今日は「建国記念の日」。「建国記念日」ではなく「の」が入る莫迦莫迦しさ。また当時の社会党の反対でのが入ったのである。天皇賛美になるだの保守反動だなど腹が立つ。
社民党が政党要件を喪いそうだからそれを機に建国記念日ないし紀元節にしてはどうか。神話ではあるが、神武天皇の日本建国の日を大事にしたい。学校でも歴史とともに神話を教えたい。日本の成り立ちを子孫に伝えていくために。
「建国記念の日」から「紀元節」へ - 面白く、そして下らない
全国紙で「建国記念の日」のついて社説で触れているのは産経新聞だけだ。だから産経新聞には色々問題はあってもなくなって欲しくないのだ。買い支えはしないが。
GHQが神話を教えるのを禁じたのも日本人が國に愛国心を持てなくするためだった。日本人の戦いぶりを見て恐れたのだ。
歴史は近代史こそ学ぶべきではあるが、善き日本人になるために神話を学びたい。もちろん神話は神話としてで良い。私も神話は小学校の図書室で児童用書籍を読み漁ったくらいしか知らない。学校では教えられなかったからだ。これも安倍晋三が内閣総理大臣の職にあるうちに教育を変えるべきではなかったか。
それもしない辺りやはり自民党では駄目なのだ。野党がやるとは言わない。しかし自民党に代わる保守政党を作らねばならないと考える。自民党こそ戦後日本、戦後レジームそのものだからである。
天皇陛下と皇室は日本の歴史そのものだ。そのことを学校で教えれば自然と皇室に敬意を払うようになっていくだろう。皇室は日本で広く国民に支持されているし、学校で神話を教えられなかった私も皇室に敬愛の念を持っているが。戦後生まれだから良くも悪くも「畏敬の念」はない。
「開かれた皇室」というのは皇室への敬意を失わさせるものなのではないかと危惧している。皇族は芸能人ではないのだ。宮内庁には皇室の盾として頑張って貰いたいものだ。
神話は歴史とは違う。しかし「日本人」として神話を知ることは日本を深く知り、先祖から受け継いだ日本という國を知ることだ。そして國を愛することに繋がろう。愛するゆえに今の政治には黙ってはいられない。そうなるはずだし、そうなるべきだ。現代日本人は政治にも何にも無関心に過ぎる。
日本第一党や国守衆などが国会に議席を持てばまた変化があるかもしれない。今の情勢で経済を優先するほかないが。
最後に少し違うが、自衛隊の兵器の名称は10式戦車など西暦を基準にした名称にしている。「皇紀」にすべきではないか。せめて元号を使った名称にすべきだと考えるが。
~~引用ここから~~
今週金曜日(11日)は建国記念の日である。この祝日の名を聞く度に、「の」が余計だと思う。建国記念日とならなかったのは「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として制定されたからだ。日本建国の日と認めたわけではないと国会で決めたのである。昭和41(1966)年のことだ
▶戦前、この日は紀元節という祝日だった。日本書紀が「辛酉年(しんいうのとし)の春正月の庚辰(かうしん)の朔(ついたち)」と書く初代神武天皇の即位の日が、太陽暦に直すと紀元前660年2月11日になることから、明治6(1873)年に制定された。が、終戦直後に廃止になった
▶戦後20年以上経ち、建国の日がない国はないとして復活の機運が盛り上がった。反対したのは日本社会党である。いわく「天皇賛美で、戦前に帰る保守反動行為だ」。大もめの末に与野党で歩み寄ったのが、前出の意義を体現する「の」だった。歴史を否定する左翼野党と、安易に妥協する与党の馬鹿馬鹿しさ。今の国会は大丈夫か。
~~引用ここまで~~
社民党が政党要件を喪いそうだからそれを機に建国記念日ないし紀元節にしてはどうか。神話ではあるが、神武天皇の日本建国の日を大事にしたい。学校でも歴史とともに神話を教えたい。日本の成り立ちを子孫に伝えていくために。
「建国記念の日」から「紀元節」へ - 面白く、そして下らない
全国紙で「建国記念の日」のついて社説で触れているのは産経新聞だけだ。だから産経新聞には色々問題はあってもなくなって欲しくないのだ。買い支えはしないが。
~~引用ここから~~
今年も新型コロナウイルス禍が続く中での、建国記念の日を迎えた。
国内で初めて患者が確認されてから2年余り、苦難は続く。このような時こそ国の成り立ちに思いを馳(は)せ、幾多の苦難を乗り越えてきた先人をしのびたい。
辛(かのと)酉(とり)の年の1月1日、初代の神武天皇が大和の橿原宮で即位した。よってこの年を天皇の元(はじめ)の年となす―と、日本の建国の由来が、日本書紀に記されている。
この日は今の暦の紀元前660年2月11日にあたり、現存する国々の中では世界最古の建国とされる。科学的根拠がないから必要ないという批判はあたらない。大切なのは、日本が建てられた物語を私たちの先祖が大切に語り継いできた積み重ねである。
しかし、建国神話を軍国主義と強引に結びつけた批判が一部に残っているのは残念である。日教組などの影響力が強い学校現場でも、建国の由来や意義はほとんど教えられていない。
中学校学習指導要領は「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展に努めること」と定めている。国の成り立ちを知らなければ、真に国を愛せようか。
貴族の世から武士の世へ、そして明治維新から現代へと時代が移り変わっても、首座に天皇をいただいて国民が結束する国柄は不変だった。そのような日本の出発をしのび、祝うのが建国記念の日といえよう。
きょう、子供たちに日本の建国の由来と意義を教えよう。そして私たちに繁栄した祖国、ふるさとをバトンタッチしてくれた先人に感謝しよう。
~~引用ここまで~~
GHQが神話を教えるのを禁じたのも日本人が國に愛国心を持てなくするためだった。日本人の戦いぶりを見て恐れたのだ。
歴史は近代史こそ学ぶべきではあるが、善き日本人になるために神話を学びたい。もちろん神話は神話としてで良い。私も神話は小学校の図書室で児童用書籍を読み漁ったくらいしか知らない。学校では教えられなかったからだ。これも安倍晋三が内閣総理大臣の職にあるうちに教育を変えるべきではなかったか。
それもしない辺りやはり自民党では駄目なのだ。野党がやるとは言わない。しかし自民党に代わる保守政党を作らねばならないと考える。自民党こそ戦後日本、戦後レジームそのものだからである。
天皇陛下と皇室は日本の歴史そのものだ。そのことを学校で教えれば自然と皇室に敬意を払うようになっていくだろう。皇室は日本で広く国民に支持されているし、学校で神話を教えられなかった私も皇室に敬愛の念を持っているが。戦後生まれだから良くも悪くも「畏敬の念」はない。
「開かれた皇室」というのは皇室への敬意を失わさせるものなのではないかと危惧している。皇族は芸能人ではないのだ。宮内庁には皇室の盾として頑張って貰いたいものだ。
神話は歴史とは違う。しかし「日本人」として神話を知ることは日本を深く知り、先祖から受け継いだ日本という國を知ることだ。そして國を愛することに繋がろう。愛するゆえに今の政治には黙ってはいられない。そうなるはずだし、そうなるべきだ。現代日本人は政治にも何にも無関心に過ぎる。
日本第一党や国守衆などが国会に議席を持てばまた変化があるかもしれない。今の情勢で経済を優先するほかないが。
最後に少し違うが、自衛隊の兵器の名称は10式戦車など西暦を基準にした名称にしている。「皇紀」にすべきではないか。せめて元号を使った名称にすべきだと考えるが。
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