里の家ファーム

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女子高生をたたく日本人の貧困観

2016年09月05日 | 社会・経済

女子高生へのバッシングに抗議するため東京都内で開かれたデモ=JR新宿駅前で2016年8月27日、戸嶋誠司撮影

くらし下流化ニッポンの処方箋

「1000円ランチ」女子高生をたたく日本人の貧困観

2016年8月31日 藤田孝典 / NPO法人ほっとプラス代表理事

     

貧困バッシング(1)

 貧困について語り、NHKニュースで取り上げられた女子高生に対するバッシングが止まりません。ネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)には「貧困をたたいてるんじゃない、貧困のふりをしてることをたたいているんだ!」「映画やランチを楽しんでいるのに貧困?支援? ふざけるな」「NHKは捏造(ねつぞう)をやめろ」といった声があふれています。

 18日放送のニュースで女子生徒は、母子家庭の経済事情で専門学校進学をあきらめたことを明かしました。

 アパートの部屋に冷房がないこと、パソコンの授業のために母にキーボードだけを買ってもらって練習したことなど、番組は母と2人暮らしの女子生徒の暮らしぶりも伝えました。その映像にイラスト用の高価なペンが映ったことから、女子生徒のものとされるツイッターが特定され、1000円の昼食を食べていたこと、好きな映画を見に行っていたことが攻撃されました。

 女子生徒をたたく人たちは、「彼女は本当の貧困ではない。飢餓寸前になるまで助けるべきではない」と主張しているように見えます。ある国会議員もその論調に乗ったツイートをしました。ここに、貧困問題を考える上で重要なポイントがあります。

 つまり、「貧困とはどのような状態を指すのか」「貧困であるかどうかを決めるのはいったい誰か、そしてその基準は?」という問題です。

 子どもの貧困問題について報じた18日のNHKニュースの一場面=NHKのホームページより

その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか

 「貧困」の言葉から何を想像するかは人それぞれですが、多くの人は、貧困とはものを食べられず、服も買えず、住むところにも困っているという状態をイメージするでしよう。

 このように、肉体・生命維持で精いっぱいの極限状況を「絶対的貧困」と呼びます。発展途上国で見られるタイプの貧困で、国連は、低所得、栄養不良、健康不良、教育の欠如など、とうてい人間らしく生きられない状態と定義しています。

 貧困について、特に欧州では、19世紀半ばから議論が始まりました。絶対的貧困は社会が対応しなければいけないという認識が広がり、20世紀に入ると、社会保障で貧困をなくす動きにつながりました。その意味では、先進諸国では絶対的貧困は解決された、とも言われています。

 1960年代になって、英国の社会学者ピーター・タウンゼントが「相対的剥奪」(Relative Deprivation)という概念を提唱しました。「最低限のものを食べられて、着る服があれば貧しくないのか、人間的な生活と言えるのか」と問題提起をしたのです。これが「相対的貧困」という概念です。

 タウンゼントはいくつかの「剥奪指標」を示しました。ちゃんと食事をしているか、外食をしているか、友人関係を維持しているか、習い事や教育にお金をかけているかといった指標です。

 冷蔵庫を持っているか、ホームパーティーを開いているか、という項目もありました。国によって違いますが、通常の人が享受しているこれらの指標がもし剥奪され、その社会の人間が考える「普通の暮らし」ができていなければ、その人は「相対的に貧困である」と考えられます。

 社会生活から剥奪されたものをとらえ、先進国の貧困、普通の暮らしを定義しようとしたわけです。そして、国民の半数から60〜70%ほどが実現している指標が欠けている場合、何らかの支援、所得補償が必要と判断されます。

 この概念は「貧困を再発見した」と言われました。欧州ではこうした議論が半世紀以上続き、貧困を巡る議論はすでに成熟しています。絶対的貧困と相対的貧困の混同は起きません。

女子高生へのバッシングに抗議し、約500人がデモに参加した=東京都新宿区で2016年8月27日、宮間俊樹撮影

 「支援を受けたいなら貧乏人らしくしろ」は傲慢だ

 ところが、今回の貧困バッシングでは、女子生徒の1000円ランチがたたかれました。「貧困であることをアピールし、支援を求める高校生がランチに1000円もかけるとは何事か」という偏狭な批判です。貧困なのだから映画を見てはいけない、アニメグッズをそろえてはいけない、と求める批判者は、支援されるべき貧困を「絶対的貧困」と考えています。そして、「貧しい者は貧しくしていろ」という懲罰的態度を無自覚に相手にぶつけています。

 「貧乏人は貧乏人らしく」という目線は、貧者を「劣った者」と見なし、隔離した16世紀英国の貧者隔離思想に近いものです。

 昔の英国社会では貧困は罪でした。本人が怠惰で、なまけていて、努力する意思もないから貧しくなったのだと見なされました。貧困の「個人原因説」です。貧困者はムチで打ってでも働かせるべきだと考えられ、懲役にも近い形の収容所に送り込まれていたのです。

 日本の憲法第25条は、相対的貧困の考え方を先取りする形で、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたっています。にもかかわらず、日本ではいまだに貧困バッシングが続いています。2012年の生活保護バッシングでも同じことが起きました。

毎日新聞経済プレミアム


植物の力あなどるなかれ!

2016年09月05日 | 野菜・花・植物

米研究 観葉植物に高い空気清浄効果

   ライフハッカー[日本版] - ライフハッカー [日本版] - 2016年9月2日

  オフィス周りのこととなると、植物は怠惰な人間より働いているのかもしれません。

 先日フィラデルフィアで開催されたアメリカ化学会(ACS)の第252回全国大会・展示会において、研究者たちは、いかに特定のタイプの室内植物が室内の空気の汚れを除去する効果が高いかということを詳しく述べました。

 この発見はオフィスの環境作りにかかわる問題において安価な解決策となるでしょう。室内にはアセトン、ベンゼン、ホルムアルデヒドなどといった揮発性有機化合物(VOC)が存在します。VOCは通常、ペンキや家具、ドライクリーニングされた衣類やプリンター、清掃用洗剤などに見られ、深刻な健康問題を引き起こす可能性があります。これらの化合物を大量に吸い込むと、めまいやアレルギー、ぜんそくにつながる恐れがあるのです。深刻なケースでは、VOCは中枢神経システム障害やがんとも関連が見られるのです。汚染された空気の一般的な浄化方法の1つは高価な空気清浄装置ですが、植物を置くことも有効な手法であることがわかりました。

 密室で5つの異なる種類の室内植物を数時間、一般的な8種類のVOCにさらしたところ、5種類のどの植物でもアセトンを吸収し、ドラセナ(幸福の木など)ドラセナにいたっては実に化学物質の94%を吸収するという驚異的な結果を出しました。5種類の中では、アナナスが最も高い空気清浄効果を示し、使用した8種類のVOCのうち6種類の80%を除去するという結果となりました。

 この結果は、ネイルサロンのようなスモールビジネスを運営する人にとっては嬉しいニュースでしょう。ネイルサロンでは除光液からアセトンが日常的に揮発しており、環境によってはサロンで働く人に有害なこともあります。研究者たちは今後、空気中のアセトンレベルを数カ月単位の長期にわたって観察し、植物がもたらす効果を調べる予定です。

 観葉植物を机の上に置けば、オフィスの見た目も良くなるし、机の上に観葉植物を置かない理由はありませんね。でも、水やりだけは忘れずに。