もう何年前だったか忘れたが、新潮社が文芸書を出したことがある。出版社だから当然だが。その帯に
人は所詮金と女と権力
とどぎついことが書かれていた。
だがある程度は当たっている。大抵の人間は金と権力と女(女には男。同性愛者には同性)を欲しがるものなのだ。それに興味のない人間は変わり者か手に入れられないから興味がないと強がっているだけだ。
子供の頃はドラゴンボールで育ったので悟空が「強い奴と闘いてえ」と言っているのを無邪気に聞いていたものだが。
そんな私でも学校で、私はクラスの中心ではなかったが、たまに友達にちやほやされるのは気持ち良かったし、好きな女の子もいた。
名誉(名声)と女を欲しがるのはその延長上にあると言えよう。
また官僚になって國を動かしたいと考えていた時期もあった。あるいは真面目に勉強していれば私も官僚になれたかもしれない。だができなかった。
権力というものも現代ではそれ以前に比べてかなり制限されているが、それでも大抵の人間には魅力的なものだ。
富というものは労働により増やすことができる。しかし名誉(名声)と女と地位は限られている。極端なことを言えば内閣総理大臣には一人しかなれない。安倍晋三が内閣総理大臣に就いている限り石破茂はなれない。
椅子取りゲームだ。
現代では一夫一妻だが、結婚しても愛人を持っている男(女も)はいるし、政治家や芸能の不倫は結構騒ぎになる。
魅力的な女(あるいは男)の数は少なく、彼女らを射止めようとするならば男(女も)を磨く必要がある。魅力的な男(女も)は複数の女(男)にモテるから彼等が独占するとさらにあぶれる男(女も)が増える。
政治家や官僚、財界人、知識人、文化人、芸能人などで名誉(名声)を得ている人間など僅かだ。消防団の活動を長年して表彰される人などはいようが、多数から認められる名誉(名声)を得られる人間は少ない。
富でさえ現代は極少数の超富裕層が独占しており、1日1ドル以下で暮らす極貧層も多い。富というものは名誉や女(男)などと違い労働と科学技術の発展で増やせるが、独占もできてしまうのだ。日本でも格差が社会問題になっている。
富は国家が成長していれば多くの国民がその恩恵に預かれる。だから橋本龍太郎以来緊縮財政で停滞している日本は駄目なのだ。予算は多すぎるのではない、少なすぎるのだ - 面白く、そして下らない
人間はそれらを競争して、他人を蹴落として得るしかないのだ。だが反面「協調」というものがなければ共同体は崩壊する。貧富の格差が酷ければ貧しい国民は愛国心を持つどころか国家に憎悪さえ抱くだろう。
不倫や薬物の所持、使用で芸能界を追放された芸能人に再度機会を与えるべきか否か。不倫は犯罪ではないし、薬物の所持と使用も日本は厳しいが、世界的には病気の一種だから寛容が必要との考えが欧米を中心にある。
それを考えると再度機会を与えるべきとも思うが、彼らが「追放」されればその空いた「枠」は誰かが埋めるのだ。再度機会を与えれば、それは「新人」に与える機会が減るということだ。人生は所詮椅子取りゲームなのだから。
政治家も同じだ。中曽根康弘は内閣総理大臣を退いてからも永く国会議員の地位にあった。だが中曽根康弘が国会議員を退かなければ新人に機会が与えられない。自民党の参議院比例当選議員は80歳定年のはずなのに何人も「特例」で延長が認められた。いつまでもしがみつくな。国会議員も新陳代謝が必要なのだ。中曽根康弘死去 - 面白く、そして下らない
読売新聞会長の渡辺恒雄も死ぬまで地位にしがみつくつもりだろうが老害でしかない。早く引退して後進に譲れ。安倍晋三と読売新聞の癒着 - 面白く、そして下らない
人は所詮金と女と権力
とどぎついことが書かれていた。
だがある程度は当たっている。大抵の人間は金と権力と女(女には男。同性愛者には同性)を欲しがるものなのだ。それに興味のない人間は変わり者か手に入れられないから興味がないと強がっているだけだ。
子供の頃はドラゴンボールで育ったので悟空が「強い奴と闘いてえ」と言っているのを無邪気に聞いていたものだが。
そんな私でも学校で、私はクラスの中心ではなかったが、たまに友達にちやほやされるのは気持ち良かったし、好きな女の子もいた。
名誉(名声)と女を欲しがるのはその延長上にあると言えよう。
また官僚になって國を動かしたいと考えていた時期もあった。あるいは真面目に勉強していれば私も官僚になれたかもしれない。だができなかった。
権力というものも現代ではそれ以前に比べてかなり制限されているが、それでも大抵の人間には魅力的なものだ。
富というものは労働により増やすことができる。しかし名誉(名声)と女と地位は限られている。極端なことを言えば内閣総理大臣には一人しかなれない。安倍晋三が内閣総理大臣に就いている限り石破茂はなれない。
椅子取りゲームだ。
現代では一夫一妻だが、結婚しても愛人を持っている男(女も)はいるし、政治家や芸能の不倫は結構騒ぎになる。
魅力的な女(あるいは男)の数は少なく、彼女らを射止めようとするならば男(女も)を磨く必要がある。魅力的な男(女も)は複数の女(男)にモテるから彼等が独占するとさらにあぶれる男(女も)が増える。
政治家や官僚、財界人、知識人、文化人、芸能人などで名誉(名声)を得ている人間など僅かだ。消防団の活動を長年して表彰される人などはいようが、多数から認められる名誉(名声)を得られる人間は少ない。
富でさえ現代は極少数の超富裕層が独占しており、1日1ドル以下で暮らす極貧層も多い。富というものは名誉や女(男)などと違い労働と科学技術の発展で増やせるが、独占もできてしまうのだ。日本でも格差が社会問題になっている。
富は国家が成長していれば多くの国民がその恩恵に預かれる。だから橋本龍太郎以来緊縮財政で停滞している日本は駄目なのだ。予算は多すぎるのではない、少なすぎるのだ - 面白く、そして下らない
人間はそれらを競争して、他人を蹴落として得るしかないのだ。だが反面「協調」というものがなければ共同体は崩壊する。貧富の格差が酷ければ貧しい国民は愛国心を持つどころか国家に憎悪さえ抱くだろう。
不倫や薬物の所持、使用で芸能界を追放された芸能人に再度機会を与えるべきか否か。不倫は犯罪ではないし、薬物の所持と使用も日本は厳しいが、世界的には病気の一種だから寛容が必要との考えが欧米を中心にある。
それを考えると再度機会を与えるべきとも思うが、彼らが「追放」されればその空いた「枠」は誰かが埋めるのだ。再度機会を与えれば、それは「新人」に与える機会が減るということだ。人生は所詮椅子取りゲームなのだから。
政治家も同じだ。中曽根康弘は内閣総理大臣を退いてからも永く国会議員の地位にあった。だが中曽根康弘が国会議員を退かなければ新人に機会が与えられない。自民党の参議院比例当選議員は80歳定年のはずなのに何人も「特例」で延長が認められた。いつまでもしがみつくな。国会議員も新陳代謝が必要なのだ。中曽根康弘死去 - 面白く、そして下らない
読売新聞会長の渡辺恒雄も死ぬまで地位にしがみつくつもりだろうが老害でしかない。早く引退して後進に譲れ。安倍晋三と読売新聞の癒着 - 面白く、そして下らない
25日のカウントは不具合でなかなか表示されませんでしたが、トータルのカウントの方には加算されていたようなんです。
それがアクセス解析の不具合が直ったら2重にカウントが加算されてしまったように見えました。計算はしていないのですが。
トータル閲覧数とトータル訪問者数だけは正しい数字を出して欲しいものです。カウントが加算されることが密かな愉しみでしたから。間違った数字では意味がありません。
gooブログから来ました。
カウント、25日分がだぶっていますよね。私も計算しましたらおかしかったです。