日本は少子高齢化の代名詞とされています。
一方で韓国も、子供の受験戦争とけた違いの教育費の準備に戸惑い、結婚をしたくない、一人で暮らしたい、行きたいと思う若年層が、右肩上がりで増加していると聞きました。
野球、サッカー、陸上など競技で張り合ってきた両国。
皮肉にも教育や子育てでは、共通点が多い様子です。
日本でも「子持ち様」という冷ややかな言葉がありますよね。
僕の勝手な憶測ですが、「子持ち様」は案外「子供の学校行事」「子供の体調不良」「子供の授業参観」などを、隠れ蓑にして仕事を休んでいるようにも見えます。
野球でいえば「隠し玉」
プロサッカーでいえばフリーキックの際、壁を幾分前に作る
というようなことでしょうか。
つまり、僕のような独身者で幸運にも自分自身、両親のいずれも病気と事故に疎遠である場合は、子持ち様が持ち込んだ「アクシデント」を差サポートしなければいけない。
自分の仕事を捨ててという「おまけつきで」
彼ら、彼女たちは週末、繁忙期は「家族」を前面に押し出すから、基本は出社しませんしね。
だから「子持ち様は」と思われるのでしょう。
プロサッカーでいえば、過去のレアル・マドリードですよ。
イケル・カシジャズが
「レアルは最悪だ」
「勝利はすべて攻撃陣の手柄、敗北はすべて僕たちのせい」
とため息をついたように、攻撃は守備を支え、守備が攻撃を支えなくては意味がありません。
「子持ち様」は仮にアクシデントで早退、欠席し、誰かがサポートしてくれたとしますよ。
「今日は私がサポートしますね」
「だっていつも助けていただいているんですから」
と言ってみではどうですか。
作家の山口瞳は新潮文庫の「礼儀作法入門」の中で
「君たちは部署の女性陣に、暮れや正月、お盆に贈り物をしてねぎらいをしているかい」
「そのようなたしなみを無視しては、全くダメだね」
と語ります。
これは昭和の談話ですが、助けてもらった人間が苦戦しているときに、その側の人間が無視している、という観点が「子持ち様」という揶揄に結び付いている気がします。
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