樹下に会ふ だいばだったと しっだるた 夢詩香
*書くまでもない教養ですが、しっだるたは釈尊のこと、だいばだった(提婆達多)は彼を殺そうとした人間の名です。
提婆達多が釈尊を殺そうとした動機は、もちろん嫉妬でした。他の人間は、釈尊の美しさに魅了され、ただぼんやりと追いかけているだけでしたが、提婆達多だけは嫉妬を感じ、殺そうとしたのです。
提婆達多の魂は、今でもそれに苦しんでいます。あれからもう何千年と経ったというのに、未だに多くの人間がそのことをついて、彼を責めるからです。あんな善い人を殺そうとしたのかと。
ここで話を少し変え、季語について語ってみましょう。
わたしの友達が言った通り、実はわたしが俳句を始めたのは、このブログを始めてからです。ここで発表した句の中では、一番最初のなずなの句だけが、わたしの作ではありません。あれは他の誰かが詠んで、ノートの隅にメモしておいたのを採用したのですが、それを呼び水に詠んでみると、泉の水が湧き上がるように、あっという間に百句ができてしまいました。
句は今でも増殖しています。やり始めると面白い。俳句というものの命は、短い言葉の中に込められた象徴性だと感じる。何かをやってみたいという情熱が湧いてきます。
ブログを始めてから、ネットの歳時記というものがあることを知って、覗いてみましたが、正直、あまりよいものとは感じませんでした。面白そうな言葉もありましたが、こんなものに縛られていては、好きなことができなくなると感じ、早々に読むのをやめてしまいました。
季語というものにも、俳句読みにとっては意味があるのでしょう。制限というのは人間のやる気をつくときもある。だがわたしにとっての制限は、17文字だけで十分だ。
冒頭の句に、季語があるかどうかは知りませんが、季語を気にしていては詠めない句です。この句には、釈尊の愛をこめたかった。あの人こそが、一番、提婆達多を心配しているからです。
今は彼の元に来ることはできない。だがいつか、地上で再会し、あの子と許しあいたいと。彼はそう願っている。
その深くも麗しい愛を、17文字に込められるというのが、楽しい。