塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が考える選手の心理的負担

2016-02-11 01:39:05 | 日記
 年を追うごとに、サッカー選手と監督にのしかかる精神的負担が増す傾向にあります。

 僕がサッカーに関心を抱いた小学生時代からJ開幕の90年代前半、サッカーは基本

 「スタジアムで観戦する」
 「ビデオと書籍で楽しむ」
 「テレビを見る」

 の3種類しかありませんでした。

 ビデオがDVD、DVDがブルーレイに進化しても、その再生方法に変化はありません。

 しかし90年代後半から、衛星放送というテレビの多チャンネル化が始まり、携帯電話の登場が、観戦環境を激変させます。

 それは

 1・ワンセグ搭載で外出先でもテレビでサッカーを楽しむ
 2・新聞各紙や専門誌が、メールで情報を知らせるようになる

 というものです。

 それまでも

 パブリック・ビューイング
 家でパーティをしながらワールドカップを楽しむ

 という形がありましたし、ラジオの影響力も無視できません。

 クラブが自前のテレビ番組を持つことも珍しくはありませんし。

 しかし、スマートフォンとタブレットでより鮮明な映像が楽しめるようになっただけでなく、ファンが記者のように書き込みをする、休日を楽しむ選手の様子を知らせるようになる。

 これは従来では考えられなかったことで、選手が外出先でも視線を気にするようになりました。

 以前はパパラッチのように

 選手の色恋や乱痴気騒ぎで一儲け

 という輩もいましたが、それは今一般に広がっています。

 給料も移籍金も上昇傾向である今、サッカーは曲がり角に来ている印象を受けます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凡庸か、それとも一瞬のひらめきか

2016-02-11 01:25:11 | 日記
 身内の不幸や自身の結婚式など、予め予定されている欠席、もしくはやむを得ない形で業務を休むことは致し方ないでしょう。

 一方で度重なる病欠や遅刻は、本人が一番苦しんでいるのでしょうが、周囲の評判はだんだんと芳しいものではなくなります。

 客商売のように、

 毎日同じ人員で働くことが無い
 祝日や繁忙期の欠席

 ならばなおさらです。

 サッカーで難しいのは以下の点でしょか。

 1・能力的には凡庸だが、イエローカードとも故障とも無縁である
 2・素晴らしい技術でファンの喝采を浴びるが、いつも故障してばかりいる

 これらの選手、指揮官はどちらを頼りにすべきか、というものです。

 スペインならばレバンテやフェタフェ
 イングランドならばハル・シティやボーンマス

 のような下位クラブで故障者頻発しても

 「お金が無いのに大変だね」
 「監督もやりくりが難しいだろうな」

 と同情されます。

 しかしユナイテッドやレアルも、時に野戦病院と揶揄されるほど故障者が重なる事があり、その際は当然大きな批判が集まります。

 かつてロベルト・バッジョが師事した指揮官マッツオーネは

 「90分の中で一度でも、お前さんらしくプレイしてくれればよい」

 と語りかけました。

 一方で、その一瞬のためだけに、猟犬のように走り回る選手たちはどんな気分でしょうか。

 その一瞬が消し飛んでしまえば、勝ち点はおろか自分たちの汗すら報われないのですから。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする