逃げられぬ おのれを受けて あをぞらの たかみにのぼる わが心かな
*このスランプ、だんだんひどくなりますね。歌を詠む頭が全然働きません。頭全体を硬い石で封じられているようで、感性のアンテナが動けない。言葉をつかもうとしても、何も思い浮かばない。霊的に邪魔をしている馬鹿は、相当にわたしたちが憎いようだ。
六年前の絶好調だったころは、日に十五首も詠んでいたのが、夢のようです。
で、今週は一首も詠めませんでしたので、先週詠んだ二首のうちのもうひとつのものをとりあげましょう。ちょっと平凡なできで、あまり気に入ってはいないのですが、今はこの程度の作しか作れません。
解脱して、魂が解放されると、よく人間は、空に吸われていくように、魂が高みに上っていくのを感じます。魂に不思議な翼が生えてきたかのように、突然、自由を発見する。自分は自分として、何でもできる。自由に自分を表現できる。それに気づいたとき、忽然と、自分は愛以外のことができないとわかるのです。
愛のために、自由に自分をやってゆくことができる、その自分であることが、まことに幸福なのです。
神は、なんとすばらしいものを、わたしにくださったのだろう! このわたしを、わたしにくださった! 自由をくださった! その愛のために、すべてをやってゆきたい!
身の内から力があふれ出てきて、ただ愛だけで、すべての幸福のために働きたくなる。自分の全存在をかけて、愛を叫びたくなる。
そのことを、歌にこめたくて、作ってみたのですが、今はなかなか思い通りにいきません。もっと自由に、感性の翼を広げて、言葉を操りたいのですがね、今は何もかもを封じられて、ことばがぎくしゃくしています。
でも、言いたいことは、伝わるでしょうか。解脱をすると、みな、この魂の上昇感を感じます。神の大空に、自由の翼を広げ、飛んでいける自分を発見する。そのすばらしい幸福を詠みこみたかったのですが。