飯山市瑞穂・・・菜の花の丘公園・・・5月3~5日まで「菜の花まつり」だそうです。今年の春は早い、それまで持つでしょうか。
新潟長岡の「雪国植物園」十日町市松代の「棚田」を見に行った帰りに寄ってみました。7年ぶりです。約500kmのロングドライブ、時計を見ると3時、埼玉に日帰りします。旅の最後の物見遊山ですが旬の菜の花(早めに発表しないと散ってしまう)を花見紀行のトップにしました。
菜の花・・・江戸時代、千曲川の沖積平野で収穫された菜種油は灯火源(あんどん油など)、今で言う電力源のようなものでこの土地に富をもたらし、飯山から千曲川左岸を通って北国街道豊野神代宿までの飯山街道、右岸を通って北国街道稲荷山宿までの谷街道、須坂福島宿から菅平、鳥居峠を越えて上州大笹に出る大笹街道の諸道は菜種油を江戸に運ぶ流通の道として繁栄しました。
「朧月夜(おぼろづきよ)」(1914年初出)の一節です。明治・大正・昭和の時代に作られ今日に生きている数々の小学唱歌を作詞したこの地の出身の国文学者高野辰之が作詞した名曲です。
高野辰之(1876~1947年)・・・兔追いし彼の山・・(故郷)、春の小川はさらさら流る・・(春の小川)、秋の夕日は照る山もみじ・・(もみじ)などだれでも一度は口ずさんだことのある唱歌の作詞者。明治の文語体の時代に子どもが楽に歌える口語体の歌詞を造りだした人です。
兔追いし彼の山・・・の農村(下水内郡永江村・・・現中野市)に生まれ飯山の高等小学校(今の中学校)を卒業、小学校代用教員、長野師範学校、教員、国語学者・東京帝国大学教授上田萬年(作家円地文子の父)に見出されて上京、東京帝大の用務員になって秘かに聴講、やがて文部省吏員、東京音楽学校教授、東京帝国大学講師・・まで上り詰めていきます。
「故郷」の「志を果たして いつの日にか帰らん」・・・という一節には、農家を継いでもらいたいという親の思いに背いて学の道をめざし、それを果たしたとき故郷に帰り農家を継ごうという思いが込められていたのだとか。
近くの野沢温泉には高野辰之が晩年を過ごした別荘を記念館にした「おぼろ月夜の館」が、「春の小川はさらさら流る」を彷彿させるふるさとの永江村(現中野市)には高野辰之記念館があります。
新潟長岡の「雪国植物園」十日町市松代の「棚田」を見に行った帰りに寄ってみました。7年ぶりです。約500kmのロングドライブ、時計を見ると3時、埼玉に日帰りします。旅の最後の物見遊山ですが旬の菜の花(早めに発表しないと散ってしまう)を花見紀行のトップにしました。
この菜の花はふつう見られる菜の花(アブラナ)ではなく、信州の漬物の代表「野沢菜の菜の花」だそうです。
映画「阿弥陀堂だより」(2002年東宝系公開)で舞台となった阿弥陀堂のロケ地はこの山の谷の奥。
美しい棚田の福島という集落。
原作は南木佳士の小説「阿弥陀堂だより」(文芸春秋社1995年刊、文春文庫2002年刊)。、
ゆったりと・・・大河「千曲川」。
この先の栄村のJR飯山線「森宮野原駅」あたりを過ぎると新潟県に入り「信濃川」と改名して日本海に向かいます。
千曲川・・・対岸は飯山市市街地、遠くに飯縄山?。
飯山市常盤あたりを流れる大河千曲川の広い河川敷です。対岸は「菜の花の丘公園」。「菜の花渡し舟」が運行されています。
「花の駅・・千曲川」(飯山道の駅)の前の千曲川堤防上から。
映画「阿弥陀堂だより」(2002年東宝系公開)で舞台となった阿弥陀堂のロケ地はこの山の谷の奥。
美しい棚田の福島という集落。
原作は南木佳士の小説「阿弥陀堂だより」(文芸春秋社1995年刊、文春文庫2002年刊)。、
ゆったりと・・・大河「千曲川」。
この先の栄村のJR飯山線「森宮野原駅」あたりを過ぎると新潟県に入り「信濃川」と改名して日本海に向かいます。
千曲川・・・対岸は飯山市市街地、遠くに飯縄山?。
飯山市常盤あたりを流れる大河千曲川の広い河川敷です。対岸は「菜の花の丘公園」。「菜の花渡し舟」が運行されています。
「花の駅・・千曲川」(飯山道の駅)の前の千曲川堤防上から。
※撮影日は4月16日、SONY DSC-WX350 5枚目はパノラマ処理。
菜の花・・・江戸時代、千曲川の沖積平野で収穫された菜種油は灯火源(あんどん油など)、今で言う電力源のようなものでこの土地に富をもたらし、飯山から千曲川左岸を通って北国街道豊野神代宿までの飯山街道、右岸を通って北国街道稲荷山宿までの谷街道、須坂福島宿から菅平、鳥居峠を越えて上州大笹に出る大笹街道の諸道は菜種油を江戸に運ぶ流通の道として繁栄しました。
菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞深し
見わたす山の端 霞深し
「朧月夜(おぼろづきよ)」(1914年初出)の一節です。明治・大正・昭和の時代に作られ今日に生きている数々の小学唱歌を作詞したこの地の出身の国文学者高野辰之が作詞した名曲です。
高野辰之(1876~1947年)・・・兔追いし彼の山・・(故郷)、春の小川はさらさら流る・・(春の小川)、秋の夕日は照る山もみじ・・(もみじ)などだれでも一度は口ずさんだことのある唱歌の作詞者。明治の文語体の時代に子どもが楽に歌える口語体の歌詞を造りだした人です。
兔追いし彼の山・・・の農村(下水内郡永江村・・・現中野市)に生まれ飯山の高等小学校(今の中学校)を卒業、小学校代用教員、長野師範学校、教員、国語学者・東京帝国大学教授上田萬年(作家円地文子の父)に見出されて上京、東京帝大の用務員になって秘かに聴講、やがて文部省吏員、東京音楽学校教授、東京帝国大学講師・・まで上り詰めていきます。
「故郷」の「志を果たして いつの日にか帰らん」・・・という一節には、農家を継いでもらいたいという親の思いに背いて学の道をめざし、それを果たしたとき故郷に帰り農家を継ごうという思いが込められていたのだとか。
近くの野沢温泉には高野辰之が晩年を過ごした別荘を記念館にした「おぼろ月夜の館」が、「春の小川はさらさら流る」を彷彿させるふるさとの永江村(現中野市)には高野辰之記念館があります。
飯山・菜の花………、大分早く開き始めましたネ。
貴重な情報ありがとうございます。
また、500Kmのロングドライブ、大変お疲れ様でした。
いつも、信州のご紹介、ありがとうございます。