比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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飛騨高山③・・・豪商の館

2010-10-16 | 道をゆく 東海・中日本
日本の中心みたいな飛騨の奥深くの、この街の佇まいをを見れば、近世にいかに栄えたかなんとなくわかってくる。宮川沿いに少し下ったところに豪商の館。

重要文化財 日下部家・・・高山藩が天領になったころから御用商人を務め、幕末のころには代官所の財務一切を預かる掛屋にまで上りつめる。両替商、大名貸しを商う。今で言う総合金融業、総合商社です。現在の建物は明治8年(1879年)竣工、主屋(切妻二階建て)だけで桁行17.4m、梁行17.3m(約90坪)、ほかに突き出し15坪、蔵2棟。

重要文化財 吉島家・・・天明8年(1784年)酒造業を開き、幕末には生糸の商いで大いに栄えたという。現在の建物は明治40年(1907年)竣工、主屋(切妻二階建て)だけで桁行16.7m、梁行13.6m(約70坪)、ほかに突き出し10坪、蔵1棟。

飛騨の匠・・・最高の大工の棟梁の仕事です。
飛騨の匠という言葉があります。奈良時代、万葉集にもこんな歌が歌われているそうです。
    かにかくに 物は思わず 飛騨びとの 打つ墨縄の ただ一道に
                  (万葉集巻十一・二六四八番歌 作者未詳)
飛騨の匠・・・木工集団です。奈良王朝の時代、律令制度の税制(租傭調)の傭役で都に徴用され木工匠勤めを通じて高度な技術を習熟、飛騨一円にその技術を広めたと思われる。やがてその技術をもって京に江戸に諸国に腕1本で出稼ぎに出るようになります。左甚五郎は飛騨の甚五郎でしょう。


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