塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

為政者が為政者であるために必要な事柄とは

2016-08-24 01:25:56 | 日記
 塩野七生三の代表作である「ローマ人の物語」には、多くの為政者が出てきます。

 カエサルにしてもハンニバルにしても、多くの兵士と市民から畏怖されてきた背景には

 「自分の地位に見合った言動を心掛ける」
 「自分が身を粉にして働かなくれば、兵士も市民にも同じ行動を白とは言えない」

 点があります。

 僕は今の職場に12年勤務していますが、上司が本当に汗を流している、この方のいうことを尊重しよう、と感じたことは2例しかありません。

 僕個人は自分が得ている報酬に見合った言動、職務が出来ていると解釈していますが、傍から見ればやはり異なる印象を持つ方もいるのでしょうが。

 サッカーも同様で、批判は駆け出しの選手よりも

 高額報酬を得ている選手
 クラブでも代表でも中軸であり、その発言が注目を集める選手

 に集中します。

 メッシは再度アルゼンチン代表に復帰するようですが、彼の技量をもってしても批判を避けることはできないのです。

 マイケル・ジョーダン
 アイルトン・セナ
 モハメド・アリ

 その世界で偉人を讃えられる選手たちも同様ですが、間違ってはならないのは彼らほど汗を流すことに懸命だった選手は、いないという点です。

 上司としては部下が怠けているとすれば腹立たしい。

 でも上司の方が怠けているという感じる割合が多い方が、腹立たしさも倍増しますが、それは報酬と地位が平社員とは全く異なるためです。

 昇進したいと思うならば、試験に受かる前に自分の汗の光加減を見たほうがよいかもしれませんよ。
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スマップの解散報道から見る2006年の日本代表

2016-08-24 01:09:48 | 日記
 男女問わず週刊誌は夏の合併号を終え、新刊のネタにスマップの解散記事を特集しています。

 様々な内容が掲載されていますが、核心部分では

 「皆がスマップを存続させることを願っていた」
 「個人の気持ちが存続を希望しても、その気持ちの内容が違っていた」

 という部分にたどり着きます。

 僕らはこのような分裂を、既に2006年に見ていましたね。

 当時の日本代表は、海外リーグの選手とJの選手、レギュラーと控えという表と裏のような形で形成されており、各々が代表、ワールドカップについて意見を持っていたことは事実です。

 しかし、その考えに隔たりがありすぎ、思うような形で一致団結できませんでした。

 日本代表の手綱を締めようとした中田
 ワールドカップが近づく重圧を和やかに使用した小野と稲本
 バック3、バック4の狭間で揺れた宮本

 というように、それぞれの思惑が思惑で終わり、恐らく僕らの世界と同様、その胸中には

 「どうせ言っても仕方がないさ」
 「俺の意見なんて、誰も気にしないよ」

 という思いもあったように感じます。

 スマップも代表も、願う胸中は一緒でも、その方向性が同じ方向向かなかった、これが僕の印象です。

 代表は監督も変わりますし、選手の入れ替えは頻繁におきるものの、芸能の現場でグループのメンバーが頻繁に入れ替わる例はありません。

 そこを逆手にとったのがAKBであり、総選挙というメンバー交代です。

 今後もスマップに関する報道は続くと思います。
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