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童謡「赤とんぼ」

2016年09月08日 | なんだかんだ。

毎日新聞経済プレミアム  2016年9月7日

 日本人の心に染みる「赤とんぼ」の郷愁と叙情

          森村潘 / ジャーナリスト   

   蒸し暑い日は続くが、朝夕の風はたしかに秋めいてきた。街によって、毎夕決まった時間に、鐘の音やなじみの音楽を流すところがある。

   童謡「赤とんぼ」を作曲した山田耕筰が、昭和初期に暮らしていた神奈川県茅ケ崎市では、この赤とんぼのメロディーが流れる。ああ、今日も暮れていくのかと、一日が終わりに向かうころにふさわしい、安堵(あんど)の気持ちをさそうやさしいメロディーだ。

 夕焼小焼の 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か 山の畑の 桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか

   ある新聞が十数年前、「日本の童謡や唱歌で、くちずさめるもの」を調査したところ、「赤とんぼ」の回答がもっとも多かったという。代表的な童謡・唱歌である「ふるさと」「赤とんぼ」「赤い靴」「おぼろ月夜」「浜辺の歌」「荒城の月」の6曲のなかから、複数で答えてもらった結果だった。

  それほど多くの人に、この歌が自然と覚えられているということだろう。郷愁を誘う素朴な歌詞と、親しみやすいのだが不思議な余韻のあるメロディーが心に残るのではないか。

 故郷との断絶を思わせる2番の歌詞

  ほのぼのしていながら、しんみりしたところのある詞は、詩人であり童謡作家の三木露風の手による。1921(大正10)年に出版した童謡集「真珠島」に、この詩が掲載された。

  それから6年後の27(昭和2)年に、山田耕筰は、東京−茅ケ崎間の列車のなかで、三木の詩集の「赤とんぼ」を読んでいるときに、メロディーが浮かんできたという。

  詞の話に戻れば、三木は故郷の兵庫県揖保郡龍野町(現在のたつの市)で過ごした幼少期を思い、当時の自分をいとおしむ気持ちなどからこの詞を書いたという。だが、必ずしもほのぼのとした郷愁だけではなかったようだ。

   6歳のときに、両親が離婚し母が家を出て、祖父に育てられた三木の心情が反映されたと言われている。「負われて見た」のは、幼くして「背負われて見た」という意味だから、作者の視線なのかもしれない。

 歌詞の2番はご存じのように、1番からがらりと変化する。

   十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた 夕焼小焼の 赤とんぼ とまっているよ 竿の先

  姐やとは、子守娘のことで、若くして嫁に出て行ってしまった。そして、そのあとの「お里のたより」の「お里」については、いろいろ解釈があるようだが、「お里のたよりも絶えはてた」という言葉だけをとってみても、故郷との断絶すら思わせ、寂しさ、切なさも漂う。

 渥美清版の「赤とんぼ」も

  「赤とんぼ」は、合唱やソロでさまざまな形で歌われ、演奏されてきた。私にはこの歌は、ひとり夕暮れ時に、川辺で口ずさむようなイメージがあるので、ハーモニカのビブラートのきいた音色によるソロで聴いてみたくなる。古くは戦前のハモニカブームのなかで、この歌を何度も吹いた人もいるはずだ。

   歌唱としては、俳優の渥美清がこの「赤とんぼ」を歌っているCDがある。ある意味日本的な叙情を体現している“寅さん”は、ここではまじめにしっかり思いを込めている。また、寅さんとは切っても切れない縁の“さくら”こと倍賞千恵子もまた、透き通るようで温かみのある名曲に仕上げている。ともに夕暮れ時にでもしんみり聴くといいものだ。