★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「バイクシート専門店」GOOD JOB

2021-07-15 18:42:47 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「バイクシート専門店」GOOD JOB

 新車のバイクになり、ようやく少し慣れてきた。

しかしこのバイク「フランスで設計されたもの、大きさも欧州人に合わせてある」

つまり「典型的日本人体形である自分には少々シートが高い」

 恥を忍んで「社員に相談すると」

そうですか、じゃあ「シートを改造しに行きましょう」との事?

 そんなところあるの?と質問すると。

多くの人が「同じことを感じ、そして実際に修正をしている」とのこと。

 よく考えれば、ベトナム人こそ、小柄な人が多い(最近の若い者は背が高い人が多いが

それでも日本人よりも小柄だ、だったら同じ悩みがあることもうなずけた)」

 さすがに10年暮らしていると「店先にバイクのシートだけが飾ってある店は知っていた」

しかしこれが「既存のシートを低くすることもできる事は知らなかった」

 早速出かけると。「年若いお兄さんが私のバイクをまじまじと見て、

このバイク初めてだ」と言った。

 しかし、別に嫌がることもなく「ホンの少々構造を確認すると、すぐにシートをばらし始めた」

*ここからがすごかった。以下作業順に記す。

❶シートを押したり見たり、ここでもうどうするかは決めていたようだ

シートを車体から外す。

❷ここで「説明が入る」「このシートはスポンジ部分が少なく、スポンジだけ削っても1cmくらいしか下がらない

そこで、シートのがかぶっている「シートのスポンジの下地(固いプラスチックでできている)

に穴をあけ、削り、高さを下げるそうだ。(合計で3-4センチ下がるということだ)

それに納得して「やりますか?」ということだ。つまりインフォームドコンセントということだ。

同意すると、すぐに作業再開。

おもむろにグラインダーと電動のこぎりで作業。

・あーっという間にシート本体のプラスティックに穴をあけ、穴の開いた部分は恐らくアルミの板に見栄え良く黒のビニールシートを接着し

、元の下地にビス止め。ビスのでっぱりはグラインダーで除去し、下地の部分を完成させた

❸そしてここで解説。「その下地にもし直接元のシートをつけるなら下地が沈んだ分、皺になり、すぐに破れてしまうとの事」

そこでこの部分に「他のシートの下地スポンジを長いのこぎりの歯のようなもので、なんのためらいもなく

削りだし、下地の沈んだ分と、既存シートの隙間を埋める「下地スポンジ」を製作した。(この間3分ほど)

❸そして、いよいよ元のシートを取り付けるが、そのもとのシートのスポンジも「削った下地と、そこに入れたスポンジに

合うように、これも例の長い刃物で「新しいシートのスポンジを削っていく」

 恐らく、神経質の人なら「シート下地に穴をあけるとき、そしてこの新スポンジをどんどん削るときに、

衝撃を受けていたことだろう」(自分も、おいおい本当に大丈夫?と思った)

 そして、このスポンジ表面をサンドペーパーで形を整え、元のシートの「表面皮」をかぶせると。

「あーら、なんということでしょう」 全然違和感なく、皺もなく、きれいな状態になった。

そしてその皮を電動のホチキスのようなもので「シート本体に皺が出ないように伸ばしながら固定していった」

❹ そしてそのシートを車体に取り付け終了した。

この間≒60分 お値段は「600000ドン(≒3000円)」だった。

所感

*おそらく下がったシート高さは4cmくらいかと思う?

*見栄えは全く依然と変わりなし、誰もシートを下げたとは思わないだろう

*たかが4cmだが、これがすごい変化があった。(以前のバイクがこれまた、車高が低かったために

足底まで両足がペタリついた。)新しいバイクは修正前では、足は付くものの、不安定さがあった。

しかしこのわずかなシート下げは、無理すれば「両足で足のほぼ70%」がつくようになったため、大きな安心感ができた。

新しいバイクは以前のバイクよりも30㎏も車重が増えた分、このような修正は「安全にバイクを乗るにも必須だった」

 そしてこの要求に対して「QDCの観点でも大きな満足をくれたベトナムの職人魂にも敬意を表したい」

ベトナムの「バイクメンテナンス技術」恐るべしである。

(神経質な方には向かない修正だろうが?

このアバウトさと大胆さ、ベトナムという国に共通している特質だと思う)

 

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ベトナムハノイの「餅スイーツ」

2021-07-15 18:27:53 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「餅スイーツ」

 先日「3歳友人の母上から、実家より母上のお母様(3歳友人のおばあちゃんが来ていて)が来てるので、餅が食べたいねー」

とラインがあった。そう言われて「黙っているわけにもいかず」600mほど先の「ショッピングセンター」

に新車バイクで行った。

 普通なら「にぎわっている時間だが、人がいない」営業しているのはネットで調べた。

建物に入り、その店に行くまでの間、2名しかすれ違わない。店員も「寝ていた」

 そして、注文すると「最大のお目当てである【桜】がない、店員は売り切れというが?

こんなにお客さんがい何のに売り切れのはずもない?おそらくお客の減少で生産調整をしたのだろう?」

がっかりした。仕方なく、ラインでメニューを送り、再度「注文を聞き、買っていった」

 この「餅スィーツ」は(ン美本で食べたことは無いが)

日本にもあるのかもしれない? 「MOCHI SWEETS」としてハノイでも4店舗ほどで

売っている。(1つは大体38000ドン ≒180円、安くはない。今日の昼ごはんは35000ドンのベトナムチャーハン

だったことを考えると、「高級なスィーツ」だ。

 私は甘いものはあまり食さないが、おいしそうだったので「この抹茶小豆」を1つ購入して「食した」

普通だった。(中に色んなものが凍って、入っているタイプ。あまりとかしすぎるとおいしくないと思う)

まあたまにはいいかもしれない。

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ベトナムハノイの「デリバリー事情」・・・3

2021-07-15 18:15:42 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「デリバリー事情」・・・3

 最近、コロナの影響もあり、買い物に行く回数も格段に減った

その代わり飛躍的に増えているのが「ネットで買い物」だ、ベトナムでは

安いものは1つ100円以下の物からも宅配してくれる。

 以前もUPしたが、決して「QD」(品質やデリバリー)に関しては

「まだまだ」だが、C(コスト)に関しては頑張っている。

 私も日用品から電化製品まで、幅広く活用している。

 というわけで、弊社の入居している「オフィスビル」の前のいつもの光景だ

「シッパーと呼ばれる人たちが、このビルで依頼した荷物の受け渡しをしている」

もう顔なじみの人たちだ。こうして地べたにシートをひ遂げて、座り込み

電話をかけまくる。そして「荷物の受け渡し」を行う。これが毎日、一日中

続くのである。弊社の入居しているビルは16階建てで「中規模のオフィスビル」であるが

こんな状態だ。もう日本を離れて久しいが、地方都市だった自宅のある群馬では

見たことの無い光景だ。やはりここは「一国の首都である」

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ベトナムハノイの「使えるベトナム語講習開始」

2021-07-09 15:26:44 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「使えるベトナム語講習開始」

 以前ブログに書いたが、3歳友人に刺激され「自然なベトナム語会話」を習得すべく

友人の30歳の美人「日本語学校校長」に相談した。連絡があり、「自分は9月に東京外国語大学に

国費留学することが決まり、途中で先生変更は申し訳ないので、別の先生を紹介する」

ということで、本日「最初の授業」だった。この校長は優秀でハノイ国家大学で大学院に行き

現在は「ハノイ貿易大学」(ほぼベトナムの最高学府にしてレベルもトップ)で教鞭をとっているということだ。

8年ほど前にあったときには「国家大学の学生で、子供のようだったが、現在は校長そして大学講師としての

風格さえ出てきた。(しかし未だ独身である。関係ないが)

 お会いした先生は「フエン先生」。話をしたが「勘のよさそうな先生なのでお願いする事にした」

自分のリクエストは「先生にとっては珍しい事らしく、むしろ興味をもって迎えられた」

 会話でこちらもベトナム語で話したため、途中からは先生は「解説もベトナム語でしゃべりだし」

「増田さんは、普通に話せます」と言われたが、「3歳友人とのエピソード」を話すと、

ようやく私の今回の「ナチュラリー スピーキング」の意味を理解して頂いた。

私が思うところ彼女は「ベトナム語ネイティブ(当たり前)次が英語、次が日本語」が上手なんだと思う。

 私の、以前初心者として「ハノイ師範大学」で学んだ時に「英語でベトナム語を教わった」

今回も「判らなくなったり、言いたいことを言えないとき、先生は英語で私に伝えてきた」

私も「先生が日本語を言っても伝わらないので英語で話すと理解した、結果私たちの

ベトナム語講習は「ベトナム語のナチュラリースピーキング」を基本日本語だが

英語も交えて「学習するという、変な状況になった」これもまた楽しい。

帰り際、出身大学を聞くと「かの貿易大学だった」日本では「間違いなく東大出身」ということだろう。

 彼女曰く「日本人で、ナチュラリースピーキングを望んだ人は初めてで、そこまで望む人も

初めてだ」ということであった。この写真を見てほしい。

すごく簡単な「文である」(こんな簡単なの?と思うかもしれない、

しかし日本人がベトナム語を学んでも「このような自然な言い回しは

教わらないし、知らない」

つまりちゃんとした教科書には載ってないし

載っている書籍もない。 10年住んでみて、社員の会話を聞いてると

文法も時制も何にもない、「通常会話」とは、そんなもんである。

意味を通じるように話せと言われれば話せるが、それはベトナム人が使う

表現じゃない。ベトナム人が「違和感を覚えないで会話をしたいのである」

 10年住んで普通の生活をするには「そんな通常会話、ナチュラリースピーキング」が

学びたいし、習得したいのだ。

 さて、これからどうなるのか?頑張ってみよう。

 

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ベトナムハノイの「ありがとう、お疲れ様」

2021-07-08 09:43:22 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「ありがとう、お疲れ様」

本日午後「注文したバイクが納車される」

オプションパーツがタイからの輸入だったためなんと3週間もかかった。

 

 そして「10年付き合った今のバイクともお別れである」

複雑な心境だ、「長年親しんだものには魂が宿るような気がする」

 ベトナムに来て間もないころ、そのころは「未だ外国人のバイク所有が許されていなかった」

故に「お父様がベトナム軍人大学の要職」に就かれていた社員から、

「うちの父が所有者になってバイク購入しますよ」と申し出でくれて

そのお父様の名義のバイク「YAMAHA NOZZA」を購入した

 新車で16万円だった「ナンバーも手配済」で販売店に行って簡単にバイクが手に入った。

あれからもう10年、その社員は」日本の取引先の技術者と恋に落ち

今では三重県に住んでいる。お父様も退職されたようだ。

そしてこのバイクとは

・遠方のSON LA(ハノイから300km)往復をはじめ、ハノイ近郊をはじめ、いろんな場所を回った

もちろん通勤、買い物に大活躍だった。旅の途中で「故障」することもなく

私を失望させたり、困らせるようなことは皆無だった。

 日本人一人きり、のさみしい週末に「そこらじゅう周った、パートナーだった」

ベトナム進出、バイクと過ごしたベトナム生活が決して簡単だったわけではない。

同業他社の社長は「みんな、お抱え運転手付きのかっこいい社用車に乗っていた」

会合があると「私だけがバイクで出かけた」バイクに乗っているゆえ、ホテルのボーイに

じゃけんに扱われたことも1度や2度ではない。

社員からは「社長なんだから車に乗ってください」

と言われた。(そりゃ乗れればのりたいよとは言えずに、「バイクが好きなんだ」と答えた。

(今は、無借金経営、車も買える。でもバイクに乗っている。それはバイクが本当に好きだからである。)

 それでもそういう会社はすでに倒産したり、撤退したり、残っているのは社長がバイクに乗っている弊社だけである。

良いこともあった、どこに行くにも「社員と一緒に出掛けた」、社長と従業員という垣根を取り払ってくれた

一緒に会社を立ち上げた社員は今でも

どこにでも一緒にバイクで出かける。そんな関係を作ってくれた1つはこのバイクだった。

そして、

会社がつぶれそうになった時も、「活躍してくれた」

社員に給与を払うために「日本の家を抵当に入れたこともあった」サラ金3社から

給与を払うために借金したこともあった。そんなだったから

ベトナム関連会社に行くタクシー代を

節約するために、炎天下「社員を後ろに乗せ、50kmの道のりを何度も往復した」

そんな時を一緒に

過ごしてきた、支えてくれた「仲間だった」 

 そして10年55000kmを頑張って走ってくれた。

私の走り方は「社員から言わせると、アグレッシブ」だそうだ

バイクが可哀そうだと。

そんな私の運転を、故障もせずにささえてくれた。

感謝している。ただのバイクだが、「人生の一番苦しく、楽しかった時

を共有した思い出深いパートナーだった。」

 

 さてこれからは「社員の妹さんがオーナーである」

私も1度お会いした。やさしそうな24歳のお嬢さんである。

社員も「会社設立時から支えてくれている優しい社員である」

プライベートでも大変お世話になっている。

 そんな知っている人がこのバイクをかわいがっていただける事に

感謝する。「古いバイクですが、整備はばっちり」まだまだ走れます。

どうかかわいがってください。よろしくお願いします。

 そして「NOZZA 君」10年間どうもありがとうね。

(昨日は3歳友人の調子が悪く、その薬を調達しに夜の雨上がりの

澄んだ空気のハノイで最後ドライブができた。「もう少し乗りたかったから」

何かの縁なのかもしれない。楽しかった、ありがとう)

 そして、この写真は」今朝、朝食のバインミーを買いに行った時の

最後の雄姿だ。なんか今日は一層かっこいいね!

「元気でね」さようなら。ありがとう。

ありがとう、さようなら、元気でね!

 

 

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