現役共産党員・松竹伸幸が東京都内で記者会見し、党員の直接投票で党首を選ぶ「党首公選制」を共産党が導入するよう訴えた。しかし導入されることはあり得まい。
党首(委員長)である志位和夫が党首公選制は「派閥ができるからやらない」と明言しているからだ。派閥には派閥の問題点があるが、独裁よりはマシだ。民主主義国家の日本で独裁政党の共産党が安倍晋三を「独裁者」などと批判することは臍で茶を沸かすというものだ。
ツイッターでは共産党を支持する人がちらほら見かけるが、共産党が独裁政党だということを分かっているのだろうか。少し自分に近い主張をするからと独裁政党に投票して独裁政党が政権に加わるのは困る。
正直あり得る話とは思わないが、せっかくの票が無駄になるだけだ。れいわ新選組にでも投票する方が良い。社民党はもう消滅寸前の政党でこちらに投票することも票が無駄になるだけだからだ。
つまり共産党には党首公選制をやる気はないし、言論の自由のさえないということだ。自民党の最後の良心が「議論」だ。議論はガス抜きの面もあるが、言論の自由、議論なきところに民主主義はない。上意下達で上が決めたことを唯々諾々と従うなど耐えられない。我々民主主義国家に生まれたのではないのか。
議論なき自民党には利権漁りの世襲議員しか残らない - 面白く、そして下らない
共産党の存在意義を認めては来たが、改めて独裁政党だということを突きつけられるとそれにも躊躇いが生じる。
共産党は機関紙である赤旗を自治体管理職に押し売りして財政を賄っているのだ。共産党の理念は尊重するが、政党助成金を受け取れば済むことではないか。自治体管理職に押し売りする必要はなくなるのだ。
共産党の自治体管理職への赤旗押し売り問題 - 面白く、そして下らない
共産党は今話題の「Colabo」などとも繋がりがある。
共産党の存在より、共産党の比例400万票がほかの左翼政党に投票されることの方が日本の国益になるのではないか。それこそ自民党が恐れていることだからだ。
党首(委員長)である志位和夫が党首公選制は「派閥ができるからやらない」と明言しているからだ。派閥には派閥の問題点があるが、独裁よりはマシだ。民主主義国家の日本で独裁政党の共産党が安倍晋三を「独裁者」などと批判することは臍で茶を沸かすというものだ。
ツイッターでは共産党を支持する人がちらほら見かけるが、共産党が独裁政党だということを分かっているのだろうか。少し自分に近い主張をするからと独裁政党に投票して独裁政党が政権に加わるのは困る。
正直あり得る話とは思わないが、せっかくの票が無駄になるだけだ。れいわ新選組にでも投票する方が良い。社民党はもう消滅寸前の政党でこちらに投票することも票が無駄になるだけだからだ。
~~引用ここから~~
(略)
元日本共産党本部職員で「現役日本共産党員」を名乗る松竹伸幸氏が、記者会見、最近出版した本、ネットTV、週刊誌などで「党首公選制」を主張しています。
自ら同意したはずの党規約に違反する行為
まず指摘しておかなければならないのは、松竹氏の行動が党のルールに反していることです。党規約では、党員は、「中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめる」(第5条第6項)ことができるとしています。松竹氏も「党首公選制」を実施すべきだという意見があるなら、中央委員会に対しても幹部会や常任幹部会に対しても、そうした意見をのべる権利がありました。しかし、松竹氏が、そうした行動をとったことは、これまでただの一度もありません。異論があれば党内で意見をのべるということを一切しないまま、「公開されていない、透明でない」などと外からいきなり攻撃することは、「党の内部問題は、党内で解決する」(第5条第8項)という党の規約を踏み破るものです。
「党首公選制」についていえば、日本共産党の規約が、党員の直接投票によって党首を選出するという方式をとっていないことには理由があります。そうした方式を実施するならば、理の必然として、各候補者が多数派を獲得するための活動を奨励する――派閥・分派をつくることを奨励することになっていくからです。
日本共産党は、旧ソ連や中国の干渉によって党が分裂した「50年問題」という痛苦の体験を踏まえ、規約で、「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める」「決定されたことは、みんなでその実行にあたる」「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制を組織原則として明記(第3条)しており、「党首公選制」という主張は、規約のこの原則と相いれないものです。
そして党規約には、次のように明記しています。
「党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」(第5条第5項)
松竹氏の行動は、党の決定のなかでも綱領とならんで最も重い決定である党規約に反する意見を、党内で主張することもせず、勝手に発表したものであって、松竹氏自身も同意したはずの党規約に違反する行為です。
松竹氏は「党規約に反することのないよう、慎重にやっています」などと言っていますが、それは党規約をまったく理解していないものと言わなければなりません。
(略)
~~引用ここまで~~
つまり共産党には党首公選制をやる気はないし、言論の自由のさえないということだ。自民党の最後の良心が「議論」だ。議論はガス抜きの面もあるが、言論の自由、議論なきところに民主主義はない。上意下達で上が決めたことを唯々諾々と従うなど耐えられない。我々民主主義国家に生まれたのではないのか。
議論なき自民党には利権漁りの世襲議員しか残らない - 面白く、そして下らない
共産党の存在意義を認めては来たが、改めて独裁政党だということを突きつけられるとそれにも躊躇いが生じる。
共産党は機関紙である赤旗を自治体管理職に押し売りして財政を賄っているのだ。共産党の理念は尊重するが、政党助成金を受け取れば済むことではないか。自治体管理職に押し売りする必要はなくなるのだ。
共産党の自治体管理職への赤旗押し売り問題 - 面白く、そして下らない
共産党は今話題の「Colabo」などとも繋がりがある。
共産党の存在より、共産党の比例400万票がほかの左翼政党に投票されることの方が日本の国益になるのではないか。それこそ自民党が恐れていることだからだ。
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