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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

プレミア価格という現象

2019-06-29 00:15:08 | 日記
 サイズが合わなかったために購入しませんでしたが、初めてイタリア製のディアドラ・スニーカーを履いてみました。

 中古屋で発見しましたが未使用品であり、履き心地は抜群で

 「これがイタリア製のディアドラか!!」
 「ああ、惜しいなあ」

 と思いましたね。

 価格も未使用品でありながら4800円でして、つくづく惜しいなと思ったことと同時に、その横に並ぶプレミア付きスニーカーの価格表示でした。

 ゼビオ・スポーツがプーマに依頼して、ゼビオ・スポーツ限定スパイクを販売するそうです。

 店舗限定というのは確かに店側にとっての目玉商品であり、セールスが期待できると思います。

 しかし、その一方で近年はインターネットを通じた売買で利ザヤを得る機会が多くなり、欲しい品、試着してみたい品が当日店舗に出かけても、すでに完売御礼ということもあるようです。

 店舗限定というものは、千曲市のような片田舎ではなかなか入手する機会もありませんし、

 「高値でも致し方ないか」

 と考えがちです。

 最近はウヰスキーが高価買取、販売の対象となり、僕の贔屓ブランドであるニッカの竹鶴17年などは、かつての希望小売価格の4倍はします。

 僕は今手元に竹鶴の入門編である「竹鶴ピュアモルト」が一本ありますが、熟成年数が記された品は、何と正規の販売店で見たことすらなく、この古酒取扱店舗で初めて見たほどです。

 適正価格は人によって異なりますが、僕からすると冒頭で記したディアドラや、実際購入したロエベの中古ポーチの方が嬉しいわけです。

 嫌な言い方ですが、サッカニーやミズノのような、プレミアがつきにくい靴の方がもっと関心を持たれても良いように感じます。
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イタリア国内におけるユヴェントスの意義

2019-06-29 00:03:34 | 日記
 イタリアではユヴェントスと対峙する形でインテルが存在し、彼らの対戦はナショナル・ダービーと称されます。

 カルチョ・ポリの影響でユヴェントスの影響力は一時期陰を潜めるものの、近年は盟主の座を取り戻していますが、インテルはその躍進の原動力であるふたり

 GMのジュゼッペ・マロッタ
 指揮官のアントニオ・コンテ

 を招聘し、巻き返しを狙っています。

 199-2000年にマルチェロ・リッピを招聘した際、ユヴェントスとは比較にならない、フロントの脆弱さが翌2001年に発せられた

 「奴らのケツを蹴り飛ばしてやりたいぜ」
 「そして監督は即刻辞任だ」

 という名文句に繋がったのでしょう。

 ナポリを含む南部のクラブも、基本ユヴェントスに良い印象を抱いていません。

 しかし、イタリアの車製造業は基本、ユヴェントスの根幹である「フィアット」が担っていますから、イタリアの生活にはいたるところでユヴェントスの面影が見えているように思えます。

 一方でインテルは、90年代半ばから常に「ピレリ」と良好な間柄になります。

 対戦相手の全てを毛嫌いする欧州、南米サッカーでは日用品に宿敵の気配が感じた際はどのように対処しているのでしょうか。

 ナポリは仕立ての一大産地として知られており、日本にも熱心な背広好きが沢山います。

 彼らが敬愛する仕立屋のひとりに、アントニオ・パニコという方がいまして、彼の愛車はポルシェになります。

 彼は長谷川喜美氏の著作「サルトリア・イタリアーナ」の112ページにおいて

 「スーツの良しあしもわからない男が、何故フェラーリに乗っているのか、不思議に思ったものだ」
 「15歳で初めてコバルトブルーのポルシェ911を見た。そのデザインと計器類の美しさに心を奪われた」

 と語っています。

 しかし根本には、ユヴェントスを意識していたように思うのです。
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