欅坂46 無観客配信「THE LAST LIVE」1日目終了。
18:30を数分過ぎて始まり、全17曲。
MCなしでソリッドだったので、2時間いかない公演時間にも物足りなさは一切なし。
初日が「静」、2日目が「動」と聞いていたのでそういうイメージで臨んだが、
いい意味で看板に偽りありだった。
サイレントマジョリティー
大人は信じてくれない
エキセントリック
語るなら未来を…
月曜日の朝、スカートを切られた
Student Dance
カレイドスコープ
渋谷川
I'm Out
Nobody
東京タワーはどこから見える?
避雷針
不協和音
キミガイナイ
君をもう探さない
もう森へ帰ろうか?
黒い羊
フィギュアスケートっぽい構造のアリーナが会場(代々木第一体育館)。
観客はいないので床面をベタッと広く使っていた。
実物で組んだ日常性あるセットと、ライティングや映像を使った非日常空間を切り替えながら進行。
ここらへんは、7月からの配信ライブのノウハウが活かされていた気がする。
完全に頭から抜けていたが、
当初は、代々木第一体育館で観客数を少なく制限して開催するはずだったんだから、
客を入れずに同じ会場でやっているだけなんだな。フィギュアの会場の構造なのは、
実際そうなんだから当然である。
基本は生ボーカルだったと思う。TVで歌声を聞く機会の少ないメンバーの声が聞けた。
曲間に一期メン(土生、理佐、上村、齋藤、佐藤、ぺー、小林)の
これまで&人物像が出た動画が一人ずつインサート。
ゼットンに倒されゾフィーと対話するウルトラマンな趣があった。残りの一期は明日か。
構成の妙もあってダレることがなく、あっという間に終わってしまった。
アイドルは素の人間味が垣間見えてこその仕事とは思いつつ、
欅坂46から「作品世界の構成要素に徹する姿勢から生じる美」を自分は感じていて、
それが気迫、凄みとして伝わってくるのだと思う。
配信ライブで温存されていたサイマジョを最初に披露したところで
「もったいぶらない」というメッセージを受け取った。
それを如実に感じたのは、明日、待ってましたな場面で出すと予想していた「不協和音」を、
今日、イニングで言えば6、7回で投入したとき。
3度の「僕は嫌だ」はすべて素晴らしかった。160キロの直球のようだった。
1日目は、かつて平手が担った役目を代わった小林が、
焦燥や苛立ちや孤独や赦しを秘めて表現した「黒い羊」で終了。
床面は、降ってきた無数の赤い花びらで満たされていた。明日は、この続きなのかそうではないのか。
勝手な思い入れやイメージを受け入れる余地の大きさに惹かれてきた欅坂46は、明日で終わる。楽しみにしている。
演者と観客による生の一体感は素晴らしいのだが、演劇的要素と沸き至上主義は時に相性が悪いことがある。
欅坂46のラストが無観客&有料配信なのは、結果オーライの極致だったと思う。
欅坂のライブでは歌詞のテロップも出る。
それを見ていると、いくら秋元とはいえさすがに「散文やセリフを歌に乗せている」のではなく、
ちゃんと「歌詞」だと思える。
耳で聞くものとして親しんでいるものを、改めて文字で認識しなおすと印象が全然違うので面白い。
18:30を数分過ぎて始まり、全17曲。
MCなしでソリッドだったので、2時間いかない公演時間にも物足りなさは一切なし。
初日が「静」、2日目が「動」と聞いていたのでそういうイメージで臨んだが、
いい意味で看板に偽りありだった。
サイレントマジョリティー
大人は信じてくれない
エキセントリック
語るなら未来を…
月曜日の朝、スカートを切られた
Student Dance
カレイドスコープ
渋谷川
I'm Out
Nobody
東京タワーはどこから見える?
避雷針
不協和音
キミガイナイ
君をもう探さない
もう森へ帰ろうか?
黒い羊
フィギュアスケートっぽい構造のアリーナが会場(代々木第一体育館)。
観客はいないので床面をベタッと広く使っていた。
実物で組んだ日常性あるセットと、ライティングや映像を使った非日常空間を切り替えながら進行。
ここらへんは、7月からの配信ライブのノウハウが活かされていた気がする。
完全に頭から抜けていたが、
当初は、代々木第一体育館で観客数を少なく制限して開催するはずだったんだから、
客を入れずに同じ会場でやっているだけなんだな。フィギュアの会場の構造なのは、
実際そうなんだから当然である。
基本は生ボーカルだったと思う。TVで歌声を聞く機会の少ないメンバーの声が聞けた。
曲間に一期メン(土生、理佐、上村、齋藤、佐藤、ぺー、小林)の
これまで&人物像が出た動画が一人ずつインサート。
ゼットンに倒されゾフィーと対話するウルトラマンな趣があった。残りの一期は明日か。
構成の妙もあってダレることがなく、あっという間に終わってしまった。
アイドルは素の人間味が垣間見えてこその仕事とは思いつつ、
欅坂46から「作品世界の構成要素に徹する姿勢から生じる美」を自分は感じていて、
それが気迫、凄みとして伝わってくるのだと思う。
配信ライブで温存されていたサイマジョを最初に披露したところで
「もったいぶらない」というメッセージを受け取った。
それを如実に感じたのは、明日、待ってましたな場面で出すと予想していた「不協和音」を、
今日、イニングで言えば6、7回で投入したとき。
3度の「僕は嫌だ」はすべて素晴らしかった。160キロの直球のようだった。
1日目は、かつて平手が担った役目を代わった小林が、
焦燥や苛立ちや孤独や赦しを秘めて表現した「黒い羊」で終了。
床面は、降ってきた無数の赤い花びらで満たされていた。明日は、この続きなのかそうではないのか。
勝手な思い入れやイメージを受け入れる余地の大きさに惹かれてきた欅坂46は、明日で終わる。楽しみにしている。
演者と観客による生の一体感は素晴らしいのだが、演劇的要素と沸き至上主義は時に相性が悪いことがある。
欅坂46のラストが無観客&有料配信なのは、結果オーライの極致だったと思う。
欅坂のライブでは歌詞のテロップも出る。
それを見ていると、いくら秋元とはいえさすがに「散文やセリフを歌に乗せている」のではなく、
ちゃんと「歌詞」だと思える。
耳で聞くものとして親しんでいるものを、改めて文字で認識しなおすと印象が全然違うので面白い。