比企の丘

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今日は何の日・・・司馬遼太郎・・・菜の花忌

2010-02-12 | 今日は何の日
新聞を読んでいたら司馬遼太郎「菜の花忌」のことが出ていました。司馬遼太郎・・・1996年2月12日没。「菜の花」と名づけたのは幕末の北前船の豪商高田屋嘉兵衛のことを書いた「菜の花の沖」にちなんでか。
司馬遼太郎・・・熱心な読者でもないし、読んでいない作品もいっぱいあるし、その内容を理解してるわけでもないし、感想をいえるような資格もありません。


太平洋戦争末期、大学から召集され戦車隊に。学徒動員ですね。促成の戦車学校を卒業して満州国牡丹江省の戦車隊に配属されます。戦車の運転もおぼつかない大砲の照準も合わせられないヒドイ即席少尉だったそうです。ソ満国境からソ連軍の進攻が予測される中、なぜか関東軍の転進?のため栃木県の佐野市に。戦車隊の本拠は佐野小学校、九十九里浜か湘南海岸に米軍が上陸するという想定だったそうです。そして敗戦の日に。戦わずして生き延びた。
生き延びたのは司馬さんのせいではありません。

このことがそのご22歳からの司馬さんの生きるテーマになったのでしょうか。司馬さんはそのごの執筆活動を22歳の自分への手紙と語っています。

司馬史観といいます。「史観」ですから「史学」ではありません。あくまでも個人的な思い込みというのでしょうか。でも史観の前に「司馬」がつくから読む人は「個人史観」として読めばいいのです。どう思うかは人それぞれです。ちなみにわたしは「竜馬が行く」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」読んでいません。
この人の本は保守党の大物議員や財界の大物に絶賛され、民主的な考え方の人にも好かれ、右翼にも左翼にも嫌われています。ヘンです。
満州の戦車隊の経験を生かして、ノモンハンや731部隊やシベリア抑留のことを小説にしてほしかったですね。どう書いたでしょうか。


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