今日は憲法記念日だ。祝日は嬉しいが、GHQに押し付けられた憲法の記念日なのであまりめでたくはない。国旗は掲げたが。日本國憲法で国民の権利は向上したが、軍隊さえ持てない欠陥憲法だ。GHQが日本が二度と立ち上がれないようにするために作った憲法だからだ。
GHQの占領支配は「寛大」だったとされるが、実態は軍隊の保有さえ許されず、ベルサイユ条約とそう変わらないものだった。海外領土は全て奪われ、沖縄県も27年占領支配された。北方領土は奪われたままだ。確かに賠償金は請求されなかったが、経済成長は妨げられた。
またBC級戦犯として1000人近くが処刑されている。いわゆるA級戦犯ばかり言及されるし、天皇陛下が処刑されなかったからあまり注目されないが。これは文明のもとの「虐殺」ではないか?
朝鮮戦争が勃発しなければ米国は日本を「四等国家」の農業国家にするつもりであり、戦後の高度経済成長はなかっただろう。
前置きはそれくらいにして、憲法記念日だと新聞は社説で揃って憲法について言及する。新聞比較には持ってこいだ。私は常日頃新聞不買を呼び掛けているので読み比べる意味があると言うつもりはない。むしろ読み比べて購読する価値がないことを再確認する。文字数制限があるし、特に読む価値はないので社説の引用はしない。
中でも東京新聞社説は朝日新聞も真っ青の狂いぶりだ。憲法が死者に委託されたものだと云うのだ。憲法を改正させたくないばかりに死者さえ持ち出す辺り戦前の陸軍と変わらない論理だと気づかないのか。
日露戦争の死者10万人に申し訳ないから満州の権益は譲れない。それにより米国と戦争になり、全てを喪うことになったのだ。日本國憲法を遵守すればその再来になろう。軍隊の保有さえ許されないのだから。軍事力の不足によりもう外交で国益を相当損なっている。左翼は認めようとしないが、軍事力は外交の裏付けだからである。
読売新聞は憲法改正を主張しているが、社説の文章に読むべきものはない。今まで散々言及されたことの焼き直しだからである。やはり購読する価値はない。
日経新聞は読んでも何を主張したいのかよくわからない。社説なのにどっちつかずの中途半端な文章なのだ。経済紙だから経済以外は読む価値がないわけだ。日経新聞は財務省の狗の緊縮財政だから経済も読む価値がないと私は考えているが。企業情報が充実しているからか電子版の契約は80万弱もある。
朝日新聞、毎日新聞、東京新聞は軍事力の増強さえ反対する利敵新聞だ。米国は世界最大の軍事国家だが、民主主義が損なわれているのだろうか。侵略された際の反撃を米国に委ねる矛と盾論や専守防衛は危険だと気づかないのか。また「手を汚す」ことを米国に押し付けている。やり口が汚いと感じないのか。
頭がおかしくなる社説である。あるいはこの「電波浴」が癖になる人もいるかもしれないが、私はもう辟易している。ネットの普及により新聞部数が激減する時代に生まれて良かった。このような新聞の部数が増えていくことには耐えられないからだ。まあ高度経済による恩恵があったのでそちらの方が暮らしやすかったかもしれないが。
産経新聞はいくらか読める社説だ。日本國憲法の欠陥を正面から見据え改正を主張している。占領中の憲法改正が無効との主張をして欲しいのだが、それは無理というものか。
だが買い支える気にはなれない。電子版の契約をする気にもなれない。それは経済についての主張が他と変わらず酷いものだからだ。ただPVを増やす支援くらいはしたいと考えている。それに意味があるのか、産経新聞の経営に良い影響があるかはわからない。
やはり新聞に読む価値はない。学校で新聞社説の読み比べをするのも面白いかもしれないが、小学生は年齢的に新聞はあまり読ませないし、高校生は大学受験の勉強が忙しい。中学生くらいに読み比べをさせるのが年齢的には適正かもしれない。小学校高学年くらいだと社説も理解できるだろうか。だが教師が左翼教師だと洗脳されかねないので社説の読み比べなどしない方が良いのだろう。
憲法については神学論争、堂々巡りの無意味な議論を永年してきた。時間を浪費してきた。自民党の憲法改正にはあまり賛成ではないのだが、自主憲法を制定し、無意味無価値な論争に終止符を打ちたい。憲法は改正するなら部分改正ではなく、全文新しいものにしたいものだ。日本國憲法破棄ならなお良い。
GHQの占領支配は「寛大」だったとされるが、実態は軍隊の保有さえ許されず、ベルサイユ条約とそう変わらないものだった。海外領土は全て奪われ、沖縄県も27年占領支配された。北方領土は奪われたままだ。確かに賠償金は請求されなかったが、経済成長は妨げられた。
またBC級戦犯として1000人近くが処刑されている。いわゆるA級戦犯ばかり言及されるし、天皇陛下が処刑されなかったからあまり注目されないが。これは文明のもとの「虐殺」ではないか?
朝鮮戦争が勃発しなければ米国は日本を「四等国家」の農業国家にするつもりであり、戦後の高度経済成長はなかっただろう。
前置きはそれくらいにして、憲法記念日だと新聞は社説で揃って憲法について言及する。新聞比較には持ってこいだ。私は常日頃新聞不買を呼び掛けているので読み比べる意味があると言うつもりはない。むしろ読み比べて購読する価値がないことを再確認する。文字数制限があるし、特に読む価値はないので社説の引用はしない。
中でも東京新聞社説は朝日新聞も真っ青の狂いぶりだ。憲法が死者に委託されたものだと云うのだ。憲法を改正させたくないばかりに死者さえ持ち出す辺り戦前の陸軍と変わらない論理だと気づかないのか。
日露戦争の死者10万人に申し訳ないから満州の権益は譲れない。それにより米国と戦争になり、全てを喪うことになったのだ。日本國憲法を遵守すればその再来になろう。軍隊の保有さえ許されないのだから。軍事力の不足によりもう外交で国益を相当損なっている。左翼は認めようとしないが、軍事力は外交の裏付けだからである。
読売新聞は憲法改正を主張しているが、社説の文章に読むべきものはない。今まで散々言及されたことの焼き直しだからである。やはり購読する価値はない。
日経新聞は読んでも何を主張したいのかよくわからない。社説なのにどっちつかずの中途半端な文章なのだ。経済紙だから経済以外は読む価値がないわけだ。日経新聞は財務省の狗の緊縮財政だから経済も読む価値がないと私は考えているが。企業情報が充実しているからか電子版の契約は80万弱もある。
朝日新聞、毎日新聞、東京新聞は軍事力の増強さえ反対する利敵新聞だ。米国は世界最大の軍事国家だが、民主主義が損なわれているのだろうか。侵略された際の反撃を米国に委ねる矛と盾論や専守防衛は危険だと気づかないのか。また「手を汚す」ことを米国に押し付けている。やり口が汚いと感じないのか。
頭がおかしくなる社説である。あるいはこの「電波浴」が癖になる人もいるかもしれないが、私はもう辟易している。ネットの普及により新聞部数が激減する時代に生まれて良かった。このような新聞の部数が増えていくことには耐えられないからだ。まあ高度経済による恩恵があったのでそちらの方が暮らしやすかったかもしれないが。
産経新聞はいくらか読める社説だ。日本國憲法の欠陥を正面から見据え改正を主張している。占領中の憲法改正が無効との主張をして欲しいのだが、それは無理というものか。
だが買い支える気にはなれない。電子版の契約をする気にもなれない。それは経済についての主張が他と変わらず酷いものだからだ。ただPVを増やす支援くらいはしたいと考えている。それに意味があるのか、産経新聞の経営に良い影響があるかはわからない。
やはり新聞に読む価値はない。学校で新聞社説の読み比べをするのも面白いかもしれないが、小学生は年齢的に新聞はあまり読ませないし、高校生は大学受験の勉強が忙しい。中学生くらいに読み比べをさせるのが年齢的には適正かもしれない。小学校高学年くらいだと社説も理解できるだろうか。だが教師が左翼教師だと洗脳されかねないので社説の読み比べなどしない方が良いのだろう。
憲法については神学論争、堂々巡りの無意味な議論を永年してきた。時間を浪費してきた。自民党の憲法改正にはあまり賛成ではないのだが、自主憲法を制定し、無意味無価値な論争に終止符を打ちたい。憲法は改正するなら部分改正ではなく、全文新しいものにしたいものだ。日本國憲法破棄ならなお良い。
新聞は左寄りが多く、
日狂組は、人権と平和ばかり謳い
9条なんて国力を衰えさせるばかりだと
思います。
おばちゃんは、自主憲法を望みながらあの世に
逝ってしまうのかな・・・と、ちょっと悲しいです。
日教組が平和と人権を強調するなら拉致被害者の人権に言及しなければ嘘ですし、平和を維持したいならば軍事力なくして平和は維持できないことを知るべきです。
憲法9条は役に立ったこともありますが、ベトナム戦争への出兵を断る口実になりました、軍事力が制限され外交もままなりません。米国に泣きついて米国に良いようにむしられています。
本当に自主憲法を制定したいものです。自民党の改憲には正直反対です。