里の家ファーム

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イグ・ノーベル賞

2018年09月15日 | なんだかんだ。

イグ・ノーベル賞を12年連続で日本人が受賞。
 日本発の奇抜すぎる研究とは?

 「日本とイギリスは、変人であることを誇りにする国です」

ハフポスト NEWS 2018年09月14日  安藤健二

 

 「人を笑わせ、そして考えさせる研究」に贈られる「イグ・ノーベル賞」に12年連続で日本人が輝いた。9月13日、長野県駒ケ根市の昭和伊南総合病院に勤務する堀内朗医師が、医学教育賞を受賞したことが発表された。

朝日新聞デジタルによると、受賞理由は「座位で行う大腸内視鏡検査―自ら試してわかった教訓」。

  大腸がん検診などで受ける内視鏡検査は、通常は横に寝た状態で肛門から管状の内視鏡を体内に入れていく。しかし、堀内さんは、座った姿勢で大腸の内視鏡検査を受けると苦痛が少ないことを自ら試した。

イスに腰掛けて少し股を開き、口径の小さな内視鏡を自分の肛門にゆっくり入れてみたところ、「驚くほど容易にできた」という。2006年に、アメリカの学会誌に体験談を発表した。

 ただし、座った姿勢で医師が内視鏡を入れる検査は、恥ずかしがって受けたがらない人が多く、堀内さんが勤務する病院でも採用していないという。

  13日夜(現地時間)に、アメリカ・ハーバード大学の授賞式に参加した堀内さんは「この賞を受賞できて大変名誉に感じます」とあいさつ。ただし60秒以上スピーチしてしまったために、お約束の「飽きちゃった、もうやめて」とステージ上に女の子が現れて話を遮られてしまった。

 

■ここ12年間の日本人受賞者は?

  日本はほぼ毎年のように受賞者が輩出し、アメリカ、イギリスに次ぐイグ・ノーベル大国になっている。イグ・ノーベル賞を創設したマーク・エイブラハムズさんが「日本とイギリスは、変人であることを誇りにする国です」と語っている。

2007年以降の12年間の日本人のイグ・ノーベル賞受賞者は以下の通り(参考記事)。

 

<2007年 化学賞>

 ウシの排泄物からバニラの香り成分「バニリン」を抽出する研究をした功績

 <2008年 認知科学賞>

 単細胞生物の真性粘菌が迷路の最短経路を見つけることを発見した功績

 <2009年 生物学賞>

 パンダのふんから取り出した菌を使って生ごみの大幅な減量に成功した功績

 <2010年 交通計画賞>

 迷路を最短で通り抜ける力が粘菌にあることを発見し、優れた鉄道網のモデルを作ることを突き止めた功績

 <2011年 化学賞>

 迷路を最短で通り抜ける力が粘菌にあることを発見し、優れた鉄道網のモデルを作ることを突き止めた功績

 <2012年 音響賞>

 迷惑なおしゃべりをやんわりと制止する装置「スピーチ・ジャマー」開発。自身の話した言葉をほんの少し遅れて聞かせる装置。

 <2013年 化学賞/医学賞>

 タマネギを切ると涙が出る理由を解明/オペラでマウスが延命するとの研究結果

<2014年 物理学賞>

 「バナナの皮はなぜ滑る」を解明

 <2015年 医学賞>

 キスでアレルギー患者のアレルギー反応が減弱することを示した研究に対して

 <2016年 医学賞>

 股のぞき効果の研究

 <2017年 知覚賞>

 オスとメスが逆転した生物 "性器の大発見"

 


「節電」を呼びかける一方で・・・

2018年09月14日 | 社会・経済

道内停電で注目も…経産省が太陽光発電の買い取り“半額”に

  日刊ゲンダイDIGITAL  2018年9月13日

 

   経産省は12日、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)の見直しに関して有識者会議を開き、事業者や家庭から買い取る太陽光発電の価格を半額以下にする方針を固めた。

 これまで住宅用太陽光の買い取り価格は、今年度が1キロワット時あたり26円なのに対し、2025~27年度には半額以下の11円程度まで下げる。さらに政府が買い取り価格の上限を定める「入札制」の対象も、従来の2000キロワット以上から50キロワット以上と大幅に拡大する。

 苫東厚真火力発電所が停止し、道内全域で約295万戸が停電となった北海道胆振東部地震では、経産省が非常用電源として太陽光発電の活用を呼びかけた。震災を機に太陽光発電の注目が集まる中、これから始めようとする人に水を浴びせる内容だ。

 買い取り価格半減の理由について、経産省はその他大勢の世帯の電気料金に上乗せされている買い取り費用を引き下げ、消費者負担を軽減するためという。結局、電力会社の懐を痛めず消費者に買い取り負担を押し付けているだけだ。太陽光発電の推進のために、国はソーラーパネル設置の際に補助金をもっと出したらどうなのか。

「ソーラーパネルの設置費用が安くなってきて、設置を検討している家庭は増えています。この段階での買い取り価格半額はあまりにひどい。自然エネルギーの普及を抑え、原発を再稼働させたいのが本音なのでしょう。やっていることがあざとすぎます」(経済ジャーナリストの荻原博子氏)

 

  7月に閣議決定したばかりの「再生エネの主力電力化」なんて舌先三寸だ。


 今日は札幌の病院へ行ってきました。そのあとに友人たちと飯を食い、さらにしばらく会っていなかった友人宅へ。そんなわけで今日の更新が遅くなりました。 

 待合室で本を読んでいると、TVでは北電からのお願いということで、盛んに「節電」を押し付けているような感じだ。

「電気が足りません。どうぞソーラー発電お願いします」て言わないのかなぁ!


雨宮処凛がゆく!第458回

2018年09月13日 | なんだかんだ。

「夢は叶う」と思わせてくれた人たち
  
 MALICE MIZER 25周年。

             の巻(雨宮処凛)

9マガジン   2018年9月12日

 

 9月9日、MALICE MIZER 25周年のライブに行ってきた。

 MALICE MIZERとは、1997年にメジャーデビューし、怒涛の快進撃で横浜アリーナ公演などを成功させるものの、01年に活動休止した伝説のバンドである。

 そんなMALICE MIZERがインディーズで活動していた頃、私はバックダンサーをさせて頂いたことが何度かある。96年頃の話だ。

 きっかけは、当時、私が球体関節人形を作っていたこと。自分の人形が出品される展覧会の案内を、MALICE MIZERの事務所に送ったのだ。当時の私は「耽美」系の人形を作っていた。もしかしたら関心を持ってくれるのでは、と思いながらも、当人に渡ることなどないだろうと駄目元で、軽い気持ちで送った案内だった。そうしたら、来てくれたのである。展覧会に。メンバーが。

 そうして知り合い、ある時、ライブのバックダンサーの依頼を受けた。もちろん私にダンス経験などない。皆無である。それどころか運動神経もリズム感も何もかもが激しく欠落している。しかし、私はふたつ返事で引き受けた。そんな貴重なチャンス、逃すわけがなかった。もともとMALICE MIZERの世界が好きで展覧会の案内を送ったのだ。その世界に自分がダンサーとして入れるなんて、これ以上光栄なことがあるだろうか? 

  ライブに備えた「特訓」が始まり、迎えた本番。

 96年、渋谷ON AIR WESTの袖から『麗しき仮面の招待状』のイントロに合わせてステージに飛び出したのが、私の「初ステージ」だった。直前の楽屋での練習で、緊張で頭が真っ白になって振り付けを全部忘れるという大失態をおかしていた。しかし、本番では、羽根のたくさんついた黒いドレスで踊り、なんとか生きて楽屋に戻ることができた。そうしてそれから何度か、彼らのステージにダンサーや「SMショー的な演出の際に手錠をかけられ張り付けられたりする役」として出演させて頂いた。

 その経験は、あまりにも光栄で刺激的で、なんだか「情熱大陸」のMALICE MIZERバージョンを最前列で見ているような、恐ろしく貴重な日々だった(「情熱大陸」はまだ始まってなかったけど)。そして何より、私にこれ以上ないほどの「学び」を与えてくれた。一言で言うと、私の人生を変えるほどのものだった。

 印象に残っていることは多くあるが、何よりも驚いたのは、彼らの表現に対するストイックさだ。常に「完璧なステージ」を追い求め、そのためにはあらゆる努力を惜しまない。たった数時間のライブのために、膨大な時間と労力をかけて準備をしているということに、そしてそれに多くの人がかかわっていることに、私はいつも驚いていた。だからこそ、MALICE MIZERのライブはライブというより「ショー」で、他のどんなバンドとも違った。

 当時の私はヴィジュアル系バンドのライブを多く観ていたけれど、MALICE MIZERは他のどのバンドの追随も許さない徹底した演出で、絶大な人気を誇っていた。そうして彼らは、それまで誰もやらなかったことをやっていた。ステージで演奏をせずに踊り出す。ライブの途中に演劇が始まる。「ヴィジュアル系」の域を軽く超えた「やりすぎ」な衣装とメイク。そうして中世ヨーロッパのようなドレス姿なのに、時に自転車でステージに登場し、時にローラースルーゴーゴーで舞台を駆け巡る。そのすべてが観客たちを喜ばせ、熱狂させた。

 本番がどれほど「怖い」ものかも初めて知った。特にMALICE MIZERの世界は完璧さが求められるので失敗は許されない。ステージに出る前、私はいつも緊張で逃げ出したくなっていた。バックダンサーの私など誰も見ていないのにもかかわらず。メンバーの名前を絶叫する、超満員の観客の前に悠然と出ていくメンバーたちの後ろ姿が、ただただいつも眩しかった。なんかもう、自分の目線が「情熱大陸」のカメラじゃないことが申し訳なかった。

 ステージでは、いろんな「想定外」が起きることも知った。一度、目の前に「死?」という言葉がよぎったこともある。棺桶に入ってメンバーが登場するという演出の際、棺桶を運ぶ人が誤って落としてしまったのだ。ステージ上でのことだった。私もステージにいたもののどうしていいかわからず、しかし、何事もなかったかのように棺桶から出てきて演技を始めるメンバーを見た瞬間、「この人たち、やっぱりすごい…」とつくづく思った。そんなメンバーは、全員がびっくりするほどジェントルマンで、芸術家のような佇まいだった。

 そんなMALICE MIZERの人気はどんどん凄まじいものになっていき、97年にはメジャーデビュー。前述したように横浜アリーナでライブをするほどの巨大なバンドになっていた。ダンサーは当然プロがやるようになって私がステージに出ることはなくなったものの、彼らの快進撃を、私はいつも鳥肌が立つような思いで見ていた。「夢」って、ほんとに叶うんだな、と思いながら。

 90年代後半。当時はヴィジュアル系の全盛期と言われた時代で、MALICE MIZER、SHAZNA、FANATIC◇CRISIS、La’cryma Christiの4バンドが「ヴィジュアル系四天王」と呼ばれていた。

 それ以外にも多くのヴィジュアル系バンドがブレイクし、その中には、小さなライブハウスでやっている頃から観ていたバンドも多くあった。自分が好きでよく知るヴィジュアル系の世界に、「一夜にしてスター」みたいな出来事が、本当にゴロゴロ転がっていたのだ。

 このことは、20歳そこそこだった私の人生観に大きな影響を与えたと、今になって改めて思う。MALICE MIZERというよく知る人々や、知り合いではないけれど「無名の頃からライブに行っていたバンド」が急に売れ出してテレビをはじめとするメディアに登場しまくるという現実。私はとても素朴に、夢は叶うし、努力は報われるし、やりたいことで食べていくことはまったくの夢物語ではない、と信じられたのだ。

 時は90年代後半。バブル崩壊の余波がいよいよ人々の生活を本格的に圧迫し、リストラの嵐が吹き荒れ、年間自殺者が3万人を突破し、山一證券や拓銀が破綻するなど世の中は暗いニュースにあふれていた。だけど、オリコンチャート上位にはいつも多くのヴィジュアル系バンドの名前があって、私は「彼らのように、自分のやりたいことを思い切りやって生きていきたい」と心の底から思った。当時はそれがなんなのか、そこからわからなくて人形を作ったりバンドを組んだり、果てはその後右翼団体に入ったりと迷走を繰り返したものの、身近な「成功モデル」を目撃したことは、どれほど私に勇気を与えてくれただろう。MALICE MIZERのバックダンサーという経験がなければ、彼らのストイックすぎるプロ意識に触れていなければ、私はそもそも「物書きとして食べていく」人生など、目指していないと思うのだ。

 2000年、私は1冊目の本を出してデビューとなった。それから18年が経つ。出版した本は、50冊を超えた頃からわからなくなったので誰か教えてくれないだろうか?

 そして9月9日、MALICE MIZERのステージに初めて立ってから20年以上。MALICE MIZER結成25周年のライブが豊洲PITで開催された。当時の関係者からお誘い頂き、実に二十数年ぶりに彼らのステージを観た。

 そのステージは荘厳で幻想的で美しくて、何もかもが夢みたいで、一瞬で「あの頃」に引き戻された。そうして、当時の気持ちを強烈に思い出した。「夢は叶う」と無邪気に思わせてくれたからこそ、自分が何かを目指そうと思ったこと。

   だけど、今の時代はどうだろう。20年前の私のように、「夢は叶う」なんて素朴に思える若者は恐ろしく少数派だろう。「やりたいことをする」「好きなことで生きていく」と言ったところでリスクばかりが強調され、「失敗したらどうするんだ」という脅迫が待っている。そんな「失敗が許されない社会」では、そもそも何かに挑戦しようという気自体が起きないはずだ。

 今、貧困問題を取材し、書いている自分も、そんな空気を作ることに加担しているのかもしれない、なんて思いもある。現実を知ることはもちろん必要だけど、「挑戦して失敗する」ことは若者に許された特権だったはずなのだ。

  そうして私が若者だった頃から20年以上の時間が経った。

  43歳の私は、MALICE MIZER 25周年のライブを観ながら、思った。

  誰かがたまたま与えた「チャンス」が、その人の人生を変えることがあるのだと。その経験がその人の大きな自信につながることがあるのだと。恥多き人生の中、MALICE MIZERのバックダンサーをしたという事実は、私の人生において唯一くらいの自慢である。あの短い日々から学んだことは、今の自分の中に確実に生きている。何よりも、ダンス経験皆無の私をあの「完璧」が必要とされるステージに出してくれたことに感謝している。「こいつはできるだろう」と「信じて」くれたからだ。人は信頼されると、力を発揮することができる。逆に信頼してもらえないと、力など発揮できない。そのことを、私はステージから学んだ。

 あの時、声をかけてくださってありがとうございますと、あの経験は私の宝物だと、大好きな曲に包まれながら、心の中で何度も何度も呟いたのだった。あれから20年以上経っても、みんな最高にカッコよかった。


なんか、いろいろ考えさせられますね。


「人」を大事にする政治を・・・!

2018年09月12日 | 社会・経済

生活苦7年半 東日本大震災3460世帯 災害援護資金 半数返せず

  東京新聞 2018年9月12日 朝刊

 

   震災の被災者の生活再建に向け、国などが市町村を通して貸し付けた災害援護資金を巡り、岩手、宮城、福島三県の計二十四市町で、返済期日が来た世帯の約半数に当たる三千四百六十世帯が滞納していることが十一日、共同通信のアンケートで分かった。滞納総額は約四億円で、返済が今後本格化するのに伴い、膨らんでいく可能性が高い。震災による失職や高齢化が要因で、被災者が生活を立て直せていない現状が浮き彫りになった。十一日で震災から七年半。

 貸付件数が百件以上ある自治体を対象に、七月三十一日時点で把握した滞納世帯数や金額などを尋ねた。回答が得られなかった宮城県の二市町は除いた。

 貸付総額は二万六千三百九十九世帯に対し計約四百六十億円。返済開始まで六年程度の猶予期間があり、返済期日が来たのは約七千五百世帯で、まだ全体の三割弱。金額は、貸付総額の数%程度にとどまる。

   一世帯当たりの貸付額は最大三百五十万円。滞納が多い理由について、多くの市町が「震災で勤務先が変わり収入が減った」(宮城県塩釜市)など、生活の困窮を挙げた。借りた人が高齢化し「年金収入のみで、日々の生活が優先となっている」(宮城県大崎市)との指摘もあった。

 阪神大震災の被災地、神戸市でも援護資金の未返済が今なお問題で、二〇一七年八月時点で約千九百六十世帯が計約三十億円を滞納している。援護資金の原資は国が三分の二、残りを都道府県か政令指定都市が負担。被災者からの回収は市町村の担当で「長期間の債権管理で業務量が増大する」(福島県いわき市)、「回収のノウハウがない」(宮城県山元町)と危機感を募らせている。

 国立研究開発法人防災科学技術研究所の林春男理事長は「債権の回収だけを目的とせず、個々人の事情を把握して支援することが必要だ」と指摘した。

 

<災害援護資金> 1973年に成立した災害弔慰金法に基づいて、災害で住宅や家財が被災したり、世帯主がけがを負ったりした世帯に最大350万円を貸し付ける制度。所得制限があり、4人世帯の場合は年間の総所得が730万円以下。東日本大震災の被災者に対しては、返済完了までの期限は13年としている。原則年1回か半年に1回の分割返済。


 こんなことまで「自己責任」。たまったものじゃあない。自分の身に振り返ってみると震えがくる。
貸付ではなく、給付型にできないものか?奨学金も給付型になりつつある?
 金(税金)の使い方、もっと考えてほしいものだ。「防衛費」にはどんどん使い、オリンピック費用、マスコミ対策として飲み食い、くだらない世論調査(若者の幸福度調査)、国有財産の不当な払い下げ。
「国」を守るのは「武器」ではない、「人」なのだ。


モンサントに勝つ。

2018年09月11日 | 社会・経済

除草剤『ラウンドアップ』320億円発がん訴訟、モンサント社に勝訴した理由はこれだ!

Mynewsjapan  14:11 09/11 2018

 植田武智  

 

   アメリカ・カリフォルニア州で先月(8月10日)、除草剤『ラウンドアップ』の使用によって悪性リンパ腫を発症したのか否かを争った裁判があり、被告モンサント社に対して約2億9000万ドル(320億円相当)の損害賠償金の支払いを命じる評決が下された。化学物質被害の裁判では日米間で雲泥の差があり、日本では、たばこによる肺がんの訴えにおいても認められていないのが現状。日米の裁判制度に詳しい弁護士によれば、日米の決定的な違いは、陪審員裁判制度と、徹底した証拠開示制度にある。当該訴訟において、陪審員がどのような証拠に基づいてラウンドアップの発がん被害を認めるに至ったのかを、原告側弁護士が開示している膨大な資料より整理し、被害者救済を進めるために必要な日本の裁判制度の改善点を探った。

 

【Digest】

◇全員一致の評決だった

◇陪審員裁判と社内資料証拠開示制度がカギ

◇陪審員に求められる判断は50.1%以上のもっともらしさ

◇モンサント社員の論文ゴーストライター疑惑

◇被害者の問い合わせを無視し続けたため症状悪化

◇加害企業に有利な日本

 

◇全員一致の評決だった

 この訴訟は、外国での報道に比べ、日本ではAFPニュースくらいで、あまり大きく報道されていない。

 敗訴したモンサント社は判決に不服で上告すると言っている。日本モンサント社のホームページでは、「陪審員の理解が間違っている」「原告弁護士は科学では勝てないと思っているから、事実を歪曲し陪審員をあおっている」と反論しているが、肝心の根拠を示していないため負け犬の遠吠え的にしか聞こえない。

 まず原告(被害者)リー・ジョンソン氏の被害をまとめると、ジョンソン氏は、2012年にカリフォルニア州のベネシアユナイテッド学校区の校庭管理員として、校庭やグラウンドで除草剤『ラウンドアップ』の定期的散布を開始した。

 定期的な散布に伴う慢性的なばく露に加え、2013年には一度、散布中に薬剤タンクのホースが外れ、全身に除草剤を浴びるなどの大量ばく露事故も経験。除草剤散布を開始して2年後に皮膚の発疹が見つかり、その後の検査で、がんの一種である皮膚のリンパ腫(菌状息肉腫)、と診断された。

 ジョンソン氏は、モンサント社に対して、自身の発がんがラウンドアップによるものではないか、とモンサント社に対して2度の問合せを行った。モンサント社は後日、回答すると約束したものの、結局、回答をしなかった。

 ジョンソン氏はその間もラウンドアップの散布を2年以上継続したため症状がさらに悪化した。そして2016年1月、モンサント社に対して訴訟を起こした。

 裁判は2018年の7月9日から8月10日の1か月、陪審員裁判で行われ、8月10日に陪審員は全員一致で、ジョンソン氏のガンが、除草剤『ラウンドアップ』が主要な原因で起こり、モンサント社が発がん性について警告をしていなかったばかりでなく、悪意を持って隠していたという点で、実際の損害賠償に加え、懲罰的損害賠償も認め、およそ2億90000万ドル(日本円で約320億円)の支払いを命じる評決を下した。

 320億円という膨大な損害賠償金額にまずは驚かせれるが、それ以外にも今回のような化学物質による健康被害などの損害賠償訴訟については、日米で大きな違いがある。

 その違いについて、日本での化学物質被害の損害賠償事件の経験も多く、またアメリカの法制度にも詳しい、中下裕子弁護士に話を聞いた。

◇陪審員裁判と社内資料証拠開示制度がカギ

――まず、賠償金320億円という破格な額に驚かされるわけですが?

 

 中下裕子氏「アメリカでは、懲罰的損害賠償が認められている点が日本との大きな違いですね」

 

 ――懲罰的損害賠償というのはなんでしょうか?

 「加害者の企業の不法行為に悪意があったと認められた場合に、懲罰と将来の同様の行為を抑止する目的で、実際の損害の賠償に上乗せして支払うことを命じられる賠償のことです。イギリスやアメリカの法制度で認められていますが、実際にやっているのはアメリカだけだと思います」

 ――今回の裁判では、被害者の実際の損害額は「約43億円(3920万ドル)」と算定されましたが、懲罰的損害賠償額が6倍以上の「275億円(2億5千万ドル)」にもなっています。原告の弁護士の話では、さらに同じようなガン被害者で告訴準備の人達が4000人いる、とのことです。

 

 「アメリカでも確か、アスベスト被害の事件で、賠償金額が高額になりすぎて倒産した会社もありましたよね。日本では考えられない話ですが。」

  ※ジョンズ・マンビル社など

 

 ――日本では認められていないのでしょうか?

 「日本では、民法やPL法で定める損害賠償は実際の損害だけにしか賠償は求められません。慰謝料は別に認められますが非常に限定的で、裁判では原告の請求額よりも削られるのが普通です。

 いま日本では交通事故による死亡事故でも損害額は1億円行くか行かないかくらいです。安いと思いますけど。日本で懲罰的損害賠償を認めさせるには、民法などの法律改正が必要です.....

〈この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。〉


 

 今朝はグッと冷え込み、 4℃くらい、道北稚内では氷点下だったそうです。久しぶりに一日中、いい天気に恵まれました。

落葉キノコを採りに裏山へ

キノコは詳しくないので落葉キノコだけ食べます。

 


全米テニス:大坂優勝

2018年09月10日 | なんだかんだ。

米メディア速報 異例の試合展開も

  毎日新聞 2018/09/10 11:47

 【ニューヨーク長野宏美】8日の全米オープン女子決勝について、米メディアは大坂なおみ(20)の優勝を速報するとともに、敗れたセリーナ・ウィリアムズ(36)が主審に抗議し、異例の試合展開になったことにも注目した。

 ニューヨーク・タイムズ紙は「大坂の力、スピード、心の混乱をシャットダウンする能力が相手に打ち勝った」と称賛した。

 一方で、S・ウィリアムズが主審からペナルティーを受け、騒然となった試合展開も取り上げた。同紙は「怒り、罵声、涙、(警告を巡るS・ウィリアムズの)性差別の申し立てが大坂の勝利に影を落とした」と伝え、「S・ウィリアムズと主審の衝突した試合として記憶されるだろう」と報じた。

USAトゥデー紙は、表彰式で観客のブーイングを聞いた大坂が、サンバイザーのつばを下に引いて顔を隠して涙を流す写真を掲載し、「スポットライトが大坂でなくウィリアムズに当たって残念だ。多くの人は大坂への祝福が奪われたと感じている」と同情した。

 このほか、タブロイド紙ニューヨーク・ポストは論評で「全米オープンが大坂にしたことは恥ずべきことだ」と酷評し、全力を尽くして番狂わせを起こした大坂に肩身の狭い思いをさせ、「これほどスポーツマンシップに反した出来事を見たことがない」と批判した。

 

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沢松奈生子氏

 「お金じゃない、腕です」

   大坂が市販ラケットで勝利に脱帽

  デイリースポーツ/神戸新聞社 2018/09/10 12:42

 

 

   プロテニスプレーヤーの沢松奈生子氏が10日、TBS系「あさチャン」で、全米オープンで日本人初優勝を飾った大坂なおみが、市販のラケットを使って快挙を達成したことに「お金じゃない。腕です」と脱帽した。番組では、大坂の快挙についてあらゆる方向から特集。その中で、大坂が使用した道具なども報じた。

 注目のラケットだが、番組では使用したラケットメーカー担当者に取材し、大坂は市販のものとほぼ同じものを使っていると説明。ラケットのガット部分は、高価なものになると牛の腸などを使った「ナチュラルガット」というものを使用する選手が多いというが、大坂は縦がポリエステル、横がナイロンだったという。

 沢松氏は、自分が使用しているラケットを持参し「恥ずかしながら、私はナチュラルガットという羊の腸、牛の腸を使ってました。1本分で約1万円。(大坂のラケットは)1本分で3000円?衝撃です」と言うと「もう、分かりました。お金じゃない。腕です」「お恥ずかしい限りです」と脱帽した。

 他にもシューズもウエアもすべて市販品ということを知らされると沢松氏は「(自分はシューズは)足型を取って頂いていたので。足型を取らないで市販品であの動き。ますますお恥ずかしい」と赤面。オール市販品での快挙に「異例です。(トップ選手は)皆、オリジナルモデル、選手仕様にラケットも作ってもらっているので」と、改めて驚きの声を上げていた。

 


 ビデオで試合のハイライトを観たが圧倒。相手に心の余裕はなくなっていた。
さらに表彰式でのスピーチが子供のように純真だった。
これからさらに期待ができる新星の誕生だ。


五輪考

2018年09月09日 | 社会・経済

小島慶子

「五輪で強調すべきは、民族の美点ではなくて国際都市の豊かさではないの?」

  2018/09/08

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

 小島慶子(こじま・けいこ)/タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族のいるオーストラリアと日本との往復の日々。近著に小説『ホライズン』(文藝春秋)。最新刊は『るるらいらい 日豪往復出稼ぎ日記』(講談社)

 

 前号では、東京オリンピックのボランティアがネットで言われているような日本独自の国家総動員体制なのか調べてみたら、ロンドンでもリオでも平昌でも大量に募集していたことがわかりました。だけど、オリパラ組織委員会のボランティア戦略(サイトで公開)を読んでいると、どうもモヤモヤします。

 東京五輪の大会ビジョンは「全員が自己ベスト・多様性と調和・未来への継承」なんだとか。で「都民・国民一人ひとりに大会成功の担い手になってもらうことが必要不可欠であり、その中でも『ボランティア』活動への参加は(中略)、他では決して得られない感動を体験する貴重な機会となる」とあります。そして「ボランティア一人ひとりが『おもてなしの心』や『責任感』など、日本人の強みを活かした活動を行うことが大会の成功の重要な要素となる」のだと。

 日本人の強みを生かした活動? ボランティアは「年齢、性別、国籍、障がいの有無等にかかわらず様々な人々が」活躍できるようにすると謳っているのに。応募するのは何も日本人とは決まってないぞ。外国から参加する人もいるし(リオでは2割が国外から)、日本在住の外国人でボランティアをしたい人もいるはず。世界有数の大都市で開くオリンピックで強調するべきは、民族の美点ではなくて国際都市の豊かさではないの? 訪日外国人へのおもてなしばかりが強調されているけど日本には、すでにたくさんの外国人が暮らしています。日本人らしさに酔うよりも、いろんな仲間がいることを大事にしたほうがいいのでは。それが多様性と調和、ってことではないんでしょうか。

 オリンピックを機にボランティア休暇を取りやすくしたりして、日本にボランティア活動を根付かせようというのはいい試みだと思います。だけど、日本人らしさとかボランティア美談みたいなもので動員しようとしないでほしい。無理せず、ボランタリー(自発的)に、楽しんでやればいい。感動的でなくたって、助け合いはできますから。

※AERA 2018年9月10日号


「組織的」・「強制的」な動員では「ボランティア」とは呼べないだろう。自ら参加したくなるような企画こそである。「日本人の強みを生かした活動」=「根性論」にならないように願いたい。さらに、こんなに「災害」に見舞われている中で、まず「国民の生命と財産を守る」立場を鮮明にしてほしいものだ。

 宅急便も災害の被害が大きかったところを除いてほぼ正常に戻ったようです。

ミニトマト

生食カボチャ―コリンキー・ズッキーニ

春菊とスベリヒユ、アイコ

オカワカメ

 


家族・・・かぁ・・・

2018年09月08日 | うつ・ひきこもり

雨宮処凛がゆく!    第457回:

『毒親サバイバル』か ら考える

    「家族の絆」至上主義の罪。

  の巻(雨宮処凛)

 

  2018年9月5日

 8月末、17年度の児童虐待が13万件と過去最多であることが報じられた。

  その中でも、子どもの心を言葉や行動で傷つける「心理的虐待」が半数を超えるという。3月、東京・目黒で5歳の女の子が命を落とした事件には多くの人が胸を痛めた。「もうおねがいゆるして」「ゆるしてくださいおねがいします」。5歳の女の子が書き残した言葉に涙した人は多いはずだ。

  虐待が社会的な注目を受ける一方で、虐待を受けた子どもの「その後」について語られることは多くない。過酷な環境を生き延び、心に大きな傷を負った彼ら彼女らは、その後の人生をどのように歩んでいるのか。過去とどのように向き合い、折り合いをつけ、今は親のことをどのように感じているのか。特に私のような昭和生まれ世代だと、「虐待」がまだ「しつけ」と言われたような時代に育っている。同世代や上の世代には、自分がされたことが「虐待」だと気づくのに数十年もかかっているようなケースもある。「虐待」は、児童相談所に保護される子どもだけの問題ではない。それが、私が日々感じていることだ。

 

 そんな「元子ども」の「その後」についての漫画が8月、出版された。タイトルは『毒親サバイバル』。著者は菊池真理子さん。彼女は昨年、自身の経験を描いた『酔うと化け物になる父がつらい』を出版した、いわゆる「毒親育ち」の人である。「家族崩壊ノンフィクション」と名付けられた同作では彼女の子ども時代が描かれるのだが、それが凄まじい。

 

 父親はアルコール依存症。母親は新興宗教信者。そして妹の4人家族。シラフでは無口で大人しい父だが、酒を飲むと豹変。シラフの父と交わされた約束はいつも破られ、休日には一家団欒などなく、父の友人が自宅に集まって酒を飲みながら麻雀して大騒ぎする。そんな宴会で召使いのようにこき使われる母親は、家から逃げるように夜になると宗教の会合に出ていく。父の酩酊のレベルは度を超え、飲酒運転で車を燃やしたりするほど。そんな日々の中、母親は菊池さんが中学2年生の時に自ら命を絶ってしまう。それでも、酒をやめない父。

  『酔うと化け物になる〜』では、その後の父と菊池さんとの関わりが描かれているのだが、『毒親サバイバル』は、そんな菊池さんが10人の「元子ども」にインタビューし、自身も登場する一冊だ。

 

 小さな頃から母親に医者になることを押し付けられ、支配され続けてきた医療記者。祖父からの暴力を受け続けてきた朗読詩人。祖母に手の込んだ虐待を受けてきた編集者。「誰のおかげで生活できてるんだ」「そんなに食うのか」など、24時間ネチネチと口うるさい父親に自己肯定感を潰され続けてきたライター。子どもの給食費も学費もバイト代も給料も巻き上げていくパチンコ依存症の母に振り回され続け、自己破産までした会社員。「家=戦場」というような365日争いの絶えない家で育ったマンガ家。「男に幸せにしてもらう」という物語の中で生きる、アルコール依存の母親のもとで育った文筆家。中学生で家事だけでなく民宿のきりもりまで任され、その後、借金男、ギャンブル男、DV男などダメ男にばかり尽くしてきたタロット占い師。小さな頃から自らを支配し続けてきた母への「嫌がらせ」としてAV男優となった男性。浮気、不倫を繰り返し子どもを殴る父と、身勝手すぎる母に苦しめられてきたものの、自身に子どもが生まれ「娘に命をもらいました」と語る主婦。

  いわゆる「毒親」をめぐっては、この数年、「母と娘」の対立を扱った書籍が多く出版されてきた。が、本書で注目すべきは、登場する半数が男性であることだ。

 

 思えば多くの男性は、長らく親との葛藤などについて語ることさえできなかったのかもしれない。しかし、「男」だからこそ、時に親から背負わされるものは重くなる。金銭的に頼られることもあれば、将来的に親の面倒を見る役割を期待されることもある。そして本書に登場する男性たちに背負わされる「親からの要求」は、度を超えている。

  母親のパチンコ依存症と難病の発症によって自己破産まで追い詰められた男性は、まさに「男だから逃げられない」という呪縛の中にいた。

  「死ぬまで面倒みるって約束したし、これから年とっていく女の人たち(母と叔母)を置いていけない」

  まだ20代前半なのにそんなふうに思う彼は、「自分の人生」を生きるという発想を奪われている。親のために犠牲になることが当たり前になってしまっている。そんな子どもから、親はあらゆるものを奪っていく。

 

 家庭という密室で起きていることに、子どもが「変」だと気づくのは至難の業だ。一方で、この国の殺人事件の半数以上が家庭内で起きているという現実もある。他人から殺される確率より、家族に殺される確率の方が高いのだ。

  そんな現実がありながらも、世の中では「家族の絆」が何よりも尊いものであるかのように語られている。3・11以降は特にそうだ。また、自民党の改憲草案には、「家族は、互いに助け合わなければならない」と、虐待経験者には地獄のようなことが堂々と書かれている。「あるべき家族像」から漏れる人々の存在は、まるで最初からないものとされているようだ。

 

 そんなことを考えていて、数年前に見た紅白歌合戦の光景を思い出した。出演する歌手たちは口々に「家族が大切」「お父さんお母さんを大切にして」「とにかく家族が何よりも大切」と呪文のように繰り返していて、なんだか怖くなって思わずチャンネルを替えたのだった。家族至上主義の暴力が、大晦日のNHKでこれほど残酷に牙を剥くことにただただ愕然とした。言う方としては、「別に言うことないから無難に最大公約数の正解っぽい『家族は大切神話』にのっかっとこう」くらいの気持ちなのかもしれない。が、あまりにも繰り返されると、その言葉は脳内で「家族を大切に思えない人間は非国民だから日本から出ていけ」みたいな言葉に変換され、聞いていた私は微妙に追い詰められていった。

 

 特に虐待経験のない私でさえそうなのだ。家族に複雑な思いを抱える人はこれらの言葉にどれほど追い詰められるだろう。多くの被害者は、どこかで「親に感謝できないなんて」「親のことを悪く思ってしまうなんて」と罪悪感を抱いている。そして親の方は、「親を大切にできないなんて」「親不孝は最大の悪」というような言説を小さな頃から子どもに吹き込んでいる。虐待の多くは、「家族は大切」神話を最大限利用して行われているのだ。しかし、マトモな親は、「親である自分を大切にしろ」などとことさら要求しないし、子どもには、親よりも自分を大切にし、自分の人生を生きろと伝えるはずだ。が、家庭という密室で、子どもはあまりにも無力である。『毒親サバイバー』の解説「親子関係のこれまでとこれから」を書いている信田さよ子さんは、以下のように指摘している。

 

 「本書に登場する11人の皆さんの家族は、世間からは『ふつう』、時には『恵まれている』と思われていただろう。それどころか最大の悲劇は、本人たちも『これが当たり前』『家族ってこんなもの』と思っていたことだ。なぜなら、家族以外に生きられる場所などないし、世界そのものである家族=親を否定することは、国・もしくは地球を脱出することに等しい、つまり死を意味するので、そう思うしかないのだ。

 

 そして、親の命令を聞けない自分が悪い、親のことが怖い自分がヘンだ、親を殺したくなる自分は狂っている、と思う。その先に広がる道の方向性は限られている。少しずつメンタル的に壊れていくか、自殺するか、反社会的行為によって非行(犯罪)化するか、それともアディクション(嗜癖)を呈するか、である。酒や薬、ギャンブルや自傷行為などのアディクションは、束の間『痛み』から解放させてくれるからだ。

  しかし、どの方向性も理不尽ではないか。親の行為が問われるのではなく、子どものほうがヘンだ、歪んでいると考えられるなんて、ひどすぎるだろう。子どもは決してそんな親を選んで生まれてきたわけではない。『あなたは子どもに選ばれた』というスピリチュアル系のトンデモ説に涙ぐむのは、単なる親の自己満足に過ぎない」

 

 本書を読めば、「家族の絆」を強調する言説が、いかに当事者を追い詰めるかもよくわかる。例えば、身勝手な母と離れて一人暮らしをした矢先に阪神淡路大震災を経験し、友人を亡くした女性は、震災から数日後、母と離婚した父(女連れ)と偶然会う。

  「なんやお前、生きとったんか!」と父に言われた彼女は思うのだ。

  「みんなが家族の絆をうたってるのに 私にはそんなものない」「家族が欲しい」「こんな時まっさきに私を探しに来てくれる人が」

  父は無関心、母はアルコール依存で自分のことばかり。そうして彼女は自分でもなぜか、わからないまま、男の人をとっかえひっかえして付き合うようになる。

  「さびしすぎて愛に腹ペコで 一瞬だけでも満たしてくれる相手が欲しかった」

  絆や愛に飢えることは、時に人を危険に晒す。それを持っていない人に強烈な飢餓感を植え付けてしまう。別に、個人的に絆や愛が素晴らしいと思うことに問題はないだろう。しかし、それは押し付けられるものではないし、規範となってはいけないし、ましてや憲法に明記される類のものではないはずだ。

 

 誰もが抱える、親との葛藤。もちろん、私も多くの葛藤を抱えてきたし、今も抱えている。

  「許さなくていいよ。」

  この本の帯には、こんな言葉がある。

  「家族は助け合おう」なんて一見正論っぽい言葉より、ずっとずっと優しい言葉だと私は思う。

 


江部乙も電気が復旧した。
これでほぼ全道的に「復旧」したことになるようだ。

後は物流の問題だ。
どこのスーパーに行っても生鮮食品はほとんどなくなっているらしい。
我が家は商店などから遠く離れているのでかなりストックされている。
おかげで当分は困らない。
ただ、ガソリンがそろそろなくなる。
明日にはスタンドまで行かなければならない。
札幌などでは長い行列ができ、2時間待ち、とか聞こえてくる。
さて、ここはどうなのか?


停電世帯46%が復旧 病院など優先供給

2018年09月07日 | 社会・経済

道新 09/07 12:48 更新

 北海道電力は7日、北海道胆振東部地震により道内全域で発生した停電について、7日中にもピーク時の電力需要の8割に当たる約304万キロワット分の電力を確保できるとの見通しを明らかにした。病院や官公庁といった公共機関などへの電力供給を優先する考え。火力発電所(火発)などの運転再開を順次進めており、7日午前8時現在、停電していた道内全世帯約295万戸の46%に当たる約136万6千戸が復旧した。

 北電などによると、6日から7日午前にかけて砂川(25万キロワット)、音別(7万4千キロワット)、奈井江(35万キロワット)、知内(35万キロワット)の各火発、森地熱発電所(2万5千キロワット)の運転を再開した。北海道と本州を津軽海峡の下で結ぶ送電線「北本連系線」で、道外から30万キロワットの電力受け入れを始めており、同日中にも受け入れ量を最大の60万キロワットに引き上げる。水力発電所も40万キロワット程度が稼働。世耕弘成経済産業相は同日、順調に行けば7日中に約240万戸の停電が復旧し、停電戸数は約55万戸まで減るとの見通しを示した。

 ただ、火発として最大の発電能力を持つ苫東厚真発電所(胆振管内厚真町、出力165万キロワット)の完全復旧には1週間以上かかるため、道内のピーク時の電力需要(380万キロワット)には届かない状況。同社は供給力不足が当面続くことを踏まえ、利用者には節電への協力を呼びかけるとともに、事前に日時やエリアなどを定めて電力供給を停止する計画停電を検討している。

 北電によると、地震発生時は苫東厚真3基と奈井江、知内、伊達の各1基の火力発電所計6基が稼働していた。6日午前3時25分ごろ、苫東厚真3基が地震の影響で緊急停止し、需給バランスが崩れた影響でほかの3基と、金山や雨竜などの水力発電所も軒並み停止。道内の全世帯約295万戸で停電が起きた。


江部乙の電気はまだ復旧せず。
コンビニは営業してはいるが、生鮮品はほとんど空の状態。
今日来た生協の宅配便も生鮮品は無し。
野菜を発送しようとヤマトに確認したら、集荷も配達もしばらくできないとのこと。
ネトウヨたちは、そら見たことかと、泊り原発のベース電源化を言う。
こんなことで全道を停電にした「技術力」でそれはないだろう!

床屋でもいってこよう。


いま、停電解消―無事です。

2018年09月06日 | 社会・経済

需給バランス崩壊、発電所停止の連鎖 初の道内全域停電

  朝日新聞デジタル - 2018年9月6日

 

 北海道全域の約295万戸での停電という事態が起きた背景には、発電拠点の立地に加え、本州との連系線の弱さもある。大手電力会社のほぼ全域での停電は国の電力広域的運営推進機関によると初めてだ。

   震源地に近い苫東厚真(とまとうあつま)火力発電所(北海道厚真町)は165万キロワットを発電できる北海道電力で最大の火力発電所だ。地震が起きた当時は、北海道全体の約半分の電力を供給していた。

 これが地震でとまった。経済産業省によると、苫東厚真でボイラーの配管が損傷した可能性がある。北海道全体の使用量と発電量のバランスが崩壊。本来は一定に保つ必要がある周波数が下がった。周波数低下の影響で道内のほかの火力発電所も運転がとまり、離島を除く北海道ほぼ全域の停電に至ったという。

 大阪電気通信大の伊与田功教授(電力系統工学)によると、電力の需要と供給のバランスが大きく崩れると、設備への負荷やトラブルを避けようとして、各地の発電所で電気の供給を遮断する安全機能が働く。今回の地震では、北海道各地で電気の遮断がドミノ倒しのようにいっせいに起こり、すべての発電機が電気系統から離れて広域で停電する「ブラックアウト(全系崩壊)」が起きたとみられる。

 北海道では、最大の電力消費地である札幌都市圏の南東に苫東厚真発電所、西に泊原子力発電所(北海道泊村、207万キロワット)があるが、泊原発は再稼働していない。重要施設の直下に断層が走っており、原子力規制委員会の審査が続いている。

 その泊原発では午前3時25分、停電に伴い送電線からの外部電源を喪失。同28分に非常用ディーゼル電源6台が作動し、電源を確保。使用済み核燃料の冷却を続けている。

 北海道と本州のあいだには、電力をやりとりできる「北本連系線」がある。しかし、これを使うには北海道側で受け取る直流を交流に変換するための交流電力が必要で、これを調達できなくなった。

 また、この連系線の能力は60万キロワットで、苫東厚真の発電能力の2分の1に満たない。連系線の脆弱(ぜいじゃく)さが浮き彫りになった形だ。


いま、一時的かどうかわからないけど停電が解消しました。
わたしの周りでは大きな被害はありません。
ご心配いただき、メールやlineをいただきました。
ありがとうございます。
とりあえずご報告まで。


雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」

2018年09月05日 | 社会・経済

東京医大の減点問題と、母

Imidas連載コラム雨宮処凛 2018.09.05

 

 「娘、まだ小6なんですけど、昨日一緒に話しました。おかしいよね、『あなた女の子だからって、学校のテストで一律10点引くって言われたら』って言ったら、娘、泣いてました。『私だって一緒に勉強してる。同じクラスで同じように男の子と勉強してるのに、何でそんなことされなきゃいけないの?』って。

 6年生だってわかるんですよ。それなのに、どうしていい大人が、地位のある人たちがそういうことするんですか。そういうこと、もう終わりにしてほしいです。今なら、泣いて『大学行けなかった』って言った母の気持ちがよくわかる。私も娘に、『女だからって言われて諦めることないよ』って言いたい。精一杯自分の力伸ばして、自分の人生切り開いていいよって言いたい。でも、社会がそれを許さないんじゃ困るんです」

 2018年8月3日、東京医科大学新宿キャンパス前で、マイクを握った女性が涙ながらに訴えた。同医大において、女子受験者に対し一律減点がなされていたと報道されたのはこの前日。女性は出産、子育てなどで現場を離れることが多い、激務に耐えられないなどの理由から、長年、女子合格者を3割以下におさえる操作が行われていたというのだ。

 この日、急遽開催された抗議行動に駆け付けたのは100人ほど。参加した女性たちは「下駄を脱がせろ」「女性差別を許さない」などのプラカードを掲げていた。

集まった女性たちが指摘したのは、これは何も東京医大だけの問題ではないということだ。一般の企業でも、「女だから」「出産、子育てする可能性があるから」という理由で多くの女性が責任あるポストから外されてきた。数多のチャンスを奪われてきた。この日、スピーチした編集者の女性は、男が下駄を履いていることは知っていたものの、頑張れば同じ立場に立てると思ってやってきたのに、と涙ながらに話した。

 しかし、「女だから一律減点」というあからさまな女性差別に対して、男女問わず「仕方ないんじゃない?」と言う人がいることもまた事実だ。女医という立場の人からも、子育てと仕事の両立のための環境改善という話ではなく、「確かに今の状況だと医療は崩壊する」と現状を追認するだけの発言があったり、あるいは「女が3割だったらその3割に入れるように頑張ればいい」「女はもっとしたたかでないと」なんてコメントをする人もいる。

 そのようなコメントをする女性たちからは、「女が男社会に参加させてもらっている」という、謎の遠慮のようなものが垣間見える。そして同じようなコメントをする男性からは、「女を男社会に参加させてやってるんだから感謝しつつ遠慮もしろ」という本音が垣間見える。結局、「働く仲間」として、「社会を構成する一員」として、「女」はまだまだ対等に見られてなどいないのだ。そしてそのことを、医師という立場の女性でさえ、内面化しているのだ。

 なぜ、内面化しているのか。それはそのように言われて育ち、そのことに違和感を持っていくら反発してもこてんぱんにブッ叩かれ続けた挙句、それ以上考えることを放棄したからだろう。思考停止したからだろう。

  思えば、私自身もそのように育てられた一人だ。

  冒頭のスピーチをした、私と同世代の女性は「娘に『女だからって言われて諦めることないよ』って言いたい。精一杯自分の力伸ばして、自分の人生切り開いていいよって言いたい」と訴えた。

 しかし団塊世代の私の母は、「女だから諦めなきゃいけないことがある」し、自分の力で自分の人生を切り開く女であるより、「男に選ばれ、愛される女」「男社会を決して脅かさない女」であることを私に求めた。そのことは、団塊世代の母にとっては、娘が身につけるべき最低限の処世術だったのだろう。戦後すぐの日本に生まれ、地元の高校を出てから銀行に勤め、結婚して専業主婦となった母に、そしてその時代の女性たちに、「自分の人生を自分で切り開く」機会はおそらくあまりなく、また選択肢も「結婚して子どもを産む」以外はほとんどなかったはずだ。

 そうして結婚してからは、夫や姑、親戚、近所など、世間の目が「嫁」を常に監視し続ける。少しでも逸脱しようものなら、「あそこの嫁は」と白い目で見られる結婚生活。そんな母は、だからこそいつも「世間体」をひどく気にし、私を含めた3人の子どもにも何よりも「世間体のよさ」を求めた。

 そんな母の世間体を私がブチ壊したのは、高校生の頃だ。中学までは地味な優等生だったのに、高校生になった途端バンギャ(ヴィジュアル系ファンの総称)となり、ライブに行っては追っかけに明け暮れて、そのまま何日も帰らないようになったのだ。

 真面目だった娘が、学校にも行かずに家出を繰り返す。それだけでなく、髪を染め、黒ずくめの服(当時のヴィジュアル系ファンはだいたい黒ずくめだった)に身を包んで、ゾンビのような厚化粧をしてほっつき歩く。そんな私を母は当然叱り、激しい母娘対立が続いた。

 母はライブに行くことも、そのまま帰らないことも、学校に行かないことも怒ったけれど、「黒ずくめのカッコで家の近所をウロウロする」ことをこそ何よりも嫌悪した。

 「○○ちゃん、あんなに真面目でおとなしそうだったのにどうしたの?」

 近所の人にそう言われるのが怖かったのだろう。そのことによって自分の子育てが「失敗」したと評価されることが、何よりも嫌だったのだろう。

 だからこそ、母は「子育ての失敗」の象徴である私の「黒ずくめの服」を矯正しようとした。そうして「服を買ってあげる」と甘い言葉で私を誘い出しては、皇族のような服を買おうとするのだった。それはパステルカラーだったりベージュだったりの清楚系で、服に花言葉があるとすれば、そのまんま「世間体」と名付けられそうなデザインのものたちだった。

 当然、そんな服は着たくないので嫌がると、母は「わが家の世間体が悪くなれば、自営業である父の仕事に迷惑がかかる」ことなどを強調し、だからこそ、無難な服装をしろと言うのだった。

 家出をしたり、学校に行かないことを咎められるのは理解ができた。しかし、「バンドが好き」でそれっぽい服を着ることのどこが悪いのかがわからなかった。「世間体」のためにそれを禁止されることだけは、どうしても理解できなかった。

 その上、母は皇族のような服を私に勧めるたびに、「お父さんはこういう清楚な格好が好きなんだから」と言うのだった。それならば妻である母が夫好みの服装をすればいい話で、しかし、なぜか母は私を「父好み」にしたがった。そのたびに、なんとも言えない違和感が込み上げた。

 なぜ、中学生までは勉強さえ頑張っていればよかったのに、突然「父好み」を要求されるのだろう? そういった「サービス」をしないと、学費や生活費を出してもらえないのだろうか? なぜ、勉強を頑張るとかだけじゃなくて、急に新たな「評価軸」ができているのだろう? 2人の弟には決してされない要求をされるのは、私が「女」だからだろうか?

 結局、そんな窮屈な実家を私は18歳で出た。そうして、北海道から上京して一人暮らしを始めた。一人暮らしを始める時、母はまた「世間体」のことを言った。それは「一人暮らしの女」が世間からどう見られているかという話で、就職でも、会社によっては「一人暮らしの女」というだけで採用されず、実家から通勤する女性だけが採用されることもあり、「一人暮らしの女」には「遊んでる」などの偏見がつきまとうので気を付けるように、という内容だった。1990年代前半のことだ。

 その話に、私はものすごくショックを受けた。女が一人暮らしをするだけで「男を連れ込んでる」「自由な性生活を謳歌している」というような目で見る「世間」のゲスな勘ぐりの視線に、しかもよりによって「女・一人暮らし」が就職で不利になるという現実に、虫酸が走る思いだった。その上、男の場合は当然一人暮らしかどうかなんてことなど問われないのだ。

 これが差別でなくてなんなのか。生まれた場所が田舎だったら、都会に出れば一人暮らしをするしかないのに、「女」というだけで変な想像をされた上にチャンスさえ奪われる。そんなのって、あまりにも不条理じゃないか。

  私は怒った。ものすごく怒った。

 「そんなの絶対おかしいじゃん」

  しかし、母は「世間はそういうものなのだ」と言うだけだった。

 私はずっと、母と一緒に怒りたかった。世間にモザイク状に広がっている「女」への偏見や呪縛に対して、実際に理不尽な目に遭っている母と一緒に怒りたかった。怒りを共有し、「こんなのおかしい」と共感したかった。

 だけど母は、諦めることに慣れていた。女だからという理由だけで黙らされることに慣れていた。というか、嫌というほど学ばされていた。

 母はよく、父と結婚したばかりの頃の話をした。父の親戚と「政治の話」になった時のこと。

母が何気なく自分の意見を述べたところ、それが親戚のおじさんの逆鱗に触れ、「女のくせに政治の話に入ってくるなど生意気だ!」と激怒されたという。その時、母は「もう二度と政治についての意見は口にしない」と決めたそうだ。実際、母が政治の話をしているのを見たことはほぼない。少なくとも、男性の前では決して口にしない。母は黙っていたのではない。黙らされてきたのだ。

そうしてゆっくりと時間をかけて、母にとって「沈黙」は当たり前のものとなった。一度そうなってしまったら、言葉を取り戻すことは至難の業だ。

 10代の頃、「世間体」ばかり持ち出す母と対立した背景には、そのような「母・女に強いられる理不尽」への、身悶えしたくなるような怒りがあった。あの頃はうまく言葉にできなかったけれど、結局、私は「どうして一緒に怒ってくれないの」と地団駄を踏んでいたのだ。

 どうしてお母さんは女なのに、オッサンの代弁者のふりをするの、と。どうして自分もおかしいと思うって、疑問だけでも口にしてくれないの、と。母を見ていると、女という存在の不甲斐なさ、その立場の理不尽さに、自分の近い未来を想像してやりきれなくなった。そしてそれに抵抗しない母に苛立った。

 そんなふうに、一番身近な同性である母の絶望と諦めはしっかりと私に受け継がれ、私も長いこと口をつぐんでいた。男社会を脅かさず、いろんなことを適度に諦める態度をとることは、いつからか自然にできるようになっていた。それが「大人になる」ことだと思っていた。

 だけど、それは違うのだ。

 私には子どもはいないけれど、次の世代に伝えるべきは「女だから仕方ない」ではなく、冒頭のスピーチのように、女だからって諦めなくてもいい、自分で自分の人生を切り開いていいってことなのだ。この国の女が我慢し、忍耐に忍耐を重ね、それでもいつかわかってくれると期待しながら待ち続けた果てに、東京医大の「女は一律減点」がある。

 「我慢していればいつかわかってくれる」なんて大間違いだ。男社会は女の「沈黙」を「容認」と捉え、結局、女が我慢すればするほど増長し続けてきた。

 今、「女はこうあるべき」という昭和・平成の呪いから、多くの女性たちは解放されつつある。諦めを再生産しないことが、少なくとも自分の世代の義務だと思うのだ。


 ようやく台風も去ったようだ。未明から強風が吹き荒れその音で目を覚ます。身近にハウスがないことで幾分気が楽になった。心配がなくなったということではない。今朝、江部乙に向かう途中、数件でビニールがずれたりしたハウスを見たので現物を見るまでは不安であったが、車が近づいて見えるところまで行ったとき、ようやく安堵した。

 全国的に被害もかなりひどいようだ。青森県のリンゴもかなりの被害が出たようだ。
日本海に抜ける台風はあまりない。風台風になる。

 

被害を受けた皆様にお見舞い申し上げます。

 

 

 稲もだいぶん色づいてきました。トウキビを狐の被害から食い止めようと囲んだ網でしたが、強風で網ごと倒されてしまいました。今年は0です。

 


絶望の裁判所

2018年09月04日 | 社会・経済

 

再審請求棄却で特別抗告
  =恵庭女性殺害事件の元受刑者

 

 時事通信  9/3(月) 19:25配信

 

  北海道恵庭市で2000年、女性会社員=当時(24)=が焼死体で見つかった事件で、殺人罪などで懲役16年が確定し服役していた元同僚の大越美奈子さん(48)は3日、第2次再審請求を認めなかった札幌高裁の決定を不服として、最高裁に特別抗告した。

 札幌市内で記者会見した大越さんは「再審が難しいことも分かっているが、真実を見抜いてくれる裁判官がいることを信じて闘っていきたい」と訴えた。

  事件の直接的な証拠はなく、大越さんは一貫して無罪を主張してきた。札幌高裁は事実認定に合理的な疑いは生じないと判断した札幌地裁決定を支持し、8月27日付で大越さんの即時抗告を棄却した。

 弁護団は棄却した決定について「審理しないに等しいようなもの」と非難。8月12日に刑期が満了し出所した大越さんは「(被害者に)何があったか教えてほしい」と声を震わせ、「両親が生きてるうちに帰れた。日々の当たり前が幸せなのだと気付いた」と話した。 

 

 

 今年3月の記事を再掲載する。

 

 冤罪を正さない裁判所
2018年03月22日 | 社会・経済

 

恵庭OL殺人事件に冤罪疑惑 有罪ありきのずさんな捜査と裁判に、元裁判官も唖然

 

  BJジャーナル  2014.05.27

  文=瀬木比呂志/明治大学法科大学院専任教授、元裁判官

 

 2000年3月に北海道恵庭市で起きた殺人事件を覚えておられるだろうか?

   女性会社員(OL)が、三角関係のもつれから同僚女性を絞殺し、死体に火を放って損壊したとされる事件は、「恵庭OL殺人事件」として、新聞、テレビ、週刊誌を大いににぎわせた。しかし、実は、この事件の容疑者となった女性は、一貫して、無実、冤罪を主張していたのである。

  だが、事件から約14年がたった2014年4月21日、札幌地裁は、大方の予想に反して、容疑者からの再審請求を棄却する決定をした。

   元裁判官で、ベストセラー『絶望の裁判所』(講談社現代新書)の著者である瀬木比呂志・明治大学法科大学院専任教授は、札幌テレビからこの事件に関連して取材を受けたことがきっかけで、詳細を調べたところ、「本当にこの証拠で有罪にしたのか」と言葉を失うほどの、検察寄りの偏った証拠評価が行われていたという。「日本の刑事司法においては、いったん警察、検察に目を付けられたら、裁判官がむしろ例外的な良識派でない限り、どうがんばっても、有罪を免れることはできない。再審も開始されない」と、暗澹(あんたん)たる気持ちになったという。

 

   冤罪は決して他人事ではない。そこで今回は、瀬木教授に「恵庭OL殺人事件」の再審請求棄却決定を批判的に考察してもらった。

 

 【以下、瀬木教授の文章】

 2014年4月21日にされた恵庭OL殺人事件の再審請求棄却決定(札幌地裁、加藤学裁判長)は、同年3月27日にされた、袴田事件の第二次再審請求に対する再審開始決定(静岡地裁、村山浩昭裁判長)との明暗のコントラストが激しい判断である。

  恵庭OL殺人事件とは、2000年3月16日夜、容疑者(以下、実名を使用せず、単に「容疑者」として記述する)が、容疑者の交際していた男性の気持ちが同僚である被害者に移り、その男性が被害者と交際することになったという三角関係のもつれから、被害者を絞殺し、午後11時ころ死体に火を放って損壊した、として起訴された事件である(なお、逮捕状では、上記の時刻は「11時15分ころ」とされていたが、その時刻だと後記のとおり容疑者のアリバイが成立してしまうため、15分早められたものと考えられる)。

  以下の記述は、できる限りわかりやすく整理したものであるが、なお、かなりわかりにくい部分があるかもしれない。しかし、それは、「検察、警察の言い分がありえないような強引なものであり、にもかかわらず、裁判所もそれを無理に正当化しようとする」ので、わかりにくくなるのだということを理解していただきたい

 

   第一審判決は、容疑者が、午後11時5分ころまでに、容疑者の車の中で、後部座席からタオル様のものを用いて被害者の首を絞めて殺し、11時5分ころ、10リットルの灯油を用いて死体に火を放ち、11時10分ころに現場を出て11時36分(なお、控訴審判決は「30分」とする)にはガソリンスタンドに立ち寄って給油を行い、その後、翌日午前3時ころまでの間に、被害者の生存を偽装するために、被害者の携帯電話から7回の発信を行った(電話をかけた)としてる。

 ●唖然とする裁判所の証拠認定

 再審請求棄却決定の後、報道をみると、種々不審な点があり、学者の同僚たちからも同様の意見を聴いたので、決定を取り寄せ、関連の書物や記事等についても読んでみた。その結果は、唖然とするようなものだった。

  民事系の裁判官であった私の民事訴訟における感覚からしても、検察が証明責任を果たしているとは思えない。まして、これは、民事よりも証明度のハードルが高い刑事訴訟なのである。しかし、この事件に携わってきたすべての裁判官たちは、そのような不十分な立証を容認してきたのだ。

  「本当にこの証拠で有罪にしたのか。また、再審開始もできないというのか。刑事裁判というのは、一体どういうことになっているのか」というのが、私の正直な感想であった。

  自白や物的証拠はなし、あるのは情況証拠のみ

   この事件については、中心となった弁護士で、家裁調査官、衆議院議員の職歴もある伊東秀子氏による『恵庭OL殺人事件――こうして「犯人」は作られた』(日本評論社)がある。再審請求に携わっている弁護士が、その過程でこうした書物を発表するのは、よほどの事情があることを示している。もっとも、私も、元裁判官であり、前記の棄却決定も出ているので、この書物については、まずは徹底して批判的に読んでみた。しかし、過度に容疑者に寄り添った記述はほとんどなかった。あえていえば、容疑者が被害者に対してその生前にかけていた無言電話の動機につき、困惑の結果であり、いやがらせの意図まではなかったとしている点くらいであろうか。しかし、ここは内心の微妙な問題であり、全体の中でみれば、小さな事柄にすぎない。

   以下の記述は、主として伊東書により、また、私の考えを付加する場合にはそのことがわかるようにしている。

  この事件については、容疑者は、やはり最初の時点では神経科に入院しなければならないほどの恫喝的な自白の強要を受けたにもかかわらず、一貫して否認している。そして、犯罪と容疑者を結び付ける直接証拠は一切存在せず、存在するのは情況証拠だけである

  まず、私が裁判官としての経験からそれらの中で唯一重要なものと考えたところの、被害者の携帯電話からの発信記録について検討してみよう。この被害者の携帯電話は、事件後に、何者かによって、容疑者と被害者の勤務していた会社(以下「本件会社」という)の被害者のロッカーに戻されていた。

  検察の主張は、この携帯電話からの7回の発信(3月17日0時5分31秒から3時2分38秒まで)の宛先が、容疑者が交際していた男性の当時紛失中の携帯電話など本件会社の従業員しか知りえないものであることと、その発信記録が容疑者の足取りにおおむね一致することとを根拠としている。

  しかし、そもそも、「被害者の生存偽装目的」での発信という検察の主張は「発信履歴が消されていた」という事実と矛盾していて疑問であると弁護側は主張する。そのとおりであろう。また、私は、容疑者にとってそのような偽装を行うことにどのようなメリットがあったのか自体定かではないと思う。見晴らしのよい雪原(北海道なので3月には雪がある)の農道脇に死体を放置した以上、それがその場所で早晩発見されることは明らかであり、現に翌朝発見されているからである。

  また、当時の携帯電話には所在位置を特定させるGPS機能は付いておらず、所在方向を示すだけ(基地局からみた携帯電話の所在地が60度以内の方角で判明するだけ)であり、したがってその「所在方向」自体にどれだけの意味があるのかもいささか疑問であり、のみならず、その発信履歴を子細にみれば、大まかにいえば容疑者の足取りと一致しているともいえるものの、そうはいえない部分も存在する。

   さらに、被害者殺害後、その携帯電話の発見時(3月17日午後3時5分)までの着信履歴17回のほうには、容疑者がずっとその携帯電話を持っていたとすればその足取りからしてありえない「電源断あるいはエリア外」の時間帯があることも大いに疑問である。容疑者が携帯電話を持っていたのなら一時的に電源を切る理由はなく、また、詳細な説明は省略するが、彼女の足取りからすれば「エリア外」はありえないからだ。

 伊東弁護士は、以上のような発信履歴、着信履歴について、「本件会社で働いていた男性を含む複数男性による強姦、殺人、死体損壊」の可能性を視野に入れるなら、犯人の一人が携帯電話を持って移動した場合の移動に見合った発信履歴、着信履歴とみるほうがより自然であると主張するが、これも、そのとおりであろう。

  また、電話の宛先については、携帯電話の着信履歴とメモリーダイヤルを見てかけられた可能性が高く、したがって、宛先についても、容疑者でなければかけられないようなものではないという(以上につき、伊東書32頁、133頁以下)。

 ●不審人物の存在

 なお、伊東書によれば、実際、本件会社には、かなり不審な人物が存在し、怪しい内容の供述調書が取られ、次のように述べられている。

 この人物の事件当夜のアリバイは妻しか証明できず、この人物は、問われもしないのに、女子更衣室のロッカーから自分の指紋が出てくるはずであるとして、その理由(素手でそのロッカーを運んだことがある)について語っており、容疑者の交際していた男性に対しては徹底的な敵対感情を持っていると供述している。さらに、事件から23日後の4月8日に、マスコミ関係者がいるかどうか確かめに容疑者方に行こうとし、そのアパートの前で彼女に会ったが、なぜか、「会ったことを内緒にしてくれ」と言って別れたと供述し、また、4月14日の容疑者の任意同行時に、彼女は小柄で犯人とは思えず意外だという気持ちと、彼女一人ではできないのではないかという思いから、「うちの職場からこうやって連れて行かれる人はまだまだ出る」と同僚に話した、とも供述している。なお、この人物が容疑者と会った4月8日の夜に、彼の歩いていたあたりの草むらから、事件の後に紛失していた「容疑者の携帯電話」が出てきたという事実もある。

  それ以外の情況証拠の主なものは、容疑者が事件の前日の夜に10リットルの灯油を買っていること、被害者の携帯電話がそのロッカーに戻されていたこと、警察の捜査によれば被害者のロッカーキーが容疑者の車のグローブボックスから出てきたとされていること、容疑者の車の左前輪タイヤの傷(検察は炎の熱によるものと主張)、4月15日に容疑者の家から3.6km離れた森から被害者の焼かれた遺品が出てきたことである。これらについて、簡単に触れていこう。

 まず、容疑者が事件前夜に10リットルの灯油を買っていることは事実である。彼女は、自分が疑われていると聞いて動転し、車のトランクに入れたままだった灯油を容器ごと捨ててしまい、自分にとって有利な決定的な証拠を、みずから消滅させてしまった。この事実と、彼女が被害者に無言電話をかけていた事実を隠していたこととが、裁判で彼女に不利に作用することになる。しかし、考えていただきたいが、これらの事実だけでは彼女と犯行を結び付けるにはとても足りない。冤罪事件では、容疑者に、何らかの不利な事情、あるいは、軽微な余罪等がある場合が多い。だからこそ、警察の見込み捜査のターゲットにされることにもなるのである。

   次に、被害者の携帯電話がそのロッカーに戻されていたことは、それだけでは容疑者と結び付く事柄ではない。また、被害者のロッカーキーについては、伊東書は、6月10日の容疑者宅家宅捜索後に容疑者のバッグのふたが開いており、そこから押収品目録交付書が出てきたことなどから、警察による捏造の可能性が高いという(つまり、警察は、被害者のロッカーから持ち帰っていたキーをその後に容疑者の車のグローブボックスに入れるという偽装工作をしたが、その際、当然容疑者に交付すべき押収品目録交付書を容疑者に交付することを忘れてしまった、これが明らかになれば偽装工作がばれてしまう、そこで、やむなく、後の家宅捜索時に容疑者のバッグにしのばせた、という推理である。袴田事件で警察がズボンの端布を袴田氏の自宅から発見したようにみせかけた手口に似ている。

  タイヤの傷については、容疑者が現場にいたとされるわずか5分間で死体の発見された位置と45cm離れた道路上の車のタイヤに炎の熱により傷が付くことはおよそ考えにくく、被害者の遺品については、昼夜を問わず警察の尾行、張り込みを受けていた容疑者が自宅からかなり離れた森まで遺品を焼きに行くことはやはり考えにくいという。

  要するに、以上の情況証拠は、いずれも、それ自体としては薄弱なものである。

 ●どんぶりを片手で持てない非力な女性が絞殺?

 また、この事件では、死体が燃やされ遺棄されたという現場からも、被害者の携帯電話からも、容疑者の指紋、足跡等が一切検出されていない。現場には死体を引きずった跡もない。車内でタオル様のものを用いて後ろから首を絞めたとされている犯行態様にもかかわらず、タオル等は発見されていないし、容疑者の車には、被害者の失禁を示す痕跡や血痕がなく、その指紋、毛髪等も検出されていない。

 加えて、容疑者は体格、体力において被害者にかなり劣っており、ことに、生まれつき右手の薬指と小指の発達が遅れた短指症の障害があるため手の力が弱くてバランスも悪く、右手の握力も19kgと著しく弱い(ラーメンのどんぶりを片手で持てないほど弱い)ため、検察主張のような方法による殺害が可能であるかは、きわめて疑問である。

 第一審判決は、容疑者が「被害者を車両助手席に乗せて何らかの方便で油断させながら後部座席に移動して」としているが、狭い車両内でどのような移動を行ったのか不明であり、また、「殺害方法や被害者の抵抗方法の如何によっては、非力な犯人が体力差を克服して自分に無傷で被害者を殺害することは十分に可能である」としているが、民事系裁判官の感覚からしても、無理やりの強引な物言いであるように感じられる。小柄な女性(絞殺だけで精根尽きているはずであろう)が、一人で、自分よりも重い死体を、間髪を入れずに抱えて車両外に下ろした(したがって、車内にも車外にも痕跡が残らなかった)との認定も、同様にきわめて強引である

 さらに、この事件では、検察は、容疑者がガソリンスタンドに立ち寄った時刻について、実際には、レシートに印字されていた午後11時36分よりも早い11時30分43秒であったことを示すビデオテープが存在したにもかかわらずそれを隠しており(この6分の相違は、本件では非常に重要である)、事件現場の近くに停車している2台の車を見たという主婦のAさんの供述調書も隠していたAさんは、11時6分過ぎころと11時20分過ぎころに2台の車を見、2回目のときにはうちの1台の屋根越しに赤い光(炎)を見たと、第一審における審理の終盤に、公判廷で供述した。この2台の車は、死体が燃える状況を見届けていた真犯人たちのものである可能性がある。第一審判決は、これについて、「<無関係な第三者が>ゴミ焼き等による炎上として<そのように誤解して>単に傍観していた」と推認する。しかし、そんな時刻に人気のない雪原でゴミを焼く人物がいるはずはないし、不審な炎を、「ゴミ焼きによる炎と誤解しつつも手をこまねいて傍観し続ける」酔狂な「第三者」がいるのかもきわめて疑問であろう。

 また、被害者の焼死体は内臓まで炭化し、体重が約9kgも減少しており、検察主張のように容疑者の購入した10リットルの灯油で、また、「容疑者は5分間だけ現場にいた」という第一審判決認定の事実関係の下に、焼かれたものとは考えにくく、そのことは、豚を用いて行われた警察、弁護側双方の焼毀(しょうき)実験によっても裏付けられており(いずれの実験でも、豚の内部組織は生のままであり、また、炎の強さは着火後1分以内に最大になった)、被害者の遺体を扱った納棺業者は、「灯油を何回もかけ時間をかけてじっくり焼いたか、ガソリンかジェット燃料で焼いたように思われる」旨を弁護士に供述している。さらに、被害者の遺体の取っていた姿勢は、一般的焼死体とは異なり足を大きく開いた強姦死体に似た姿勢であり、ブラジャーのワイヤーも大きくずれており、また、陰部と頸部の炭化が特にひどく、強姦殺人の証拠隠滅をうかがわせる状況であった。にもかかわらず、司法解剖の際に、強姦の有無については調べられていない

  ●捜査陣にも迷いが……

 なお、この事件では、捜査担当の主任検察官が、起訴の際に、一人で容疑者を訪ねてきて「とうとう起訴することになった。頑張って欲しい」と伝言していったという。捜査主任検察官の心中に秘められた「迷い、疑念」を示す事実である。現場の刑事たちの中にも、「彼女は犯人ではない」と言う者がいたという。こうしたことも、冤罪事件では時折みられることである。検察、警察の中にも存在する「良心」が、ちらりと顔を覗かせるのだ。

  再審請求が棄却されているという事件の性質上、かなり詳しく記してきたが、検察の主張や第一審、控訴審各判決の認定には、ほかにも多々疑問が存在する。

 さらに控訴審の裁判長は、公判前の三者協議の席上で、「被告人はどうも嘘をついているようだから、被告人質問の回数も制限的に考えています」と発言した(口をすべらせた)ということである(伊東書219頁)。これもまた、常識では到底考えられない、信じられない事柄である。

  再審請求においては、以上に加えて、現場付近で炎を見たという別の女性Bさん(炎を見た3人の目撃証人のうちの1人。なお、本件における各目撃者は、それぞれ、現場から数百メートル離れた異なった場所から、炎や2台の車を目撃していたものであり、相互に連絡も面識もない)の、「午後11時15分ころ、22分ころ、42分ころ、午前0時5分ころの合計4回にわたって炎を見た。うち1回目と3回目は大きなオレンジ色の炎だった」という内容の供述調書等(そのうち再審請求棄却決定が信用性に欠けるとする検察官調書を除いたものを素直に読めばこう読める)が開示されており、真犯人たちが、現場で、容疑者がガソリンスタンドに立ち寄った時刻以降まで、死体を燃やし続けていた可能性が示唆されていた(11時42分ころにも炎が大きかったことは、そのころ燃料が追加されたことをうかがわせる。10リットルの灯油だけでは、炎はすぐに小さくなってしまうはずだからである〔伊東書166頁〕)。

 再審請求棄却決定は、例えば、死体の燃焼の程度については「皮下脂肪が溶け出せば不可能とはいえない」、現場付近で炎を見たBさんは「炎だけでなくその上部の微粒子による反射部分をも含めて大きな炎を見たと言っている可能性もある」、Bさんが最初に炎を見た11時15分から容疑者がガソリンスタンドに着いた11時30分までには15分しかなく、走行実験によれば現場からガソリンスタンドまで(約15kmの距離がある)は速度超過をしても20分程度はかかる(なお、検察も認めるところによれば、15分だと、街路灯もない凍結した道路を時速100kmで走ったことになるという)から、「容疑者にはアリバイが成立する可能性が一応はある」が、しかし、「やはりそうでない可能性もある」とし、また、炎の目撃者の各供述をきわめて恣意的に評価して、以上のような認定判断とつじつまを合わせている。

 また、被害者の携帯電話の発信記録を作成したという北海道セルラー電話株式会社(現KDDI株式会社)の職員の証言した方法ではそのような記録は再現できない、という弁護側の主張についても、「必ずしもそうでもない」と答えているのだが、この部分も、正直にいってその論理の流れがよく理解できず、説得力に乏しい(もっとも、私は、前記のとおり、いずれにせよ、この証拠に大した価値、証明力はないと考えているが)。

 全体として、この裁判の証拠評価は本当にほしいままで、呆然とせざるをえない。裁判官たちは、有罪推定どころか、可能性に可能性を重ね、無理に無理を重ね、何としてでも「有罪」という結論に到達しようと、なりふり構わず突き進んでいる印象がある。袴田事件、足利事件、東電OL殺人事件のように再審請求にDNAに関する鑑定等の強力な裏付けがある場合はよいが、そうでない限りこのような強引な事実認定が通ってしまうことがありうるのかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。

 ●日本の刑事司法は中世並み?

 民事訴訟は、多くの場合、双方のストーリーのせめぎ合いであるが、原告のストーリーに相当のほころび、あるいは、一貫した説明を困難にするような事情があり、一方、被告主張のストーリーにそれなりの一貫性があれば、請求を棄却するのが普通である。それは、刑事訴訟でも同じことであろう。その原則をこの事件に当てはめれば、民事訴訟の感覚でも、検察の請求を認めることは難しい。まして、これは「疑わしきは罰せず」の刑事訴訟なのであるから、無罪は当然ではないかという気がする。アメリカの法廷でも、これで有罪はありえないと思う。

 私は、はっきりいって、これは「暗黒裁判」ではないかと思う。あなたも、本当に気を付けたほうがいい。日本の刑事司法においては、いったん警察、検察に目を付けられたら、裁判官がむしろ例外的な良識派でない限り、どうがんばっても、有罪を免れることはできない。再審も開始されない。国策捜査の標的とされた者の立場から書かれた『国家の罠』(佐藤優、新潮文庫)の中にある「『あがり』は全て地獄の双六(すごろく)」という言葉は、決して誇張ではないのだ。

 弁護団(無罪判決の多い元刑事系裁判官として知られ、後に法政大学法科大学院教授も務めた木谷明弁護士も、メンバーに入っている)を含む関係者は、弁護側に好意的と感じられた審理中の裁判長の言動をも考慮し、当然再審開始決定がされるものと予期しており、そのため、先の再審請求棄却決定については、裁判官に何らかの圧力がかかったのではないかとの推測まで出たという。また、木谷弁護士は、決定のあまりのずさんさに失望と怒りを隠さなかったともいう。

 考えにくいことではあるが、私は、若いころに、ある刑事系の有力裁判官が「刑事裁判は、導き出した結論によっては、辞めなきゃならんようなこともあるからなあ……」と問わず語りに語るのを聴き、「ああ、刑事は民事とは違うんだ……」と思ったことがあるのを、はっきりと記憶している。刑事の重大事件の背後には、民事系の裁判官であった私にさえ想像もつかないような深い闇が広がっている可能性が、もしかしたらあるのだろうか。

 

 ※本稿は、5月16日付「現代ビジネス」(講談社)記事に加筆・修正したものです。

 

 ※瀬木氏は、現在、日本の裁判の問題点と裁判官の判断構造を、数々の事例を通じて、体系的に、またリアリスティックに明らかにする『絶望の裁判所第2部』(仮称)を準備中であり、その中でこの事件についても取り上げる予定です。

 

 ●瀬木 比呂志(せぎ・ひろし) 1954年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1979年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講義と関連の演習を担当。著書に、『絶望の裁判所』(講談社現代新書)、『民事訴訟の本質と諸相』『民事保全法〔新訂版〕』(ともに日本評論社、後者は近刊)等多数の専門書・一般書のほか、関根牧彦の筆名による『内的転向論』(思想の科学社)、『心を求めて』『映画館の妖精』(ともに騒人社)、『対話としての読書』(判例タイムズ社)があり、文学、音楽(ロック、クラシック、ジャズ等)、映画、漫画については、専門分野に準じて詳しい。

 


 

 すでに刑期を終えて出所したのである。生きている限り戦うことはできる。でも「死刑」を実行された「容疑者」の無念。私は「死刑廃止」論者ではないが、こんなずさんな裁判で「執行」されるのなら・・・。

 

 


国連の人種差別撤廃委員会、米軍基地の問題を「沖縄への差別問題」「沖縄の人権問題」と・・・

2018年09月03日 | 社会・経済

国連が「沖縄への基地集中は差別」と日本政府に勧告! 沖縄の民意を無視し辺野古移設強行する安倍政権に国際社会もNO

  リテラ 2018..09.01

 

 昨日8月31日、沖縄県が辺野古の埋め立て承認を撤回する通知書を沖縄防衛局に提出した。今月8日に死去した翁長雄志知事が7月に承認撤回の手続きに入ったことを発表していたが、これは翁長氏の遺志であると同時に、前回知事選で県民が翁長氏に託した「辺野古新基地反対」という意思だ。

 政府は撤回の執行停止を申し立てる方針だといい、沖縄の民意を踏みにじる政治姿勢をあらためる様子はまったくない。だが、こうした政府の姿勢に、国際社会が厳しい目を向けている。8月30日、国連の人種差別撤廃委員会は日本の人権状況と政府の取り組みをまとめ、勧告を公表。同委は米軍基地の問題を「沖縄への差別問題」「沖縄の人権問題」として取り上げたのだ。

 まず、今回の勧告では、同委や他の人権機関から琉球・沖縄の人びとを「先住民族」と認めて権利の保護するよう勧告を受けてきたにもかかわらず、政府がその勧告を受け入れていない状況への懸念を示した上で、こう続けている。

 〈米軍基地の存在により、民間地域での米軍機の事故に関して琉球・沖縄の人びとが直面している課題のみならず、沖縄の女性に対する暴力の報告にも懸念している〉

 〈当委員会は、女性を暴力から守ることを含め、琉球・沖縄の人びとに適切な安全と保護を確保し、加害者に対する適切な起訴と有罪判決が確実になされることを締約国が保証するよう勧告する〉(翻訳は編集部による)

 米軍機の事故や繰り返され続けている女性への暴力に対して、日本は適切に対応するように──。ご存じの通り、沖縄では米軍機の墜落事故をはじめ、小学校や保育園への落下物事故が相次いでいる。さらに2016年には米軍属の男による女性殺害・死体遺棄事件も起こった。だが、こうした事故・事件が発生しても、安倍政権はまったくと言っていいほど対応策を取ってこなかった。これを国連は問題視しているのだ。

 しかも、この勧告では、〈加害者に対する適切な起訴と有罪判決が確実になされることを締約国が保証する〉ことを求めている。これは殺人などの凶悪事件やヘリ墜落などの大事故が起こっても日米地位協定に阻まれて捜査の主導権すらもてない状況を指摘するもので、つまりは不平等極まりない日米地位協定の見直しに向けた取り組みをおこなうよう、日本政府に要求していると言っていい。

 そもそも、同委では2010年にも沖縄への米軍基地の集中について「現代的な形の人種差別」と認定、「沖縄における不均衡な米軍基地の集中が住民の経済的、社会的、文化的権利の享受を妨げている」と指摘し、適切な対策を取るよう勧告していた。だが、日本政府はこうした沖縄の状況に対する勧告に対してことごとく聞く耳をもたず、時に開き直って正当化してきた。

 実際、国連人権理事会の特別報告者であるデービッド・ケイ氏は昨年、辺野古の新基地建設反対運動をリードしてきた沖縄平和運動センター・山城博治議長が逮捕・長期拘留されたことについて「不均衡な重い罪を科している」「抗議行動を萎縮させる懸念がある」と指摘。ケイ氏を含む3名の専門家らは日本政府に懸念を示した文書を送っていたが、日本政府の回答は「適切に対応した」「主張は完全に間違っている」というふてぶてしいものだった。

 そして、政府は沖縄を無下にするだけでなく、沖縄の状況を世界に発信した翁長知事にも刃を向けた。

翁長知事は国連で「沖縄の人々の自己決定権や人権が蔑ろにされている」と訴えていた

 翁長知事は2015年、国連人権理事会において英語でスピーチをおこない、基地問題は人権問題であると訴えた。

 「沖縄県内の米軍基地は、第二次世界大戦後、米軍に強制接収されて出来た基地です。沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。沖縄は日本国土の〇.六%の面積しかありませんが、在日米軍専用施設の七三.八%が存在しています。

 戦後七〇年間、いまだ米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が県民生活に大きな影響を与え続けています。

 このように沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています。

  自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるでしょうか」

 「私は、あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です」(翁長雄志『戦う民意』KADOKAWAより引用)

 「間違っているのは私たちなのかどうか、沖縄の置かれた状況を世界の人々がつぶさに見て判断してほしい」──そうした思いから翁長知事は演説をおこなったが、しかし、この行動に菅義偉官房長官は「強い違和感を持っている」などと噛みつき、こう言い放った。

 「19年にわたって多くの沖縄県関係者の協力を得ながら適正な手続きで進めてきた。そうしたことを踏まえない翁長知事の主張は国際社会で理解されないと思う」

 県民が選挙で「辺野古新基地建設反対」という明確な民意を示したのに、菅義官房長官は話し合いを求める翁長知事の面談を繰り返し拒否。その上、安倍政権は基地反対運動を強権的に排除する姿勢を強め、挙げ句、「翁長知事の主張は国際社会で理解されない」と断じたのだ。

 しかし、今回の国連人種差別撤廃委の勧告が示すとおり、「国際社会で理解されない」のは、自国民を蔑ろにする安倍政権の姿勢のほうなのである。

 今回出された勧告に法的拘束力はないとはいえ、日本は人種差別撤廃条約の締結国であり、勧告を無視することは国際社会からの不信をさらに強めることになる。これは日本に対する重大な警告だ。

 だが、それでも安倍政権は沖縄に「国に楯突くな」と言わんばかりに、基地の押し付けという苦痛を与えつづけていくことははっきりしている。沖縄では9月30日に知事選の投開票がおこなわれるが、この選挙が沖縄の分水嶺となることは間違いない。(編集部)


自らの政権に不利なことには一切耳を貸さない独善・独裁の政治だ。

今日は倒木の後片づけ。

また台風21号が日本列島縦断みたいです。
北海道も直撃のよう。しかも風台風になるようです。
皆様も十分ご注意ください。

花が終わってこのような実をつけました。名前がわかりません。


「弱者」いじめの風潮・・・

2018年09月02日 | 社会・経済

安倍政治と無縁とは思えない 「老人は邪魔者」の社会風潮

  日刊ゲンダイ 2018年9月1日

 

 岐阜市の「Y&M藤掛第一病院」でエアコンが故障した部屋に入院していた80代の男女5人が相次いで死亡。岐阜県警は熱中症で死亡した疑いがあるとみて、殺人容疑で病院を家宅捜索した。

〈略〉

■姥捨て感覚の介護放棄も増加の一途

 「残念ながら、この先も今回のような事件が相次ぎそうです」と全国介護者支援協議会理事長の上原喜光氏はこう言う。

 「小泉政権の頃から、政府は『構造改革』と称し、200床程度の病院の統合を後押し。800床以上の大病院の開設を加速させた一方で、診療報酬は大幅に引き下げ。おかげで200床未満の病院の経営は苦しくなり、今回の病院のように終末期の患者を受け入れ、しのいでいるのが実態です。終末期医療は治すより、痛みなどの緩和が優先。本来、病院は病気を治す場所ですが、死亡届を書くのが仕事のようなものです。今回の病院がそうとは言いませんが、治療しない病院はあり得ないのに、それを百も承知の姥捨て感覚で、親を入院させる“介護放棄”も増えています。特養老人ホームで今回と同じことが起これば、家族はもっと騒ぎ立てたはず。人の命が軽んじられる悲しい世の中です」

2年前に横浜市の大口病院で起きた連続中毒死事件で、入院患者3人への殺人容疑で送検された同病院の元看護師、久保木愛弓容疑者は、患者の点滴に消毒液を混ぜて殺害した動機をこう説明したという。

〈略〉

「障害者は生きていてもしょうがない」との独善的理由で、相模原市の「津久井やまゆり園」で19人を刺殺した植松聖被告といい、かくも命を軽視する事件がここ数年、頻発しているのはなぜなのか。

相次ぐ人命軽視の陰惨な事件は、老人など社会的弱者は「死んでもいい」とばかりの社会風潮の蔓延の象徴ではないのか。そんな偏見と蔑み、差別と排除を助長しているのが、安倍政権と自民党の冷血な政治姿勢である。

  LGBTカップルは「子どもをつくらない」というだけで、「生産性がない」と断言。彼らへの税金投入に異議を唱えた杉田水脈衆院議員をはじめ、まるで家畜や機械のように人の価値を「生産性」で測り、選別する。

  恐ろしいことに、優生思想の塊のような杉田のツイッター投稿を追うフォロワー数が12万人を突破。LGBT騒動以降、5000人以上も増えたのも「生産性なき者は去れ」という差別思想が、社会の一定層に浸透していることを物語る。それだけ安倍冷血内閣が旗振り役となって、おぞましい風潮が日本社会にはびこってしまったということだ。実に罪深い。

 中央省庁の障害者雇用の水増しについても、安倍政権は寛容だ。エコノミストの高橋乗宣氏は本紙コラムで、「法定雇用率をしっかり守ると、障害者にどう働いてもらうべきか、職場の扱いが難しくなる。そんな雇用差別に結びつく意識が、中央省庁にはびこってはいなかったのか」と疑問を投げかけていた。

 水増しの根底に障害者への差別意識があるかもしれないのに、麻生財務相は「(ガイドラインの)解釈の仕方が違っていた」と問題を矮小化。それだけ、差別と排除に鈍感な証拠だろう。

 大体、麻生ほど「老人は死ね」と言わんばかりの蔑視に満ちた政治家はいない。2013年には高齢者の終末医療を「政府のお金でやってもらっていると思うと、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」と言い放ち、2年前にも「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、いつまで生きているつもりだよ」と言ってのけた。

〈略〉

政治評論家の森田実氏はこう言った。

 「私は86年生きてきましたが、今ほど人の命と価値や、人格が大事にされない世の中はありません。儲け第一の新自由主義に根ざした『今だけ、カネだけ、自分だけ』という刹那の発想が政財界を支配し、『生産性』や『効率化』を声高に叫び、社会の隅々まで競争が強いられ、格差は広がっている。こぼれ落ちた人々が、さらに弱い者を叩くすさんだ世相です。歪んだ風潮を止める努力こそが本来の政治の務めなのに、安倍政権は率先して助長している。国の指導者たちの道義が廃れれば、この世は闇ですよ」

 弱者いじめの風潮を蔓延させた政権と政党が今なお幅を利かし、この先も歪んだ世相が続くのかと思うと、ますます、おぞましくなってくる。


こうした風潮が役所の窓口まで及ばないことを望む。
予算がない、人がいないーこうした問題もこのまま放置することで窓口は「弱者いじめの風潮を蔓延」させるだろう。対策を講じないであきらめさせるのが政権の狙いだ。

今朝は10℃を下回る気温、またストーブにお世話になりました。


ライフラインの公益性

2018年09月01日 | 社会・経済

電気止められ、熱中症で札幌市の女性死亡 「環境問題は格差問題だ」と専門家

 東大・橋本英樹教授が問いかける、ライフラインの公益性とは。

 

ハフポストNEWS  泉谷由梨子   2018年08月30日

 

 猛暑が日本全国を襲った2018年の夏。

 

札幌市西区のマンションの一室で7月29日、女性が熱中症で亡くなった。その日の札幌市の最高気温は31度だった。

女性は一人暮らしで生活保護を受給していた。部屋にクーラーや扇風機があったが、電気料金を滞納していたために5月上旬から送電は止められ、使える状態ではなかった。

 札幌市西区は、生活保護受給者との面談を3カ月に一回と定めていたが、実際に訪問していたのは1月30日が最後。西区の保護二課によると「ケースワーカーが多忙で手が回らなかったことも要因の一つ。相談があれば、熱中症の予防や未払い解消に向けて助言できた可能性がある」と説明している。

この事態に、「懸念していたことがまた起きてしまった」と話すのは、東京大学大学院医学系研究科の橋本英樹教授(公共健康医学)。自治体だけでなく、電気・水道といったライフラインの公的責任についても、もう一度考え直すべきだと訴える。

ーーこの件をどう見ましたか

 懸念していた事態が性懲りもなくまた起こってしまいました。

 札幌市では2012年の1月にも40代の姉妹が亡くなっています。料金滞納で電気とガスが止められており、姉は脳出血、知的障害のある妹は凍死でした。さらに、その翌月にさいたま市でも60代の夫婦と30代の息子が、布団の上で餓死、凍死しているのが見つかりました。この家族も料金滞納で電気やガスを停止されていたことがわかりました。

 さいたま市では、この事件などをきっかけに、電気・ガス事業者や新聞配達の人々などと行政が連携して、命を守る取り組みが始まりました。料金を滞納している、新聞が溜まっているなどの情報から、住人の異変を早期に発見するためです。これは「さいたまモデル」と呼ばれ、その後は孤立対策に成果を挙げています、全国で取り組む自治体も増えています。

しかし、自治体の対策と並行して、ライフラインの公益性についても、もう一度考え直す必要があります。電気や水道といったライフラインは文字通り、生活の必需品。今年の夏のような気象条件の下で止められたら、死んでしまいます。

 ーー厚生労働省は今年、熱中症対策のため、生活保護世帯が冷房を新規で購入する場合に上限5万円の助成をすることを定めました。

 それも重要ですが、今年のような猛暑で推奨された「クーラーを一晩中つける」という方法をとったら、月に1万5000円近くかかるのではないでしょうか。冬期加算には措置がありますが、夏にはない。生活保護の方に、その電気代が果たして払えるのか。

 今年の猛暑は日本だけではありません。世界規模の気候変動が起こっています。WHOは「気候変動は格差問題だ」とハッキリと言っています。

異常気象が引き起こす自然災害は、弱い人たちがより大きな被害を受けるからです。例えば、土砂崩れなど豪雨災害の危険性の高い地域の一部は、元々地価が安いなどの理由で、比較的貧しい人々が住むようになった歴史があります。

 親や先祖の収入や身分などの社会・経済・政治的状況によって、人々が安全で健康に暮らせるかどうかが左右されているんです。

 ーー確かに、今年問題になった小学校の熱中症でも、教室にクーラーをつけられた自治体となかった自治体があることがわかりました。それも地域間格差と呼べるかもしれません。

 社会格差によって引き起こされている健康格差には、政府が対策に取り組むべきです。そうでないと、身を守る資源を持てていない人が犠牲になる。それがまさに今年の猛暑で顕在化したのではないでしょうか。

 料金を滞納したら事業者は電気や水道を止めてしまいます。それは一見、当たり前だと思われていますが、異常気象の下では命にかかわる重大な事態になります。

さらに、日本では電力自由化が始まり、水道を民営化する案も浮上しています。こうした自由化・民営化が進むと、「民間同士の契約だから」と、ライフラインの公益性が今よりもさらに重視されなくなる危険性があります。

 ーーどんな対策が必要でしょうか。

 この危険性を食い止めるには、自由化・民営化に関してはずっと先を行くアメリカの事例が参考になります。2013年の私たちの調査では、50州のうち37州で、料金滞納があっても、一定の気象条件や本人の病気などがあれば、電気やガスなどのライフラインを事業者が勝手に停止することは規制されていました。

 特に、厳冬にさらされるウィスコンシン州では手厚い対応が行われていることがわかり、私達もシンポジウムやウェブサイトで情報を発信してきました。

きっかけは1974年2月、ガスを止められた72歳の男性が凍死したことに対する抗議活動でした。その後、規制ができたにもかかわらずガスが停止された家庭で、ヒーターで暖を取ろうとした子供たち6人が焼死する事故があり、規制はさらに厳しいものとなりました。

 ーーアメリカでそのような規制があるとは意外でした。

 政府がライフラインを市場に丸投げしてしまい、公益性を担保する措置がないとしたら大問題です。命が危険にさらされる真夏や真冬には、料金滞納があっても電気やガスを止めてはならないという規制を日本でも設けるべきです。

 異常気象という社会リスクから、人々の健康を誰が守るのか。環境という新しい社会の健康リスクに、われわれ誰もが直面しているんです。

 


 

「生命と財産を守る」ぜひ実行していただきたい。