「完成された支配」を手に入れ、外交的成果を目玉に選挙を乗り切るはずだった?
imidas時事オピニオン 2019/07/04
19年7月、2年ぶりの国政選挙である参議院選挙が行われます! ここ最近、いろんな事件や事象がありすぎて、安倍晋三内閣を取り巻く政治情勢はどうなっているのか、社会がどんな状況なのか、なんだかわからなくなっていませんか? 最新刊『「社会を変えよう」といわれたら』(大月書店)を上梓し、ネット上でも政治や社会情勢について鋭い考察を発信している木下ちがやさんに、参院選を考えるに当たり、わたしたちはどんな流れの中にいるのかを解説してもらいました。
憂鬱なのは、わたしたちだけではない
〈あれから8年。どう考えても、状況は悪くなっているようにしか思えない。〉(「論座」2019年6月16日)
作家・中島京子は、2011年3月の東日本大震災と原発事故の後に記した自身のエッセイ「初めてデモに行ってきた」(朝日新聞、11年6月7日夕刊)を振り返りつつ、このように社会の現状を語っている(以下、〈 〉部分「論座」より引用)。
3・11の震災以後、街頭デモは当たり前のものになり、市民の活動は活発化した。12年に始まった脱原発金曜官邸前抗議や15年の反安保法案運動には、半世紀ぶりに十数万規模の人々がデモに参加した。民主主義は活性化され、〈もう少し楽観的な希望が〉そこにはあった。にもかかわらず、状況は悪くなっていると中島はいうのだ。12年末に発足した第二次安倍政権は歴代政権をしのぐ長期政権となった。この間、「特定秘密保護法」「安保法制」「共謀罪」が強行採決を繰り返して制定され、森友・加計疑惑、相次ぐ官僚のスキャンダル、統計不正そして沖縄・辺野古への米軍基地移設の強行と、世論の不信と反発を招くさまざまな事があった。それでも、安倍政権の支持率はどこ吹く風と高い水準を維持している。
このような状況を中島は〈人々が騙されていたいからではないか〉と思うに至った。〈これまでに積み重ねてきた嘘、ごまかし。そのぼろぼろの土台の上に築かれている国を、どうやって立て直すのか考えるだけで眩暈がする〉から、人々は考えないようにしているのではないかと。
12年末の総選挙で政権を奪取して以降、安倍政権は2度の総選挙、2度の参議院選挙で勝利し、与党3分の2の絶対多数を維持している。15年の安保法案反対運動以後、数万を超える規模のデモは起こらなくなった。17年の森友・加計疑惑では果敢に政権に挑んだマスコミも今は沈静化し、NHKの報道は安倍政権の怪しげな成果を「発表」するのみだ。野党の存在感も薄い。与党による予算委員会の開催拒否は野党の出番を奪い去り、安倍総理あるいはその側近たちのメディアへの過剰な露出により、野党の存在は国民の視野から消され、支持率は一貫して低迷してきた。19年6月16日、香港では200万人の市民が街頭デモに参加し、「一国二制度」を骨抜きにする「逃亡犯条例」改正の無期限延期を勝ち取った。この香港史上最大のデモによる民主主義の勝利は、翻ってわが国の民主主義の現状への憂鬱さも募らせる。
ただし、いま憂鬱なのは、中島をはじめこの国の行く末に不安を抱いている者だけではない。安倍政権もまた憂鬱な時期に入りつつあるようだ。この間、ロシア、北朝鮮、イランと、来るべき参院選の「目玉」に掲げるはずだった外交戦略にことごとく失敗したから……それだけが理由ではない。それは「完成された支配」を手に入れてしまったがゆえの憂鬱さ、と言えるものだ。
戦後の日本国憲法体制において、民主主義の利益を享受してきたのは市民だけではない。統治権力もまた、時には民意を汲み入れて、総理の首をすげかえることで刷新し、多数派を維持してきた。
これに対し、安倍政権は「悪夢のような民主党政権」の瓦解に乗じて国民から選択肢を奪い、与党内と官僚、マスコミを徹底的に統制し、「安倍政権の次はない」といった空気をつくりだすことで求心力を維持してきた。安倍政権は議会、党内、官僚機構の、組織のなかに埋め込まれていた民主主義的機能を一掃することで支配を完成させた。ただこれには多大な代償を伴う。社会情勢の変化により生じるさまざまな政治的・経済的危機に対処するために、民主主義を利用できないからだ。
憂鬱を生む、排除と統制が浸透した支配システム
この安倍政権独特の支配システムは、政権発足当初から完成されていたわけではない。6年以上にわたる長期政権の「重石」により、徐々に排除と統制が浸透していくなかで形成されたものだ。そしてこれは、2018年3月から4月にかけての「最後の攻防」を経て完成をみたと思われる。
18年2月28日、安倍総理は財界の要請で成立を目指していた「働き方改革法案」から、裁量労働制の対象拡大部分についての記述の削除を指示した。根拠となる厚労省のデータに重大なミスがあることが発覚し、世論の怒りが湧き上がったからである。さらに4月10日には朝日新聞がスクープを報じた。15年に愛媛県と今治市の職員、加計学園の幹部が、首相官邸で柳瀬唯夫総理秘書官と面会した際の記録文書に、秘書官が「本件は首相案件」と述べたと記されていたのだ。これにより、一時沈静化していた「森友・加計疑惑」が再燃した。さらに約一週間後の18日には福田淳一財務次官がセクハラ発言で辞任した。
このように当時は、スキャンダルが立て続けに噴出し、政権は危機に陥っていた。4月初旬から連日、数千人の抗議する市民が首相官邸前を連日埋め尽くすようになり、4月14日には国会議事堂前で1万人規模の安倍政権反対集会が開かれた。山崎拓、古賀誠ら自民党の長老たちは、テレビ番組で声高に安倍政権批判を繰り返していた。そしてこのような流れを読み取った石破茂は、4月6日、憲法9条改正を事実上封印する旨の発言をし、9月の総裁選に向けてリベラル派に支持を広げようとしていた。政権批判のうねりを受け、4月の内閣支持率は31%、支持しないは52%と、第二次安倍政権の最低水準を記録したのである(本稿〈その1〉の世論調査の数値は、朝日新聞の世論調査に基づく)。
世論、野党連合、そして与党内からの政権批判の盛り上がりにより窮地に追い詰められた安倍政権だが、幸運にも野党の失策により救われることになる。遡ること1年前、東京都議選では、小池百合子東京都知事率いる「都民ファースト」と日本共産党の躍進により、都議会自民党は歴史的大敗を喫していた。この勢いに乗り結成された「希望の党」は、一時高支持率を獲得し、来るべき総選挙では政権交代の可能性すら言われていた。しかし、民進党の解体・合流から希望の党結成の過程で、リベラル派を排除したことで同党の支持率は急落。排除されたリベラル派が結成した「立憲民主党」が躍進するものの、18年初頭には野党全体への世論の期待は退潮局面に入っていた。安倍政権としては、次の国政選挙は19年7月の参院選までなく、地方選挙を物量戦で闘うことで野党連合をひとつひとつ制圧していけばいいという好条件下にあったのだ。18年6月10日、スキャンダルで辞任した米山隆一知事の後継を争う新潟県知事選で与党は勝利、これにより安倍政権は通常国会を乗り切り、6月28日には「働き方改革法案」を強行採決により成立させ、安定軌道に戻ることができた。
野党連合を制した安倍政権の次の敵は、9月の総裁選に出馬の意欲を燃やしていた石破茂だった。
15年の総裁選では、出馬を表明していた野田聖子の推薦人を徹底して切り崩すことで辞退に追い込んだ安倍政権だったが、石破は自派閥と竹下派の一部を推薦人として確保し、徹底した地方巡業で党員票を獲得し、安倍総裁に迫る戦略に出た。これに対して安倍総裁は、それ以外の派閥の議員票を固めきり、総裁選当日には壇上で投票する自民党議員を「ちゃんと安倍晋三と書いているか」と監視する体制までつくりあげた。総裁選では、議員票は安倍329に対して石破73と安倍が圧倒したが、党員票は安倍224に対して石破181と僅差の勝利となった。しかし、「僅差の勝利」に安倍総理は寛容さで応じることはなく、総裁選直後から「排除」が始まる。竹下派は徹底的に切り崩され、石破派も脱落者を生むなどして、石破茂の安倍の対抗馬としての芽は次々に摘まれていったのである。
さらに大阪地検特捜部は5月31日、財務省の佐川宣寿前理財局長ら38人を不起訴処分にし、再燃した「森友・加計疑惑」も沈静化した。野党連合、与党内、そしてスキャンダルの封じ込めに成功したことで世論は関心をそがれた。自民党の長老たちもまた沈黙し、18年9月の世論調査では安倍政権の支持が再び不支持を上回り、以後40%以上の支持率を維持し続けている。
このように現在の政治支配は、安倍総理や安倍政権の政策への世論の積極的な支持により維持されているわけではない。それは野党連合と与党内の対抗勢力を上から力で封じ込め、公共放送への人事介入や民間放送、新聞、一部出版業界の上層部との結託によりメディアを統制し、有権者の視野から選択肢を見えにくくすることで得られた「支持」に他ならない。メディアから異論が消え、街場での政治談議が萎縮することで、反対者の声は広がりを欠いていく。社会運動への世論の反応が希薄になることで、デモや集会に足を向ける意欲がそがれ、街頭の行動は縮小していく。そしてメディアに反対者の声がますます反映されなくなるという悪循環が、ここに生まれたのだ。
中島のエッセイに漂う憂鬱さとは、まさにこの悪循環がもたらしたものだ。ただこの憂鬱さは、わずか1年の間に創りあげられた政治支配の産物なのである。
「天皇とコラボする」政治利用が、支配を盤石化した?
天皇譲位と令和改元の過程は、安倍政権の支配を誇示する絶好の場となった。「完成された支配」のもとで、脱政治化された儀式が繰り広げられた。それを目の当たりにすることで、わたしたちの憂鬱さは頂点に達することになる。
2019年4月1日の新元号発表から、5月1日の天皇譲位をはさみ、現在に至るまでの安倍政権の支配戦略は、「統制」ではなく「過剰な露出」と言ってもいいものだ。4月1日の菅官房長官による新元号の発表後、30年前の平成改元では厳格に秘匿されていた元号制定過程を、政府は「リーク」というかたちで公開していった。しかもその内容は、元号の選定が安倍総理、菅義偉官房長官の意思に基づいていることを匂わせるものだった。4月10日には、平成の天皇・皇后が出席しないなかで行われた天皇即位30周年の「奉祝感謝の集い」で安倍総理が祝辞を述べ、5月14日には、第二次安倍政権まで決して公開されることのなかった総理大臣から天皇への「内奏」の場面が公開された。さらに10月22日に予定されている「天皇即位パレード」のコースは、前回とは異なる、自民党本部前を通過するコースに変更され、パレードの車列には安倍総理、菅官房長官が加わることになった。
こうした「天皇譲位」をめぐる一連のことがらを政治利用したのは、安倍政権が初めてではない。1988年9月19日の昭和天皇の吐血以後、日本社会は自粛ムードに覆われ、およそ600万人が病気平癒を願う「記帳」に赴いた。自民党はこの記帳を要請する通達を各都道府県連に発送するが、それは翌年7月の参院選のための票の掘り起こしを意図したものだった。翌年4月に消費税導入を控え、参院選では自民党の苦戦が予想されていた。それを挽回するための「記帳動員による天皇の政治利用」が行われたのである。
安倍政権もまた、今年7月に参院選、10月に消費税の10%引き上げを控えている。しかし生前退位により記帳動員はできない。そこで採用したのが「天皇とコラボすることによる政治利用」だったのだ。
安倍政権にとっては、天皇も、吉本新喜劇の芸人も、有名俳優も、トランプ大統領もみな同じである。これまでのあらゆる世論調査において「安倍総理だから支持する」というのが政権支持層のなかでも一割程度しかいないことからもわかるように、安倍総理の個人人気は著しく低い。自民党内でも低いのは、先の総裁選の結果からも明らかである。だから「あの芸能人(もしくは天皇やトランプ大統領)と一緒に写っている人」であることをアピールすることで、安倍総理への無党派層の不信感を払拭し、有権者の心理的障壁を引き下げようとしているのだ。有名なイラストレーターに自らを「イケメン侍」に描かせる安倍総理、「令和おじさん」を売りにする菅官房長官、「甘利です」と自撮りを公開した甘利明選対委員長らの姿は、リベラルや穏健な保守からすれば不気味にしか見えないし、実際に不気味である。
だが政府自民党は「令和ブーム」という、異論や反対意見が一掃されている社会空間で、安倍総理やその側近たちが自らを脱政治化された「偶像」に仕立てれば、無党派層に好印象が浸透していくと見込んでいたのではないか。
そして思惑どおり、19年5月の内閣支持率は45%と、この2年間のうちで最高値に達したのである。
この「完成された支配」のもとで、外交的成果を掲げて衆参同日選に挑み、盤石の体制を永続させる。これが「5月までの」安倍政権の長期戦略であった。(その2に続く。7月中旬リリース予定です)