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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

改めて振り返るバドウ・ビエイラの歩み

2019-06-03 00:21:13 | 日記
 専門サイト「フットボール・ゾーン・ウエブ」に、まだ地域リーグ時代の長野パルセイロの記事が現在掲載されています。

 記事の中核となるのは、イラン代表として1997年、日本代表とマレーシア、ジョホールバルで戦ったバドウ・ビエイラの招聘を、長野エルザ(当時のクラブ名)が決定した事になります。

 今回の記事だけで完結はせず、続き物として連載は続くようなので、次回作を楽しみにしたいと思います。

 僕はバドウ本人に千曲市サッカー場で握手をして頂いたことがありますし、映画「クラシコ」の中にも登場します。

 僕はバドウが指揮をとっていた時代の選手で一番印象深いのは

 「MF8 小田竜也 選手」

 になります。

 バドウの後任として指名された薩川監督には重宝されず、上田ジェンシェンに移籍しましたが、バドウの時代は3-4-3の4の右で、当時の南長野運動公園を疾走していました。

 特に女性からの支持は非常に高く、当時のスタジアムは芝生席と長椅子のどちらかに腰掛けたのですが、どこで観戦しても

 「小田クーン!!」

 という女性の大きな声が聞こえてきたものです。

 2007年の選手名鑑ではバドウが

 「マハダビキアを彷彿をさせる」

 というコメントを提供するなど、その敏捷性は本当に素晴らしい物でしたね。

 守備の要として信頼された籾谷、長野市出身選手として人気だった兼子、クラブ初の契約選手となった要田など、北信越リーグから当時のJFL昇格をかけて、選手たちは懸命に戦っていました。

 今後、どのような形でバドウの歩みをフットボール・ゾーン・ウエブが記載してゆくか、今凄く楽しみです。
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オシムの言葉を再読し始めて

2019-06-03 00:03:39 | 日記
 今月5日のトリニダード・トトバコ戦は、フジテレビが中継を担うようです。

 セルジオ越後氏が寄稿するサッカー・ダイジェストの電子版で、コパ・アメリカの中継がなく親善試合2試合の中継がある点を訝しがっていますが、他にも注意点はあります。

 「令和初の代表戦」
 「久保建英の出番はあるのか」

 と煽り立てるマスメディア。

 確かに森保監督は彼らにどんどん記事を書いてほしいと伝達しましたが、コマーシャリズムに迎合した記事は、期待していないと思いますよ。

 つまり枕詞がつくことで、試合内容や選手の成長という

 「代表の本質」

 が忘れられてしまう危険性、ありませんかね。

 新装版の「悪者見参」を読み終えた僕は、書棚から同じ木村元彦氏の作品「文集文庫 オシムの言葉増補改訂版」を取り出しました。

 オシムはこの作品の中で

 「勇人が記者に囲まれているのを見ると頭が痛くなる」
 「若い選手が少し良いプレイをしたらメディアは書き立てる。でも少し調子が落ちてきたら、一切書かない」
 「するとその選手は一気に駄目になっていく」
 「彼の人生にはトラウマが残るが、メディアは責任を取らない」

 久保という固有名詞が消費すればされるほど、彼の懸念がより現実化していくわけです。

 ノルウエー代表のウーデゴー
 クロアチア代表のハリロビッチ

 古くはユナイテッドでプレイしたノーマン・ホワイトサイド、そして最後まで飲酒の癖が抜けなかったポール・ガスコイン。

 若いうちから首位から

 「彼は天才だ、間違いなく代表の中核になるよ」

 を囁かれたことが、彼らから本質を遠ざけたのではないでしょうか。

 久保選手の活躍は本当に鮮やかで見事なのですが、卓球やフェンシングのような個人競技でない限り、調和は最低限必要となりますからね。
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