里の家ファーム

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古賀茂明「安倍総理が負う参院選後のツケとは?」

2019年07月16日 | 社会・経済

AERAdot  2019/07/16

   元ハンセン病患者の家族への賠償を国に命じた熊本地裁判決について、安倍晋三総理は7月9日、「異例のことだが、控訴をしない」と表明した。患者家族に寄り添う素晴らしい判断だと称賛したいところだが、そう素直には受け取れない。

 もし、本当に家族のことを思うのなら、国のこれまでの過ちを率直に認めて謝罪し、他の訴訟で争っている家族や、今回の地裁判決で請求を棄却された2002年以降に被害が明らかになった20人についても、損害賠償を行う方針を示すのが筋だからだ。

 今回の安倍総理の発言を見ると、あくまでも、上から目線で、「可哀そうだから救ってやる」という姿勢を示したように見える。

「異例」の判断をしたのも、参議院選挙中に「控訴」と報道されれば、「安倍総理は弱者に冷たい」というイメージが広がり、野党に攻撃材料を与えてしまうと心配したからではないのか。

 こうしたことを書くと、安倍総理信奉者からは、「せっかくいいことをしたのに、歪んだものの見方をするな!」としかられそうだが、そういう見方をしたくなることがほかにもあった。

 それは、福島の人々に寄り添う姿勢を示すために行った安倍総理の参院選公示日の第一声だ。

 それは、福島の果樹園で行われた。

 実は、安倍総理には大罪がある。第1次安倍政権下の06年12月、共産党議員の質問主意書で、地震などにより外部電源が止まった場合に非常用電源喪失による冷却機能停止のリスクがあるという、まさに福島第一原発事故を想定したかのような警告に対して、「御指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期している」と完全に無視する答弁書を閣議決定したのだ。

 つまり、根拠なき「安全神話」に基づいて漫然と危険な原発の稼働を認めて巨大事故を起こすという取り返しのつかない過ちを犯したことになる。普通なら自責の念に駆られるはずだが、安倍総理は、これまで、自らの過ちを認めず、謝罪もしていない。本来、福島の人々に寄り添うというのであれば、まずは自らの過ちを認めて謝罪するところから始めるべきだろう。

 しかし、安倍総理の演説を聞いて驚いた。「民主党政権の下、遅々として復興は進まなかった。私たちは野党である悔しさ、申し訳なさで胸が震える想いだった」と、原発事故を野党攻撃に使ったのだ。私は、「この人は本当に危ない」と思った。自分の過ちに思い至ることができない。つまり、全く反省できない人なのだ。

 本コラム執筆中(10日)に恐ろしいニュースが入ってきた。米軍制服組トップのダンフォード統合参謀本部議長が、イラン沖などの民間船舶護衛のため、有志連合の結成をめざし、数週間以内に参加国を募るというのだ。

 安倍総理は太平洋戦争の過ちを認めようとしない。イラク戦争の過ちについても、世界の先進国で日本だけは認めていない。

 米国は日本タンカーへの攻撃はイランの仕業だと断定するが、そんな証拠はない。しかし、過去の反省ができない安倍総理なら、躊躇なくトランプ大統領の言いなりで有志連合に何らかの形で協力するのだろう。「数週間後」なら、選挙後だ。安倍総理は通商交渉の結論を選挙後に延ばしてもらってトランプ氏に大きな借りを作った。

選挙後の「ツケ返し」は日本にとって、思いもよらない致命的なものになるのかもしれない。

※週刊朝日  2019年7月26日号


若者たちの『今』と政権支持率

2019年07月15日 | 社会・経済

 浜矩子「経済万華鏡」

  imidas時事オピニオン 連載コラム

   2019/07/12

 浜矩子(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)

 このところ、立て続けに若者絡みの三つの報道が目に留まりました。第一に、若者たちはどんどん「ギグワーカー」化している。第二に、若者たちは持ち家志向を強めて借金を増やしている。第三に、彼らは安倍晋三政権への支持率が高い。この三つのニュースを三題噺に仕立て上げることが出来るでしょうか。

 ギグワークについては、以前にも取り上げたことがあると思います。ギグとは、短時間の仕事とか、単発の仕事や日雇い仕事を指す言葉です。アーティストなら「今日のパフォーマンス」という意味でギグという表現を使うことがあります。「フリーランスでキャッシュレス」の回の内容にも重なる面があります。声がかかれば、それに応じて呼ばれた職場に出向いて腕を振るう。それがギグワーカーです。古い日本語で言えば、「お座敷芸人」の感じですね。要請に応じてお座敷からお座敷へと渡り歩いてパフォーマンスするイメージです。

 このギグスタイルで、いくつもの仕事をこなす若者が増えている。そのように報じられています。ギグワーカーたちとギグ提供企業の間を仲介するのが、いわゆるプラットフォーム型の斡旋事業者です。プラットフォーマーに登録してギグ探しをするフリーランスの皆さんが、この1年で4割増えたそうです(*1)。その全てが若者だとは限りませんが、実際問題として、若い人たちが多いことは間違いないでしょう。

 第二の、持ち家と借金というテーマについては、二つのことが影響しているようです。第一に、企業が社宅提供や住宅賃貸への補助を減らしている。第二に、日銀の量的質的金融緩和の下で住宅ローン金利が超低水準化している。これらの要因が相まって、2018年末時点での20〜30代の金融負債残高は、現行調査が始まった02年以来、最高の水準に達したとのことです(*2)。

 こうして債務返済負担が増えた若者世代は、一方で消費を節約しているようだ、とも報じられています。それはそうでしょうね。いくら超低金利だといっても、まとまった住宅ローンの返済負担が出来たとなれば、そうそう気前のいい消費生活を謳歌するわけにはいきません。

 ギグからギグへと渡り歩いて仕事をしながら、持ち家をしっかり手に入れるために住宅ローンを組み、消費はなるべく控え目でいく。このような生き方をしている若者世代の安倍政権支持率が高いというわけです。日本経済新聞社の6月の世論調査結果によれば、20代の政権支持率は何と7割に達したということです。

 なるほどねと思います。こうしてみれば、若き皆さんの日々はなかなか大変です。ギグ型のワークスタイルには自由はあるが、収入と生活の安定確保は保障されていない。それでも持ち家を早めに確保したい。だから住宅ローンを組む。今は超低金利だからいい。だが、この状況が変われば、展望は狂う。何はともあれ、現状が大きく変わってもらって欲しくない。今のままなら、それなりに将来設計に向けても目途が立つ。だから、今が大事で何も変わって欲しくない。

 現状維持を願う思いが切実であればあるほど、政治についても、現行体制の継続を願う。それが、7割の現政権支持率につながっているのでしょう。その気持ちはとても良く分かります。ただ、今の政治は誰のため、何のために今の政策を遂行しようとしているのか。そこを考えておく必要があります。

 彼らの都合であまりにも低くなり過ぎた金利は、いつ、どうなるか分かりません。何の政策的支援もないまま、ギグワークを続けていて健康を害したらどうなるか。それも考えておく必要があるでしょう。こんなはずじゃなかった。こういうつもりじゃなかった。そう思った時は既に遅しです。厳しい目で政治環境を見抜いていく必要があります。


 ホタルがいなくなって5年ほどたちます。昨夜遅く、散歩がてら探して歩いていると見つけました。1匹だけですが。また除草剤をかけられないように何とかしなきゃ。

ズッキーニ、初物です。右下甘長伏見唐辛子。ミニトマトは糖度も十分。


日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡される“ハゲタカ”問題を考える(1)介護ビジネス編 内田 樹 堤未 果

2019年07月14日 | 社会・経済

日本の介護が「刑務所ビジネス」で破壊される日――内田樹×堤未果

日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡される“ハゲタカ”問題を考える(1)介護ビジネス編

内田 樹  堤未 果

文春オンライン

『人口減少社会の未来学』の編著者・内田樹さんと、話題のベストセラー『日本が売られる』の堤未果さんの初対談が実現。2018年の出生数は過去最低を記録し、人口減少に拍車がかかる今、医療、介護、国民皆保険、教育などの日本が誇る貴重な資産は、“ハゲタカ”に食い荒らされようとしている。崩壊しつつある諸制度の問題点をあぶり出しつつ、日本の未来を守るために何ができるかを語り合った白熱対談。

 

「老後2000万円」問題に隠された思惑

内田 人口減少社会で年金制度が持続できるか不安視する声が高まっています。金融庁が発表した「老後2000万円貯蓄」問題がネット上で話題になりました。麻生大臣は「報告書読まない、受け取らない」として問題をもみ消そうとしていますが、そもそも「100年安心」を掲げていたことに無理があった。この先の人口減少を考えたときに、よくこんな嘘をつけたなと思います(笑)。とりあえず「向こう15年くらいは安心」あたりを目指し、状況が変わったら、そのつど新しいファクターを取り込むことのできる、フレキシブルで復元力のあるシステムを作った方がよほど現実味があったんですけどね。

 現行の年金制度は、経済成長し続けることが前提で設計されている上に、当初より平均寿命も20年以上伸びている。あの時予想していなかった少子高齢化など、状況が大きく変わっているのにどの政権も触りたがらず、ずっと後回しにしてきましたね。恩恵を受けている高齢世代が高投票率で、しわ寄せを受ける若年層の投票率が低い状況が、この問題をさらに悪化させています。選挙前のこの時期に触るなと言わんばかりに、大臣が報告書を受取拒否して炎上する姿はまさに象徴的でした。本当は今のライフスタイルも社会制度も根本的に考え直さなければいけない、この国にとってとても重要なテーマなのに、政治的にごまかされてしまう。2007年の選挙では「消えた年金」問題が争点になりましたが、あれもうやむやのままですよね。

 

公務員だった8年間の年金記録まで消えていた

内田 消えた年金といえば、僕が大学を退職するときに総務に年金の資料をもらいにいったら、神戸女学院時代の21年分しか記録がなくて、それ以前の、会社で5年間、都立大の助手を8年間やっていた期間の支払いがすべて消えていたのには驚きました。自分で会社をやっていた5年間の年金記録が消えていたのは分からないでもないけれど、公務員時代の年金記録まで消えていたのにはびっくりしました。「どうすればいいの?」って訊いたら、「在職して年金を支払っていたという証明書をもらってきて、手続きしないとダメでしょうね」っていうんです。「でも、僕の勤めていた大学、もうなくなっちゃったんですけど……」(笑)。そういう場合はどこに行ったらいいのか訊いても、「さあ……」と言われて。冷たいもんですよ(笑)。めんどくさいので、僕、年金貰ってないんです。

 ひどい……信じられない話ですね、最後の結論が潔いけれど(笑)。「記録が消える」「統計ミス」などは国の機関にとって重大な欠陥ですが、その後も年金データの処理が下請けの外国企業に委託されるなど、ずさんな扱いをしているのが気になります。2000万問題に戻ると、あの報告書を読むと、高齢夫婦無職世帯の平均貯蓄額は2484万円と書かれていますが、平均だから当然その中に格差があり、2000万円という数字だけ見るとゾッとしますよね。厚生年金加入者が2000万円なら国民年金加入者は5000万円以上足りなくなるなど、国民が不安になったところに金融庁から「とにかく早い段階から資産形成を」と促されている。金融庁の本命はあの部分でしょう。

内田 いまの高齢者はある程度の個人資産を持ってるかもしれませんけれど、いまの現役世代が普通に働いて2000万円貯めるのは難しいと思います。定期預金の金利はほぼゼロですから、貯金してたら資産形成なんてできない。だから、あれは要するに「株や不動産を買って、投機的なふるまいをしろ」って国民を脅しつけているってことですよね。一般市民を賭場に引きずり出して来て、「さあ、張った張った」と煽っている。

 NISAの優遇措置をはじめ、政府はこれまで金融分野の法改正を進め、なかなか預貯金を移し替えない一般国民が投資しやすい環境を整えてきました。金融リテラシーは確かに必要ですが、問題は、財界や投資家と政府の距離が近すぎること。投資を促したい人たちに金融庁が協力し、そこが出した平均値が一人歩きして老後不安が煽られている。でも本来年金とは何のために存る制度でしょうか? 制度が残っても受給額が目減りしてゆく中で、安心して年を重ねられる社会にするために政治ができることは沢山ある筈です。例えば給料の大半が家賃に消えてしまう今の現状で、欧州のように高齢者や若者、母子家庭や子育て世帯への住宅支援を手厚くするだけで、かなりの負担が軽減されます。

 また、奨学金という名のローンに金融業界が参入して利益を上げ、若者が卒業と同時に背負った借金でマイナスからスタートする今の仕組みも見直すべきでしょう。女性に社会に出て活躍しろと言いながら、保育や介護の報酬を下げて、保育難民・介護難民を増やしている現状も本末転倒です。不公正な薬価の適正化と地域医療促進で老後医療費を下げる事もですし、老後の生活費を減らすための政策はいくつもある。「自己責任」で地方や個人に丸投げする前に、政治が動くことが先でしょう。

 

国民資源のストックは豊かでも、仕組みが破綻

内田 僕の見聞できる範囲だと、教育と医療はかなり危機的な状況になってきています。第一次産業の農業や林業も高齢化と後継者不足が深刻です。過疎化が進行すれば、これから先消滅する市町村も次々出て来るでしょう。でも、日本の国民資源のストックそのものは豊かなんです。そう簡単に底をつくほど浅いものじゃない。温帯モンスーンの温順な気候、きれいな大気、肥沃な土地、豊かな水資源、多様性のある動物相・植物相、国民の知的水準や遵法精神や治安の良さ、社会的なインフラの安定性……どれをとっても素晴らしいアドバンテージがあるわけです。

 ほんの20年前までだったら、日本は教育研究や医療の分野でもアジアではトップクラスだったんです。それがわずか10年ほどの間で急速に低下してしまった。でも、これだけ短期間に低下したというのは、国民の資質そのものが劣化したからではない。人間そのものはそんな短期間には変わりませんから。そうじゃなくて、資源の管理の仕方が悪かったからなんです。国民資源の本体が底をついたわけじゃなくて、それを管理し、制御する仕組みが破綻した。そのせいで、こんなことになった。だから、元に戻そうと思ったら戻せるはずなんです。

 いきなり一般化して「日本はもうダメだ」という悲観論を語るのも行き過ぎだし、逆に「日本はスゴイ、世界中が日本にあこがれている」というような無根拠な楽観を語るのも行き過ぎです。実体はその中間くらいにある。ストックは潤沢にあるけれども、それを活かすシステムが機能していない。だから、システムのうまく機能していないところは補修すればいいし、うまく回っているところはそのままにしておけばいい。別にこめかみに青筋立てて激論をするような話じゃないんです。限られたリソースをどこにどう分配するのが適切なのか、それを長期的視野で考える。それだけのことです。そのためにはまず頭をクールダウンして、自分の主観をいったん「かっこに入れて」、衆知を集めて、知恵を出し合い、「日本があと50年、100年持つためにはどうしたらいいか」について意見交換をする。

 意見交換をするためには、まず事実を正確に把握する必要があります。船が沈没しようとしている時には、「もうダメだ」と座り込むのも、「ぜんぜん平気」だと空元気を出すのも、どちらも愚かなことです。船のどこにどんな穴が開いて、どれくらいダメージがあるのか、あとどれくらい持つのか。まずそれをクールに観察しなければ話が始まらない。

 僕の知り合いにカリフォルニア大学で医療経済学を教えている方がいます。医療経済学というのは、どういう医療の仕組みをつくれば、最も安いコストで、国民の健康が保持できるかを考える計量的な学問なんですけれど、医療経済学には、医学、経済学、数学、統計学、疫学、統計学、社会学など、さまざまな分野についての横断的知識が要る。それだけの学識がないと医療や保険の仕組みについての政策提案ができない。その彼が時々日本に帰国した時に話を聞くんですけれど、この間来たときに、日本の健康保険制度についての政策提言を求めて来たのに、厚労省が持っているデータを出さないと、ずいぶん怒っていました。官僚は自分たちが行ってきた政策の適否を外部から査定されたくないので、重要なデータを隠すんです。でも、そんなことを許していては、制度の適否を吟味して、改善する道筋そのものが塞がれてしまう。

 

声をあげた官僚は異動――100年後の設計をする人の居場所がない

堤 データ隠しや改ざんなど、もはや国家の末期症状です。例えばアメリカでは公文書管理は非常に重要視されていて、トランプ大統領のツイッターに至るまですべてその対象、私のような外国人でも請求できます。「消えた年金」問題の際に福田康夫元総理が「公文書管理法」導入に尽力されましたが、実はあれは日本にとって本当に重要な法改正でした。残念ながら罰則がないという抜け穴が塞がらないままきてしまい、今や官邸が人事権まで握り「忖度」が常態化してしまったのが現状でしょう。

 100年後の日本を設計しようという人の居場所がなくなってしまったことは実に深刻なことだと思います。年金と同じで長いスパンで見なければならない林業や漁業、農業などの第一次産業や社会保障についても同様の問題が起きています。そんな法改正をするとこの先持たない、ダメになってしまうと声をあげた官僚がどんどん異動させられている。

人事権を握るトップが100年ではなく四半期でものを考える価値観に近いところにいる事は、日本全体の国益を損ねていると思います。

内田 いまの政官界には長期的なタイムスパンで国益を考えられる人がいなくなっていると思います。人口減少も、何十年も前から人口動態については正確な予測が立っていた。にもかかわらず、人口減対策をどうするかについて責任をもって対策を立てるセンターが政府内にはいまも存在しません。

 人口減に限らず、自然災害でも、パンデミックでも、テロでも、国が直面する可能性のあるリスクはさまざまなものがあります。それは別に「誰の責任だ」という話じゃない。でも、そういうことが「いざ起きた」というときに、国民の被害を最小化するためにどうすればいいかについては、事前に十分なシミュレーションはしておくべきだと思うんです。でも、「何か起きたときに、その被害を最小化するためにどうしたらいいのか」というプラグマティックな頭の使い方をする習慣が日本の役人にはありませんね。「プランAがダメだったときにはプランB。プランBがダメだったときはプランC……」というふうに二重三重にフェイルセーフを考案するという思考習慣がない。

 どうして、国難的事態に備えて制度設計をしないのか。理由はいくつか思いつきますけれど、一つは日本が主権国家じゃないからですね。安全保障でも、エネルギーでも、食糧でも、教育でも、医療でも、学術でも、国家にとっての重要分野において、アメリカの「許諾」を得られない政策は日本国内では実現しない。だから、日本では「国益を最大化するためにはどうすればいいのか?」という問いが優先的な問いにならないのです。仮にある役人が「日本の国益を最大化する政策」を思いついたとしても、それがアメリカの国益と背反するリスクがある場合は採択されない。そもそも議論の俎上にさえ上がらない。いまの日本の官僚は「アメリカが許諾するはず」ということを第一条件にしてものを考えています。でも、そうなったら、例えば、医療制度や保険制度を国益中心に考えることができない。アメリカの製薬会社や民間保険会社はアメリカの政策決定に強い影響力を持っていますから、仮に日本国民にとって最良の保険制度を厚労省の現場が思いついても、「それだとアメリカの企業が儲からない」という理由でリジェクトされる可能性がある。安全保障だってそうです。日本の安全にとってもっとも費用対効果の高い国防政策を防衛省の誰かが起案しても、「それはアメリカの軍需産業の売り上げを減らすリスクがある」と上の方で誰かが言い出したら、吟味の対象にさえならない。

 だから、いまの日本の政策は基本的に「アメリカの国益が最大化する」ことを目標に起案されているんです。そして、アメリカの国益を最大化する政策を立案し実施できる役人が出世する。堤さんがお書きになっているように、規制緩和によって日本の資産がグローバル企業に売り渡される「ハゲタカ」問題はまさにそうです。アメリカの国益を優先的に配慮できる人たちが政・官・財で指導層を占めているから、そういうことが可能になる。

「カネだけのグローバリストに日本は包囲されている」

 悲しいことに、その「アメリカの国益」に貢献した結果、アメリカ国民が幸せになるかというと決してそうではないのです。潤っているのは、「今だけカネだけ自分だけ」価値観をもったグローバリストで、一つの国籍ではなく、中国も欧州も入り混じっている。投資家たちの利害が一致したところで、各国の政府が忖度して動いているという構造ですね。中国は土地や介護ビジネスを、フランスは水を、アメリカとドイツは食を、という具合に、日本は包囲されています。

内田 海外のヘッジファンドの出資者は、国籍関係なく、世界中の富裕層ですからね。別に彼らは彼らの祖国の国益に配慮しているわけじゃない。自分の個人口座の残高が増えればどこの国がどうなろうと知ったこっちゃない。でも、彼らは日本を切り崩すときは「アメリカがそれを望んでいる」と言うのがマジックワードになることは知っている。「アメリカのため」と言えば、日本の資源は「むしり取り放題」だということは知っている。日本の国民は「宗主国であるアメリカがこれを望んでいる」と言われると、一発で腰砕けになるからです。アメリカを「入口」にしさえすれば、日本の国富をいくらでも貪ることができる。

 政官財やメディアの上層部は「アメリカのために」という名目で国富を流出させています。「アメリカの国益を最大化することが日本の国益を最大化することである」という倒錯的な国益観が日本国内では広く信じられているから、したい放題なんです。彼らの場合は、そうすることで宗主国に自分たちの属国内での高い地位を保全してもらっている。安倍政権が長期政権であり得るのは、まさにそれだけが理由です。

 アメリカにとって安倍首相は「歴代総理大臣の中で最もアメリカの国益を優先させてくれた人」ですから。アメリカとしてはできることなら彼が未来永劫日本の首相であって欲しいと望んでいるはずです。日本の国土を提供し、日本の市場を開放し、日本の国富をアメリカに流し続けてくれるんですから。

 気の毒なのは一般の日本国民です。自分たちが納めた税金が見ず知らずのどこかのリッチマンの個人資産に付け替えられてゆくのを指をくわえて見ている。怒りもしない。そこまで属国民根性が骨身にしみている。

介護分野は5つ星の投資商品

 どんなに少子高齢化が進んでいってもどうしても必要不可欠なもの――水道や食の安全、医療、介護にはビジネスとして高い値札がつきます。例えば介護分野などまさに「5つ星投資商品」です。アメリカの場合は死ぬのも自己責任なんで介護保険がない。だからみんな自分でなんとかしなきゃいけなくて、家を売ったりして老人ホームに入るんですが、月々の費用が非常に高い。入れたところで認知症を発症したりしてだいたい5年くらいで出されてしまう。この5年の回転率って、投資商品として非常に魅力的なんです。

内田 老人ホームを出されたあとはどうなるんですか?

 自宅に戻ってあとは病院か民間のヘルパーさんを自分で雇ってください、と。でも民間のヘルパーにはかなりグラデーションがあって、私が取材したひと月60~70万円払って来てもらう例から、時給5ドルで無資格の不法移民がすごくブラックな状態で働かされている現場まで、さまざまです。たとえばメディケアで賄える月20万ぐらいの老人ホームに入れたとしても、コストカットでひとりのヘルパーさんが50人見ているような状況なので、本当に悲惨です。放置されたり、点滴のミスなどとにかく事故が多い。命の沙汰は金次第で、訴えたところで企業弁護士がついてるので絶対勝てません。運営会社はレイヤー構造になっていて本社は海外にあったりし、責任の所在がわからないんですよ。勿論これが全てではないけれど、「死ぬのは自己責任」の社会は本当に両極端で、あれは日本人から見るとショックな光景ですね。

 事の起こりはクリントン政権で、これから高齢化社会だから老人ホームを作る補助金は政府が出すと無担保融資をはじめてから急に乱立していった。政府公金を元に巨大なビジネスに成長しました。ビジネスで一番効率がいいのは、税金に支えられる事業です。運営は企業がとことんコストカットして、利益はタックスヘイブンに本社を移して税金逃れをするというビジネスモデルが一番効率いい。この流れは日本にもすでに来ています。

 2015年に、日本で介護報酬が下げられた当時、マスコミは「不正が起きてる」と盛んに喧伝しました。悪質な介護施設があると大々的に流して、介護報酬が大幅に切り下げられた結果、国内の介護事業者が戦後最大の倒産件数を記録しました。その倒産した介護施設の多くが外資に買われていった。介護施設は不動産投資にもなるし、介護の需要そのものはこれから増えてゆく。確実に利益が出る投資商品です。

内田 国内の介護事業者を潰して、外資に差し出したわけですね。


モデルは「時給20円」の刑務所ビジネス

 私が行った介護分野の投資セミナーでは、「絶対に利益が出る優良投資です、人件費は抑えてサービスもミニマム。回転率は最速で!」などという話がされていてゾッとしました。でもセミナーは大盛況でしたよ、何せ5年で回転、年間2回の高配当ですから。

 これね、民営化した刑務所と同じビジネスモデルなんです。『ルポ 貧困大国アメリカ2』の取材でびっくりしたのは、政治家が「刑務所作ります」と公約に掲げると当選しやすいんですね。刑務所があると壁の外は静かで警備体制が拡充される上に、各自治体も助かりますから。

 ただし、不動産に出資すると必ず店子がいるでしょう?

内田 囚人を切らしちゃいけないわけだ(笑)。

 その通りです。そこで政治家はどうすると思います? 厳罰化するんです。例えば「スリーストライク法」といって、3回警察に捕まると3回目がたとえ駐車の違反切符でもスリーストライクアウトで終身刑になるという恐ろしい法律があります。そうすると店子は永住してくれる。実際、稼働率が200パーセント超えてますという信じられない場所もあって、取材に行ったら4段ベッドにぎゅうぎゅう詰めでした。囚人ひとりあたりに州から補助金が出ますから、店子を詰め込めば詰め込むほど、不動産としても利回りが高くなる仕組みです。

 そして、店子がそんなにいっぱいいるのに遊ばせておくのはもったいない――。かつて自国のアメリカ人を使っていた企業は次に人件費削減で派遣社員を使うようになりました。でも派遣社員でもまだ高い、じゃあ移民を使おうとなり、いまはその先に来ていて、時給20円くらいで囚人を使います。

 一般国民なら労基法で守られるけど、囚人はその圏外。だから、たとえばパソコンのHDの最終段階の廃棄作業ってけっこう危ないし、危険な薬品の破棄なども、通常なら自治体の環境規制に引っかかるところが、刑務所内だと法の外なんです。だから経営者にとって刑務所は最高のビジネスツールですね。

 その同じビジネスモデルが、病院、介護施設に入って来ている。実際、3年ぐらい前に日本にも病院の不動産リートというのが商品として入ってきました。

内田 どういうふうに?

 いま日本の自治体病院ってほとんど赤字じゃないですか。その不動産に出資してもらいなさい、そうすれば黒字になります、と。当然、医師会はすごく反対しました。日本は医師法で営利目的の運営が禁止されているし、医療法人のトップは原則医師または歯科医師と医療法で決められています。そしたら直接出資はできないがホールディングという間接的な形で導入してしまった。株式会社運営の病院が入ってきやすくなる素地は着々と進んでいます。その次が介護施設です。介護と移民はセットになっている。グローバリズムのなかで、高齢者も囚人も病人もみんな商品になっているわけです。

でもこうした世界的な流れはわずかここ数十年のことなんですよね。80年代にアメリカで新自由主義が出てきて、長い歴史のなかで見るとたった数十年しかないひとつのイデオロギーにこんなにも世界が食い荒らされてる。若い世代の人たちは一択しか選択肢がないように思い込まされているけど、右肩上がりに経済成長を続けなければダメだという作られた幻想から脱却し、日本のもつ有形無形の資産をいかに守るか、考えるべきときが来ているのではないでしょうか。

 

※(2)教育現場編・(3)医療編は順次公開予定です。

 

内田樹(うちだ・たつる)

 1950年東京生れ。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、凱風館館長。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『ローカリズム宣言』『人口減少社会の未来学』など著書編著多数。『私家版・ユダヤ文化論』で第6回小林秀雄賞、『日本辺境論』で第3回新書大賞受賞、2011年に第3回伊丹十三賞を受賞。近著に『街場の天皇論』『そのうちなんとかなるだろう』ほか。

 

堤未果(つつみ・みか)

 国際ジャーナリスト。東京生まれ。NY州立大学卒業。NY市立大学大学院国際関係論修士号取得。国連、米国野村證券などを経て現職。米国を中心とした政治、経済、医療、教育、農政、エネルギー、公共政策など幅広い調査報道で活躍中。多数の著書は海外でも翻訳されている。『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』で日本ジャーナリスト会議黒田清賞受賞。『ルポ

貧困大国アメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞・中央公論新書大賞を共に受賞。近著に『日本が売られる』『支配の構造』(共著)等。


 今日の天気予報、初めは午前中雨の予報が、雨はなくなり☁に・・・
ところが実際は午前中の☀、そして昼からの☂。
午前の晴れ間に、「落胆」するも、昼からの雨に大喜び。でも、まだ足りない。

アジサイが咲き始めました。長年ほったらかしでしたので花も小さいです。

オレガノの花。

ジャーマンカモミール。雨がなく大きく育っていません。

ズッキーニ。



アメリカ女子サッカー、素晴らしき選手たち

2019年07月13日 | なんだかんだ。

ハフポストNEWS

2019年07月11日 20時29分 JST

ミーガン・ラピノー「私たちのチームにはいろんな人間がいる」 W杯優勝パレードで披露した女子サッカーキャプテンのスピーチが超アツい

「今は結束する時です。この会話こそが、次のステップなのです。協力をしなければなりません。みなさんが必要です」と訴えかけた。

TÉLÉ-LOISIRS.FRスピーチするミーガン・ラピノー選手

女子サッカー史上、最多4度目のワールドカップ優勝を成し遂げたアメリカチームが7月10日、ニューヨーク市庁舎前で凱旋パレードと表彰セレモニーを行った。

そこで披露されたスピーチが、話題を呼んでいる。 

埋め込み動画
CNN
 Megan Rapinoe: “Just shoutout to the teammates… We’re chillin’. We’ve got tea sippin’. We’ve got celebrations. We have pink hair and purple hair. We have tattoos and dreadlocks. We’ve got white girls and black girls, and everything in between. Straight girls and gay girls. Hey!”
 
 選手たちは、「ワールドチャンピオン」と書かれた黒いTシャツにデニムといったラフな出で立ちでQueenの「We are The Champions」を歌ったり、優勝カップを高らかに掲げて踊りだしたりと感情を爆発させ、詰めかけた数万人のファンと喜びを分かち合った。

トレードマークのピンク色のショートカットに丸いサングラスをかけたラピノー選手は、一息置いてチームメイトやファン、そして場所を提供したニューヨーク市への感謝の言葉を述べた。

 

そして、次のように続けた。

「私たちのチームにはピンクの髪や紫の髪、タトゥーしてる子、ドレッドヘアの子、白人、黒人、そのほかの人種の人たち、いろんな人がいる。ストレートの女の子、ゲイの女の子も。ねえ!」

自身が同性愛者であることを公表しているラピノー選手のこの言葉に、会場は大いに盛り上がった。

GETTY EDITORIALスピーチするミーガン・ラピノー選手

 ラピノー選手は女性差別や移民差別、そして多様性を否定するような発言を繰り返すドナルド・トランプ大統領と真っ向対立している“モノ言うアスリート”としても知られている。

 続けて、大統領選に立候補を表明しているニューヨークのビル・デブラシオ市長の前で「大統領選に出馬するより、私たちのチームといた方がいいんじゃない」と語りかけると、市長から笑みがこぼれた。

さらに、「次のステップ」へ進むために自分たちにできることを、こう訴えた。 

私たちはもっと良くできる。もっと愛し合い、憎しみ合うのを止めましょう。

喋ってばかりいるのを止めて、もっと人に耳を傾けましょう。

これはみんなの責任だと認識しなければなりません。

ここにいる人たち、いない人たち、いたくない人たち、賛同する人たち、反対する人たちーー世界をより良い場所にするのは、私たちの責任です。

このチームはそれを背負い、自分たちの立場と発言力を素晴らしく理解していると思います。

そう、私たちはスポーツをする。

そう、私たちはサッカーをする。

そう、私たちは女子アスリート。

でも、私たちはそれ以上でもあります。みなさんも、それ以上の人たちです。

みなさんは、ただのファンではない。みなさんは、ただのスポーツを支持している人ではない。みなさんは、ただの4年に一回テレビで観る人ではない。

みなさんは、この道を毎日歩いている。

共に生きる人たちと毎日ふれ合っている。

周りの人たちのためにできることは、何だろうか?ーー家族のため、親しい人たちのためにできること。

親しい10人のため。

親しい20人のため。

親しい100人のため。

この責任が一人一人にあるのです。

この数年でたくさんの論争がありました。

私もその被害にあいました。協会との対立では、時にその原因でもありました。

謝りたいこともあります。謝らないこともありますが。

今は結束する時です。この会話こそが、次のステップなのです。

協力をしなければなりません。みなさんが必要です。

「ホワイトハウスなんか行かないよ」トランプ大統領への痛烈な一言が話題になっていた

  ラピノー選手は、これまで男子サッカーと女子サッカーの間にある大きな賃金格差について、平等になるよう是正を求めて発言してきた。

 このほか、アフリカ系のアメリカ人男性2人が警官に射殺された事件をきっかけに、アメリカンフットボールのアフリカ系選手と同じように国歌斉唱の際に起立せずにひざをつき、抗議の意を示している。

今回のワールドカップについては、サッカー雑誌のインタビューで優勝したとしても「ホワイトハウスなんて行かないよ」と堂々と宣言。

この発言にトランプ大統領は怒り心頭。

Twitterで「ミーガンは口を動かす前に勝つべき。仕事をまず終わらせろ」「ワールドカップに勝っても負けてもホワイトハウスに招待する」と怒涛のツイートを連投した。 

Donald J. Trump
 
Women’s soccer player, @mPinoe, just stated that she is “not going to the F...ing White House if we win.” Other than the NBA, which now refuses to call owners, owners (please explain that I just got Criminal Justice Reform passed, Black unemployment is at the lowest level.…

Donald J. Trump
 
....in our Country’s history, and the poverty index is also best number EVER), leagues and teams love coming to the White House. I am a big fan of the American Team, and Women’s Soccer, but Megan should WIN first before she TALKS! Finish the job! We haven’t yet....
 
Donald J. Trump
 
....invited Megan or the team, but I am now inviting the TEAM, win or lose. Megan should never disrespect our Country, the White House, or our Flag, especially since so much has been done for her & the team. Be proud of the Flag that you wear. The USA is doing GREAT!
 
  これに対し、CNNの報道番組に出演したラピノー選手は、トランプ大統領へ向けて「あなたのメッセージは多くの人を排除している。私を排除してる。私に似た人や、白人以外の人を排除している」と訴えた。

そしてトランプ大統領の「Make America Great Again(アメリカを再び偉大に)」という決め文句に対しても「(トランプは)すべての人にとって素晴らしくなかった時代に逆戻りしようとしている。ごく一部の人には素晴らしかったのかもしれない。そして今もごく一部にはそうかもしれないけどね。でも多くの米国人にとって、この世界は素晴らしくなんかない」と反論していた。

 優勝凱旋パレードでは、訪れたファンたちも、ラピノー選手の言葉に共鳴するように、ユニフォームに男女選手の賃金の平等を掲げる「EQUAL PAY」というスローガンを貼り付けるなど、メッセージ性の高い演出が目立った。

■ミーガン・ラピノー選手のスピーチ

 
 

 
アベと同じだ! 

2019年参院選を読み解く(その2) 野党連合の反攻

2019年07月12日 | 社会・経済

 

2019年参院選を読み解く(その2) 野党連合の反攻

安倍政権の危機に野党は好機をつかむのか。地域ネットワークの力が試される!

 

  Imidas時事オピニオン2019/07/12

    19年7月21日、2年ぶりの国政選挙である参議院選挙が行われます! 「2019年参院選を読み解く(その1) 安倍政権の憂鬱」 に続き、最新刊『「社会を変えよう」といわれたら』(大月書店)を上梓し、ネット上でも政治や社会情勢について鋭い考察を発信している木下ちがやさんに、参院選を考えるに当たり、わたしたちはどんな流れの中にいるのかを解説してもらいました。

 

 衆参同日選の思惑

   「完成された支配」のもとで、外交的成果を掲げて衆参同日選挙に挑み、盤石の体制を永続させる。これが「5月まで」安倍政権が考えていた戦略である。

 政治の常識からすれば、衆参同日選挙はあり得なかった。これまで統一地方選がある年の参院選では、4月の統一地方選で与党の選挙を支える地方組織は疲弊し、活動力が低下した自民党は必ず議席を減らしてきたからだ。

では、なぜ、安倍政権は同日選をもくろんだのか。参院選後の10月に予定される消費増税、その影響による景気後退、野党連合の衆議院小選挙区一本化の進展等々、今後、時間がたてばたつほど、与党にとって不利な状況になることが予想される。ならば、多少の議席を減らしてでも、いまここで打って出る方が有利という判断が、安倍晋三総理の念頭にあったからではないか。

 この選挙で与党の議席数が衆参3分の2を下まわれば、安倍総理の悲願である改憲は一時遠のく。だが安定多数確保で同日選を乗り切れば、安倍総理は「傀儡(かいらい)」の後継者をすえて院政を敷き、長期的展望で改憲を目指すことができるという思惑がある。一見リベラルだが従順な岸田文雄政調会長を総理にすえて世論を安心させるか、あるいは「令和ブーム」に乗じて総理候補に名乗りを上げようとしている菅義偉官房長官を後釜にすえ、消費増税や経済危機に対処させたうえで、あわよくば安倍総理が返り咲く、という算段である。

 だが、このシナリオに狂いが生じる。

 歴代政権をしのぐ167か国を訪問してきた安倍総理は、「外交力」で野党を引き離し、支持率を維持するという戦略を採用してきた。北方領土返還、拉致問題解決は、その集大成として、解散総選挙のカードに使う手はずだった。しかしこれらはすべて挫折し、逆に「日米安保条約の破棄」までちらつかせるトランプ大統領に、農産物輸入自由化や防衛装備品の爆買いという、大幅な譲歩を迫られているのが現状である。次なるカードの消費増税延期もまた、(萩生田光一幹事長代行に消費増税延期があるかのような観測気球を上げさせたものの)麻生太郎財務大臣と財務省の猛反発にあい、断念せざるを得なくなった。空振りを重ねた安倍総理が最後にひねりだしたのが、菅官房長官の「野党が内閣不信任案を提出したら衆議院を解散する大義になる」という野党への脅しとも取れる、干からびたカードであった。

 衆参同日選のシナリオは、「安倍政権の後継(傀儡)体制を視野に入れた基盤を築くうえで、どのような選択がベターなのか」という問題意識から組み立てられていた。そしてそれは、「令和ブーム」のもとで内閣支持率が安定しているから同日選で野党が大きく勝つことはない、という前提に基づいていた。

 だがこの前提も、思わぬかたちで崩れることになる。

 「完成された支配」が崩れるとき

 6月3日に金融庁金融審議会市場WGが発表した、退職後には2000万円が不足する可能性があるため、若いうちから資産形成をする必要がある、という内容の報告書と、それを受けての「今のうちから考えておけ」との麻生副総理の発言をめぐる迷走劇は、年金制度への不安を広げるとともに、安倍政権の支配が、完成したがゆえの機能不全に陥りつつあることを露呈させた。

 この報告書は、国民の年金不安を煽り、貯蓄性向をますます強め、消費を冷え込ませて、消費増税と合わせて景気を減速させるリスクを高めかねない。そういったリスクを回避するために、政府与党は報告書を受け止めつつ丁寧な説明をする必要があった。ところが麻生副総理、そして安倍総理を守るために、いつもの「忖度」が発動されたのだ。

 政府与党の説明は二転三転し、報告書自体を「なかった」ことにしてしまった。さらに厚労省では2000万円、経産省では2900万円といった試算根拠が報告書とは別にあることが発覚した。

もはや政府が報告書の内容を認知し、政策決定に反映させていたのは明白である。にもかかわらず、政府は6月25日、金融庁の報告書をめぐる麻生大臣の一連の発言について、「矛盾するとの指摘はあたらない」とする答弁書を閣議決定し、幕引きを図った。つまり自ら事態をこじらせていったのだ。

 もし政府が、民意の動向を見極め、金融庁の報告書をきちんと受理し、野党の予算委員会開催要求を受け入れ、その場を活用して「政府の見解とは異なる」ことを明言していれば、こうもこじれることはなかっただろう。「消えた年金記録問題」で第一次政権を崩壊させたトラウマからか、安倍総理は「金融庁は大バカ者だ」と激怒したと言われている。だがそれはもう後の祭りである。「完成された支配」のもと、事態を打開する気力と判断力を失った側近、与党幹部、官僚たちの忖度にからめとられ、わざわざ国民の反発を招く方向に突き進んでしまったのだ。

 これは、政権中枢を担う今井尚哉総理秘書官が、原発反対の民意を無視し、原発推進を強引に推し進めた結果、東芝の子会社が破綻し、三菱重工も原発輸出から撤退せざるを得なくなったのとよく似ている。日本経済を蝕む原発地獄も、変化を拒絶する「完成された支配」のもとだからこそもたらされた。年金問題をめぐる政府与党の迷走劇もまた、この支配がもたらした結果に他ならないのである。

 いまも年金問題は過熱しつづけている。6月10日の参議院決算委員会における、日本共産党小池晃議員と安倍総理の年金問題に関する応酬の動画のネット上での再生回数は、7月11日現在で690万回を超えている。6月22、23日の朝日新聞世論調査では、金融庁の報告書への対応に「納得できない」が68%にのぼった。かくして外交的成果と「令和ブーム」で参院選を乗り切るはずだった安倍政権に、思わぬ壁が立ちはだかったのである。

 このように参院選直前に至り、長く停滞してきた野党連合についに好機が訪れたかに見える。では、野党連合にこの好機を生かす潜在力はあるのか。それを見極めるためには、この2年近くにわたる苦闘の軌跡を振り返る必要がある。

 長い道のり

 総選挙告示直前の2017年10日5日の夜、東京では安倍政権に反対するデモが行われていた。およそ2000人が参加したこのデモ隊が日比谷公園から出発し、新橋ガード下横丁脇を通過した。その時、千鳥足のサラリーマンがデモ隊に向けて、振り向きざまに大声でヤジを飛ばした。「野党、いましかないだろ!」

 当時、野党は激しい再編を繰り返しており、それが有権者に期待と不安を抱かせていた。9月25日、小池百合子東京都知事は、国政政党「希望の党」の結成を宣言した。28日にはそこに民進党が合流すると所属議員の全会一致で決められた。26、27日に行われた緊急世論調査では、希望の党の支持率は13%を記録し、さらに無党派の投票先では自民党を上回っていた。

総選挙実施の風が吹くなか、与党に投票すると答えた人の合計は38%、野党と答えた人は合計29%と、政権交代の可能性もささやかれる情勢が生まれていたのだ〈以上、朝日新聞世論調査〉。

 ところが、希望の党に先行合流していた細野豪志らが、総理経験者やリベラル系議員を排除したことにより、民進系議員は四分五裂に陥る。総選挙では新たに結成された「立憲民主党」(17年10月結党)が日本共産党、社民党、自由党との協力により躍進するものの、17年末には希望の党は支持率1%台の泡沫政党に転落し、後継政党である「国民民主党」が18年5月に結成された。立憲、国民どちらにも行かないグループも生まれ、旧民進党勢力はこの大分裂の後遺症に苦しめられていくことになった。

 以後、19年7月の参議院選挙までの間、野党連合はこの分裂の傷を修復しつつ、よりリベラルな方向を目指して歩むことになった。安倍政権による切り崩し、相次ぐ保守系議員の脱落に苦しめられながらも、復活のための拠点を探す長い道のりがはじまったのである。参院選の審判を前に、野党連合は、反攻のための拠点にたどり着くことができたのだろうか。

 沖縄の攻防

〈その1〉で述べたように2018年3月から4月にかけての危機を乗り切った安倍政権は、野党連合の陣地の各個撃破に乗り出す。6月の新潟県知事選で与党系候補が勝利したことで、残された野党連合の拠点は沖縄のみとなった。

 米軍普天間飛行場の辺野古への県内移設に反対し、保守・革新を超えて結集した「オール沖縄」勢力は、14年に翁長雄志県知事を誕生させ、14年の総選挙では沖縄の4つの小選挙区で勝利し、16年の参院選でも勝利しと、着実に地盤を固めているかに見えた。ところが18年に入ると、オール沖縄は名護市長選で敗北、8月8日には翁長知事が逝去し、9月30日に前倒しされた沖縄県知事選の行方に暗雲が垂れ込めた。安倍政権はこの知事選で勝利し、野党連合の息の根を止め、辺野古への基地移設と総裁選での安倍三選を確実とすることを狙っていた。さらにこの選挙は、辺野古基地移設と同じように、世論で反対あるいは消極的意見が強い憲法改正国民投票を勝ち抜くための前哨戦にも位置付けられていた。

 オール沖縄は、翁長知事が最期にやり遂げた「辺野古埋め立て承認撤回」の判断を守り抜き、県知事選で圧倒的な基地反対の民意を示し、基地移設阻止の活路を切り開かなければならなかった。安倍政権は、ひとつの地方選では異例の物的、人的動員をかけた。SNSを最大限に活用した「フェイクニュース」の拡散を行い、かつてない情報戦を展開した。

 これに対しオール沖縄陣営は、野党統一候補・玉城デニーを擁立し、「新時代沖縄」のスローガンを掲げ、形勢を逆転させていった。そして玉城は県知事選史上最高得票で圧勝したのである。以後、オール沖縄は、市町村選挙、沖縄県民投票、衆議院補選で連戦連勝している(#1)。

 この沖縄の一連の選挙戦は、挫けかけていた野党連合に再起の手がかりを与えた。選挙戦に多数の野党政治家、支援者が投入されていくなかで、沖縄では国政レベルに先がけて野党間の協力関係が強化されていった。野党間の分裂の傷は癒され、旧民進党系勢力は基地移設へのこれまでの曖昧な立場を捨て、全野党が反対の立場を明確にしていく。沖縄は、野党連合に来るべき反攻のための試練を与えた。以後野党連合は、選挙があるたびに沖縄に結集し、原点を確認していく。参院選告示直前の7月1日には、立憲民主、国民民主、共産党の党首が沖縄県庁前に結集し、結束と参院選の勝利を誓い合ったのである。

 復活はなされたのか

 沖縄の選挙戦で分裂の傷を徐々に癒しつつあった野党連合ではあるが、2019年5月までその姿は、国民の目には揉め事を繰り返す弱小勢力としか映っていなかった。野党連合の支持者には閉塞感が広がった。この閉塞感と、安倍政権がもたらす憂鬱さこそが、「第三極」ポピュリズム台頭の土壌となったのだ。4月の大阪ダブル選挙で圧勝した日本維新の会の躍進と、同月に立ち上がった山本太郎率いる「れいわ新選組」の登場である(#2)。参院選ではこの2つのポピュリズム政党が議席を伸ばし、野党連合はまたも沈没するのではないか。このような見方に、マスコミは「6月末まで」は傾いていた。

 19年1月28日に開会された第198回通常国会では、与党により衆参予算委員会が3か月以上開催拒否され、野党連合は活躍の舞台を失っていた。この間、安倍政権、与党、そして2つのポピュリズム勢力により存在感を消された野党連合は、ふたたび地上に姿を現す機会を探る状態にあった。

 もちろんそれまで、野党連合はただ手をこまねいていたわけではない。水面下では反攻の時に向けた結束の努力が着々となされていた。

 野党間の連携の強化は、沖縄での動きと同様に、党首間の鳩首会談というよりも、地域レベルのネットワークのなかで進んでいった。その好個の事例は香川県だろう。16年参院選において、香川県は唯一共産党候補で野党一本化を果たした地域である。選挙では敗北したものの、ここで培われた信頼関係は、17年総選挙で民進系の小川淳也衆議院議員が希望の党から出馬したのに対して、共産党が対立候補擁立を見送ったことにつながる。のちに小川淳也は立憲民主党に合流し、19年の統一地方選では四国の共産党県議候補の支援にまわる。6月27日には参院選野党統一候補の支援を名目に立憲民主枝野幸男代表、国民民主玉木雄一郎代表を香川に招き、両党の結束を演出している。

 この香川県だけではなく、同じような試みが全国で大小無数に行われてきた。東京都中野区では、市民らによる地道な仲介で18年区長選では野党統一候補を勝利させ、19年区議選では自公を少数派に転落させた。島根県では社民・民主系、共産党系別々で開催されていた憲法記念日の集会を、地元の牧師の尽力もあり共同開催している。東北地方では立場を超えて震災復興に一緒に取り組んだことが信頼関係を培い、野党間の協力を促した。そしてこういった協力関係をつくりあげる上で、全国各地での反原発運動、反安保法案のデモで培われた交流が礎(いしずえ)となった。草の根の連帯が野党間の壁を壊し、分裂を修復してきたのだ。

 このように、野党連合は単なる政党間の野合にとどまらず、お互いの支援組織、支援者がより有機的に結びつき、選挙で全力を引き出せる体制が整えられてきた。

 5月29日、野党間のハブである「市民連合」の協定書に、全野党が署名した。辺野古新基地移設の即時中止、消費増税凍結、原発ゼロ、最低賃金1500円を目指す、憲法九条改定反対という一致点(全13項目あり)は、全野党がよりリベラルな方向に転回されたことを明確にした。沖縄の攻防で培われ、全国の地域で育まれた経験が、ここで実を結んだのである。

 野党連合がリベラルに転回しながら結束を固めていくなかで、立憲民主党もまた変化した。拙著『「社会を変えよう」といわれたら』(大月書店)でも論じたように、枝野率いる立憲民主党は、結党当初、希望の党から排除されたことで「アウトサイダー」の地位を得、民進党の負のイメージを払拭することで躍進を果たした。この過程で枝野はポピュリストの衣を纏い、扇動家としての地位を固めたかに思われた(#3)。

しかし、立憲民主党は野党第一党になったため、「アウトサイダー」ではなくすべての野党をまとめ上げる「公器」としての役割を担うことになった。扇動家としての突出は、立憲民主党そのものの求心力は引き上げるものの、野党間では遠心力が働くというジレンマが生まれる。「アウトサイダー」から「公器」へ。立憲民主党がこのジレンマを解消していくプロセスで、ポピュリストのカードは枝野から山本太郎に引き渡された。「山本太郎現象」とはまさに、この立憲民主党の変形プロセスの産物に他ならなかった(#4)。

 ポピュリストから「低姿勢」に転じた枝野は、野田佳彦率いる旧民進系無所属議員のグループを「緩衝地帯」に据え、国民民主党との距離を測りつつ、地域レベルのネットワークの広がりに乗じて野党間をとりまとめていった。「立憲民主党と国民民主党との確執」「共産党と連合との確執」が盛んに喧伝されていたにもかかわらず、参院選1人区の野党一本化が予想以上にスムーズに進んだのは、水面下でこのような戦略転換がなされていたからである。

 こうした持久戦のなかでつくりあげてきた野党連合がやっと姿を現したのが、6月19日の国会党首討論だ。この討論では、立憲民主党枝野代表、日本共産党志位和夫委員長が年金不足、年金不安を解消するための具体的な提案を行い、国民民主党玉木代表が安倍総理を挑発するという役割分担がなされていた。虚を突かれた安倍総理は不規則答弁を繰り返した。硬軟織り交ぜながら批判とともに具体的な提案を国民に投げかけるというこの連携プレーは、野党がこれまで以上の結束で参院選に挑むことを予感させた。

ただそれは予感にすぎない。野党連合が、この安倍政権の危機を利用して好機に転じることができるかどうかは、これまで積みあげられてきた地域ネットワークの力が、十分に引き出せるかどうかにかかっているからだ。いま問われているのは野党連合のリーダーシップと、民主主義の再生を願う人々がどれだけこの選挙戦に――ネット上だけでなく――直接足を運び、参加するかである。

「もう少し楽観的な希望」は取り戻せるか

 6月24日に公表されたNHK世論調査では、安倍内閣の支持率は2週間前と比べて6%下落した(支持率42%)。今回改選される参議院議員は、2013年に選出されたわけだが、参院選1か月前のNHK世論調査における内閣支持率は62%(*)であり、現在はそれより20%も低い。自民党の支持率も13年の41.7%(*)から19年の31.6%と、10%低下している。しかも13年参院選は、1人区での野党一本化はなされていなかった。NHK世論調査は「与党の議席が増えたほうがいい」21%、「野党の議席が増えたほうがいい」30%と、野党に対する潜在的な期待が高まりつつあることを伝えている。

 野党連合はこの好機をつかみとることができるのだろうか。それとも再び敗退し、分裂の危機に陥るのだろうか。参院選は政権交代選挙ではないので、野党連合が勝利しても安倍政権の崩壊には直ちには結びつかない。しかしながら、この1年あまりの間につくりあげられてきた、安倍政権の憂鬱な「完成された支配」を突き崩し、次なるステップを切り開くことで、中島京子が〈もう少し楽観的な希望〉(「論座」19年6月16日)を抱くことができた以前の状況を取り戻すことはできるはずだ。

 G20におけるトランプ大統領の「日米安保条約は不公平であり、見直すべきだ。安倍総理はそれに理解を示している」といった発言。そして翌日6月30日の朝鮮半島の非武装地帯における電撃的な米朝韓首脳会合は、この国がいま置かれている本当の立場を明らかにしてしまった。これだけ、世界は変わり、東アジアも変わっているのに、気が付くと日本は「蚊帳の外」に置かれていた。安倍政権は「日本は変わらない、変わらなくていい」とひたすら国民に説き続けてきた。だがそれは目前の危機を先延ばしにし、ただ政権を維持するための「時間かせぎ」に過ぎなかったのだ。

 冷戦終結後、グローバル化が進むなかで、人々が何とか「変わろう」とした時期はあった。1度目は、自社さ連立政権(村山富市内閣)のもとで、2度目は、民主党政権のもとで。いずれも大震災があり、ボランティアが活躍し、デモや集会への市民参加が進んだ。アジア諸国への侵略と植民地支配の歴史に向き合おうともした。安倍政権はまさに、この2つの政権のもとでの人々の挑戦を否定し、「悪夢であった」と刷り込むことで、自らを正当化してきた。

わたしたちがもし現状を打開し、前に進みたいならば、安倍政権がなきものにしようとした過去の挑戦を取り戻さなければならない。ささやかではあるがかけがえのないこの経験と記憶をいま思い起こす必要がある。

 この国が抱える問題は山積している。解決を諦めてやり過ごすのか、それとも希望を捨てず、わたしたち自らが危機を乗り越えていくのか。この選択が問われる参議院議員選挙の投開票が、目前に迫っている。


 つい先日、「与党圧勝」のニュースが駆け巡ったばかりであるが、今度はその反対になってきたようだ。
今、ここで「変化」を求めないなら、将来に重大な禍根を残すであろう。
「アベノミクス」は格差拡大の政策であり、大企業、富裕層をますます支援し、貧困層からさらに搾り取る。「お友達」ではないといわれているのになぜ支持するのか!

昼過ぎ、ほんの少しの雨。お湿りにもならない。これから明日朝にかけて、どうなるやら?今の時間も雨のはずなのだが・・・。

キツリフネソウ。


「強い経済」その実態は…

2019年07月11日 | 社会・経済

<参院選 くらしデモクラシー>首相「バブル期超え 最高税収」PRするけど… 主因は消費税 所得税は減収

東京新聞 2019年7月11日 朝刊

 安倍晋三首相が参院選の演説でアピールする「過去最高の税収」が話題だ。「経済を強くした」という実績を訴えているようだが、専門家からは「安倍政権下で消費税率を8%に上げたことを忘れているのか」といぶかる声が続出。過去最高の税収の実態はどうか。 (小倉貞俊)

 参院選公示日の四日、安倍首相は福島市で臨んだ第一声で「経済を強くしていけば税収だって増えるんですよ。税収は今年、過去最高になった」「あのバブル時代も超えたんです」と左手を広げて強調した。

 確かに、財務省が二日に発表した二〇一八年度の一般会計決算概要では、税収総額は六十兆三千五百六十四億円と、二十八年ぶりに過去最高を更新。ピークだったバブル期の一九九〇年度(六十兆一千五十九億円)を超えている。

写真

 これは「強い経済」によるものなのか。内訳を見てみると、消費税収入が増えた半面、所得税と法人税はむしろバブル期よりも減っていた。九〇年度と比べると一八年度の法人税と所得税は六兆円ずつ低く、低所得者ほど負担が多くなる消費税は十三兆円も増加。税収の構成比は、四割だった所得税収が三割にまで落ち、一割に満たなかった消費税収が三割を占めるまで膨らんだ。

 バブル期と違うのはそれぞれの税率だ。所得税は最高税率が九〇年の50%から45%に、法人税も37・5%から23・2%に引き下げられた。逆に3%だった消費税率は8%にまで引き上げられている。

 第二次安倍政権が発足した一二年度と比較すると、税収の伸び率は所得税が四割強、法人税が三割弱だが、一四年に5%から引き上げられた消費税は七割の増加となっている。税収増は消費税頼みの実態がある。

 実際、一日発表の企業短期経済観測調査(日銀短観)では、大企業・製造業の業況判断指数が二期連続で落ち込んでいる。同じく一日に内閣府が発表した、消費者心理を示す消費者態度指数は九カ月連続で悪化しており、個人消費も冷え込んでいる。厚生労働省の九日の発表では、実質賃金も五カ月連続で前年同月比を下回っている。

 政治ジャーナリストの鈴木哲夫さんは「統計不正をはじめ、安倍政権と関わる数値、データは根本的に問題が多い。数字自体は間違っていなくても、都合の良いところだけをPRする傾向がある」。安倍首相がこの選挙戦で、実質的な年金水準は減っているのに、本年度の年金支給額を0・1%増額させたと訴えているのも、その一つという。「そもそも消費税の増税は、不足する社会保障費に充てるのが本来の目的だったはず。それを『税収が増えた』などと自慢するならおかしな話だ」と話した。

 経済ジャーナリストの荻原博子さんも「大企業や富裕層が受ける減税の恩恵を、消費税が穴埋めしている。総所得が増えてはいるが、働かざるを得ない人が増えただけで、一人一人が豊かにはなっていない。安定して徴収できる消費税は不況にも強く、政権にとって都合がいい。『過去最高の税収』とは言葉のマジックにすぎない」と批判する。


 金土日と傘マークがついた。でも大した雨ではなさそう・・・。最近の予報は当たらないので何とも信用しがたい。

ミニトマトが赤くなった。今日、早々お客さんが・・・。まだ売るほどないですよといっても数粒でもいいと6粒お持ち帰り。もちろんお代はいただきませんでした。

ホーズキも色づいてきました。

バラの花3月に1輪いただいて花が枯れ始めてから挿し木したもので、品種も何もわかりません。

オクラ。

無農薬のサクランボ。今年はたくさん食べました。

ニワフジというものらしい。

どうか雨が降りますように!!!


4割超の人が最低賃金水準で働く現実。最賃はもはや家計補助賃金ではない

2019年07月10日 | 社会・経済

4割超の人が最低賃金水準で働く現実。最賃はもはや家計補助賃金ではない

2019/07/08 08:33ハーバー・ビジネス・オンライン

 

◆最低賃金をめぐる従来の「常識」
 この間、最低賃金をめぐる議論が活発化している。政府は全国平均で時給1000円を早期に達成することを目指すとしており、また今年に入ると自民党内部で最低賃金の全国一律化を検討する議員連盟が発足した。さらに労働運動のなかでも、数年前から最低賃金1500円を目指す動きが出てきている。

 そんな中、2019年6月13日日本経済新聞「最低賃金『早期に1000円』の是非」と題する記事中で日本商工会議所会頭・三村明夫氏のインタビューが掲載された。三村氏はそこで、最低賃金の全国平均時給1000円の早期達成という政府方針のためには年5%の引き上げが必要だろうとしながら、2018年度の名目GDPの成長率や物価上昇率が1%未満であること、ここ数年の中小企業の賃上げ率は1~1.4%であることをあげながら、政府方針の引き上げ幅は大きすぎるとして批判している。

 また、その中で最低賃金は一部の労働者にしか影響せず労働者生活に大きな影響を与えないといった趣旨の発言もしている。

「最低賃金で生計の全てを賄っている家庭はあまりいないだろう。例えば一家で主婦がパートで働くときに最低賃金の対象になることがある」

 本記事で問題にしたいのは三村氏のこの発言である。これは、最低賃金の従来の「常識」を見事に反映している。

 ところで、筆者は2000年に結成された首都圏青年ユニオン(以下青年ユニオンという)という労働組合の事務局次長として不安定な労働者の労働問題の改善に取り組んでいるが、三村氏の発言が表現するような「常識」的な最低賃金観は、筆者が青年ユニオンのなかで出会う労働者の日常と著しく乖離している。本記事では、三村氏の上記の発言を切り口として、従来の「常識」的最低賃金観と現実とのズレを明らかにしたい。

◆「常識」的最低賃金と最低賃金付近労働者の激増
三村氏の発言では以下のことが前提されている。

(1)男性正社員である夫とその夫に養われる主婦パートという家族構成は標準的である
(2)男性正社員は最低賃金に影響されない高い賃金をもらっている
(3)最低賃金に影響を受ける労働者は、男性正社員の高賃金を補助するために、すなわち「家計補助」のために働いているに過ぎない。

 まとめれば、最低賃金の影響は、男性正社員に養われており家計補助として働く主婦パートなどに限定されるというものである。これは従来の「常識」的な最低賃金観であった。この「家計補助賃金としての最低賃金」という「常識」的な最低賃金の位置づけは、最低賃金を生計費(人並みの生活を送るための費用)以下の水準に抑制し続けている。

 しかし、「最低賃金=家計補助賃金」という図式は何重にも実態と不適合なものとなっている。その不適合を最も明白に示すものは、最近の最低賃金付近労働者の激増である。

 

出典:後藤道夫「最低賃金1500円は社会をどう変える」、後藤道夫他編『最低賃金1500円がつくる仕事と暮らし』大月書店、2018年、17頁

図表1は、5人以上の企業で働く労働者における最低賃金付近労働者の割合を見たものである。これを見ると、最低賃金5割増しの賃金水準未満で働く労働者の割合は、2001年には20.3%であったが、2017年には40.5%に激増している。

 また、図表2は最低賃金の改定額の目安を審議する中央最低賃金審議会「目安に関する小委員会」に提出された資料である。東京で働く労働者の賃金分布と最低賃金額との関係が分かるようになっているが、2006年から2017年にかけて最低賃金額が多数の労働者の賃金に影響する位置に移動していることが明白である。

 

出典:「中央最低賃金審議会目安に関する小委員会資料」2018年2007年

三村氏は「例えば一家で主婦がパートで働くときに最低賃金の対象になることがある」など一部の労働者にしか最低賃金が影響しないかのように言うが、いまや最低賃金付近で働く労働者は「標準」となったと言ってよく、多くの労働者の賃金水準に影響を与える制度となっているのである。

 このような最低賃金付近労働者の激増は、最近の最低賃金額の引き上げに加えて、(1)最低賃金付近正社員の増加と、(2)非正規労働者の増加によって引き起こされている。これによって、労働者の家計と最低賃金との関係も大きく変わっている。以下では、その実態をやや詳しく見てみよう。

◆「正社員は最低賃金と無関係」は誤り
 青年ユニオンの組合員であり埼玉県で美容師として働く金島さん(仮名)は勤続4年目の男性正社員だが、給与は額面で月22~23万円程度。月23万円だとしても、その中には24時間分の残業と2日の休日出勤が含まれており、月給を時給換算すると950円未満となる。埼玉県の現在の最低賃金は898円であり、最低賃金付近労働者であるといえる。

 金島さんは現在パートナーと同居中だが、パートナーも同様の給与水準の正社員であり、最低賃金が彼ら彼女らの生計を支えているのは明白だ。

 最低賃金制度自体はもちろん月給制の正社員にも適用される。月給を実労働時間で割って時給換算したものが最低賃金を下回っていれば最低賃金法違反となる。しかし従来、「常識」的には、正社員は年功賃金と長期雇用が保障され、最低賃金には影響されないほど高水準の賃金をもらっていると考えられてきた。しかしこの間、金島さんのように最低賃金付近で働く正社員は増加している。

 

 

出所:就業構造基本調査より作成

 図表3は、30代前半の男性正社員の所得分布であるが、1997年の段階では400-499万円のところに最も多くの労働者が集中しているのに対して、2012年には300-399万円にピークが移動しており、また200-249万円にも小さな山ができている。全体として左側に分布が大きく移動していることが分かる。

 その結果、最低賃金付近の正社員が増加している。正社員の中で、東京の最低賃金3割増し水準以下の賃金で働いている労働者の割合は、2007年には5.7%であったが、2017年には17.8%と3倍以上となっている(後藤、同上、18頁)。正社員のうち6人に1人以上が最低賃金付近の賃金で働いているのである。こうした最低賃金付近正社員は、最低賃金の大幅な引き上げに応じて賃金が引きあがる可能性が高い。最低賃金は正社員と無関係であるとは到底言えない状況が広がっているのだ。

◆「非正規労働者=家計補助的労働者」は誤り
青年ユニオンの組合員である黒田さん(仮名)は、一人暮らしの30代女性だ。契約社員として最低賃金水準の時給をもらいながらフルタイムで働くが、それだけで生活を送ることは困難であり、他に2つの仕事を掛け持ちしていた。トリプルワークをしていたことになる。

 結果として超長時間労働となり、ある日突然布団から起き上がることができなくなった。病院にかかると精神疾患にかかっていると診断された。

 黒田さんは非正規労働者であるが、誰かに養われながら家計の補助のためだけに働く「家計補助非正規労働者」ではなく、生計の主たる担い手である「世帯主非正規労働者」だ。しかし、最低賃金が「家計補助賃金」として生計費以下に抑制されているため、黒島さんはトリプルワークをしないと生活費を捻出できず、その結果としての超長時間労働が黒島さんの身体・精神に大きな負担を強いたのである。

 

 

出典:後藤、前掲書、22頁より

その多くが最低賃金付近で働いていると思われる非正規労働者は90年代後半から激増しており、現在では4割弱の労働者が非正規労働者である。それに伴い、非正規労働者のなかで「主婦パート」はもはや少数派となっている。

 図表4は、学生アルバイトを除いた非正規労働者のうち、有配偶女性(「主婦パート」と考えられてきた労働者層)とそれ以外(無配偶女性+男性)の推移を見たものである。1997年には有配偶女性非正規が636万人でありそれ以外の非正規が596万人であったが、2017年には有配偶女性は940万人であるのに対し、それ以外の非正規は1012万人と有配偶女性の非正規労働者とそれ以外の非正規労働者の数が逆転している。非正規労働者の多くが最低賃金付近で働いていると考えられるが、その非正規労働者の多数派はもはや「夫に養われている主婦パート」ではないのである。

 さらに付言すれば、正社員の低賃金化と非正規労働者の激増は、いわゆる「主婦パート」や学生アルバイトなど従来の「家計補助労働」の家計における位置づけを著しく高め、家計にとって欠かせない収入源となっているケースは増えている。もはや「家計補助労働」ではなく、労働者の家計の大きな部分を支えるものであると認識すべきだろう。

 したがって、(1)最低賃金付近正社員の増加、(2)家計補助型でない非正規労働者の増加によって、「最低賃金=家計補助賃金」という位置づけは何重にも現実と合致しなくなっているのである。

◆「正社員男性に養われる主婦パート」家族モデルの危険
三村氏は「正社員男性に養われる女性」という家族モデルを標準的なものとみなしているように思われる。これは、女性労働者を「男性に養われている/養われるであろう労働者」としてその雇用を不安定にし、また賃金を抑制してきた。その結果、シングル女性をワーキングプア状態にするとともに実質的に男性に養われることを女性に強制した。

 例えば、AEQUITAS(エキタス:ギリシャ語で公正・正義という意味)という最低賃金1500円を目指す市民運動団体がツイッター上で「最低賃金1500円になったら」というキャンペーンを行った際には「最低賃金1500円になったら離婚する」という声が見られた。シングル女性として生きることが黒田さんのような低賃金過重労働の生活を意味するとすれば、男性に養われることを選択することへの強制力が働かざるを得ない。女性が自由になるには、また両性の平等のためには、「家計補助賃金としての最低賃金」という「常識」を打破し、「生活賃金としての最低賃金」を実現していく必要があるだろう。

◆「生活賃金としての最低賃金」を
 これまで「最低賃金は主婦パートなど限定的な労働者にしか影響を与えない」「最低賃金=家計補助賃金」といった「常識」について検討してきた。明らかになったのは、正社員の低賃金化と非正規労働者の激増により、最低賃金が労働者生活にとって非常に重要な制度となってきているという実態である。にもかかわらず、最低賃金の金額はいまだ「家計補助賃金」の水準を出ておらず、労働者生活に様々な困難を生み出している。求められるのは、「生活賃金としての最低賃金」、すなわち、「最低賃金によって人並みに生きていく」ことを可能とするための最低賃金制度の改良である。

 では「生活賃金としての最低賃金」の水準とはどの程度のものになるべきであろうか?

 このような疑問に答えるため、現在労働組合によって生計費調査が行われている。都道府県ごとに単身者の生計費を明らかにしようというものである。そこでは、全国どこでも、単身者の労働者の生計費は公租公課など含めて月額22~25万円となっており、月の労働時間を155時間とすると時給は1400~1500円必要であるという結果が出ている。また、AEQUITASは「最低賃金1500円」を求めて路上での活動を行っている。筆者もこうした主張に賛成である。「全国一律最低賃金1500円」の実現を本気で目指すべきだろう。

 また、賃金の引き上げの方法としては、最低賃金制度の引き上げなど法律に定められた制度によるものだけでなく、労働組合と使用者との「団体交渉」(使用者と労働組合・労働者との話し合い労働組合には団体交渉権が保障されており、使用者は労働組合からの団体交渉の申し入れを原則として断ることができない)による引き上げという方法もある。最近、首都圏青年ユニオンの組合員から「いまの賃金は安すぎる」と言う不満が相次いでおり、使用者との団体交渉によって賃上げを実現した例もある。筆者としては、最低賃金制度と団体交渉による最低賃金付近労働者の賃上げが急務であり、またそれは不可能ではないのだということを強調したいと思う。

<文/栗原耕平>

【栗原耕平】
1995年8月15日生まれ。2000年に結成された労働組合首都圏青年ユニオンの事務局次長として労働問題に取り組んでいる。

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賃金5カ月連続減 5月、名目・実質とも

  

東京新聞 2019年7月9日 夕刊

 厚生労働省が九日発表した五月の毎月勤労統計調査(速報、従業員五人以上の事業所)によると、基本給や残業代などを合わせた一人当たりの現金給与総額(名目賃金)は前年同月比0・2%減の二十七万五千五百九十七円だった。物価の影響を加味した実質賃金は1・0%減で、名目、実質ともに五カ月連続のマイナスとなった。

 厚労省は「一月に抽出調査の対象事業所を一部入れ替えた結果、賃金水準の低い事業所が増え、前年よりも低くなっている」と分析している。

 現金給与総額のうち、基本給など所定内給与は二十四万三千二百八円で0・6%減少した。残業代などの所定外給与は0・8%増、賞与などの特別に支払われた給与は2・5%増だった。

 就業形態別に見ると、一般労働者の現金給与総額は0・3%増の三十五万五千六百四十三円。パートは五月の大型連休の影響で2・2%減の九万六千二百七十五円だった。パートの時間当たり給与は千百六十円で2・2%増えた。



<’19参院選>9条改憲 戦後平和主義の岐路だ

2019年07月09日 | 社会・経済

 

東京新聞社説  2019年7月9日

自民党が争点と位置付ける憲法改正にどう向き合うか。九条に自衛隊の存在を明記すれば、戦後日本の平和主義は変質する恐れがある。有権者は改憲の要・不要やその影響を熟考し、投票したい。

 九条改正を含む改憲四項目について、自民党が条文イメージをまとめた上で国政選挙に臨むのは初だ。党総裁の安倍晋三首相は九条への自衛隊明記を「防衛の根本」と明言。「自衛隊違憲論争に終止符を打つ」と意気込む。

 しかし、国民の間でそんな論争が起きているのだろうか。

 内閣府が昨年行った世論調査では、自衛隊に「良い印象を持っている」が約九割。共同通信社による直近の世論調査では、安倍政権下での改憲に「反対」が50%なのに対し「賛成」は35%にとどまる。国民の多くは、現状のままの自衛隊を受け入れている。

 安倍氏は自ら「二〇二〇年の新憲法施行」を表明して、自己目的化しているだけではないか。

 安倍政権では、現行憲法の下でも集団的自衛権の行使容認、安全保障関連法制定で自衛隊による米軍の後方支援が地理的制限なく可能になった。巨額な米国製装備の導入や護衛艦の事実上の空母化など、自衛隊と米軍との一体化や専守防衛からの逸脱も進む状況だ。

 この上、憲法に自衛隊の存在を明記するとどうなるか。

 自民党案では、九条には国と国民を守るため「必要な自衛の措置をとる」として「自衛隊を保持する」との条文を加える。「自衛の措置」の明文化は、集団的自衛権の行使を正式に認めるとも解釈できる。違憲の疑いがある安保法を合憲化し、自衛隊の活動を無制限に拡大する危うさをはらむ。

 現行の一、二項は残すとしても、戦力不保持、交戦権否認という平和憲法の土台は大きく揺らぐことになろう。

 公明党は九条改正について「慎重に議論」とあいまいだ。一様に改憲勢力とみなされていいのか、態度を明確にすべきではないか。

 日本維新の会を除く主要野党四党は、九条改正に明確に反対している。自民党改憲案の問題点をより分かりやすく訴えかけてほしい。

 自民党が参院で改憲の国会発議に必要な勢力を確保するには、公明、維新を含め改選百二十四議席中八十五議席が必要となる。

 「高いハードル」ではあるが、それを越える議席を改憲派に与えるか否かは有権者の判断次第だ。


昨日もそうだったが、今日も遠くで雷が鳴っていた。「お~い、こっちへ来いよ!」とむなしい叫び。
沼の水は減り続け、ジュンサイを取りに行くボートを水面までもっていくことができない。今年は収穫できないかもしれない。

看板を作りましたので、遊びに来てくださいね。

また、ハスカップ摘みに。500g600円。安い安い。

オオウバユリ



「社会主義」とはなにか?「共産主義」とはなにか?

2019年07月08日 | 社会・経済

堤 未果 著 『日本が売られる』あとがきより。

 経済が、国家の枠をはみ出して暴れまわっている。

 たとえマネーが支配する強欲資本主義でも、これに代わる制度はないと、私たちは長い間刷り込まれてきた

 共産主義や社会主義は機能しないだろう、資本主義は完全ではないかもしれないが、現時点での選択肢はこれしかない、バージョンアップしてゆくしかないのだと。

 

 今回の参議院選挙で、安倍首相は「強い経済」を前面に打ち出してきている。それは「世界で一番経済活動がしやすい国造り」であり、より一層、大企業の横暴を許し、労働条件の「悪化」を意味するものだ。

 マルクスによって唱えられた社会主義・共産主義への道。「空想的社会主義」は「科学」になったといわれる。しかし、それを正しく理解する者はいなかった。だからそれは「絵に描いた餅」とまで言われるようになってしまい、ソ連は崩壊し、中国は「強権」によって体制を維持しようとしている。

 それにしても、この「強欲資本主義」に嫌気がさし、「社会主義」を模索する発達した資本主義諸国の若者たちがいる。目指すは「ソ連」でもなく、「中国」でもない新たな「社会主義」社会。

 自分たちの星が流れ去っていくかもしれないときに手を打たない大人たちに怒りを表す児童・学生たち。

そんな時に次代を担う若者たちに幾ばくかの「希望」を与えられたらいいのだが・・・

「論考」をこちらに掲載させていただきました。

哲学、経済学、等、専門的知識も必要ですが、あまり気にせずにとりあえず読んでいただけたらと思います。

https://blog.goo.ne.jp/mooru1949/s/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%BF%E7%B6%B1%E9%A0%98

 

「社会主義」とはなにか?「共産主義」とはなにか?

そしてその道のりは?

 

 


ひきこもるおとなたちと「自己有用感」

2019年07月07日 | うつ・ひきこもり

Imidas 連載コラム 2019/07/05

   香山リカ(精神科医・立教大学現代心理学部教授)

 

「俺の人生は何なんだ」

 この言葉に反応して、私の診察室に通う何人かがメンタルの調子を大きく崩した。

 これは、6月1日、東京都練馬区で、父親である元農林水産事務次官に刺殺された44歳の長男が発した言葉と報じられている。ひとり暮らしをしていたマンションから5月25日に本人の希望で実家に戻った長男は、翌日にはこう叫びながら父親に暴力を振るったという。

 私もこの言葉の意味を、あれからずっと考えている。

   息子を殺害した父親は取り調べに対して、実家に帰ってきてからも「和室に布団を敷いてゲーム」ばかりの長男を見て、「周囲に迷惑をかけたくないと思った」と話しているという報道があった。ひきこもりの状態で身近な人に暴力を振るう長男を目の当たりにして、今後、他人に暴力の矛先を向けるのでは、と危惧してついに殺害に踏み切ったのではないか、といわれる。

 そして、この父親に影響を与えたのは、5月28日、川崎市登戸で起きた殺傷事件だ。

事件後にその場で自殺した容疑者の男性は、スクールバスを待っていた小学生や保護者らに次々と刃物で襲いかかり、被害者20人のうち2人が死亡した。男性は51歳で無職、ほとんど外出することもなく、80代の伯父伯母夫婦の家に閉じこもって暮らしていたと報じられた。

 一方は殺害された被害者であり、一方は罪のない人の命を奪った加害者である。ただ世間から見れば、どちらも「仕事もせずに親や親族のケアを受けながら、ひきこもり生活を続けてきた人」である。また、川崎のケースでは他人が攻撃の対象となったが、練馬区のケースでも親は暴力を受けていた。

「経済的な苦労もしていない40~50代が、何が不満で他人や身内を攻撃したり暴力を振るったりするのか」と、疑問に思う人も多いだろう。

 しかし彼らはおそらく、自らのひきこもり生活に満足していたわけではなく、いまの状態や自分への激しい怒り、将来への不安、あせりや絶望感でいっぱいだったはずだ。練馬区のケースでは、それが冒頭の「俺の人生は何なんだ」という言葉につながったのだろう。

 もちろん、どのような理由があったにしても、それを暴力という形で発露させることが許されるわけではない。ましてはその暴力が無関係な他人に向かうことは何としても止めなければならず、家族の不安や苦悩はいかばかりだったかと思う。

とはいえ、診察室には彼の言葉に共鳴し、動揺する人が多くいたのも事実だ。

「今の自分に満足していないなら、何でもやって働けばいいじゃないか」という声も聞こえてきそうだ。しかし、ひきこもり生活が長引けば長引くほど、「もう失敗はできない」という気になる。ただ、一念発起してネットで職探しをしても、資格も経験もないまま40代、50代になった人への求人は少なく、当然、条件もよくない。それを目にするとプライドもある彼らは、「この年でいまさら単純な作業はできない」と絶望の念を深めるだろう。「どうせやるなら、親や周囲の人があっと驚き“さすが”と感心してくれるようなことをしたい」という気持ちもある。働くことや外に出ることのハードルはどんどん高くなる一方だ。

 では、彼らの就労や外出を阻んでいるのはその「高すぎるプライド」なのか、というと、実はそれだけではない。この人たちの多くは、「自分にはスキルもそれほどの実力もない」ということをよく知っている。「ひとに好かれるはずもないダメ人間なのだ」と必要以上に自己を卑下している人さえいる。

「このままじゃいけない、やるなら特別なことを。まだできるかもしれない」というかすかな特権意識やほんのわずかの万能感と、「でもどうせできない。自分はふつう以下だ」という大きすぎる劣等感や疎外感。この両極に心が引き裂かれ、瞬間瞬間で振り子が振揺れては、それに振り回されて自分の不安定さに自分でも疲れきっている。これが多くのひきこもりの人たちの心境だ。

そして一方で彼らの中では、「働くこと」の意義も薄れている。

 ひきこもり生活が20年、30年と続いてしまったということは、逆に考えればぜいたくさえしなければ、なんとかそれを許すだけの経済力が扶養する側にあったということだろう。例えば練馬区のケースでは、長男は毎月、ネットゲームにかなりの金額を使っていたともいわれている。親はもちろん喜んで支払っていたわけではないだろうが、それをまかなっていたことは事実だ。

「働かなくても生活できるのに、どうして今さら時給900円のアルバイトに行かなければならないのか」と、引きこもる子の側が「働くこと」に意義を感じられないのも、ある意味で当然かもしれない。ひきこもりが高齢化してくると、親はよく「ウチにはもうお金が一銭もない」とか「私たちが死んでも遺産はまったくない」などと言い出すだが、子の側はそれが事実なのか脅しにすぎないのかを敏感にかぎ分けて、後者の場合は親の不正直さにさらに怒りをつのらせることもある。

 いますぐ働かなくとも、親の家にいれば生活はできる。親が死んだあとは、遺産で暮らしていくことはできそうだ。だとしたら、どうして仕事をしなければならないのだろう。

倫理学者の大庭健氏は、2008年の著書『いま、働くということ』(ちくま新書)で、「何のために働くのか」という問題にいろいろな方向から検討を加えている。そして、人と協調しながら苦労して仕事をやりとげたときの「特有の安堵」に注目するのである。それは「趣味の場合と同じではない」として、大庭氏は次のように言う。

「自分の仕事が、回りまわって、直接には顔の見えない人々のいのち/生活の再生産に役立ってもいる、ということを実感できたとき、私たちは、仕事の喜び・仕事への誇りを感じる。」

これを心理学の言葉で言えば、「自己有用感」となるのかもしれない。自己有用感とは、「自分の属する社会や集団の中で、自分がどれだけ役に立つ存在であるかということを自分自身で認識すること」を意味する。

 たしかに、大庭氏の語るような実感を仕事を手にして得て、自己有用感を認識できれば、報酬の額とはまた別に、私たちは「生きててよかった。仕事をしてよかった」と思えるだろう。ひきこもりの子に対して親が「働いてほしい」と思うのも、それが基本にあるからではないだろうか。ただ食べて、寝て、ゲームなどをしながらイライラしてすごすのではなくて、人の中で何かをやり遂げ、「自分は顔の見えない人々の役に立っている」という手ごたえを得てほしい。親はそう願っているのだ。

 しかし、すぐ想像がつくように、「その実感が得られるような仕事とは何か」と考えはじめると、答えはすぐには出ないことがわかる。工場でパンを作っている人が「これが誰かの口に入り、いのちの再生産につながるのだ」と思うことは可能だし、大学教授として高度な研究をしていても「こんなことをしても誰の役にも立たない」とむなしさを感じるかもしれない。報酬の額でもない、社会的な肩書きでもない、だとするといったい何を目安に「自己有用感が得られる仕事」を探せばよいのだろう。そう考えると、逆に身動きが取れなくなる。「お金なんて気にせずに、あなたがいちばんやりたいことをやってくれればいい」という親からの言葉は、子にとってはとんでもない難問を投げかけられたと同じだ。

私はその昔、「ゲームばっかりやって」と非難され続けてきた子どもたちに対して、「ゲームがうまいのも十分にすごい」と評価し、まず目減りしきっている自己肯定感を少しでも回復させることで、何人か次のステップにつなげることに成功した。いまならゲーム実況のYouTuber になれば実際の収入につながる可能性もある。「このままじゃいけない」ではなくて、「このままだってそれなりにいいんだけど」とまずは思ってもらうことからしか、何も始まらないと考える。

 ただ、中高年ひきこもり、と言われる人たちは40代、50代というおとなだ。情報もふんだんに持っている。その人たちに、「まあ、そのままでもいいんですけど」という言い方が通用するか、という問題がある。子どもなら「え、親はゲームなんか何の役にも立たない、と怒るよ?ほんとにゲームがうまいのは悪いことじゃないの?」とこちらの働きかけを比較的、素直に信頼してくれるが、おとなには「一度、自己肯定感を充填させ、そこから就労に結びつけようという作戦ですね?」と見抜かれてしまいそうだ。

いずれにしても、私たちが「働くことは尊いこと」という“仕事崇拝”一辺倒の価値観からいったん解放されないと、この中高年ひきこもりの問題には手がつけられないのではないだろうか。仕事を通して「誰かの役に立っている」という自己有用感が得られればすばらしいが、もしそれがすぐ手にできなかったとしても、それは「その人生には意味がない」というわけではないのだと思う。

 これは長期ひきこもりの人に限ったことではない。男性でも女性でも、何歳でも、仕事をしていなからといって、近所で白い目で見られる筋合いはない。仕事をして社会の役に立つのはすばらしいことではあるが、「社会とつながる」にしても、さまざまなやり方がある。散歩をして地域の一員であるという手ごたえをうっすらとでも感じたり、自治体の体育館やプールに行ったり、もちろんその地域のイベントに出たりしてもよいのだ。

 ところが、私たちがそういう考えを受け入れられず、「お金を稼いではじめて仕事。はじめて社会貢献」という考えにとらわれている現状の中で、さまざまな理由でひきこもりの状態が続く人たちは、今日も「俺の人生は何なんだ」と呻吟し、怒り、絶望している。彼らも私たちも、「仕事がすべて。お金がすべて」というプレッシャーが高まる“圧力なべ”の中で生きているようなものなのだ。それは、ひきこもりの人にとってだけではなく、私たち誰にとっても、とても生きづらい社会といえるのではないだろうか。まず、そのことを考えてみたい。


 珍しい動物。

太いサクランボの木の幹がの3つに枝分かれしているあたりで何か動く気配。よく見るとエゾモモンガである。夜行性のため、ほとんど見ることは困難。さらに樹上生活をするためなかなか見ることはできない。一瞬動かなくなり、それから瞬く間に木の上へと昇って行った。そのあたりを見ると小さな穴が開いている。巣のようだ。ちょうど私の背丈ぐらいのところにそれはあった。

 もう一つ。エゾサンショウオ。

朽ちた木材を片付けているとその下から出てきた。

ここはいろいろな発見がある。楽しいところだ。


「日本の法人税は世界的に高額」という大嘘

2019年07月06日 | 社会・経済

元国税調査官が暴露。

MAG2NEWS 2019.07.02 5719

   by 大村大次郎『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』

   かねてから、日本の法人税は世界的に見ても高く、税率を下げなければ企業が海外に逃げてしまうなどと言われますが、果たしてそれは真実なのでしょうか。そんな疑問に答えるべく、元国税調査官で作家の大村大次郎さんが、自身のメルマガ『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』で「法人税のからくり」を徹底検証しています。

「日本の法人税は世界的に高い」というウソ

   このメルマガでも何度もご紹介してきましたが、これまで消費税が増税とされると、必ずセットのようにして法人税の減税が行われてきました。消費税が導入された1989年、消費税が3%から5%に引き上げられた1997年、消費税が5%から8%に引き上げられた2014年。そのいずれも直後に法人税の引き下げが行われています。

その結果、かつては19兆円もあった法人税収は現在10兆円前後になっています。現在の消費税の税収は17兆円程度ですので、消費税の半分以上は法人税の減税分の補填に充てられていることになります。

   こういうことを言うと、「日本の法人税は世界的に見て高いから、下げられてもいいはず」と反論する人がいます。が、その考えは、財務省のプロパガンダにまんまとひっかかっているのです。日本の法人税は、「名目上の税率」は非常に高く設定されていますが、「事実上の税率」は驚くほど低いのです。

   現在、日本の法人税率は23.2%(国税)です。この法人税率は、確かに先進国の中では決して安くはありません。イギリスやドイツの方が低く、アメリカも減税を行っているので日本よりも安くなっています。だからこれを根拠に「日本ではもっと法人税率を引き下げなくてはならない」と主張する御用学者も多いのです。

が、これは「名目の法人税率」の話です。日本の場合、名目の法人税率は高く設定されていますが、様々な抜け穴があるために、実質の法人税率は著しく低いのです。不思議なことに日本の御用経済学者のほとんどは、この日本の法人税の抜け穴について言及したり、研究したりしている人はほとんどいません。ただただ名目の法人税率だけを振りかざし、「日本の法人税は高い」と吹聴しているのです。

   日本の実質的な法人税率は、本当に驚くほど低いのです。下の数値は、法人統計調査から抽出した日本企業全体の「経常利益」と法人税収を比較したものです。

 2013年 経常利益72.7兆円  法人税収10.5兆円  実質法人税率14.4%

2015年 経常利益80.9兆円  法人税収10.8兆円  実質法人税率13.3%

2017年 経常利益96.3兆円  法人税収12.0兆円  実質法人税率12.5%

 ※経常利益は財務省発表の法人企業統計調査より抽出、法人税収も財務省発表資料より抽出

   これらはいずれも、政府が発表しているデータであり、誰でも簡単に確認することができます。これを見ると、日本企業は経常利益に対して法人税は10%ちょっとしか払っていないことがわかるはずです。現在の日本の法人税の名目税率は23.4%なので、だいたい半分しか払っていないことになります。つまりは、日本の実質的な法人税率は10%ちょっとです。これは先進国では異常に安く、先進国以外の世界的に見ても非常に安い部類です。タックスヘイブンのレベルだといっていいでしょう。中国は「半タックスヘイブン」と言われていますが、だいたい中国と同じくらいの税率なのです。これを見ると、絶対に日本の法人税は高いなどとは言えないはずです。

日本の法人税には巨大な抜け穴がある

   なぜ日本企業の実質的な法人税率がこれほど低いのかというと、日本の法人税には巨大な抜け穴が存在するからです。しかも、その抜け穴は、大企業にばかり集中しているのです。つまりは、日本では大企業の実質法人税負担率が異常に低いために、法人税収を大幅に引き下げているのです。

   大企業の法人税の抜け穴は多々ありますが、代表的なのは2003年に導入された「研究開発費減税」と、2008年に導入された「外国子会社からの受取配当の益金不算入」という制度です。

   「研究開発費減税」というのは、簡単に言えば、「試験開発をした企業はその費用の10%分の税金を削減しますよ」という制度です。限度額はその会社の法人税額の20%です。

「試験開発のための費用が減税されるのはいいことじゃないか」と思う人も多いはずです。しかし、この制度には大きな欠陥というか、カラクリがあります。この研究開発費減税は、実質的には「研究開発費を支出する余裕のある大企業しか受けられない」のです。中小企業も、当然、研究開発を行っていますが、わざわざ別途に研究開発費を出す余裕はなく、日常の経費の中で賄っています。そういう研究開発については、減税の対象にはならないのです。

しかも、研究開発費の範囲が広く設定されているので、製造業の大企業であれば、だいたい受けられるという制度なのです。つまり、大まかに言えば、この制度は「大企業の法人税を20%下げた」ということです。実際に、この減税を使っているのは、ほとんどが大企業です。試験開発減税は、全体の0.1%にも満たない資本金100億円超の企業への減税額の8割を独占しているのです。

   次に「外国子会社からの受取配当の益金不算入」は、どういうことかというと、外国の子会社から配当を受け取った場合、その配当収入は課税対象からはずされる、ということです。

たとえば、ある企業が、外国子会社から1,000億円の配当を受けたとします。この1,000億円の配当収入は、親会社の益金(課税対象)には入れなくていいということなのです。つまり、1,000億円の収入については、無税ということになるのです。

なぜこのような制度があるのか?というと「現地国と日本で二重に課税を防ぐ」という建前で、そういう仕組みになっているのです。外国子会社からの配当は、現地で税金が源泉徴収されているケースが多いのです。もともと現地で税金を払っている収入なので、日本では税金を払わなくていい、という理屈です。

が、この制度には巨大な矛盾があります。というのも、二重課税を防止するという意味ならば、外国で払った税金分だけを控除すればそれで足りるはずです。しかし、この制度では、「外国でいくら税金を払っているかにはかかわらず、配当金の全部を収入に換算しなくていい」ということになっているのです。

だいたい配当金の税金というのは、現在、世界的に非常に安くなっています。20~30%前後です。20~30%の税金を引かれているからといって、収入全体を非課税にするのは明らかに不合理だといえます。この制度のおかげで、実質的にほとんどの多国籍企業が大幅に減税になっているのです。トヨタなどは、この制度ができたおかげで、2008年から5年間も日本の法人税を払わずに済んだのです。トヨタはこの5年間ずっと赤字だったわけではなく、赤字だったのはリーマンショックの影響を受けた2009年と2010年だけです。それ以外の年は大きな黒字を出しています。

考えてみてください。世界中で稼いでいる日本一の大企業が、5年間も日本で法人税を払っていなかったのです。そんな馬鹿なことがあるか!ということです。こういう馬鹿なことが生じた最大の理由は、「外国子会社からの受取配当の益金不算入」なのです。


これほど税金の抜け穴があるのは先進国では日本だけ

   これらの「試験開発減税」や「外国子会社からの受取配当の益金不算入」以外にも、法人税には様々な抜け穴があります。それが、日本の税制を大きく歪めているのです。

   日本の税制では「租税特別措置法」という変な法律があります。「租税特別措置法」というのは、当初は税負担が公平になるように、収入が少ない業種などに特別な恩恵を与えるということでつくられたものですが、現実には、大企業や圧力団体を持つ業界が、政治陳情を行い、特権をもらうという制度になってしまっているのです。

   この「租税特別措置法」のような制度は、日本以外の先進国には見当たらず、日本特有の制度だといえます。他の先進国も、一部の人たちに税制の優遇措置を講じるようなことはたまにありますが、日本のように税収に大きく影響するような「特別扱い」はありません。

   この結果、日本では、大企業や富裕層の「名目の税率」は世界的に見て非常に高い状態になっているのですが、実質的な税負担率は非常に低い状態になっているのです。「日本の法人税は世界的に高い」とさんざん吹聴してきた政府の御用学者の方々には、ぜひ「租税特別措置法」の影響までを含めたところでの法人税負担率を語っていただきたいものです。

   日本の法人税が実質的に低いことは、日本企業の内部留保金を見てもわかります。日本企業はバブル崩壊以降に内部留保金を倍増させ446兆円にも達しています。また日本企業は、保有している手持ち資金(現金預金など)も200兆円近くあるのです。これは、経済規模から見れば断トツの世界一であり、これほど企業がお金を貯め込んでいる国はほかにないのです。

   アメリカの手元資金は日本の1.5倍ありますが、アメリカの経済規模は日本の4倍です。だから経済規模に換算すると、日本の企業はアメリカ企業の2.5倍の手元資金を持っていることになるのです。世界一の経済大国であるアメリカ企業の2.5倍の預貯金を日本企業は持っているのです!だから、本来、増税するのであれば、消費税ではなく、法人税であるべきなのです。(メルマガ『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』より一部抜粋)

 


 まとまった雨がない。昨日も予報ではかなりの雨が予想され、外での作業はできないであろうと観念していたのだが、濡れることなく作業を完遂できた。今朝、江部乙に行くと沼の水位がさらに下がっている。水中に沈めてあったポンプがすっかり露出している。

ミニトマトが色づき始めた。

ポリジ。

変な虫。

A&Uから、電波の状況を調べにやってきて、新型の「アンテナ」を設置していった。窓に置いてあるが、窓が雪に覆われるとだめだという。今までは部屋の中で電波を探していたがこのアンテナは2mくらいまでは大丈夫ということでずいぶん楽になった。


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  imidas時事オピニオン 2019/07/04


「投票しない」のは「中立」なのでしょうか?

2019年07月03日 | 社会・経済

ハフポストNEWS

2019年07月02日 17時26分 JST

政治の話に抵抗がある若者に、立命館大・富永京子さんが伝えたいこと 「私が投票に行くようになった理由」

「投票しない」のは「中立」なのでしょうか? 参院選は7月21日が投票日です。

 
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN立命館大学准教授の富永京子さん

「偏っている」って言われるのが、怖い。

だから、「政治」の話や、何かに「意見」を言うことには抵抗があるーー。

私たちはどうして、意思を表明することに戸惑ってしまうのでしょうか。 

主張することをためらいがちな中高生の心理を考えた『みんなの「わがまま」入門』(左右社)の筆者で、社会運動を研究する立命館大学准教授の富永京子さんと考えました。 

今月は参議院選挙もあります。7月4日公示、同月21日が投票日です。

政治を遠く感じている若い世代の方もいるかもしれません。

しかし富永さんは、「個人的体験と政治を結びつける水路を見つけられれば、投票に至るハードルも少しは低くなるのかな」と感じていると話します。

 ■「投票しない」のが「中立」だと思っていた。

 ーーズバリですが、若い世代に「投票は行った方がいい」と富永さんは言いますか?

実は、私は20代前半のころ、投票に行かなかったんです。

少し選挙運動にかかわっていたこともあり、候補者が当選・落選する瞬間を見てきました。「自分が投票した以外の人を『無職』にしてしまう可能性がある」と思ったら、怖くなってしまって。

少し特殊な経験かもしれませんが、そういった「自分の投票が過剰に意味を持ったら、マジでどうしよう」という感覚は今の20歳前後にもあると思います。「政治のことをよく分かっていないのに、投票していいのか?」という感覚もあいまって、投票を回避する傾向につながることもあるでしょう。

なぜ私が選挙に行くようになったかというと、在日外国人の先輩に何気なく、「今日は選挙ですね。投票行きます?」と聞いたら、「俺そもそも投票権ないよ」と言われて。

私は「投票しない」ということで、中立で、自分は何も影響を及ぼさないでいられると思っていた。 

ただ、それがすでに選択しているということ。その選択だって、ある候補者を無職にすることに加担しているともいえるし、自分が持っている権利を放棄しちゃってる。

結局、「投票しない」ことが中立とは限らない。どっちを選んだって偏るし、選ばなくたって偏る。だったら、できる範囲でいいから候補者の訴える政策などを調べてみて、「自分の好きな偏り」を見つけてみようと提案したいですね。

 ■「偏る」のが怖い。「無色透明」が「何となくいいもの」とされる

ーー「偏る」のが怖いという感覚は私たちの中に根強くあると思います。「中立」であることが、人間関係をスムーズにするコツのように感じます。 

無色透明な個人が「普通」で、何となくいいものだとされていますよね。日本社会にはまだまだ「ふつう幻想」があり、そこから逸脱することを「わがまま」や「偏り」として排除する空気があります。

 

ーー「ふつう幻想」とは?

「こういう人が普通です」という「像」でしょうか。

おそらく今の日本の「ふつうの高校生」だと、「『ふつうの人』は異性愛者。親は日本人で、男女1人ずつ。父親の単身赴任などもあるかもしれないが、基本的には核家族。学費や生活費は親から出してもらっていて、全日制の学校に通っていて……」。そういったものを「ふつう幻想」と私は呼んでいます。

人々の多様性が顕在化するにつれて、そうした「ふつう」はどんどん薄れているはずなんだけど、まだまだ私たちは強固にその像をもち続けている。

ーー著書の中で、学校のクラスの中には多様な背景を持つ人がいるのに、それにお互い気がつきにくいという趣旨のことを書かれていました。

同じように授業を受けている学生さんや生徒さんでも、実は非常に多様です。異性愛者でない人もいれば、海外にルーツがあったり、ひとり親世帯の方もいるし、生活費の多くを自分で稼いでいる人もいれば、かなり生活に余裕がある人もいる。

でも、お互いに自分が「ふつうでない」と認識している要素に関しては、よほど仲良くならないと言わない。

自分がかわいそうだ、あるいは自慢していると思われるのが嫌だから言わないのかと思っていたのですが、その背後には彼らのやさしさみたいなものがある。「なぜ言わないの?」と聞くと、「友達や周囲に気を遣わせたくない」と説明する人が多かった。「ふつうでない」要素を開示することで、コミュニケーションにさざ波が立つように感じている。

そんなお互いのちょっとした我慢が、結果として「ふつう幻想」を強化することになっていると感じています。 

 ■「ふつう幻想」を維持する危うさ

左右社富永京子『みんなの「わがまま」入門』

ーー自分のマイノリティー性や困り事を隠していたら、未来の社会をより良い方向に変えるきっかけも失ってしまうように感じるのですが。

日々のコミュニケーションの中で無理に自己開示する必要はないし、「誰がマイノリティーだ」と特定する必要も全くありません。データに触れて、多様な人がいることを理解するというのでも十分だと思います。

著書の中で、「日本が30人の教室だとしたら」という切り口で、「ひとり親世帯の人は2人」「外国籍の人は1人」「LGBTの人は3人」などとデータで示したことに対し、中高生から「分かりやすい」という声が寄せられました。 

そういった多様さが自分の周囲にもあるんだ、と理解した時に、「ふつう」を維持することには危うさもあると気がつくでしょう。

旧来の日本の家族観や働き方も、私たちがコミュニケーションを通じて維持している「ふつう」の延長線上にある。それは今の時代に合わない部分があるわけで、「ふつう」の裏に潜む多様さに目を向けないと、そういったシステムもまた「ふつう」のものとして保たれていく可能性があるわけですよね。

ーーしかし、理不尽な校則がある学校もありますし、意見を言ってクラスで「浮く」のも怖い。「我慢」することを学校で覚え、大人になっていきます。 

生活をスムーズにするための「校則」や「しきたり」があるのは分かるんですよ。でも、それらは時代遅れな部分もあれば、現代社会の多様性に沿った形ではないこともある。ルールに従うことに慣れすぎると、それに疑問を投げかけることもなくなり、自分の自由が制限されることに気がつかなくなってしまうかもしれない。 

もちろん、既存のルールや慣習に対して意見を言うことは、ともすると周りから「わがまま」と思われてしまうわけだから、簡単ではない。 

だから、「この校則おかしくない?」と思ったら、いきなり「校則おかしい!変えてください!」とみんなの前や生徒総会で言う必要はなくて、友達や親しい先生にちょっとおしゃべりしてみるとかでいいと思うんです。その中で深く共感してくれる人がいたり、多くの人が支持してくれたりしそうなら、もっと偉い先生に言ってみるとか、生徒会に投げかけるとかすればいい。 

じわじわっとやっていくのが大事かなと思います。最初から声を上げられる強い個人なんて、そういないですよ。

■モヤモヤを口にしてみた⇒「私も思ってた!」

ーー口に出してみたら、「みんなも思ってた」ということはありますよね。

そうです。新社会人になった人から聞いた話なのですが、会社に理不尽な上司がいて、その新社会人が上司に「キレて」しまった。やっちまったな~と思っていたら、周りが「私も思っていた」ってみんなで応援してくれたそうです。 

日本人は理不尽を感じた時に「自分の責任」だとして抱え込みますよね。「適応できないのは私が逸脱してるんだ」と思ってしまう。

でも、自分の悩みは、みんなのモヤモヤってことはあるし、それらは社会や組織の歪みを反映している。どんなに小さいコンプレックスやモヤモヤも、社会とつながっていると思います。

ある飲み会で、男性の学生が「異性から『かわいい』と言われることが、なめられているようで嫌なんです」と話していました。その言葉を言った側にどのような意図があるのかは分からないけれど、なんとなく嫌だという。

そうしたモヤモヤが何に起因しているのか話すことで、自分たちが内面化している、男らしさや「かわいい」という言葉の意味について考えることができる。

言葉にし、対話し、深堀りし、共通化していくためにも、モヤモヤをこっそりとでも打ち明けていく、という経験も必要ではないでしょうか。

 ■「まつ毛を上げて出られる」別の居場所を見つける

ーーとはいえ、やっぱり「私はこれが嫌だ、モヤモヤする」と主張する事は、揶揄されそうで怖いと感じる人は多いと思います。

一挙手一投足に気を使わざるを得ないような状況で暮らす人たちに、「そんなの気にせず声を上げろ!」とは、私はどうしても言いたくないです。それは大人も若い人も一緒でしょう。ママ友であれクラスメートであれ、相互監視が厳しいコミュニティーの中で声を上げるのは難しいと思います。

ではどうすればいいかというと、居場所を増やすことを提案したいです。

ここで嫌われたり、浮いてしまったりしても、別に居場所があると思えば、少しは意見を言うことも怖くなくなるのではないでしょうか。 

中高生なら塾や習い事が居場所になりうるし、大人ならオンラインコミュニティーやカルチャースクールでもいい。 

学校など、所属するコミュニティーの中で「キャラを全うしなければいけない」と感じている人は多いと感じます。多分それが、意見を言えないことにもつながっている。実際声を上げてみると「それな」と言ってくれる人は多いんだけど、自分自身が「キャラ」を守ろうとして、何も言えなくなっている。 

だったら「まつ毛を上げて出られる場所を探しましょう」と提案したいです。

他の居場所で得た経験が自分に自信を与えて、もともといたコミュニティーでもやりたいことをしたり、意見を言えることにつながるかもしれない。

 ■杉田水脈氏の論文を巡る議論から見えた、学生の関心

ーー学校生活などで感じる「モヤモヤ」との付き合い方も政治に関心を持つきっかけになると思います。このほか、若い世代に政治に関心を持ってもらう方法はありますか。 

学生の日頃考えていることが非常に明確に政治とつながったのではないか、と感じたのは、杉田水脈衆院議員が月刊誌への寄稿で、同性カップルを念頭に「『生産性』がない」という主張をしたというニュースでした。

講義などで話題に出さなくとも、「これについて先生はどう思いますか」と聞いてくる人は少なくなかった。性的少数者であることをオープンにしている若い世代が昔より増え、そういった友人がいる大学生も多い。

その中で学生たちは、こういった政治家の「立場」を把握し、自分の生活と政治がはっきりと結びついたと感じたようです。

若者は政治に関心がないのではなく、関心を持ちたいけど、どう関心を持てばいいのか分からないのだと思いますし、この例のように、個人的体験と政治を結びつける水路を見つけられれば、投票に至るハードルも少しは低くなるのかな、と感じています。

 


 明日は参議院選挙告示日。若者にしても、老人たちにとっても、バリバリの現役世代の人たちにも、もっと夢のある、希望が持てる社会にしていきたいと思います。あなたの1票が社会を変えるのかもしれません。

 明日は、また札幌まで行ってきます。更新できないかもしれませんがよろしく!


英で報告 超加工食品を毎日食べると死亡リスクが増加する?

2019年07月02日 | 食・レシピ

  日刊ゲンダイヘルスケア 2019年07月01日 by 青島周一

    野菜や果物、あるいは新鮮な魚など、加工度が低く、添加物が少ない食品は健康に良いイメージがあります。他方で、スナック菓子、インスタントラーメン、ハンバーガー、サラミやソーセージなど、高度に加工された食品を毎日食べ続けることは、健康に良い食習慣とは言えないかもしれません。

 高度に加工された超加工食品の摂取と健康への影響を検討した研究論文が、2019年5月29日付で英国医師会誌電子版に掲載されました。

 この研究では、スペインに在住している20~91歳の1万9899人が解析対象となりました。アンケート調査によって、超加工食品の摂取量を「1日2食未満」「1日2~3食未満」「1日3~4食以下」「1日4食超」の4つのグループに分け、死亡のリスクを比較しています。なお、結果に影響を与えうる年齢、性別、婚姻状況、喫煙・飲酒状況、1日の摂取カロリーなどの因子について、統計的に補正を行い解析されました。

1999年から2014年まで、2年ごとに追跡調査した結果、超加工食品の摂取量が最も多い集団(1日4食超)では、最も少ない集団(1日2食未満)に比べて、死亡のリスクが1・62倍、統計学的にも有意に高いことが示されました。また、超加工食品が1食分増加するごとに、死亡のリスクは18%統計学的にも有意に増加することも示されました。

 超加工食品を好んで食べている人は潜在的に生活習慣病リスクが高く、健康的な食事をしている人に比べてそもそも死亡のリスクが高いのかもしれません。とはいえ、食習慣が偏っていると感じている人は、超加工食品の摂取を少しでも控えてみると、健康に良い影響が期待できるかもしれません。


 九州地方の豪雨、いかがでしょうか?ご無事をお祈りいたします。
少し、こちらに回してもらいたいものですが・・・・

 今日は、圃場周りに雑然と生えているプラムの木を整理、剪定しました。結構実をつけているのに、すべてをカラスに上げなくてもいい、でも一日で終わる仕事ではありませんでした。

 サクランボ、今年は結構食べました。あとは手の届かないところなので小鳥たちに上げよう。無農薬なのですが、あまり虫は付いていません。

 今年の梅はダメでした。「1本でも実がつく」と書いてあったのにやはりだめでした。