比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

2020年冬・・・浅間山麓・・・嬬恋高原・・・浅間パノラマラインの風景

2021-01-21 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

12月10日・・・上田市から鳥居峠を超えて群馬県長野原町川原湯の八ツ場ダムまでプチドライブ・・・
群馬県嬬恋村田代から国道144号線が工事中のため迂回道路の嬬恋村道の広域農道浅間パノラマライン・・・を大笹まで。

浅間山北麓・・・嬬恋村田代・・・高原野菜のふるさと・・・の風景・・・

夏秋の高原野菜、白菜、キャベツ、レタス大生産地・・・いまは土を耕耘させて静かに休んでいます。
浅間山から・・・黒斑山、高峰山、水の塔山、湯の丸山、烏帽子岳、根子岳、四阿山へと上信国境の山々が続く。

浅間パノラマライン・・・広域農道(嬬恋村道)、北ルート今井仙之入りから田代古永井まで、南ルート田代古永井から大笹まで、全35km。
林野、野菜畑、ほとんど信号皆無。バイクライダーの聖地だそうだが、生活農道であるので気を付けて走ってほしい。
※撮影日は2020年12月10日。


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秋の志賀高原ぶらりから・・・万座ハイウエイ・・・嬬恋村へ・・・

2020-12-09 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

北信濃10月・・・志賀高原・・・にプチドライブ・・・
志賀高原麓の山の内温泉郷から国道292号線を渋峠方面に向けて紅葉観光。
ループ橋を過ぎ、志賀高原湖沼群、さらに高度を上げて渋峠へ・・・

渋峠を越えて群馬県に入り国道292号線から分かれて万座温泉方面に・・・
浅間山が見えてきます。

万座ハイウエイから万座鹿沢口駅方面、国道144号線で鳥居峠を越えて上田方面へ。
・・・浅間山・・・

群馬県嬬恋村田代あたりから・・・嬬恋村は高原野菜の村です・・・
※撮影日は10月20日。


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秋の浅間山麓・・・浅間白根火山ルート・・・「天明の浅間焼け」が造った自然の奇勝・・・鬼押し出し紅葉

2020-01-13 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳
秋の浅間山麓プチドライブです。
国道18号線、中軽井沢駅前の交差点から国道146号線に進路を変えて峰の茶屋に。
峰の茶屋の国道分岐点から左に・・・浅間白根火山ルート(鬼押し出しハイウエイ)を進むと・・・「鬼押出し」。

鬼押出し」は江戸時代中期の天明3年(1783年)の浅間山の大噴火(天明の浅間焼け)により流れ出した膨大な量の溶岩が凝結した原野です。

溶岩流の中を散歩です。








※撮影日は2019年10月23日です。


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秋の浅間山麓・・・浅間白根火山ルート・・・「天明の浅間焼け」が造った自然の奇勝・・・鬼押し出し

2020-01-12 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

昨年の秋の浅間山麓プチドライブです。
国道18号線、中軽井沢駅前の交差点から国道146号線に進路を変えて峰の茶屋に。
峰の茶屋の国道分岐点から左に・・・浅間白根火山ルート(鬼押し出しハイウエイ)を進むと・・・

鬼押出し園」が見えてきます。「鬼押出し園」は江戸時代中期の天明3年(1783年)の浅間山の大噴火により流れ出した膨大な量の溶岩が凝結した原野を公園化したものです。地籍は群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原。経営母体は(株)プリンスホテル。
1920年頃より西武グループ(現コクド)が観光地として開発をはじめ。1951年公園として開園、中央に聳える展望台は1970年の竣工。

園内にある上野寛永寺別院浅間観音堂(1958年勧請)の正門。

上野寛永寺別院浅間観音堂の鐘楼。






※撮影日は2019年10月23日です。


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久しぶりの・・・陶芸の里・・・益子町・・・城内坂の風景

2019-12-26 | 道をゆく 関東
12月1日・・・久しぶりのロングドライブ・・・栃木県益子町方面へ・・・
真岡鉄道のSL・・・C11が東武鉄道に譲渡されるということで・・・ラストランが12月1日行われ、その日は快晴ということもあり行ってきました。
真岡鉄道真岡線の終点茂木駅より二駅手前の笹原田駅あたりでC11 325・・・を撮って引き返し駅鉄をしながら陶芸の町「益子」へ。

益子駅の南の踏切を渡って益子の市街を東に、信号のある城内坂の交差点から400mばかりが益子の中心街の城内坂、陶器店がずらりと並び、一番奥に巨大な狸が鎮座する益子焼窯元共販センターが。

久しぶりの陶芸の里・・・益子・・・です。
城内坂の風景・・・LUMIX FZ85パノラマ機能で・・・。両側のほとんどが窯元の販売店です。

大塚はにわ店・・・店頭に並ぶレプリカの埴輪・・・

LUMIX FZ85・・・パノラマ機能で城内坂の風景・・・真っすぐの道がアールを描いてしまった。

益子町・・・栃木県南東部、芳賀郡に属する、南部は茨城県との県境、人口22000人。江戸時代は益子村、1894年年明治の大合併では単独で益子町に、1954年昭和の大合併で七井村、田野村と合併して益子町に。平成の大合併では合併協議会は成立せず。戦国時代は宇都宮氏の郎党益子氏が益子城を構え、1589年廃城。江戸時代は那須黒羽藩飛び地支配で益子陣屋が、1852年笠間で修業した大塚啓三郎が黒羽藩の庇護を受け益子城のふもと(根古屋)に窯を開く。台所用の日常雑器であり、鬼怒川、利根川水運を流通経路として江戸に運ばれ地域経済を潤した。明治期に入ってもその勢いは衰えず、大正時代に民芸運動の陶芸家濱田庄司(のちに人間国宝)が益子に住み、ますます益子焼の名が広まっていった。窯元260、陶器店50.日用雑器から発展した焼き物なので益子焼という独自の焼き物はなく多様。
益子古城跡、西明寺古城跡,黒羽藩陣屋跡、益子陶芸美術館、陶芸メッセ、旧濱田庄司邸などを見たいのだが、まだ見たことがない。


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上信国境・・・標高1000m・・・日本最古の洋式牧場・・・神津牧場

2019-11-27 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

・・・秋桜子の季節・・・
信州佐久市内山・・・秋になると「コスモス街道」と呼ばれる・・・国道254号線(富岡街道とも)・・・コスモス街道を越えて県境の内山トンネルへ・・・
国道254号線内山トンネルの長野県側から脇道に・・・妙義荒船林道、内山峠、内山牧場、物見山(1375m)から・・・上信国境の山稜の南斜面、350㌶、標高1000~1100mの高原に広がる神津牧場(群馬県甘楽郡下仁田町南野牧250)に。


公益財団法人神津牧場・・・長野県北佐久郡志賀村の神津邦太郎により1887年(明治20年)開場の日本最初の西洋式牧場です。
経営は銀行家田中銀之助、明治製菓を経て終戦後の1945年(昭和20年)財団法人神津牧場に。

ジャージー種の乳牛です。ここ神津牧場日本におけるジャージー牛の最初の飼育地です。

ジャージー種・・・小型の乳牛、英仏海峡ジャージー島の原産、体格の平均♀130体高㎝、体重400㎏、♂140㎝、650㎏、ホルスタイン種の2/3。乳脂肪率5.0%(ホルスタイン3.4%)、産出乳量はホルスタイン種の2/3、日本ではホルスタイン種が90%以上。牛乳、乳製品、精肉はほとんど市場に出回らない。日本での主な飼育地は岡山県蒜山高原。熊本県小国郷、岩手県二戸郡、秋田県にかほ市、北海道各地。



神津牧場・・・自然と動物との共生を学ぶ牧場です。ロッジ、キャンプでの宿泊、牛乳製品の手作り体験。

濃厚なジャージー種の牛乳で作ったソフトクリームは絶品です。ジャージー種の牛肉の焼き肉は絶品です。
※撮影日は9月14日。

★神津牧場の開設者神津邦太郎と神津家と志賀村・・・神津といえば思い浮かべるのは伊豆諸島の神津島、女優中村メイコさんのご主人の神津善行さん・・・ですね。両方とも関係あります。神津牧場の開設者神津邦太郎さんはこの山の西、信州側の谷間の村。北佐久郡志賀村(現佐久市)の豪農、ご先祖は藤原家の末裔、伊豆神津島の豪族から佐久の山中に移住して豪族に。詳しいこと、年譜は不明です。江戸時代から明治時代にかけて村の中心として黒壁家といわれ傍流が赤壁家に、いまでも壮大な家屋敷があるようです。邦太郎は慶應義塾、上海に学び、日本の農業の先駆けになり、銀行家としても政治家として尽くしました。神津家の中で、神津藤平は長野電鉄創始者、志賀高原開発者、神津猛は島崎藤村の無名のころの物心ともに援助したパトロン、等が知られています。神津善行さんも神津家の血をひく芸術家です。

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初夏の北軽井沢・・・「浅間園」のボルケーノ・ウォークを・・・花を見ながら散歩

2019-08-19 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

初夏の浅間山麓散歩・・・から日本ロマンチック街道を鬼押出し方面へ。

群馬県長野原町・・・長野原町営「浅間園」です。嬬恋村の中にある長野原町の飛び地です。
もとは東急の開発した浅間ジオパーク観察設備です。いまは長野原町営設備になっています。

ヴォルケーノ・ウォーク(自然遊歩道)・・・の散歩です。

白い花はズミ(小梨)の花かな?

ミツバツツジ

シャクナゲ・・・

ヒカリゴケの見られる溶岩洞窟もあります。
※撮影日は5月30日。今日の散歩はこれにてEND


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初夏の北軽井沢・・・「浅間園」のボルケーノウォークを散歩

2019-08-19 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

初夏の浅間山麓散歩・・・から日本ロマンチック街道を鬼押出し方面へ。

群馬県長野原町・・・長野原町営「浅間園」です。嬬恋村の中にある長野原町の飛び地です。
もとは東急の開発した浅間ジオパーク観察設備です。いまは長野原町設備になっています。

5万年の年を経て今も活火山の浅間山。
浅間火山博物館休憩所です。

ヴォルケーノウォーク(自然遊歩道)・・・25~80分まで5種類のコースがあります。美しい山野草、蝶や鳥に遇うこともあります。

天明の大噴火(1783年)で流れ出した溶岩流です。人々は「鬼押出し」といいました。



遠くに西武(コクド)の開発した火山活動観察設備「鬼押出し園」が見えます。
開発当時は、ここ「浅間園」は東急、「鬼押出し園」が西武で、西武、東急の浅間山麓の戦争といわれました。
※撮影日は5月30日。
余録》1783年8月5日、天明の大噴火といわれる浅間焼け、噴火活動にともなう地震が山肌を揺り動かし岩山を崩壊させ、溶岩、火砕流がそれを呑み込んで土石流となって裾野の村を襲い、野や谷を埋め天然のダム(堰止め湖)を形成、それが長雨による増水のため決壊して吾妻川から利根川に大洪水(浅間焼け泥押し)が起こり、遠く江戸川の河口まで死体が流れ着いたといいます。死者約1500人。流域の農業用水網もズタズタにされ空前の不作に。
天明の大噴火天明の大飢饉(死者10万人)と因果関係は?
噴煙は大気圏まで達し、同時期の岩木山の大噴火、アイスランドのラキ火山大噴火と相乗し北半球の大気圏を覆い、日射量の低減が低温化を生み、天明の大飢饉などの原因となった…といわれています。

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初夏の浅間山麓散歩・・・嬬恋村・・・六里ヶ原で浅間山を眺める。

2019-08-13 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

初夏の軽井沢散歩・・・軽井沢町六本辻の雲場池から国道146号線を峰の茶屋方面へ。峰の茶屋から鬼押出しハイウエイ(日本ロマンティック街道)へ。
「鬼押出し園」に手前にある六里ヶ原駐車場(群馬県嬬恋村鎌原)でひと休み。レストラン、農産物直売所、ドッグランがあります。

浅間山(2568m)・・・北東山麓。浅間山は数万年前から噴火を繰返す活火山。
山肌が赤いのは火山噴出の岩滓(スコリオ)、右斜面に見える黒い岩塊は鬼押出し溶岩流。

★1783年の天明の大噴火は北東の斜面に大火砕流を流下させ、このあたりから鎌原村一帯を埋め、一木一草もない裸地にしました。230年余たったいま、ようやく植生が回復、アカマツ、カラマツ、コナラなどが生育するように。1400m<あたりから上はクロマメノキ、コケモモ、ガンコウラン、ミネズオウ(いずれもツツジ科)、さらに上はコメススキ・・


小浅間山ドーム(1655m)・・・

ミツバツツジと浅間山・・・
※撮影日は5月30日。


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