
アリス.イン.ワンダーランドを観て、ユングの集合的無意識を思い出した。
基本的に、親は自(みずか)らが育てられたように子を育てる。
親は精神的に自ら為(な)し得たことだけを、子へ伝えることができる。
親離れの経験があるからこそ、親離れのできる子を育てる事ができるのだ。
自ら親離れをしていなければ、親離れのできない子を育ててしまうだろう。
アリスが終盤で戦った怪物は、内在化した母権性の象徴である。
精神的成長のプロセスで、自立から婚姻へ至る通過儀礼がテーマになっていた。
依存心を超克するときの恐怖心が怪物の姿であり、権威者に対する恐れを象徴する。
親からの干渉を容認することは、子に対する自らの干渉を認めることに等しい。
この関係が雛形(ひながた)となり、責任の境界線が曖昧な、共依存の関係を導く。
自立不全に由来する無力感を避ける為に、弱者を求めて彷徨う事になるだろう。
自ら権威者になることで、自らの権威者への依存を正当化する必要があるからだ。
共依存は疑似親子関係であり、権威と依存、保護者と被保護者の関係に等しい。
外観の華々しい活動が自己逃避に基づくのなら、自己欺瞞を重ねる事になるだろう。
共依存は互いの自立を助ける関係ではなく、自立を妨げる関係に他ならない。
権威と依存の関係は、自由・平等・友愛に基づく自立した個人の関係を損なう。
他者への"無力"を認めて権威を手放す事は、共依存から自立への最初の一歩である。
今日の縁: 「 依存と権威 」
http://krishnamurti.g.hatena.ne.jp/sessendo/20110209/p1