武州ときがわ椚平にシュウカイドウを見に来ました。
都幾川の流れの谷から支流の氷川の谷に、やがて分岐点に。
左の幅の狭いほうの道をたどると向尾根の集落へ、さらに奥武蔵山稜の飯盛峠に、右の広い道は日向根の集落へ、シュウカイドウの群生地、そして大椚第二小学校を経て奥武蔵山稜の檥峠(ぶなとうげ)へ。
どちらも秩父街道になるわけで戦国時代はここを通る旅人を監視するために大木戸が置かれていたそうです。復元した大木戸が設置されていますがチョッと芝居じみているので画像にしませんでした。
シュウカイドウを見たあと大椚第二小学校跡を見に行きました。
分岐点からしばらく広い道が続き、やがて日向根バス終点に、広い道はここで終わり。
途中で見た滝のほとりのシュウカイドウ。滝といっても人工的な石積みが施されていますから生活水路です。山の人々は水ともたたかってるのですね。
バス終点から車1台が通れる狭い道を700m、こんな道しるべのある展望台に着きました。車数台の駐車スペースもあります。
道標には檥峠(ぶなとうげ)方面とあります。通りかかったかたに行けるかどうか訪ねたところ軽4輪駆動ならいけるのではないかというあいまいな返事でした。
「のぼるな!きけん」という文字が見えます。神社に通じる石段です。土地の子どもなら簡単に登る遊び場でしょうが、山登りの経験のある人も怖いくらいの石段です。
海抜400m・・山の上の大椚第2小学校・・・1874年(明治7年)泉原教場として開校。明治の夜明けが空けきらぬときです。驚きです。この村の人たちの教育に対する熱意が伝わってきます。2004年長い歴史の幕を閉じます。
赤い屋根の建物が校舎だったところ。2008年「くぬぎむら体験交流館」として生まれ変わりました。「ひもかわうどん」など郷土料理、木工、などの山村の文化を体験するための施設らしいです。今後どのような活動が展開されるでしょうか。
信州の山国育ちのわたしにとって涙の出るような郷愁の風景です。山国の人たちが強かに生きていかれるように思わずにはいられません。
下記のリンクで地図が出ます。大きな範囲で埼玉県の中の位置がわかります。町の中に入ると案内板があちらこちらに設置されています。
椚平
《蛇足・・村の歴史》明治22年(1889年)大野村と椚平村が合併、東秩父郡大椚村に。昭和30年(1955年)大椚村と明覚村、平村が合併、比企郡都幾川村に。平成18年(2006年)都畿川村と玉川村が合併、ときがわ町に。
都幾川の流れの谷から支流の氷川の谷に、やがて分岐点に。
左の幅の狭いほうの道をたどると向尾根の集落へ、さらに奥武蔵山稜の飯盛峠に、右の広い道は日向根の集落へ、シュウカイドウの群生地、そして大椚第二小学校を経て奥武蔵山稜の檥峠(ぶなとうげ)へ。
どちらも秩父街道になるわけで戦国時代はここを通る旅人を監視するために大木戸が置かれていたそうです。復元した大木戸が設置されていますがチョッと芝居じみているので画像にしませんでした。
シュウカイドウを見たあと大椚第二小学校跡を見に行きました。
分岐点からしばらく広い道が続き、やがて日向根バス終点に、広い道はここで終わり。
途中で見た滝のほとりのシュウカイドウ。滝といっても人工的な石積みが施されていますから生活水路です。山の人々は水ともたたかってるのですね。
バス終点から車1台が通れる狭い道を700m、こんな道しるべのある展望台に着きました。車数台の駐車スペースもあります。
道標には檥峠(ぶなとうげ)方面とあります。通りかかったかたに行けるかどうか訪ねたところ軽4輪駆動ならいけるのではないかというあいまいな返事でした。
「のぼるな!きけん」という文字が見えます。神社に通じる石段です。土地の子どもなら簡単に登る遊び場でしょうが、山登りの経験のある人も怖いくらいの石段です。
海抜400m・・山の上の大椚第2小学校・・・1874年(明治7年)泉原教場として開校。明治の夜明けが空けきらぬときです。驚きです。この村の人たちの教育に対する熱意が伝わってきます。2004年長い歴史の幕を閉じます。
赤い屋根の建物が校舎だったところ。2008年「くぬぎむら体験交流館」として生まれ変わりました。「ひもかわうどん」など郷土料理、木工、などの山村の文化を体験するための施設らしいです。今後どのような活動が展開されるでしょうか。
信州の山国育ちのわたしにとって涙の出るような郷愁の風景です。山国の人たちが強かに生きていかれるように思わずにはいられません。
下記のリンクで地図が出ます。大きな範囲で埼玉県の中の位置がわかります。町の中に入ると案内板があちらこちらに設置されています。
椚平
《蛇足・・村の歴史》明治22年(1889年)大野村と椚平村が合併、東秩父郡大椚村に。昭和30年(1955年)大椚村と明覚村、平村が合併、比企郡都幾川村に。平成18年(2006年)都畿川村と玉川村が合併、ときがわ町に。
山の中の小学校が分教場になりやがて廃校になっていく、日本中どこにでも見られる風景です。
少なくとも記録には残しておきたい風景です。