信州の谷間の街道を散策しています。
国道152号線、中央構造線といわれる地層のズレ(断層)が諏訪地方から和歌山、四国、九州中央部まで続いている地学の標本みたいな地帯です。
道路地図では茅野市から高遠までは杖突街道、高遠から浜松に至る道は秋葉街道といわれてます。高遠から大鹿村方面、分杭峠へ。この道は天竜川の3大支流の三峰川を堰き止めた高遠湖、美和湖の畔を遡る道です。
美和湖の途切れるあたり旧長谷村黒河内地籍あたりで南アルプススーパー林道戸台口への道の分岐があります。
道を真っ直ぐ進み市野瀬地籍から分杭峠へと上がってゆきます。
中沢峠(1317m)です。
西に行くと中沢村(現駒ヶ根市)に至ります。ここから分杭峠はもうすぐです。
分杭峠(1427m)です。
駐車場がありました。10台近くの車があります。ボックスカーの移動販売車が営業しています。北に向かって林が切り払われていて三峯川方面が眺望できます。入野谷郷と呼ばれた谷間の風景です。
分杭峠・・・その昔、高遠藩が境界杭を立てたことからそう呼ばれるようです。わかりやすい名前です。この石碑はそのときのものか定かではありません。これより南(大鹿村)は天領だったはずで、紛争の種になることがあったのでしょうか。
ここから三峰川の最奥の集落、浦に通じる道があります。

秋葉街道・・・高遠から大鹿村、遠山郷へ通じる道を秋葉街道といったかはわたしは知りません。調べによると飯田市八幡から遠州街道と分かれて小川路峠を越えて遠山郷に入るのが秋葉街道であるという説明もあります。
それにしても昔は国道○○号線なんていう呼称はありません。いつの間にか呼び慣わされた言葉が定着し、秋葉方面からは違った呼称で呼ばれていたでしょう。
ちなみに秋葉とは静岡県秋葉山にある神社の名前です(現浜松市春野町)。「火ぶせの神」として神仏混こうの大本山でしたが明治以降に神社になりました。
秋葉街道とは近世庶民の「信仰の道」だったのです。
「日本アルプス登山と探検」(岩波文庫)、ウエストンの通った道です。1992年ウエストンは松島から高遠、市野瀬、大鹿を通って赤石岳に登攀します。分杭峠を市野瀬峠と記述しています。地名なんていい加減なものです。
大鹿村に入ります。
国道152号線、中央構造線といわれる地層のズレ(断層)が諏訪地方から和歌山、四国、九州中央部まで続いている地学の標本みたいな地帯です。
道路地図では茅野市から高遠までは杖突街道、高遠から浜松に至る道は秋葉街道といわれてます。高遠から大鹿村方面、分杭峠へ。この道は天竜川の3大支流の三峰川を堰き止めた高遠湖、美和湖の畔を遡る道です。

道を真っ直ぐ進み市野瀬地籍から分杭峠へと上がってゆきます。
中沢峠(1317m)です。
西に行くと中沢村(現駒ヶ根市)に至ります。ここから分杭峠はもうすぐです。

駐車場がありました。10台近くの車があります。ボックスカーの移動販売車が営業しています。北に向かって林が切り払われていて三峯川方面が眺望できます。入野谷郷と呼ばれた谷間の風景です。
分杭峠・・・その昔、高遠藩が境界杭を立てたことからそう呼ばれるようです。わかりやすい名前です。この石碑はそのときのものか定かではありません。これより南(大鹿村)は天領だったはずで、紛争の種になることがあったのでしょうか。
ここから三峰川の最奥の集落、浦に通じる道があります。

秋葉街道・・・高遠から大鹿村、遠山郷へ通じる道を秋葉街道といったかはわたしは知りません。調べによると飯田市八幡から遠州街道と分かれて小川路峠を越えて遠山郷に入るのが秋葉街道であるという説明もあります。
それにしても昔は国道○○号線なんていう呼称はありません。いつの間にか呼び慣わされた言葉が定着し、秋葉方面からは違った呼称で呼ばれていたでしょう。
ちなみに秋葉とは静岡県秋葉山にある神社の名前です(現浜松市春野町)。「火ぶせの神」として神仏混こうの大本山でしたが明治以降に神社になりました。
秋葉街道とは近世庶民の「信仰の道」だったのです。
「日本アルプス登山と探検」(岩波文庫)、ウエストンの通った道です。1992年ウエストンは松島から高遠、市野瀬、大鹿を通って赤石岳に登攀します。分杭峠を市野瀬峠と記述しています。地名なんていい加減なものです。
大鹿村に入ります。