苦しきは 親のさがな目 君の闇 やぶれ男に しこめのひそみ
*おもしろいことを並べるだけでも、結構いいものができるという例です。
「さがな目」とは、あらさがしをする目のことです。要するに、この世にある苦しみを作るものとは、子供の悪いところばかりを見ている親の目、暗愚な王様、馬鹿な男に、美人のつもりでわがままばかりをしている醜女。
つまりこれらは、本当に正しいものの姿を、すべて逆にしたものなのです。
本来正しい状態を言えば、親は暖かく、子供のいいところを見てそれを伸ばそうとしてやるものなのです。王様は賢く、理に明るく、愛に満ちていなければならない。男はたいそう頭がよく、強くてまじめに働くのが本当だ。女性は優しく美しく、自分を抑えて、顔をしかめずに微笑んでみなに尽くさねばならない。
こういう、神の心に素直なものの姿を、無理に曲げて、自分が弱くて馬鹿なものだと思い込んで、苛立たしさのゆえに、すべてを馬鹿にして、壊してしまおうとするのが馬鹿なのです。なぜ馬鹿かと言えば、神が創ってくださった自分の本当の姿を信じず、馬鹿なものだと思い込んで、馬鹿ばかりやっているからです。
それでよいことになるかというと、とんでもない。苦労して馬鹿をやって、大変なことになっているのを、色んな人に何とかしてもらって、やっと馬鹿なことになりきらずに済んでいる。それなのに、自分が馬鹿になるのがいやなばかりに、助けてくれる愛をまた馬鹿にして、また馬鹿なことをする。
どんどん自分が、神の心から離れていく。
そして人間は、とうとう、神が創ってくださった本来の姿とは、全く別のものにさえ、なってしまうのです。
すべては自分が選んだ道。あらゆるものが助けてくれて、ことあるごとに馬鹿はやめろといさめてくれていたのに、それを馬鹿にして、馬鹿をやり続けた。その報いがとうとうやってきたとき、ようやく馬鹿は、自分が何をしてきたのかを思い知る。
そうなってしまってはすべてが遅い。
そうなる前に、馬鹿をやめ、本当に素直な自分に戻らなければならない。
この歌に合うようなことをやっている人は、もうそろそろ、それをやめなさい。