塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

オッケー・グーグルと語りかけながら思うこと

2016-11-21 01:30:32 | 日記
 「お前の携帯でオッケー・グーグルと言わせてよ」

 僕の母は今までスマートフォン、携帯電話、PHSのいずれも所有したことがありません。

 ついでに言いますと運転免許証もないため、遠出をするときは僕が車に乗せていくわけですが、そんな60代後半の機械音痴の女性からしても、音声認識は興味深い機能のようです。

 それは僕も同様で、皆さんも多くの場合

 「オッケー・グーグル!」

 と語りかけているのでしょう。

 音声認識の長所としては、先天的に手首に病気を抱えている方や、体育の授業で突き指、骨折なような怪我をしてしまった際に、役に立つという側面があります。

 声さえ出せれば、何かしらの調べものができる
 その調べものは、本、辞書と違って持ち運びが便利なスマートフォンで行われる

 というところがすごいと思うのです。

 通常僕らが考えるサッカーは、Jリーグ、なでしこリーグ、そして代表の試合であり、なかなかフットサル、ビーチサッカー、ブラインドサッカー、アンプティサッカーまでは考えが及びませんよね。

 自戒を込めて言いますと、千曲市の隣にある坂城町で運営しているブラインド・サッカーのクラブ

 「FCレインボー」

 の試合を見てみたいと以前から思っています。

 しかし、まだできていないことが現状です。

 Fリーグは映像で確認できますし、代表か過去にカズがワールドカップに参加することで話題になりましたが、それでもサッカーの裾野は広いと言えます。

 スマートフォンに限らず、技術革新によって恩恵を受けられる方を増やし、サッカーの世界でも活用が期待されるならば、それは僕たちも練習して取り入れる必要がある、そんな気がします。
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改めて思う監督の人選はどうあるべきか

2016-11-21 01:16:46 | 日記
 パルセイロは監督を変えるべきなのか、続投させるべきなのか、正直考えるほど答えはでません。

 監督の度重なる交代劇で、クラブそのものがどうあるべきか、よくわからなくなってしまった事例としてジェフとヴェルディが挙げられますが、それは来季のフロンターレにものしかかるでしょう。

 ワールドカップのような短期決戦と、リーグの長丁場では監督の人選も異なります。

 一方でワールドカップ前、メディアとファンからバカ扱いされていた指揮官が、優勝してしまい、メディアが居心地の悪さを感じる例はごまんとあります。

 その1 1986年のアルゼンチン代表とカルロス・ビラルド
 その2 2002年のセレソンとフェリオン
 その3 1998年のフランス代表をエメ・ジャッケ
 その4 2010年の日本代表と岡ちゃん

 その1とその2は、ファンが

 「ああ、ビラルド俺たちを許してくれ」
 「フェリポン、俺たちが悪かった」

 とファンが謝罪した例です。

 2010年の日本代表もそうですが、ファンがそれまで罵声を飛ばしていた指揮官に許しを請う例は

 「ファンあってのプロサッカー」

 という構図が、いかに歪であるかを証明しています。

 ジャッケの例はメディアが謝罪した例です。

 ル・キップは最後までジャッケを罵倒し、その人間性までを否定するような記事で紙面を埋めていました。

 しかし、フランス代表がセレソンとの決勝に進むことがわかると、一転して謝罪し、自分たちの方向性が間違っていたことを認めます。

 このように、監督交代をせずに続投させることが好結果につながる例があるわけですが、パルセイロに限らず、多くのクラブが監督の人選を考慮する季節になっています。
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