まぼろしの ほたるを見つつ 父を待つ 夢詩香
*短歌が続いたので、俳句に行きましょう。ほたるは夏の季語でしょうね。調べていませんが、相変わらず季節は全く無視しています。写真もほたるの写真などあるはずがないので、これで代用です。
親に対して、痛い感情を持っていない人はいないでしょうが、かのじょの父親は、大変矛盾を抱えた人でした。一言でいえば、偽物の男性だったのです。若い頃は結構男前で、頭もよかったが、年を取って来ると、妙に体が縮んできた。いやなことをしてしまったので、本当の自分が出てきたのです。
馬鹿なことをして、世間の反感を買ってしまい、痛いことになったのを何とかしようとしてみたが、何もならなかった。自分の人生が思うようにならなかったのを、彼は憂さ晴らしをすることさえできずに、孤独の中で闇につぶしていた。あの人は、そういう父親の心の世界を、近くから見ていた。
かのじょは父を愛していたが、その父は、決して自分を本当には愛しはしないだろうことを知っていた。父親は、頭はいい部類だったが、心はだいぶ未熟だった。人間の心の細やかな情愛がわかるほどに、勉強してはいない。いろいろなことがあって、生きていく気力が萎えている。自分の人生を他の霊魂に代わってもおうとしても、そういうものさえいないのだ。
実に、阿呆なのですよ。
こんな人に、愛してもらおうとするのは、幻のほたるを見ようとするようなものだ。本当はそんなものはありはしないのに、幻のように、それを父の背中や目の中に探そうとすることがある。だが、所詮それは無駄なことであるとわかっている。
勉強をしていない人に、愛を求めるということは、難しいことなのです。あきらめたほうがいい。そして、自分から愛して、何とかしていった方がいいのです。
親の愛を頼ることを早々にあきらめた子供ほど、つらいものはありませんよ。
ただ、ただひとつ、暖かいものがあるとすれば、かのじょが結婚するとき、父親がその準備金として、いくらかのお金をくれたことでした。かのじょはそれはうれしかった。それほど多いお金ではなかったが、かのじょはそれで、結婚することができた。愛など期待していなかった父親から、たったそれだけのことをしてもらえただけで、かのじょにはそれが一生忘れられない暖かな思い出になったのです。
幻の中で、たった一匹だけ、本当の蛍が飛んでいたかのように。
霊魂が交代し、もうこの存在はかのじょではなくなってしまった。奇妙なことで、娘を失ってしまったことを、あの父親はどう思っていることでしょう。心を向けても、暗い闇ばかりが見える。阿呆になったことが嫌で、心を閉じているのです。
そういう親を愛そうと努力していたあの人の心を、あの父親がわかる日は、もうずっと未来のことでしょうね。