塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

韓国も日本も「子持ち様」論争があるのですね

2025-03-06 22:08:20 | 日記

 日本は少子高齢化の代名詞とされています。

 

 一方で韓国も、子供の受験戦争とけた違いの教育費の準備に戸惑い、結婚をしたくない、一人で暮らしたい、行きたいと思う若年層が、右肩上がりで増加していると聞きました。

 

 野球、サッカー、陸上など競技で張り合ってきた両国。

 

 皮肉にも教育や子育てでは、共通点が多い様子です。

 

 日本でも「子持ち様」という冷ややかな言葉がありますよね。

 

 僕の勝手な憶測ですが、「子持ち様」は案外「子供の学校行事」「子供の体調不良」「子供の授業参観」などを、隠れ蓑にして仕事を休んでいるようにも見えます。

 

 野球でいえば「隠し玉」

 プロサッカーでいえばフリーキックの際、壁を幾分前に作る

 

 というようなことでしょうか。

 

 つまり、僕のような独身者で幸運にも自分自身、両親のいずれも病気と事故に疎遠である場合は、子持ち様が持ち込んだ「アクシデント」を差サポートしなければいけない。

 

 自分の仕事を捨ててという「おまけつきで」

 

 彼ら、彼女たちは週末、繁忙期は「家族」を前面に押し出すから、基本は出社しませんしね。

 

 だから「子持ち様は」と思われるのでしょう。

 

 プロサッカーでいえば、過去のレアル・マドリードですよ。

 

 イケル・カシジャズが

 

 「レアルは最悪だ」

 「勝利はすべて攻撃陣の手柄、敗北はすべて僕たちのせい」

 

 とため息をついたように、攻撃は守備を支え、守備が攻撃を支えなくては意味がありません。

 

 「子持ち様」は仮にアクシデントで早退、欠席し、誰かがサポートしてくれたとしますよ。

 

 「今日は私がサポートしますね」

 「だっていつも助けていただいているんですから」

 

 と言ってみではどうですか。

 

  作家の山口瞳は新潮文庫の「礼儀作法入門」の中で

 

 「君たちは部署の女性陣に、暮れや正月、お盆に贈り物をしてねぎらいをしているかい」

 「そのようなたしなみを無視しては、全くダメだね」

 

 と語ります。

 

 これは昭和の談話ですが、助けてもらった人間が苦戦しているときに、その側の人間が無視している、という観点が「子持ち様」という揶揄に結び付いている気がします。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 僕は弁当持参で観戦するのですが | トップ | 人生、最後はお金でしょうか »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事