うつ病になってから明日に回せることを今日やろうとは思えなくなってしまった。ちょっとやる気を出して積極的になれば愉しくなるのにそれができない。一歩を踏み出すことができないのだ。
『チーズはどこに消えた』ではその場に留まっていないで新しい「チーズ」を探しにいけば素晴らしいチーズが見つかるとあるし、『ドラゴン桜2』でも「東大を受ける」ことなくして東大に受かることはないと桜木は言っている。そう最初の一歩を踏み出す少しの積極性が人生には必要なのだ。
テレビだけを見て過ごす老後は切ない - 面白く、そして下らない
定年退職後の高齢男性がやることがなく日がな一日テレビを見ているだけというのは悲しい。少しの積極性を出して一歩を踏み出せば愉しいことがあるはずなのだが。
私の両親は母は父の定年退職後に仕事を始め、習い事をして、家族全員の雑用をしている。雑用というと聞こえが悪いが、税金の支払いや相続、社会保障の手続きなどだ。面倒で見返りがないが誰かがやらなくてはいけない仕事だ。
父は自治会や入会地組合、福寿会の仕事をしている。あとは畑を耕している。自治会や入会地組合、福寿会の仕事もまさに雑用なのだが、社会との繋がりになるし、他人と関わって生きていくからそこそこ愉しいようだ。両親ともになにもしない老後ではないのである。
翻って私はというとうつ病ですっかり積極性を喪ってしまい、友人との付き合いもなくなってしまった。本屋に行くのが趣味みたいなものだったが、気づけばすっかり行かなくなっている。これでは不味いとは思っているのだが、一歩を踏み出すことが億劫で仕方ないのだ。
引用に出てくる定年退職後日がな一日なにもしない高齢者男性は健康麻雀をすれば良いと思うのだ。私の思い込みかもしれないが、高齢男性のほとんどは麻雀ができるだろう。そこそこの地方都市なら近場で健康麻雀をやっているだろうからそこに行くのを勧めたい。
しかし健康麻雀でも主催者によって合う合わないがあるようだ。麻雀を打っていても話が弾まないと愉しくないだろう。そういう場合は違う主催者の健康麻雀に変えることを勧めたい。公民館などで健康麻雀ができると良いのだが、有料の健康麻雀の方が主催者が楽しめる工夫をしているからそちらの方が愉しめるかもしれない。
健康麻雀 - 面白く、そして下らない
退職後に「健康麻雀」はいかが - 面白く、そして下らない
またカラオケも健康には良い。一緒にカラオケに行く友人が必要だが。
健康麻雀にしろ健康麻雀をやっている場所に行くという少しの積極性が必要だ。初めの一歩を踏み出すことが必要なのだ。それなくして人生も老後の生活も豊かにならない。
私はなにもすることがない他人に勧めることはできるのだが、うつ病の自分が一歩を踏み出すことがやたら億劫なのだ。本を読むのも文字を追うのが億劫だし、ゲームも愉しくないのだ。ネットで政治・経済の話を読み、ブログに書くのが唯一の楽しみに近い。
政治にもっと積極的になるために地方議員になりたいとも思うのだが、体力精神力が続かないだろうこともわかるのだ。体力をつけるために身の回りのできることをしなければならないのだが、億劫で仕方ない。本当に人生には少しの積極性が必要だ。
新聞も暇な高齢者には必要なのかもしれない。父は新聞が大好きで隅まで読んでいる。国民の利益を代表せず、財務省の犬の不買・解約を勧めたいのだが。
テレビばかり見る老後は避けたいと考えているが、去年永眠した祖母は老人ホームに入る前はテレビばかり見ていた。しかしそれではつまらないだろう。テレビの質が落ちている現在ならなおさらだし、昼間のテレビは恐ろしくつまらないからだ。やはり昼間はテレビを見ないことを勧めたい。
父は地元の県議の後援会にも入っている。熱心に支援しているというより断れず入っているという感じだが、それでも生活に張り合いができるのだろう。呼び出しがあると出掛けている。田舎なので自民党県議だが。そこまで関わらずとも選挙には行きたい。父は県議の支持者だが政治については私のが詳しいのだ。投票も付き合いで決めているようだ。それはそれで良い。まずは投票することが大事なのだ。誰でも投票すれば良いわけではないのだが。
最後にランキングボタンを押してくれるようお願いする。ランキングが上がればより多くの人に読まれるし、私の気持ちも上向くからだ。私も一歩を踏み出したいものだ。
『チーズはどこに消えた』ではその場に留まっていないで新しい「チーズ」を探しにいけば素晴らしいチーズが見つかるとあるし、『ドラゴン桜2』でも「東大を受ける」ことなくして東大に受かることはないと桜木は言っている。そう最初の一歩を踏み出す少しの積極性が人生には必要なのだ。
~~引用ここから~~
ある日、時間を潰す必要があり、住宅街が広がる私鉄駅前のカフェチェーンに足を踏み入れた。平日午後3時。ランチには遅く、夕飯にはまだ早い。広い店内には年配の女性グループ客、近所のママ友なのか女性ふたり連れなどがいたが、入り口近くのふたり席には、転々と年配の男性客が1席置きくらいに座っている。
住宅街のカフェで、高齢男性が……
彼らのテーブルの前には、ホットかアイスのコーヒーを頼んだと思われるカップもしくはグラスがひとつずつ。何かを食べた形跡もない。そして彼らは何もしていない。
他のひとり客はみな何かをしている。30代くらいのサラリーマンはパソコンで仕事をしているし、アラサー女性は書類を読み込んでいる。学生らしき若者はスマホを凝視する。だが、転々と座っている年配男性たちはみな一様に、あらぬ方向を見つめているのだ。何をしているわけでもない、誰かを待っているわけでもない。おそらく70代半ばくらいの男性たちである。
一方で奥のほうに座っている同世代の女性グループは、わいわいと楽しそうだ。何やら習い事をしている人たちらしく、「グループ展を開く計画」を話し合っているようだ。意見が飛び交い、そのたびに笑い声も飛ぶ。男性ひとり客たちとの表情の違いが顕著で、なんともいえない気持ちになった。
父の憂鬱「今さら何をすれば……」
「わかります。うちもそうなんですよ」
そう言うのはコズエさん(40歳)だ。彼女には後期高齢者となった父、70代に入ったばかりの母がいる。
「自宅から1時間ほどのところに両親が住んでいるんですが、私も仕事と家庭があるので、なかなか実家に立ち寄れなくて」
それほどお金をかけなくてもできることがある。うちの母はもともと社交的で、長く仕事もしていたから友人が多いんです。でも夫の母はずっと専業主婦だった人。その義母が義父の定年後、やたらと習い事をするようになった。
『お父さんとずっと家にいるのは息がつまるのよ』と私にこっそり教えてくれたんですけどね(笑)。習い事じたいも楽しいし、この年で友だちができたのもうれしいと言っていました。だから父も何かやってみたらいいのにと思ったんです」
すると父は「今さら何をすればいいんだ」と怒ったように言った。定年退職して、その後は別の会社で70歳まで働いていた父。だが母に言わせれば「まじめだけど人望がないのよね、お父さんは。だから友だちもいない」ということだった。
誰とも話さず、1日中ぼんやりする日常
70歳で仕事を辞めてからしばらくは、図書館に通っていたようだが、それもつまらなくなったのか、ここ数年は誰とも話さず、日がな1日ぼんやりしていることが多いらしい。一方の母はほぼ毎日、出かけて夕方戻って食事の支度をする日々。父との生活はやはり息がつまるのだろう、ときどき女友だちと旅行する。
「お父さん、何かしたいことはないのと聞いてみたら、そんなこと考えたこともなかったというんです。仕事を辞めてからのことを何も想定していなかったんでしょうか。母がああいう性格だから、母とどこかへ行ったり何かをしたりできるはずもないのはわかっていたと思うんですが、仕事を辞めたら母が付き合ってくれると思っていたのかしら。すごく不思議なんですよね。仕事がなくなったあとの自分の生活をどうして何も考えていなかったのか」
75歳は「人生の分かれ道」なのか
後期高齢者になる75歳。ここはある意味で「人生の分かれ道」なのかもしれない。ここ数年、75歳まで生き延びられずに亡くなる有名人が多かった。体力的にも精神的にも何かが変わるのがこの年齢なのかもしれない。
「やっぱり人と交わることって大事ですよね。母はめいっぱいスケジュールが入っているのに、最近、地域のボランティアも始めたそう。生きることに前向きな母と、何もしない父。そりゃ母のほうが楽しそうですよ」
とはいえ、その話を夫にしたら、夫は「お父さんが外に出たくない、人と交わりたくないというなら、それもまたひとつの生き方かもしれないよ」と言ったそうだ。
「誰でも外で活発に生きるのが向いているわけじゃないと夫は言うんです。でも父は、今が楽しいと思っているわけでもないと思うと言ったら、楽しいだけが生きる目的でもないって夫が。まあ、人それぞれですから、父がいいと思うならいいけど、端から見ていると歯がゆい気がしますね」
病気でもないのに、やることがないシニアの1日。やることがないのか、やる気力がないのか。いくつになっても「希望」を自ら持たない限り、人生は虚しいのではないかと思えてならないとコズエさんはため息をついた。
~~引用ここまで~~
テレビだけを見て過ごす老後は切ない - 面白く、そして下らない
定年退職後の高齢男性がやることがなく日がな一日テレビを見ているだけというのは悲しい。少しの積極性を出して一歩を踏み出せば愉しいことがあるはずなのだが。
私の両親は母は父の定年退職後に仕事を始め、習い事をして、家族全員の雑用をしている。雑用というと聞こえが悪いが、税金の支払いや相続、社会保障の手続きなどだ。面倒で見返りがないが誰かがやらなくてはいけない仕事だ。
父は自治会や入会地組合、福寿会の仕事をしている。あとは畑を耕している。自治会や入会地組合、福寿会の仕事もまさに雑用なのだが、社会との繋がりになるし、他人と関わって生きていくからそこそこ愉しいようだ。両親ともになにもしない老後ではないのである。
翻って私はというとうつ病ですっかり積極性を喪ってしまい、友人との付き合いもなくなってしまった。本屋に行くのが趣味みたいなものだったが、気づけばすっかり行かなくなっている。これでは不味いとは思っているのだが、一歩を踏み出すことが億劫で仕方ないのだ。
引用に出てくる定年退職後日がな一日なにもしない高齢者男性は健康麻雀をすれば良いと思うのだ。私の思い込みかもしれないが、高齢男性のほとんどは麻雀ができるだろう。そこそこの地方都市なら近場で健康麻雀をやっているだろうからそこに行くのを勧めたい。
しかし健康麻雀でも主催者によって合う合わないがあるようだ。麻雀を打っていても話が弾まないと愉しくないだろう。そういう場合は違う主催者の健康麻雀に変えることを勧めたい。公民館などで健康麻雀ができると良いのだが、有料の健康麻雀の方が主催者が楽しめる工夫をしているからそちらの方が愉しめるかもしれない。
健康麻雀 - 面白く、そして下らない
退職後に「健康麻雀」はいかが - 面白く、そして下らない
またカラオケも健康には良い。一緒にカラオケに行く友人が必要だが。
健康麻雀にしろ健康麻雀をやっている場所に行くという少しの積極性が必要だ。初めの一歩を踏み出すことが必要なのだ。それなくして人生も老後の生活も豊かにならない。
私はなにもすることがない他人に勧めることはできるのだが、うつ病の自分が一歩を踏み出すことがやたら億劫なのだ。本を読むのも文字を追うのが億劫だし、ゲームも愉しくないのだ。ネットで政治・経済の話を読み、ブログに書くのが唯一の楽しみに近い。
政治にもっと積極的になるために地方議員になりたいとも思うのだが、体力精神力が続かないだろうこともわかるのだ。体力をつけるために身の回りのできることをしなければならないのだが、億劫で仕方ない。本当に人生には少しの積極性が必要だ。
新聞も暇な高齢者には必要なのかもしれない。父は新聞が大好きで隅まで読んでいる。国民の利益を代表せず、財務省の犬の不買・解約を勧めたいのだが。
テレビばかり見る老後は避けたいと考えているが、去年永眠した祖母は老人ホームに入る前はテレビばかり見ていた。しかしそれではつまらないだろう。テレビの質が落ちている現在ならなおさらだし、昼間のテレビは恐ろしくつまらないからだ。やはり昼間はテレビを見ないことを勧めたい。
父は地元の県議の後援会にも入っている。熱心に支援しているというより断れず入っているという感じだが、それでも生活に張り合いができるのだろう。呼び出しがあると出掛けている。田舎なので自民党県議だが。そこまで関わらずとも選挙には行きたい。父は県議の支持者だが政治については私のが詳しいのだ。投票も付き合いで決めているようだ。それはそれで良い。まずは投票することが大事なのだ。誰でも投票すれば良いわけではないのだが。
最後にランキングボタンを押してくれるようお願いする。ランキングが上がればより多くの人に読まれるし、私の気持ちも上向くからだ。私も一歩を踏み出したいものだ。
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