吃飯了没有?

元中国深セン駐在員のブログ~中国・中国芸能情報・各方面の旅行日記、日本の街歩き情報を配信します。

夜景を求めて③

2011-12-17 20:12:47 | マカオ情報

↑セナド広場周辺には異空間が散在していて魅力の1つになっています。


↑アーケードの下に歩道がある風景、完全に欧州の街角ですね。


↑街角の風景に感傷に浸っていたら・・・、目前に現れた甘味屋ですっかり現実に引き戻されました。ここはマカオ、そうでした!義順牛奶公司があるのでした!歩き疲れて小腹が減ったところでグッドタイミング。迷わず中に入りましたが、こんな夜遅くても相変わらず混雑していました。


↑夜景観賞はすっかり忘れ、私の頭は牛乳プリンで満たされました(笑)。

夜景を求めて②

2011-12-16 22:13:27 | マカオ情報

↑wynnホテルからまたリスボアサイドに戻ってきました。この日は11/3。翌週にマカオグランプリを控え、街中にガードが設置されていました。写真に見えるのは有名なリスボアスタンド。丁度1年前にこのスタンドでレースを観戦したことがついこの間のことのように思い出されます。


↑夜景を求めての散策はまだ続きます。この際だからと聖ポール天主堂跡まで足を運ぶことにしました。セナド広場方向へ行く途中には、写真の「押」の文字があちこち散在しています。これは以前にもお知らせしましたが、質屋さんです。金をすったカジノ客が、自分の時計や装飾品を売ってまで再挑戦するということなのでしょうね。時間は21:30過ぎ。さすがに人通りが少なくなってきました。


↑セナド広場へ行く前に、反対側の福隆新街が見たくなって立ち寄ってみました。今は観光地として商店で栄えていますが、この写真を見ると昔の娼婦街の面影が残っていますね。


↑さて、目的地であった聖ポール天主堂跡までやってきました。ここまで来る途中のお店はほとんど閉まっていて、警察官が見回っていました。人影が少ないことからも周囲の様子をお察しいただけると思います。聖ポール天主堂跡のライトアップを見たのはこれで2回目だったでしょうか?この薄っぺらい天主堂跡を見ると、いつもその奥にあったはずの教会の姿に思いをはせてしまいます。


↑セナド広場方面近くには聖ドミニコ教会が綺麗にライトアップされてたたずんでいました。マカオはポルトガル建築と中国華南の建物とが融合した街ですね。このカオスな感じのごちゃごちゃ感が私は好きです。

夜景を求めて①

2011-12-15 19:25:31 | マカオ情報

↑ヴェネチアンからタクシーでリスボアに戻ったときには21時近くになっていました。友人はそのままホテルに戻るとのことで、私は一人、夜景を求めてリスボア周辺を彷徨うことにしました。


↑wynn方面へ渡ってマカオタワー方面を撮ってみました。この湾沿いの通りはよく恋人同士のアツアツの姿を目にすることが出来ます。花火大会のときには観客で賑わう場所でもあります。


↑私もここで一休み。カジノで熱気を帯びたところから少し離れた静かな場所で、暫し今回の旅の思い出に浸っていました。中国華南地区は本当に熱気があって、一人にさせてくれない場所です。いつも誰かが私をかまってくれて、ときには暑苦しく、ときには温かく見守ってくれます。今の日本の環境とは大違いですね。


↑wynnホテルに戻ってみるといつもの噴水ショーが始まっていました。いつもながら派手なショーです。


↑フィナーレを迎えました。ショーが終わると拍手が・・・。毎晩こういう無料のショーが見られるのは楽しいですよね。明日も夜景シリーズを続けます。

夜のコタイ地区

2011-12-14 21:48:06 | マカオ情報

↑夕食を取り終えた後、友人がライブミュージックを聞きに行きたいとのことだったので、ヴェネチアンホテルのカジノ場内にあるミュージックバーに足を運ぶことにしました。写真は夜のヴェネチアン。やっぱり荘厳な様相を呈したホテルですね。


↑タクシーを降りると新しい夜景が・・・。そう、すぐ近くのギャラクシーマカオが開業していました。これまたすごい煌びやかなホテルですね。このホテルには翌日足を運びましたので、後日紹介させていただきます。


↑ヴェネチアンホテルの中は相変わらず綺麗な装飾が多くて見入ってしまいました。平日であったにもかかわらず、観光客も多かったです。


↑この回廊の天井画と柱は、最初に見たときは本当に驚きましたが・・・。この回廊はもう何度も通りましたので今では感動はありませんが。。。


↑この金メッキの像は完全に観光客の撮影スポットになっています。金の好きな中国人客がいつも我先にと写真撮影にいそしんでいます。

さて、肝心のミュージックバーですが、オープンはしていましたがライブミュージックは22:00以降にならないと始まらないとのことだったので断念しました。と言うことでここで少しだけカジノ(大小)をしてしまったのですが、幸運にも少しだけ買ったのでリスボアに戻ることにしました。ヴェネチアンの大小は過去買ったことがほとんど無いので、最近は避けていました。

カジノと言えば、某会社のボンボン会長の話は本当にひどい話でしたね。会社の金を自分の遊びに使い込んでしまうなんて開いた口がふさがりません。

新帆船餐庁

2011-12-13 21:40:56 | 食関連

↑この日の晩、選んだレストランはマカオ・ポルトガル料理店の「新帆船餐庁」です。セナド広場の近く、昨日紹介した民政総署沿いにあります。このお店、前から気になっていましたが、これまで入る機会がありませんでした。


↑レストランの壁一面に描かれた絵がなかなか素敵でした・・・。


↑さて、肝心の料理ですが、このお店、かなりお勧めです。この肉料理は何度も食べたいと思わせるくらいの美味しさでした。この料理は必ず注文しましょう。


↑この鰯も薄口醤油風味のオリーブオイルに漬けられていて、サッパリとした美味しさでした。


↑こちらは銀鱈でしたが、こちらも非常に美味しかったです。見た目通りで全く期待を裏切りませんでした。ポルトガル料理は付け合わせの野菜がまた良いんですよね。この写真をアップしていてまた食べに行きたくなってしまいました。

魅惑的な夜のマカオ

2011-12-12 21:25:04 | マカオ情報

↑リスボアホテルで一休みした後、夕食を食べに夜のマカオの街を散策しました。まずはリスボアホテル前のグランドリスボアです。ここのイルミネーションは派手派手で見ていて惚れ惚れしてしまいます。節電の日本とは究極的に対照的な夜景でした。


↑リスボアのカジノの入り口周辺を収めました。かなり昔に初めてマカオを訪問したとき、このリスボア周辺は黒社会の雰囲気がまだまだ漂う場所で怖かった思い出がありますが・・・、今はそんな雰囲気は影を潜めました。ちょっと残念な感じはします。


↑少し歩いてセナド広場に足を運びました。ここは相変わらず人が多いですね。アズレージョ模様の床のタイルと黄色い壁のライトアップが美しい広場です。


↑セナド広場の道を挟んで反対側にある民政総署です。民政総署の2階には図書館があるんですよね。17世紀から蒐集された書籍はポルトガルのアフリカ、東アジア進出を知る貴重な文献となっています。さすが世界遺産の宝庫ですね。


↑マカオの夜はまだまだこれからという雰囲気でした。写真右には仁慈堂博物館が見えますね。アジア最古の慈悲施設です。こちらも世界遺産です。


↑こういった路地も古き良き時代の面影が残っていて、マカオは夜に映える場所と個人的には感じています。皆様もマカオに1泊はして夜の街を散策されることをお勧めします。

マカオへの移動日

2011-12-11 18:39:51 | 深セン情報
深セン滞在も11/3(木)で終わり。この日は最後の旅行先、マカオへの移動日でした。蛇口発フェリーの出航時間は14:30。マカオも友人と行く予定で13:00の待ち合わせ時間まで、羅湖にサヨナラをしに散策に出ました。

昼食は、以前にも何度か足を運んだ雨花西餐庁。私の好きな西餐庁のちの1つです。


↑11時過ぎに入ったのでまだお客は少なかったのですが、後から混雑してきました。それもそのはず、ここは羅湖の中心区で、ビジネスマンが押し寄せてくるんですね。昼食を食べていると、一人とても可愛らしい愛想の良い小姐がウェイトレスとして働いていました。一昔前だったら愛想の無い従業員だらけだったのですが、中国は最近本当に変わってきましたね。


↑13:00に友人と落ち合って蛇口まではタクシーで移動しました。羅湖から蛇口までの移動途中、様々な歩道橋の下を通過しましたが、ユニバーシアード効果でしょうか?いずれの歩道橋もお化粧されていました。こちらは網網状の囲いが・・・。


↑こちらは緑の鎧が・・・。古い歩道橋も新しく見えてしまいますね。


↑濱海大道に入ってきました。本当に懐かしい道路です。タクシーが蛇行しながらかっ飛ばすので、命の危険を感じる場所でもあります(笑)。


↑そうこしていたら、タクシーは南海大道へは行かずに深セン湾口岸経由の道を選択しました。本当にユニバーシアードの会場である春の繭を撮影したかったのですが、手振れで完全に失敗。唯一うまく撮れた写真がこれです。ユニバーシアードの記念碑のようでした。大会開催年と開催地が刻まれていました。


↑フェリーに揺られて1時間。到着した先はマカオのリスボアホテルです。部屋からの景色はこんな感じでした。このホテル、古いホテルではありますが5星ホテルで一等地にある割には値段が安く、私は好きです。冷蔵庫内の飲料は無料、バスタブはジェットバスでスチームサウナ機能も付いていて落ち着けます。何と言っても周辺にカジノが散在しているので、遅くまで遊んでもすぐ帰れるのが嬉しいです。この続きはまた明日!

湘里郷味 農家菜レストランにて

2011-12-10 20:12:29 | 食関連

↑私たちが夕食を食べた湖南料理のレストランです。湖南地区の農家料理でした。隣りには香港式料理店がありました。


↑食べ残しの写真ですみません。この料理は湖南料理の中では全く辛くない料理で、よく出てきますね。ピータンと豆芽と挽き肉を豚骨風のスープで煮た料理ですが、とても美味しいです。


↑こちらも定番の湖南料理で肉を甘辛スープで煮たものですが、コンロと一緒に出てくることが多いですね。


↑こちらも食べ残しですが・・・、昆布を大蒜・醤油・辣椒のタレに漬けたシンプルな料理で、辛くいことは辛いのですがコクがあってこれがなかなか美味しいのです。


↑あっという間に料理は私たちの胃袋の中に入り、満腹になったところで羅湖まで戻ることにしました。料理を取った場所はこんな感じでした。中国はどこへ行ってもこのようなオープン席のレストランが多くて私は結構好きです。中国人は外の風を浴びることが好きですからね。寒いときでも鍋料理を外でつつくのは風情があります。皆さんも高級料理店だけに足を運ぶのではなく、中国人の友人たちとオープン席のローカルレストランに足を運ばれてみてはどうでしょうか?

東部華僑城にて⑩

2011-12-09 22:03:52 | 深セン情報

↑茶翁古鎮~竹楽谷周辺の散策を終え、菌特拉根酒店まで戻ってきました。このホテルはオープン当初からありますが、何か造りが偽物なんですよね。私は学生時代1か月半ほどヨーロッパを周りましたが、本物の街とは雰囲気が全く違います。この違い、何でしょうね?本物には匂いがあるというか、温度があるというか、何か身体で感じるものが異なってきます。


↑菌特拉根駅前の公園に戻ってくると、鳩の群れが餌をついばんでいました。鳩で思い出すのは、私が深センを去る直前の今年の2月くらいだったでしょうか、仙湖公園にいた鳩を公園の管理人が捕獲して食べてしまったとかいうニュースが流れていました。動物愛護という観点で、ニュース番組がかなり批判をしていました。中国ではなんでも有りの世界ですので驚きませんでしたが。


↑こんな水場は昔は無かったように思いますが、鳩にとっては都合の良い水飲み場になっていました。夏は水浴び場にもなるのでしょうね・・・。


↑シャッターチャンス!写真を撮っていたら1羽が丁度銅像の頭に乗っかってくれました。


↑東部華僑城の話題はこれにて終了です。菌特拉根駅からはいつもの通り、麓の出入り口まで公共バスで下っていきました。先日コメントに書きましたが、バスの路程にはこの東部華僑城で働く従業員の宿舎があちこちあって、若い小姐達が何人か途中下車しました。宿舎は高原のヴィラみたいな感じで非常に綺麗な建物でしたが、周囲には何もないので買い物すらできませんね。私はこんな場所で生活したくはありませんが、同行した友人の中国人女性は「こんな場所で働いてみたい」と言っていました。

さて、バスが麓に着いた頃は辺りは暗くなっていました。友人たちと夕食をどうするか協議したのですが、海岸沿いのレストランで食べてしまいましょうということになり、友人たちがここにしようと選んだのが写真のオープン席のあるレストランでした。最初は海鮮を食べようと言っていたのですが、周辺には無かったので、またまた湖南料理店です。この料理店の様子は明日紹介します。

ちなみに写真の先に見えるホテルは大梅沙京基喜来登酒店(シェラトン)です。大分前にこのホテルに食事をしに来たことがありましたが、本当に綺麗なホテルで、レストランからの景色もよく、昼食のビュッフェ料理はとても美味しかったです。その後、ホテル前の海岸にも行きましたが、海が意外にも綺麗でした。

東部華僑城にて⑨

2011-12-08 20:54:10 | 深セン情報

↑茶翁古鎮の周辺には写真のような茶畑が広がっています。深センのこの地方は茶で有名と聞いたことがありませんのでお茶は買いませんでしたが、味はどうなんでしょうか?


↑近くの池の畔に衣装の貸し出しを行っている場所があって、楊貴妃が3名写真撮影を行っていました。絶世の美女でしたので、ちょっと失礼して写真に収めてしまいました。


↑茶翁古鎮の先に竹に囲まれた歩道が・・・。


↑竹楽谷という場所に入って来たようです。名前の通り、辺りは竹・竹・竹・・・。


↑竹林の隙間から傾きかけた太陽が・・・。木漏れ日が綺麗な空間でした。


↑写真ではわかりにくいのですが、竹林の奥に入ってきて、かなり日が傾いてきたこともあって辺りが暗く感じました。


↑竹を割って作ったこんな水の流れが・・・。んんーーー?!流し素麺??と感じるのは日本人だけでしょうね。実際一緒にいた友人に流し素麺の話をしても、理解してくれませんでした。友人「日本人はなんでこんな竹の水の流れに麺を流すの?」私「・・・・??」。風流だからという回答は理解されないでしょうし・・・。皆様ならどんな回答をしますか?