しろてふは しろきがよいと 花はいふ 夢詩香
*シロチョウの写真がなかったので、シジミチョウの写真で代用です。許してください。
なんのことはない句ですが。
昆虫という生命活動は、ほとんど神がおやりなさっている事業です。この地球世界にいるすべての昆虫の生命は、神のお印です。
彼らにも独自の霊魂はあるのですが、それはまだとても幼く、複雑な生命活動をやれるほどにはなっていません。ですから彼らの生は、ほとんど神がおやりなさっているのです。昆虫にも個体によっていろいろな運命はありますが、どれもほとんど画一的です。強い個性はまだ発生していない。みな、神がおやりなさっているからです。
だからと言ってそれが、痛いものだというわけではない。神がおやりなさっているがゆえに、その存在には大切な意味が灯る。
蝶々は神さまの手紙などということを、かのじょは言っていましたが、それは真実です。蝶々という生命活動を、あなたがたに見せることによって、神はあなたがたにずっと重要なことを教え続けているのです。
シロチョウは白い。その白さを認め、愛している。それが幸福なのだということを、神はシロチョウの生によってあなたがたに教えるのです。
自己存在の幸福は、自分が自分そのものであることを喜ぶ自由を獲得することから始まります。その自由は初めから与えられているのですが、存在の幼い頃はそれを知ることができない。ただ愚昧ゆえに自分というものの存在そのものにおびえ、それが怖くて苦しいことをしてしまい、その恐ろしさにまたおびえ、自分という存在から逃げようとする。
自分で自分という存在を侮辱することほど、苦しいことはありません。自分で自分を犯すことなど、できるはずもないのですが、人間はいつもそんなことを繰り返しているのです。愚昧の闇に自分を譲り、馬鹿なことをして、自分を馬鹿にしてしまう。辱める。
それが自己存在の罪であり、恐ろしい苦しみなのです。
自己存在はこの苦を味わわないで生きることはできない。だがそれは、いつか必ず乗り越えられる苦でもあります。
あなたがたはその過程において、自己存在が決してやってはならないことがなんであるのかを学ぶのです。
それは自己存在が自己存在を辱めることです。自分で自分を馬鹿にすることです。人間にはそれをすることができる自由もある。だがそれをすると、果てしない苦悩の堂々巡りが始まり、自己存在はとうとう消滅を願うようにまでなってしまう。
馬鹿とはこういうものです。愚昧の闇に浸りこんで、真実をわかろうとしないから、いつまでも苦しみ、その苦しみを世界にぶちまけて、あらゆることを駄目にしてしまうのです。
シロチョウのように、真っ白な心で、愛を受け入れなさい。自分を受け入れなさい。それだけですべてはうまくいく。
神は、すべての存在を、よきものとして作ってくださっているのです。