回の会は来年4月。
それを考えると、ややうんざりしています(爆)。
クリスマスも、お正月もノンアルコールなんだよ!
飲めない人にとっては、どーってことない話だと思うけどね!
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そんな具合に心願成就のために何かを断つ場合、辛くて苦しいものでないと意味がないわけで。
あたしが「甘いもの断ち」したって、まるで意味をなさないわけで。
だから、あたしの「砂糖断ち※」は何の願望があるわけでもなく。
単に甘いものが嫌いだから、という理由です。
といっても厳密に「この世に存在する全ての砂糖類を摂取しません!」と、
がんじがらめになっているものでは全くありません。
(※砂糖断ちの表現には語弊があると感じたため後述では白砂糖抜きと書いています。)
とりあえず、あたしのやっているのは“白砂糖”抜き。
何故って、あの甘さが舌に残るから。
あの白さが、やけに眩しいから。
漂白されたみたいに真っ白って、なんか胡散臭い気がしてならないんですよね。
それに、えらいサラサラだし。
わざとらしい(←ヲイ!
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以前、何かで「白砂糖は体を冷やす」と読んだのも理由の一つではあります。
家では白砂糖の代用として“きび砂糖”を。
また、パン作りには“てんさい糖”を使っています。
家に白砂糖を置かなくなって10年以上は経つと思う。
だから娘M嬢は白砂糖を、しみじみ見たことがないんだよね。
他所のお宅の味は、そんな白いお砂糖の味が強くするのでM嬢はとても喜びます。
“なます”とか白くて甘いじゃん(苦笑)。
家のは生成りだからさ(笑)。
我が家は白米も食べないので(胚芽押麦とアマランサスを混ぜて炊いている)、
よそでご飯をいただくと白くてM嬢は喜びます。
そのうち、パンもクララのパンじゃなくてハイジのそれになると思うよw
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あたしは自分の主観、信念?で白砂糖断ちをしていますが。
それが好きな方の摂取を批判するものでは、まったくありません。
ただ、あたしが甘い物を拒絶することがあっても(少しはいただくざますよ)。
嫌な顔しないでね~。
お酒を飲まない人(弱い人)が強要されるのが苦痛だっていう気持ちが、
すっごくよくわかるざます!
人の好みは人それぞれ。押し付けは厳禁なり!