あいちトリエンナーレ表現の不自由展が公金を支出して昭和天皇の御真影を焼き払いその灰まで踏みにじる反日映像を芸術として展示していたことから改めて国民が声を上げる大切さを知った。表現の自由と公金支出。
国民が抗議する権利は日本國憲法21条で認められた権利だ。
~~引用ここから~~
日本国憲法(衆議院ホームページ)
(略)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
〔居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由〕
(略)
~~引用ここまで~~
憲法を持ち出さなくともおかしなことには反対すべきだが。日本では民衆が抗議の声を上げ始めたのはそれほど昔のことではない。室町時代からのことに過ぎない。それまでは「御上」がやることには黙って耐え忍んで来たわけだ。
~~引用ここから~~
正長の土一揆(ウィキペディア)
正長の土一揆(しょうちょうのどいっき、-つちいっき)は、1428年(正長元年)8月から9月に起きた、室町時代の一揆の一つ。別名は正長の徳政一揆。農民が起こした初めての一揆でもある。
概要
室町時代中期、凶作(前年からの天候不順)、流行病(三日病)、将軍の代替わり(足利義持から足利義教へ)などの社会不安が高まる中、近江坂本や大津の馬借が徳政を求めた。その一揆が畿内一帯に波及し、各地で借金苦に耐えかねた農民たちが酒屋、土倉、寺院(祠堂銭)を襲い、私徳政を行われた。私徳政の根拠としては「代替わりの徳政」であるとされている。
室町幕府はこれに窮し、管領・畠山満家に命じて制圧に乗り出し、侍所所司・赤松満祐も出兵したが、一揆の勢いは衰えず、9月中には京都市中に乱入し奈良にも波及した。
尋尊の『大乗院日記目録』には、「正長元年九月 日、一天下の土民蜂起す。徳政と号し、酒屋、土倉、寺院等を破却せしめ、雑物等恣に之を取り、借銭等悉く之を破る。官領、之を成敗す。凡そ亡国の基、之に過ぐべからず。日本開白以来、土民の蜂起之初めなり。」と記載されている。
(略)
~~引用ここまで~~
まあそれは余談でしかないが。
政府、自治体に限らず「権力」(影響力、発言力)を有する有力者や組織がおかしなことをしたら、抗議の声を上げなくてはならない。放置していては問題が拡大する。無理が通れば道理が引っ込む。あまりに些細なことまで口出してしていては疲れるし、社会全体も息苦しくなりかねないが。
もちろんその際一線を越えてはならない。するのはあくまでも「抗議」までだ。脅迫になっては逮捕される恐れもある。それは本意ではないだろうし、誰も幸せにしない。
あいちトリエンナーレ表現の不自由展は大村秀章愛知県知事が再開を強行したが、文化庁の補助金とまだ支払っていなかった名古屋市の補助金は不交付になった。国民が抗議の声を上げた結果だ。
大村秀章は訴えると息巻いているがまず愛知県が勝つことはあるまい。下級審ではもしかしたら勝つかもしれないし、最高裁でも少数意見がつくかもしれないが、補助金の不交付は左翼マスコミのプロパガンダ造語「事後検閲」などではないからだ。
公金の不交付は「検閲」では決してない。表現の内容を吟味して補助金交付の有無を決めるのは当然のことだ。昭和天皇の御真影を焼き払いその灰まで踏みにじる反日映像に公金を出せるはずがない。
表現の不自由展の反日はそれだけではない。神風特攻隊の遺書と星条旗でかまくらを作り、「間抜けな日本人の墓」と侮蔑する展示。福島第一原発のメルトダウンを揶揄し、「放射能最高」などと嘲る展示などばかりだ。公的施設での展示を拒否されるのは当然のことではないか。
愛知県庁やあいちトリエンナーレ事務局に電話で抗議することで国民の意思を示せる。電話よりは抗議の度合いが弱まるがメールでも抗議になる。デモは日本人があまり集まらない。河村たかし名古屋市長の座り込みの参加者は30人程度でしかなかった。
フジテレビデモのように動員されたわけではない普通の日本人が千人単位で集まれば効果がある。あれ以降フジテレビは視聴率王者から転げ落ち、「振り向けばテレビ東京」と揶揄される惨状だからだ。
抗議やデモだけではない。ブログやSNSで意見を発信するだけでも意味はある。
大規模デモの方が人数が集まっただけ効果があり、過疎ブログでは読者が少ないから効果が薄いだけだ。
行動はやったらやっただけ効果はある。
ブログランキングを押すだけでも、そのブログが多くの人に読まれるようになるから効果がないわけではない。一回押すだけならたかが知れてはいるが、無意味ではないのだ。だからこのブログにもできる限り押して欲しいものだ。
あまり考えすぎても仕方ないが。
国民が抗議する権利は日本國憲法21条で認められた権利だ。
~~引用ここから~~
日本国憲法(衆議院ホームページ)
(略)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
〔居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由〕
(略)
~~引用ここまで~~
憲法を持ち出さなくともおかしなことには反対すべきだが。日本では民衆が抗議の声を上げ始めたのはそれほど昔のことではない。室町時代からのことに過ぎない。それまでは「御上」がやることには黙って耐え忍んで来たわけだ。
~~引用ここから~~
正長の土一揆(ウィキペディア)
正長の土一揆(しょうちょうのどいっき、-つちいっき)は、1428年(正長元年)8月から9月に起きた、室町時代の一揆の一つ。別名は正長の徳政一揆。農民が起こした初めての一揆でもある。
概要
室町時代中期、凶作(前年からの天候不順)、流行病(三日病)、将軍の代替わり(足利義持から足利義教へ)などの社会不安が高まる中、近江坂本や大津の馬借が徳政を求めた。その一揆が畿内一帯に波及し、各地で借金苦に耐えかねた農民たちが酒屋、土倉、寺院(祠堂銭)を襲い、私徳政を行われた。私徳政の根拠としては「代替わりの徳政」であるとされている。
室町幕府はこれに窮し、管領・畠山満家に命じて制圧に乗り出し、侍所所司・赤松満祐も出兵したが、一揆の勢いは衰えず、9月中には京都市中に乱入し奈良にも波及した。
尋尊の『大乗院日記目録』には、「正長元年九月 日、一天下の土民蜂起す。徳政と号し、酒屋、土倉、寺院等を破却せしめ、雑物等恣に之を取り、借銭等悉く之を破る。官領、之を成敗す。凡そ亡国の基、之に過ぐべからず。日本開白以来、土民の蜂起之初めなり。」と記載されている。
(略)
~~引用ここまで~~
まあそれは余談でしかないが。
政府、自治体に限らず「権力」(影響力、発言力)を有する有力者や組織がおかしなことをしたら、抗議の声を上げなくてはならない。放置していては問題が拡大する。無理が通れば道理が引っ込む。あまりに些細なことまで口出してしていては疲れるし、社会全体も息苦しくなりかねないが。
もちろんその際一線を越えてはならない。するのはあくまでも「抗議」までだ。脅迫になっては逮捕される恐れもある。それは本意ではないだろうし、誰も幸せにしない。
あいちトリエンナーレ表現の不自由展は大村秀章愛知県知事が再開を強行したが、文化庁の補助金とまだ支払っていなかった名古屋市の補助金は不交付になった。国民が抗議の声を上げた結果だ。
大村秀章は訴えると息巻いているがまず愛知県が勝つことはあるまい。下級審ではもしかしたら勝つかもしれないし、最高裁でも少数意見がつくかもしれないが、補助金の不交付は左翼マスコミのプロパガンダ造語「事後検閲」などではないからだ。
公金の不交付は「検閲」では決してない。表現の内容を吟味して補助金交付の有無を決めるのは当然のことだ。昭和天皇の御真影を焼き払いその灰まで踏みにじる反日映像に公金を出せるはずがない。
表現の不自由展の反日はそれだけではない。神風特攻隊の遺書と星条旗でかまくらを作り、「間抜けな日本人の墓」と侮蔑する展示。福島第一原発のメルトダウンを揶揄し、「放射能最高」などと嘲る展示などばかりだ。公的施設での展示を拒否されるのは当然のことではないか。
愛知県庁やあいちトリエンナーレ事務局に電話で抗議することで国民の意思を示せる。電話よりは抗議の度合いが弱まるがメールでも抗議になる。デモは日本人があまり集まらない。河村たかし名古屋市長の座り込みの参加者は30人程度でしかなかった。
フジテレビデモのように動員されたわけではない普通の日本人が千人単位で集まれば効果がある。あれ以降フジテレビは視聴率王者から転げ落ち、「振り向けばテレビ東京」と揶揄される惨状だからだ。
抗議やデモだけではない。ブログやSNSで意見を発信するだけでも意味はある。
大規模デモの方が人数が集まっただけ効果があり、過疎ブログでは読者が少ないから効果が薄いだけだ。
行動はやったらやっただけ効果はある。
ブログランキングを押すだけでも、そのブログが多くの人に読まれるようになるから効果がないわけではない。一回押すだけならたかが知れてはいるが、無意味ではないのだ。だからこのブログにもできる限り押して欲しいものだ。
あまり考えすぎても仕方ないが。
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