完全に話題に乗り遅れていますが…
先にいっときますが、私は LGBT そのものにはまったく偏見がありません。
私自身も LGBT ではありません。
「LGBT には生産性がない」
この生産性というのが「生殖」という意味なら、まさにその通り。
生き物には自らの遺伝子を残す(子供を産み育てる)本能が必ず書き込まれているので(いないと種が滅びる)、この本能を持っていない人は何らかの問題を抱えていることになります。
このあたりの話は「産みたくても育児が、保育所が、職場が」という別の事情も絡んでくるのて、あくまで話題を LGBT に絞りましょう。
確かに生き物として何らかの瑕疵があり、生産性がない。
しかし、だからといって彼らに税金を使うのはおかしい、という理屈はどんなもんでしょうか。
発想を逆にすればよいのです。
義務なきところに権利なし。
義務を果たしてくれれば、権利を認めましょう。
例えば婚姻も相続も一般の男女と同じものを認め、そのかわりに「婚姻後すみやかに孤児を養子として引き取り、育てない限りは課税する」と、世界中で育ての親を探している交通遺児や世界の戦災孤児の親になってもらえばよいのです。
ふたりの人間が新たにふたりの人間を育てる。これで「種を維持する義務」は果たせます。
とはいえ日本は少子高齢化が進み、IT や AI によって「いらなくなる仕事」も増えるでしょう。
日本人は5千万人くらいでちょうどいい。
「ふたりからひとり」で、あと数十年もすれば、自動的にそうなります。
早い話、権利が欲しければ、税金を払ってくれればそれでよいのです。
まさかひとりの生徒や学生のために、学校に専用のトイレを税金で作れ、というわがままは通じますまい。
更衣室や銭湯も我慢してもらいましょう。
申し上げたように、私は LGBT に偏見はありません。
しかし、いくら少数意見を大切にするといっても、いま彼らが認めろといっているものに対して、あまりに国や自治体や周囲の負担が大きすぎるのです。
「生産性と主従関係」というタイトルで書き始めたのは、主従関係も似たような立場にあるからです。
主の性(さが)、隷の性を認めろといっても、見ず知らずの人を無理やり縛ったら犯罪です。
ボンデージファッションや、裸に麻縄姿で街中を歩かれても困ります。
私はホームページでも「その性は間違っていない」と、懇切丁寧に解説しています。
と同時に「何でもかんでも権利が認められる、何でもやっていい、というわけでもない」とも力説しています。
物事には、5つの分類があります。
1.やらねばならない
2.やった方がいい
3.どっちでもいい
4.やらない方がいい
5.やってはいけない
LGBT も主従関係も、自分の願望がこの5つのどれにあたるのか、考えてほしいのです。
あくまで主張すべきか、我慢せねばならないのか、落とし所を見つける努力をしているか。
この話は奥が深いので、今後も引き続き触れていくつもりです。
まず今回はここまで。
先にいっときますが、私は LGBT そのものにはまったく偏見がありません。
私自身も LGBT ではありません。
「LGBT には生産性がない」
この生産性というのが「生殖」という意味なら、まさにその通り。
生き物には自らの遺伝子を残す(子供を産み育てる)本能が必ず書き込まれているので(いないと種が滅びる)、この本能を持っていない人は何らかの問題を抱えていることになります。
このあたりの話は「産みたくても育児が、保育所が、職場が」という別の事情も絡んでくるのて、あくまで話題を LGBT に絞りましょう。
確かに生き物として何らかの瑕疵があり、生産性がない。
しかし、だからといって彼らに税金を使うのはおかしい、という理屈はどんなもんでしょうか。
発想を逆にすればよいのです。
義務なきところに権利なし。
義務を果たしてくれれば、権利を認めましょう。
例えば婚姻も相続も一般の男女と同じものを認め、そのかわりに「婚姻後すみやかに孤児を養子として引き取り、育てない限りは課税する」と、世界中で育ての親を探している交通遺児や世界の戦災孤児の親になってもらえばよいのです。
ふたりの人間が新たにふたりの人間を育てる。これで「種を維持する義務」は果たせます。
とはいえ日本は少子高齢化が進み、IT や AI によって「いらなくなる仕事」も増えるでしょう。
日本人は5千万人くらいでちょうどいい。
「ふたりからひとり」で、あと数十年もすれば、自動的にそうなります。
早い話、権利が欲しければ、税金を払ってくれればそれでよいのです。
まさかひとりの生徒や学生のために、学校に専用のトイレを税金で作れ、というわがままは通じますまい。
更衣室や銭湯も我慢してもらいましょう。
申し上げたように、私は LGBT に偏見はありません。
しかし、いくら少数意見を大切にするといっても、いま彼らが認めろといっているものに対して、あまりに国や自治体や周囲の負担が大きすぎるのです。
「生産性と主従関係」というタイトルで書き始めたのは、主従関係も似たような立場にあるからです。
主の性(さが)、隷の性を認めろといっても、見ず知らずの人を無理やり縛ったら犯罪です。
ボンデージファッションや、裸に麻縄姿で街中を歩かれても困ります。
私はホームページでも「その性は間違っていない」と、懇切丁寧に解説しています。
と同時に「何でもかんでも権利が認められる、何でもやっていい、というわけでもない」とも力説しています。
物事には、5つの分類があります。
1.やらねばならない
2.やった方がいい
3.どっちでもいい
4.やらない方がいい
5.やってはいけない
LGBT も主従関係も、自分の願望がこの5つのどれにあたるのか、考えてほしいのです。
あくまで主張すべきか、我慢せねばならないのか、落とし所を見つける努力をしているか。
この話は奥が深いので、今後も引き続き触れていくつもりです。
まず今回はここまで。